モーゼル川の畔でアルフという小さな村に1週間滞在しました。この村からアルフバッハという支流に沿って車でほんの5、6分、山に分け入るとアラス城塞が見えて来ます。
城塞 1 ・ 城塞 2
これは12世紀前半に、豊かなモーゼル川流域の財産を守るために建てられた山城です。当初はある伯爵やトリアの大司教が所有しましたが、同世紀後半からはアラスの騎士団がお城に住んでいました。その後17世紀の後半まで何度か所有者が代わりましたが、パラタイン継承戦争中にフランスの進駐軍によって爆破され、城塞の望楼が残るだけになったのです。そして18世紀の終わりごろ、フランス革命軍によって設立された政権は、遺跡とその土地の国有財産化を宣言しました。19世紀の前半に、ある企業家が城塞の遺跡とそれに接続する70ヘクタールの森林を取得しました。彼の死後、相続人である3人の娘がアラス城をアルフ村のワイン醸造業者に売却しました。さらにその後ある鉱山の管理者が手に入れて、当時のライン州の記念碑保護当局が承認したため、20世紀の初めからお城の再建を始めたとのことです。第二次世界大戦の直前にお城はまたしても売却され、終戦後に住居部屋が増築されました。20世紀の後半、ある夫婦の手に渡り、ホテルとレストランが開業しました。付属の博物館には、鎧や武器や古文書のほか、古いモーゼル川の景色を描いた絵画が約200枚展示されていて、これはモーゼル川に関するドイツ最大のプライベートコレクションだそうです。なお、毎年1月と2月はホテルもレストランも博物館も閉まるそうです。
城門 ・ 城塞 3
城塞 4 ・ 城塞 5
城塞 6 ・ 大砲の模型
私たちは、〈人里離れた感〉 のある山中に建つアラス城塞を目指して急な坂道を登って行きました。前庭に立っていると、建物の入り口に居るおじさんが “おいでおいで“ と手招きします。ここで休憩しようと思っていたので、
「こちらで何か飲めますか。」
「もちろんですよ。ビッテビッテ。でも、この用紙に住所、氏名、日付、電話番号を書いて下さい。」
これも中共コロナ対策の一環です。壁にはマスク着用、手洗い、そして社会的距離をうながす張り紙があります。
前庭 ・ 入り口
レストラン ・ 壁龕
典型的なドイツの料理店の雰囲気を持つレストランの、他の客から少し離れた壁龕 (部屋の張り出し部分) のテーブルに着きました。注文した紅茶は、妻がダージリンで私がアッサム。かわいい食器セットで出て来ました。お菓子はチーズケーキをひとつ頼んだのですが、二人で食べるつもりなのを分かってくれたらしく、フォークが二本刺さっています。フォークをケーキに突き刺して出すのは、この国で習慣的なお菓子の出し方です。トレッキングで汗を流した後なのでお茶とケーキが身に染みて美味しいのです。給仕のおばさんが大層愛想良く接してくれて、
「トレッキングをしているのですか。」
などと話しかけてきます。
食器セットとチーズケーキ
アラス城塞はこぢんまりとしたお城で、モーゼル川沿いで唯一の宿泊できるお城だそうです。次回は泊まってみようかな?!
ところで、この休暇旅行の間はほぼ毎日滞在先の休暇用マンションで午後のお茶をしました。ケーキはいつも通りがかったカフェで買ったのですが、例えば、ワインの産地のモーゼル渓谷らしくブドウをあしらったケーキを食べました。ブドウに水っぽさがなく、濃厚な甘さで大変旨い。
ブドウケーキ ・ クリームケーキ
その他、クリームケーキも美味でした。これは日本のスポンジケーキの生地にカスタードクリームを挟み、上に粉砂糖をまぶしたお菓子です。
[2020年11月]