お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

アラス城塞

2020年11月28日 | 旅行

モーゼル川の畔でアルフという小さな村に1週間滞在しました。この村からアルフバッハという支流に沿って車でほんの5、6分、山に分け入るとアラス城塞が見えて来ます。

 

城塞 1 ・ 城塞 2

これは12世紀前半に、豊かなモーゼル川流域の財産を守るために建てられた山城です。当初はある伯爵やトリアの大司教が所有しましたが、同世紀後半からはアラスの騎士団がお城に住んでいました。その後17世紀の後半まで何度か所有者が代わりましたが、パラタイン継承戦争中にフランスの進駐軍によって爆破され、城塞の望楼が残るだけになったのです。そして18世紀の終わりごろ、フランス革命軍によって設立された政権は、遺跡とその土地の国有財産化を宣言しました。19世紀の前半に、ある企業家が城塞の遺跡とそれに接続する70ヘクタールの森林を取得しました。彼の死後、相続人である3人の娘がアラス城をアルフ村のワイン醸造業者に売却しました。さらにその後ある鉱山の管理者が手に入れて、当時のライン州の記念碑保護当局が承認したため、20世紀の初めからお城の再建を始めたとのことです。第二次世界大戦の直前にお城はまたしても売却され、終戦後に住居部屋が増築されました。20世紀の後半、ある夫婦の手に渡り、ホテルとレストランが開業しました。付属の博物館には、鎧や武器や古文書のほか、古いモーゼル川の景色を描いた絵画が約200枚展示されていて、これはモーゼル川に関するドイツ最大のプライベートコレクションだそうです。なお、毎年1月と2月はホテルもレストランも博物館も閉まるそうです。

 

城門 ・ 城塞 3

 

城塞 4 ・ 城塞 5

 

城塞 6 ・ 大砲の模型

私たちは、〈人里離れた感〉 のある山中に建つアラス城塞を目指して急な坂道を登って行きました。前庭に立っていると、建物の入り口に居るおじさんが “おいでおいで“ と手招きします。ここで休憩しようと思っていたので、

「こちらで何か飲めますか。」

「もちろんですよ。ビッテビッテ。でも、この用紙に住所、氏名、日付、電話番号を書いて下さい。」

これも中共コロナ対策の一環です。壁にはマスク着用、手洗い、そして社会的距離をうながす張り紙があります。

 

前庭 ・ 入り口

 

レストラン ・ 壁龕

典型的なドイツの料理店の雰囲気を持つレストランの、他の客から少し離れた壁龕 (部屋の張り出し部分) のテーブルに着きました。注文した紅茶は、妻がダージリンで私がアッサム。かわいい食器セットで出て来ました。お菓子はチーズケーキをひとつ頼んだのですが、二人で食べるつもりなのを分かってくれたらしく、フォークが二本刺さっています。フォークをケーキに突き刺して出すのは、この国で習慣的なお菓子の出し方です。トレッキングで汗を流した後なのでお茶とケーキが身に染みて美味しいのです。給仕のおばさんが大層愛想良く接してくれて、

「トレッキングをしているのですか。」

などと話しかけてきます。

 

食器セットとチーズケーキ

アラス城塞はこぢんまりとしたお城で、モーゼル川沿いで唯一の宿泊できるお城だそうです。次回は泊まってみようかな?!

ところで、この休暇旅行の間はほぼ毎日滞在先の休暇用マンションで午後のお茶をしました。ケーキはいつも通りがかったカフェで買ったのですが、例えば、ワインの産地のモーゼル渓谷らしくブドウをあしらったケーキを食べました。ブドウに水っぽさがなく、濃厚な甘さで大変旨い。

 

ブドウケーキ ・ クリームケーキ

その他、クリームケーキも美味でした。これは日本のスポンジケーキの生地にカスタードクリームを挟み、上に粉砂糖をまぶしたお菓子です。

 

[2020年11月]

 

 

 

 

 

 

 

 

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エルツ城塞

2020年11月22日 | 旅行

モーゼル川に流れ込む支流の中にエルツバッハという小川があります。

秋休みの時に私たちはライン河畔からモーゼル川畔の休暇用マンションに移る途中で、海抜129mのエルツバッハ渓谷にあるエルツ城塞を訪れました。この建造物はドイツで最も有名なお城の一つで、17世紀後半の王位継承戦争で付近の城塞の多くが破壊されたときも、エルツ城は破壊を免れたそうです。

このお城はモーゼル流域地方とマイフェルトという肥沃な地域の間の交易ルートに、12世紀の初めに騎士の居城として建てられ、19世紀には既存の構造を考慮に入れて大々的に修復されました。20世紀の前半、火災により礼拝堂とその上の階にあった文書保管所及びその他の10部屋が破壊されて、復興工事と修復に10年の歳月が必要だったそうです。さらに今世紀に入って大規模な防災と修復の工事が行われました。

 

城塞 1 ・ 城塞 2

上述のように、時代の流れとともに建物の多くの部分に修復と増改築がなされ、後期ロマン様式の城塔とロマン様式である住居棟の一部だけが昔の姿で残っています。

 

城塞 3 ・ 城塞 4

エルツ城塞は800年以上にわたり、ある家族の子孫によって代々相続されて来ました。現在の所有者はフランクフルト・アム・マインに住んでいるそうです。彼はこの史跡を保存し、一般に公開し、それを次の世代に引き継ぐという任務を担っているのです。

エルツ城塞は現在、記念碑保護法の下で保護された文化的記念碑であり、 ハーグ条約に従って保護された文化財でもあります。そしてお城の外観は紙幣や切手の図柄に使用されています。

城塞 5 ・ 城塞 6

私たちは約30年前に一度訪れてその外観に感激しましたし、城塞の一部は4月1日から11月1日までの間にガイド付きで見学できる、ということなので再訪した訳です。

比較的お城に近い所に駐車場があったのを覚えていて、起伏のある細い山道を進んで行くと、その料金所にたいへん長い列が出来ているのが見えました。列に並ぶのが嫌でしたので、少し手前にある、トレッキングを楽しみながらお城まで行く人々用の駐車場まで引き返して停めました。すぐにこの駐車場も満杯になり、雨模様の平日なのに非常に多くの観光客にびっくりした次第です。入城門の前にも観光客の行列が出来ていました。武漢肺炎のせいで手の消毒とマスク着用は当然のこと、いち度に決まった人数しかお城の中に入れないようにしているようです。私たちはここでも並ぶのは避けたいので、城塞の外観を様々な角度で見るだけで満足することにしました。お城の姿は美しい。

  

城塞 7 ・ 城塞 8

日本ではバイエルン地方のノイシュヴァンシュタイン城が有名で、確かに素晴らしいのですが、周辺が結構開けていて民家もあります。それに引き換え、エルツ城の周りは深い森と谷だけなのです。それで私たちはどちらかというとエルツ城塞の方が好きです。

 

フェーデㇽヴァイセㇽ 1 ・ フェーデㇽヴァイセㇽ 2

ところで、我々がモーゼル川畔に滞在した10月は、今年収穫したブドウがブドウジュースからワインへと発酵しつつある時期です。その甘さ、アルコール分、果実酸が絶妙なバランスになった時、フェーデㇽヴァイセㇽとして、スーパーなどで買えます。私たちはこの発酵中の若い 〈モーゼルワイン〉 を醸造業者のところで購入しました。濁っているのが特徴です。まだ発酵のごく初期であるらしく、酸によるシュワシュワが少ししかなく、さわやかに甘くてたいへん美味しい。たぶん今まで飲んだフェーデㇽヴァイセㇽの中で一番旨いと言えます。アルコール分はまだわずかで、日本のビールより少ないくらいです。〈発酵が最後まで進んだら、アルコール分11%になる。〉と瓶のラベルに書いてあります。

 

生サーモン料理

そして妻が作ってくれた夕食の料理の中でフェーデㇽヴァイセㇽのつまみにしたのが、生サーモンとネギを辛子・ディル・ソースと醤油で和えた料理です。相性はぴったり、という訳にはいきませんが、それなりに美味しくいただけました。もう少し発酵が進んで甘味が減った方が料理には合うでしょう。

 

[2020年11月]

 

 

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ラーンエック城塞

2020年11月13日 | 旅行

コブレンツから5㎞程上流のライン河に、東からラーン川が流れ込んでいます。このふたつの河川に挟まれた岩山の突出部に、13世紀前半に建造されたのがラーンエック城塞です。そのレイアウトは当時の典型的な細長い長方形で、対称性を持っているそうです。

 

城塞 1 ・ 城塞 2

 

城塞 3 

ラーンエック城塞は領土を守るために建てられ、税関のお城としては機能しませんでした。なぜなら、ラーン川畔にあるラーンエック城塞は、多くのライン河のお城とは対照的に、ライン河から遠すぎるからです。その後17世紀前半の30年戦争のときにスウェーデンの軍隊が別の城砦を設置した為、ラーンエック城はその重要性を失いました。さらに同世紀の後半にはフランス軍が大同盟戦争の際にお城に放火したのです。その廃墟を19世紀の中頃にスコットランドのある企業家が取得して、ネオゴシック様式で城塞の再建を果たしました。19世紀後半、ある伯爵が彼の妻の為にお城を購入しましたが、同世紀の末に妻が他界した後で、ある町の製造業者がお城の所有者になりました。そして20世紀の初めに、海軍中佐で後に帝国海軍の中将になった人物がラーンエック城塞を手に入れて、20世紀前半までその復興を行い、こんにちまで彼の家族が所有しています。実際、お城の2階部分にある居住空間に、時折家族のメンバーが滞在することがあるようです。

ラーンエック城塞は、記念碑保護法に基づいて保護されている文化的遺産です。さらに2002年以来、お城は中部ライン渓谷のユネスコ世界遺産のいち部となっています。現在、城塔にも登ることができるガイド付きツアーが毎年4月1日から11月1日まで行われてます。

   

城塞 4 ・ 城塞 5

 

城塞 6 ・ 城塞 7

 

城塞 8 ・ 城塞 9

 

城塞 10

私たちは近くまで車で行って、後は山頂のお城までトレッキングしました。ガイドなしでは城門から中へは入れないし、次のツアーの開始時間まで2時間近く待たなければならないので、城壁の中はまったく見ず、外観を見るだけで済ませました。森の中に埋もれるように建つ古色蒼然とした城塞の城壁は、ところどころ苔むした堅固な石垣で、全体として少しひなびた感じが良いですね。

さて、夕食は滞在先の休暇用マンションで自炊です。妻の手作りの料理のひとつは、鶏もも肉、白菜、椎茸、ポロネギの水炊き。大根おろしにレモン醤油で食べました。このところ肌寒い日が続いているので、暖まって旨いのです。

 

水炊き

 

[2020年11月]

 

 

 

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マルクス城塞

2020年11月09日 | 旅行

マルクス城塞は、粘板岩から成る標高160メートルの高地に建つ13世紀のお城です。ライン河の中流域にあるお城で唯一、破壊されたことがないそうです。この建造物は、城下にあるブラウバッハ町の保護と管理のために建てられ、当初は税関の城としても機能しました。

 

城塞 1 ・ 城塞 2

さてお城の歴史ですが、その存在に初めて言及しているのは13世紀前半の古文書です。そして同世紀の後半に現在の外観の基礎が造られ、15世紀の間にさらなる増築が行われたのですが、同時にお城はヘッセン州の方伯領となりました。17世紀前半に起こった30年戦争の終わりごろ、それまで荒れるままにされていた城塞は再び復元されました。18世紀のナポレオン時代、マルクスブルクは正式に要塞であると宣言されましたが、実質的には身体障害者の宿泊所や刑務所として利用されていました。プロイセン・オーストリア戦争後は、プロイセン時代に修理修復の工事がまったく行われなかったので、お城は荒廃してしまいました。1900年にドイツ城塞協会が放置されていたこの複合施設を引き継ぎ、その後数十年の間に、既存の構造を確保したまま中世後期の外観を復元することを目的とした、様々な構造対策が行われました。

現在は、モニュメント保護法によって保護された文化的記念碑であり、ハーグ条約に基づいて保護された文化財でもあります。さらに2002年以来、ユネスコ世界遺産のいち部となっています。そして城塞博物館として観光客に開放されているのです。夏のシーズンには、観光鉄道がブラウバッハ町の中心部とお城の駐車場の間を走るそうです。城内に入ると、入り口近くに屋外テラス付きの小さなカフェと土産物店があります。毎年行われるライン河の花火大会には数万人の来場者があるとのことです。

 

城塞 3 ・ 城塞 4

 

城塞 5 ・ 城塞 6

 

城塞 7 ・ 城塞 8

 

お城から見るライン河

マルクス城塞はたいへん人気があり、映画やテレビやドキュメンタリーの舞台になったり、切手の図柄や玩具のお城のモデルにもなっています。ところで、沖縄県宮古島のドイツ文化村に、ほぼ忠実に再現されたマルクスブルクのレプリカが建っているそうです。

マルクス城塞は破壊されたことがないそうなのでオリジナルの建物と内装が残っているだろうと思い、ガイド付きの見学をしました。中共ウィルスのせいでグループが少人数に制限されるので、開始まで30分ほど待たねばなりませんでした。マスク着用と社会的距離はもちろんのこと、見学者が密集しなければならない小さな部屋は素通りしただけになりました。案内してくれたのは初老のおばちゃんで、彼女はヨーロッパの中世の知識が深いし、説明の言葉はゆっくりで発音が良いし、間合いも良くてたいへん勉強になり、かつ楽しい約50分の案内でした。

 

厠 ・ 寝室

 

台所 ・ 食堂

 

鎧の一部 ・ 拷問器具

昔の原型を留めている城塞内部のたたずまいに気品があり、当時の雰囲気が心地よく感じられたのです。私たちは比較的早い時間に行ったので混雑ぶりは容認可能な範囲でしたが、その後中庭などのスペースに多過ぎるほどの訪問者が来ていました。

実は、ライン河畔に1週間も滞在してその背後地域をじっくりと歩き回るのは、滞独46年目にして初めてのことなのです。武漢肺炎のせいでドイツ国外の旅行が制限されているので、国内の、比較的暖かいだろうと思われるライン流域に来ました。滞在はいつものように賃貸の休暇用マンションです。日本のように便利なコンビニが無いので完全に自炊するし、トレッキング用の弁当も作ります。夕食のとき、妻は品数にこだわって色々作るのですが、そのうちのひとつ、海老とブロッコリーと豆腐の中華風炒め物はちょっと薄めの味で特に美味しい。

 

中華風炒め物

明日は何を食べようかな?

 

[2020年11月]

 

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