さて、少し歩き回っていると、駒沢通りに出て来た。庚申道と駒沢通りの交差点である。庚申道は今では細い道だが、かつては幹線道路であったという話もあった古道であるだけに、この辺りは商店が並ぶ町になっているのは歴史的な背景があるとも言えそうだ。駒沢通りは玉川通りと目黒通りの間を平行するように都心と世田谷方面を結ぶ放射状の道路の一つだが、祐天寺への道として古くから開かれていた道のようだ。そして、見たところでは、昭和初期のものと覚しき銅板貼りの看板建築が現存していた。目黒通り沿いには、出桁造りの商家を改装した家具店があったが、こちらは紛れもなく銅板貼り。この銅板貼り建築は昭和初期の一時期だけのもの。調べてみると、戦前の昭和15年(1940)に開催が予定されていた東京オリンピックのメイン会場に駒沢競技場を予定しており、そのための道路整備が先だって行われていたらしい。その結果、道路整備に合わせて建てられた商店群がこの辺りには今も残されているようだ。目黒区内には、銅板貼りの看板建築の現存しているものは数少ない。

昭和初期の道路整備の時の町並みが僅かに残されている。出桁造りの商家もある。

波板を使った四角のモチーフのデザインが施された看板建築。上の写真のものとも似ていて、同じ所が施行したのだろうか。

少し都心よりの方向に戻ると、鳥居が道路に面して見えた。上目黒天祖神社である。参道は駐車場と化していて、一瞬驚くほどに車が轡を並べている。

創建年代は不明とのことだが、古くはお伊勢様とか、神明社と言われていた神社が、明治維新以降に天祖神社に改名させられている。

参道横の道を入って行くと、境内である。格段に大きな神社ではないが、目黒のかつての趣を僅かに感じとることができる。

手水舎。

「天祖神社 上目黒2-32-15
古くから伊勢森と言うこの地に鎮座している神社で、天照大神を祭神として祀り、地元人の深い崇敬を受けています。創建の年代は不明ですが、境内には樹齢数百年と推定される老樹が多く、その年代から考えてもかなり古い時代の創建と思われます。現在の社殿は昭和8年5月に新築されたものです。毎年9月の第1土日に例大祭が行われ、現伊勢脇町会・現祐天寺町会員が氏子として祭事を行っています。なお、本殿右奥に御輿蔵があり、一年中宮御輿が見学できます。境内には、宝永5(1708)年と、道標をかねている享保元(1716)年の2基の庚申塔が建立されています。
平成17年9月 目黒区教育委員会」(現地案内板より)

境内に置かれた二基の庚申塔
「天祖神社の庚申塔 目黒2-32-15
この2基の庚申塔は駒形で、合掌六臂の青面金剛、日月、二鶏、三猿が浮き彫りされています。江戸時代、農村では60日に1度巡ってくる庚申の日に人々が集まって青面金剛をまつり、飲食をしながら夜を明かす庚申待という民間信仰が盛んに行われていました。庚申待を18回終えた後に建てたのが庚申塔です。右側の庚申塔は享保元年(1716)の建立で、彫像面には珍しく道標を兼ねていて、区内の道標碑としては最古のものです。右側面の道標銘には、「是より末町さき四辻、大道九品仏道、右せたがや道、左へふとう道」と刻まれており、それぞれが九品仏(浄真寺)、世田谷、目黒不動へ続く道だったことがわかります。左側の庚申塔は宝永5年(1708)の建立で「奉待庚申青面金剛」の銘と、講中9人の名が彫られています。
平成22年3月 目黒区教育委員会」

境内の右手には、神楽殿。

昭和8年5月築という、社殿。おそらく、この時期に駒沢通りの拡張整備が行われていたのではないだろうか。通り沿いの看板建築など、年代的にその近辺ではないかと思われる。社殿の右奥に御輿蔵が見えている。訪問したのが、2015年1月のことで謹賀新年の幕がまだ架けられていた時期だった。

道路が新しく、広く整備され、オリンピックの夢を見ていた頃に作られた社殿。

境内には古木が茂って、趣のある雰囲気になっている。

奥には裏参道の鳥居。

こちら側は目黒区立伊勢脇公園になっている。お伊勢様の横なので、伊勢脇という名が地名になっていたわけである。

公演から奥を観ると、すぐに切り立った崖になっていて、高低差が激しい地形になっている。

昭和初期の道路整備の時の町並みが僅かに残されている。出桁造りの商家もある。

波板を使った四角のモチーフのデザインが施された看板建築。上の写真のものとも似ていて、同じ所が施行したのだろうか。

少し都心よりの方向に戻ると、鳥居が道路に面して見えた。上目黒天祖神社である。参道は駐車場と化していて、一瞬驚くほどに車が轡を並べている。

創建年代は不明とのことだが、古くはお伊勢様とか、神明社と言われていた神社が、明治維新以降に天祖神社に改名させられている。

参道横の道を入って行くと、境内である。格段に大きな神社ではないが、目黒のかつての趣を僅かに感じとることができる。

手水舎。

「天祖神社 上目黒2-32-15
古くから伊勢森と言うこの地に鎮座している神社で、天照大神を祭神として祀り、地元人の深い崇敬を受けています。創建の年代は不明ですが、境内には樹齢数百年と推定される老樹が多く、その年代から考えてもかなり古い時代の創建と思われます。現在の社殿は昭和8年5月に新築されたものです。毎年9月の第1土日に例大祭が行われ、現伊勢脇町会・現祐天寺町会員が氏子として祭事を行っています。なお、本殿右奥に御輿蔵があり、一年中宮御輿が見学できます。境内には、宝永5(1708)年と、道標をかねている享保元(1716)年の2基の庚申塔が建立されています。
平成17年9月 目黒区教育委員会」(現地案内板より)

境内に置かれた二基の庚申塔
「天祖神社の庚申塔 目黒2-32-15
この2基の庚申塔は駒形で、合掌六臂の青面金剛、日月、二鶏、三猿が浮き彫りされています。江戸時代、農村では60日に1度巡ってくる庚申の日に人々が集まって青面金剛をまつり、飲食をしながら夜を明かす庚申待という民間信仰が盛んに行われていました。庚申待を18回終えた後に建てたのが庚申塔です。右側の庚申塔は享保元年(1716)の建立で、彫像面には珍しく道標を兼ねていて、区内の道標碑としては最古のものです。右側面の道標銘には、「是より末町さき四辻、大道九品仏道、右せたがや道、左へふとう道」と刻まれており、それぞれが九品仏(浄真寺)、世田谷、目黒不動へ続く道だったことがわかります。左側の庚申塔は宝永5年(1708)の建立で「奉待庚申青面金剛」の銘と、講中9人の名が彫られています。
平成22年3月 目黒区教育委員会」

境内の右手には、神楽殿。

昭和8年5月築という、社殿。おそらく、この時期に駒沢通りの拡張整備が行われていたのではないだろうか。通り沿いの看板建築など、年代的にその近辺ではないかと思われる。社殿の右奥に御輿蔵が見えている。訪問したのが、2015年1月のことで謹賀新年の幕がまだ架けられていた時期だった。

道路が新しく、広く整備され、オリンピックの夢を見ていた頃に作られた社殿。

境内には古木が茂って、趣のある雰囲気になっている。

奥には裏参道の鳥居。

こちら側は目黒区立伊勢脇公園になっている。お伊勢様の横なので、伊勢脇という名が地名になっていたわけである。

公演から奥を観ると、すぐに切り立った崖になっていて、高低差が激しい地形になっている。

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