先日の散歩のときに写した木場潟の風景,湖面への映り込みがキレイです。
映画「アレクサンドリア」でも描かれているユダヤ教とキリスト教の争いみたいに,一神教の人達が他の異教徒の人達と争うことがある。
もし神がこの世を創ったと考えると異教の人達の存在を許していることになるんじゃないかな。
自分たちの言い分を主張して争うことは,結局は神に逆らうことになる。
神を信じていくと宗教とは相容れなくなる次元が来るんじゃないかな。
釈迦はそんな次元を超えたんだろうね。
まあ,今はそんな風に想像しているだけだけどね。