お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

宮殿ホテル シュコパウ

2021年07月22日 | 旅行

ハノーファーから南東の方向250kmに位置する宮殿ホテル・シュコパウは、10世紀の記録に初めて要塞として登場する。15世紀にトロタ家の所有になり、長い年月をかけてルネッサンス様式の堂々とした宮殿に改築されたそうである。1945年まではトロタ家の家族とその縁者の居城で、地域の社交界の中心として多数の君主や貴族が訪れた歴史を持つ。しかし1945年に東ドイツになると公用徴収され、例えば引揚者と避難民の宿泊所や公官庁舎に転用された。そして旧東ドイツにあった他の城郭や宮殿と同じ運命をたどることになる。すなわち、何年もの間空き家となり廃墟になっていったのである。

東西ドイツ統一から数年経った1996年に修復の仕事が始められ、20018月に高級宮殿ホテルとして開業を果たした。その後数回の拡張工事を経て今日に至る。

幹線道路からも村の中心からも比較的近く、私の好みの人里離れた雰囲気がないのは残念であるが、中庭を囲むようにコの字型の見事な建物である。望楼とその脇の防衛壁は10世紀のものであるらしく、中世に見張りや戦闘のために使われた塔も残っている。宮殿の2箇所にテラスがあり、8万平方メートルの大庭園が付属している。大庭園というとフランス風庭園を想像してしまうが、何のことはない。短く刈った草原と木々と小川と橋と、どこまでが庭園でどこからが自然林か判らない林が続くだけである。

 

城門 ・ 施設の主要建築物

  

城塔 ・ 施設の内部

 

遠景

建物が大きい割りには部屋数が54しかないが、その代わり大小のホールが7つもあるらしく、催し物が最も少ない今月でも、〔ウイスキー・ディナー〕、食事付きの〔観劇の夕べ〕、それに〔中庭で中世の市場〕がプログラムに載っている。会議や結婚式なども誘致しているようだ。

私の部屋はスイートなので2部屋で、茶色の扉を開けてはいるとまず居間になっていて、整理ダンスやソファーセットやテレビがある。奥のツインベットの寝室に戸棚と小さなテーブルなど、骨董ではないが古いデザインで揃いの茶色の家具だ。寝室にもテレビがある。ベージュ色の壁の2つの部屋をつなぐ通路に書斎机があり、その背後がバスルームだ。洗面台は1つであるが物を置く場所が広くてバスタブもあり、清潔である。残念ながらスリッパと浴用ガウンと体を洗う小タオルがない。

 

  

廊下 ・ 居間

 

書斎机 ・ 寝室

このスイート・ルームは現代風の、余計なものを置いていないすっきりした雰囲気で、古い城の中であることを感じさせるのは1m程ある外壁の厚さだけである。宮殿ホテルということで若干特別扱いであるが、“リングホテル“ という私も時々使う中流から中の上といったレベルのホテルグループに属する。

居間の低いテーブルに “活けて“ ある花が造花である。中庭に止めた車を退けて駐車場に止めてくれと電話があった。ホテルのスタッフでやってくれ、と要望したが、保険に入っていないので何かあったときに困るので出来ないという。“ホテルの玄関にサッと乗り付け、出て来たスタッフにキーとチップをさり気なく渡す。“ のに慣れているので(慣れているというのは言い過ぎ)、戸惑ってしまった。この辺のところがやはり超一流ホテルと違う点なのであろう。車を退ける理由として、消防車の通り道になっている、と言っていたが、私の車があった所にもその横にも車が3台、オートバイが1台、そして自転車が2台駐車している。「宿泊客に嘘をつくとホテルの評価がグッと下がりますよ。」と言ってやりたいが、大人気ないので言わない。しかしもうここには泊まらない。

 ホテル内レストラン „Le Chateau“ は多数の小部屋から成り、それぞれの部屋がアーチ状の天井を持っている。こじんまりとした良い感じの小部屋で、明るく瀟洒な感じがする。テーブルのバラは生花である。好みにもよるが、バックグラウンドのジャズはここの雰囲気に合わない気がする。

 

レストラン

さて、唯一のメニュー、3品の “魚メニュー“ を注文した。

突き出しはムール貝と小エビとパプリカのマヨネーズ和え。ミニトマトが半分ついている。市販の製品の味がした。一緒に出て来た薬味バターが美味しくて、小さな黒パンを3枚も食べてしまった。

前菜は鮭のカルパッチョに軽く焼いた帆立貝と揚げた何かの草がついている。カルパッチョには普通オリーブ油をかけることが多いけれども、そうではなくてレモンと塩で食べさせる。鮭自体もあまり脂がのっていないのか、さっぱりしていて美味しかった。

メインはレモン草バターで焼いた赤パーチ(スズキ目)の、各種茹で野菜とマジョルカ島産のポテト添え。野菜がそれぞれの味を出していて旨い。ポテトは小さくて皮ごと焼いてある。そのまま食べるとほんのり甘く風味がある。魚はどういうわけか薄い衣がつけてあって、塩味が足りない上に魚自体の味も薄い。この皿の主役であるはずの魚なのに残念であった。

デザートのイチゴとバーボン入りのヴァニラアイスクリームは、まぁ、買って来て皿にのせただけなので特になんということもなく、それぞれ期待どうりの味がした。

最後はエスプレッソで締めたが、バターをしっかりと吸った魚の衣のせいか、何となく胃が重い。

頭のてっぺんが禿げた痩せた給仕のおじさんは、東部ドイツのレストランでよく経験するのであるが、繊細さはないけれど心のこもったサーヴィスをしてくれた。

ホテルのホームページやパンフレットでレストランが高評価を得ていると宣伝していたので、少なからず期待していたのだがハズレであった。

朝食は昨晩のレストランで取ることになっていた。朝食には少し暗い。提供されるものは4星ホテルの標準である。が、給仕のおばさんの言動がつっけんどん、食器やナイフ・フォーク類がぶつかる音が響く、ラジオの番組が ”BGM” だ。ゆっくりと晴天の初夏の朝食を楽しむ雰囲気ではない。そそくさと自室に引き上げた。

さて2晩目であるが、この週末は中庭でオープンエアーの „演劇の夕べ“ が開かれ、今日はその初日である。18時から食事で20時に開演であるからか、レストランがいっぱいである。そして昨晩はなかったメニューが二つある。ひとつは „城館メニュー“ というのだが、鮭のカルパッチョと赤パーチ(スズキ目)は昨日食べたので、もうひとつの „アスパラメニュー“ にした。白アスパラが今、旬である。ドイツに来てアスパラを初めて食べたのも大分遅いし、ずっと美味しいものだとは思っていなかったのであるが、ここ10年来だろうか、美味しさが分かるようになり、この時期には必ず食するようになった。ことに、ハノーファーがあるニーダーザクセン州は良質のアスパラで有名な地方である。このホテルで供されるのはこの地方のランゲンアイトシュタットという町の産であるらしいが、さて、どうであろうか。

突き出しは鴨肉のハムで、傍らにはミニトマトと極細のモヤシみたいな芽草と昨夜と同じ薬味バターがのっている。

1品目はサイコロ大に切ったアスパラとチコリーなどの葉っぱのサラダに薬味として „極細モヤシ“。それにバラの花のように巻いたスモークサーモンがついている。葉サラダが大変新鮮で、噛むとパリパリと音がする。ドレッシングは薄味でさわやかで結構である。

次はアスパラのクリームスープで、底にやはりサイコロ大のアスパラの欠片が沈み、挽いたピスタチオの実が浮かぶ。不味くはないが感動するほどの味でもない。

3品目が長いままのアスパラであるが、ホット・バターとオランデーズ・ソースを選べるので後者にし、牛、豚、魚の中からポークステーキを選んだ。肉に別のソースがかかっているのが意外だったが、特に今年の新ジャガイモが旨かった。白アスパラは、地元贔屓というわけではないが、ハノーファー近郊の産に軍配を上げたい。

デザートは、アイスクリームの種類が違うが、昨晩と同じ。今日の担当給仕は小太りのおばさんで、途中から若い女性になったが、昨日のおじさんの態度と一緒であった。

このシュコパウ・城館ホテルは、外観は歴史を感じさせる素晴らしい建物であるが、内部の修復と改装が完璧で、古い宮殿を思い起こさせるものは殆ど無い。レストランの一部の柱の下の部分だけである。荒廃の度合いが著しく、何も残せなかったのであろう。

 〔2011年5月〕〔2021年7月 加筆・修正〕

 

 

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グリュンヴァルト城塞 & 城館ホテル グリュンヴァルト

2021年07月20日 | 旅行

バイエルン州のイザール渓谷は、1048年の古文書にその存在を記載されている古い地域だ。そこに1293年、狩猟用別邸 „グリュンヴァルト城塞“ が建てられ、この土地の名が „グリュンヴァルト“ になった。そして城塞は1486年から1487年にかけて、恒常的居城として使おうと改装及び拡充された。ところがその後 ”フランス風” が時代の流行になった為、しだいにおろそかな扱いを受けるようになり、フェーメ裁判(古くヴェストファリア地域において行われた、民衆的な特別手続きの刑事裁判)の牢獄、国家的犯罪者の拷問施設、火薬庫、そして死刑場といった使われ方をした。現在はミュンヘンにある国立考古学博物館の別館になっている。

  

グリュンヴァルト城塞 1 & 2

 

グリュンヴァルト城塞 3

私が宿泊した „城館ホテル・グリュンヴァルト“ は当時の狩猟用別邸グリュンヴァルト城塞に付属していた猟師の館で、すぐ隣に位置している。1879年にパウル・ツァイレルという彫刻家が手に入れてレストランになった。その後、この文化財保護の対象となっている建物は根本的に改装修理され、近代化されて、2001年に城館ホテル・グリュンヴァルトとして生まれ変わった。

 

城館ホテル・グリュンヴァルト

グリュンヴァルトは、緑の森という名の小さな村である。ミュンヘンから南南西に15キロぐらい離れ、イザール谷を望む高台にある。イザール川に沿って片側の堤防には良く整備された遊歩道とサイクリング道が、もう片側は林の中の川淵に自然に任せたトレッキング道がどこまでも続く。浅い川の水が透きとおっている。

グリュンヴァルト城塞の遠景

この瀟洒な村はミュンヘンの市電の終点になっていて、ミュンヘンからタクシーで約30分なので市電だと結構な時間がかかるだろうが、のんびりと市電で来てみるのも良いだろう。タクシーの運転手の話によると、この村には有名なサッカーチーム、あの „バイエルン・ミュンヘンの選手とOBが多く住み、ミュンヘンまでの道沿いにはチームの施設、事務所、練習場、リハビリ施設などがあるそうだ。サッカーの関係者以外でも億万長者が多く住んでいるらしい。なるほど、外国人労働者や不良っぽい青少年を見かけない。腹の出たおっさんが見当たらない。人畜無害そうな人たちと育ちのよさそうな子供達が道路を往来する。「喜んで。」とか、「失礼しました。」いう言葉がよく耳に入る。周りに遊歩道が沢山あり、ゆっくりと時が過ぎていく静かな村である。通常あまり品格のない中華レストランであるが、この村のそれは小奇麗でモダンで、客はいかにも金持ちらしい老人が多い。注文すると、「はい、喜んで。」と答える。メニューには料理にグルタミンを使っていないことを明記してあり、控えめな良い味を提供している。

 „城館ホテル・グリュンヴァルト“ は城館というには非常に小さい建て物で、ごく小さなレセプションの脇の螺旋階段を上って行く小さな広間に重厚な家具と大テーブルと椅子があり、この広間から8つの客室に行くようになっている。私の部屋はシングルで小さいが、改装して比較的間近いからか清潔感があり、良い材質の薄茶色の家具が配置してある。ただ事務机がないのが残念だ。シングルにしては広めのバスルームも良い建築材を使っている。天井の高い部屋には英国風庭園の絵とアヤメの花の絵がかかる。気持ちが落ち着く部屋である。連泊したら2日目には全部のタオルを新しく変えてくれた。このカテゴリーのホテルでは今までまったくなかったことである。

  

階上のロビーから下 ・ 階上のロビー

 

私の部屋 1 & 2 

私の部屋 3

夕食は „城館ホテル・リストランテ“ で。名前から分かるように、イザール谷を望む広いテラスがあるイタリアンレストランであるが、これといった特徴はない。設えも色も部屋の家具と同様のものを使っていて落ち着く。 „本日のお勧めメニュー“ を頼む。

レストラン

前菜は熱々の皿に面白い形のパスタがのり、それにリコッタチーズとチコリーを混ぜたものが詰まっている。ナッツのソースと胡桃の欠片がかかり、パルメザンチーズの薄切りが散らされている。惜しむらくは味にぐっと来るものがない。パスタにナッツソースは合わないのではないだろうか。さすがイタリアンレストラン。パスタの茹で方は申し分ない。

メインディッシュは魚か子牛のレバーか選べるので魚にした。白身の海魚のフィレを3個焼いているのであるが、もっと皮をパリッとさせて欲しかった。その下にアーティショッケン、ポテト、ズッキーニ、ブロッコリの煮たのんがある。海老ソースがかかり、真ん中に海老1匹と装飾の葉っぱがのる。まずくはないが、もっと海老ソースの味が濃いほうがいいと思う。海老が一寸古いかな?

デザートはアイスクリーム、プリン、ティラミス、果物の盛り合わせ。色合わせが美しく、それぞれに美味しい。

デザートの前にコーヒーの注文を聞いて、デザートを食べている途中にエスプレッソを持ってくるのは客主体のサーヴィスではない。

イタリア人らしく、給仕が皆明るい。そしてがさつである。サーヴィススタッフ同士でイタリア語で大声で話したり、客との口の利き方が特に老人に対してぞんざいであるのは、聞いていて気分が悪い。

まあ、イタリア料理として可もなく不可もなくと言ったところか。しかし給仕を含めた評価からいうと、もうここでは食べたくない。

ドイツの城館ホテルで純粋なイタリア料理は珍しい。多くの客で大々的に展開しているこのレストランはホテルと経営者を同じくするものの、経営自体はお互いに独立しているそうで、勘定を部屋に付けてもらえなかった。

朝食も同じレストランで取ることになっている。全体的にはスタンダードな朝食を供するが、シャンペンがあり、オレンジジュースは絞りたてであり、銘柄の良いお茶を使っている、ヨーグルト類が市販のプラスチック容器の物だが、氷の上に置いている。良いものを少しだけという私の理想に近い朝食になった。他に宿泊客が居ないから、もっとお茶はどうか、とか、卵はいらないか、とか聞いてくれる。ちなみに、給仕はドイツ人の若い女性である。

グリュンヴァルト城塞は由緒があり、それなりに名は知れているらしいが、ホテルの存在感が薄いと思う。滞在そのものを楽しむというよりもビジネスホテル的な機能のホテルで、私には再訪の興味はない。

〔2011年4月〕〔2021年7月 加筆・修正〕

 

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城館ホテル シュレミン

2021年07月16日 | 旅行

ドイツの北東にあるシュレミン城 は、大農園の城館として1846年から1850年にかけて建設された。第二次世界大戦中の1943年に野戦病院となり、1944年の末には東部戦線からの避難民や引揚者の宿泊所になった。代々貴族によって管理され住まわれてきたこの城館は、この地域をソ連軍が19455月に占領した時、その歴史に幕を閉じた。まだ居残っていた貴族の家族や親族が城を捨てて西側に逃亡したからである。初期の東ドイツ時代には160人の避難民と引揚者がここで生活していた。その後数年間の空き屋敷状態を経て、1970年に農業生産協同組合の来賓用宿泊施設になり、SED(ドイツ社会主義統一党)の党員や大臣そして役員達が利用して、講習会や軍の祝賀会などもこのシュレミン城で行われた。東西ドイツ統一後の1991年にシュレミン町が所有権を得て、ある企業グループが建物を城館ホテルとして経営しようとしたが上手く行かず、1992年に信託公社の不動産会社が所有することになった。1999年にはホルスト・ザンデルという人がこの城館を購入し、数年に亘って根本的な改装と近代化を施し、広大な公園にあるこの城館ホテルを開業するに至ったそうである。

この辺は最後の氷河期のときに出来たというどこまでもだだっ広い地域で、広大な公園(20ヘクタールつまり200.000平方メートル)の中に静かにポツンとそびえ立つ白亜の城館だ。普通の客室、スイート、そして家族部屋が合計32室あるそうだ。公園は城の建物よりも古いらしく、城とともに保護文化財になっている。公園の中は4kmにわたる散歩道があり、数箇所に白い橋が架かる小川が流れる。池がいくつかあり、30個の白いベンチが点在する。所々で並木を形成する菩提樹は250年の樹齢であり、城の裏入り口にあるブナの木は樹齢700年だそうだ。他にも立派な大木が無秩序に立ち、下のほうは苔が這い上がっている。今まできれいな公園はいくつか見たが、魂を感じた公園は初めてである。まだ春になりきっていない今は落葉樹の葉がなくて明るいが、これらの木々が葉を茂らせる夏にはゾクゾクするほど霊力を感じるのではないか。鳥の声が聞こえ、どこかでキツツキが幹をつつく。頭が痛くならないのだろうか。春にはマツユキソウ属の花とアネモネが、夏にはシナノキの花が咲き乱れ、公園は花の芳香で満たされるそうだが、今はどこからともなく肥やしの匂いが漂ってくるだけである。あちこちにパーゴラ(バラや藤のつるをからませた棚)やパビリオンが建ち、動物相や植物相や狩猟に関する説明が書かれた掲示板がある。

  

城館に続く並木道 ・ 城館の公園側

樹齢700年の木

城館は近くで見ると全体的に古さというか、手入れの悪さが目立つ。中に入ると真ん中に、上階で両側に別れる階段があり、階段を中心に左右対称な構造である。廊下や階段の踊り場には骨董の家具、椅子、置物があり、絨毯が何枚も敷かれている。床がギシギシ音を立てるが、耳を澄ますとクラッシックが聞こえる。いい雰囲気だ。

  

入り口の門 ・ 正面

 

右斜めから見る ・ 真ん中の階段

  

階段の上から踊り場を見る ・ 廊下

他に空いている部屋がなかったのでジュニアー・スイートにした。入るとすぐに寝室で奥に居間がある、変わった構造だ。床は薄ピンクで波模様入りの絨毯、壁はベージュ、天井は白である。寝室にある窓と居間にある窓と方向が違うので、2方向の公園の景色を楽しめる。天井が高くて一人には十分すぎるくらい広いが、家具が古くて安っぽいし、至る所塗料が剥げたままで汚い。IKEA(スウェーデンのインスタント家具量産店)で買って、それを古く汚くした感じである。ジュニアー・スイートにしてはあまり広くないバスルームに窓がなくて入ったときにいやなにおいがしたが、清潔なのでまぁいいか。洗面台の栓の機能が悪いし、備品はすべてに使える液体石鹸のみ。さらに悪いところを列挙すると、部屋全体の装飾がみすぼらしく安っぽい、温かみがない、快適さがない、おもてなしの心が感じられない、冷蔵庫が古く小さい、テレビも古くて小さいし、リモコンの機能が滅茶苦茶。住み心地があまり良くない客室である。どうしてジュニア・スイートの家具と装飾がこんなにもみすぼらしいのか不思議である。部屋の快適さはカテゴリーではなくて値段で判断するほうが当たっているような気がする。前日に埋まらなかった部屋に当たったらしく、夜が寒い。ベッドも掛け布団も冷え切っている。東京の帝国ホテルでは客が到着する前に暖房を入れておくのだが、北国から来る客には少し低めに、南国からの客にはやや高めに温度を設定するらしい。もっとも、日本の最も権威あるホテルと比較しても意味はないが、、、、、。

催し物や結婚式に力を注いでいて個人の泊り客をおろそかにしているのか、それともシーズンオフだけのことなのか。

 

私の部屋 1 & 2 

今日は催し物をやっていて、趣味の良い様式を整えているらしい „青いホール“ というレストランで一般客は食べられないそうなので、 „フベルトゥスの地下室“ という、壁に沢山の農器具と手工具を飾った、まるで民族博物館のような食堂風レストランで夕食をとった。テーブルにテーブルクロスはなくて敷物のみ。その上ナプキンが紙である。

 

„フベルトゥスの地下室“ 1 & 2

その催しというのは各地の城塞ホテルでよく開催される探偵小説ディナーである。探偵小説の一部がいくつか演じられ、その幕間に食事が供されるというものだ。

ところで食事であるが、3品のコースメニューがあったのでそれにした。

 前菜はトマトクリームスープで、パンの切れ端が少し入る。まぁ普通に美味しかった。つまり、特に何と言うことのないスープであるが美味しく感じた、ということである。

メインディッシュは大きなバラ色に焼いた牛のフィレ肉が炒め野菜の上にのっていて、牛汁味のどぎついインスタント風のソースがかかる。肉の焼き方が私にとっては足りないし、肉の味が良くない。そして野菜が明らかに冷凍物である。というのは、普段ドイツ人が使わないレンコンとシナ竹が入っている。おそらく、チャイナ野菜とかいう名がついて大きな袋に入った冷凍野菜を使っているのだろう。ヤマドリタケが入ったポテトのタルトの付け合わせだけが美味しかった。

デザートは自家製マンゴー・アイスクリームが大きな歪めたせんべいの様な生地にのり、ヴァニラ・ソースとマッチ棒状に固めた飴がかかる。3種類の果物のスライスが添えられて色合いも良く、これが一番楽しめた。

サーヴィスというか料理を運んでくれるのは太ったおっさんで、フレンドリーだがプロの給仕には程遠い仕方であった。

朝食は朝日が入る明るい広間だ。天井が高くてシャンデリアが3つ下がり、暖炉があり、数枚の大きな絵が掛かる。骨董風デザインの立派な椅子に座って食事をする。ジュースの自動供給機が大変場違いな印象を与える。食自体はボック・ブルスト(茹でソーセージ)が長いまま出る以外は特筆することなし。サーヴィスは洗練されていないごく普通の東独レベルである。

2日目の夕食も „青いホール“ というレストランでは食べられない。今日の催しは結婚式のパーティーだそうだ。そういえば今日は朝から普段ホテルには泊まりそうにない老人や夫婦者がウロウロしていた。

„フベルトゥスの地下室“ に行くと鍵がかかっている。今夜は夕食の場を朝食用のホールに変更したそうだ(今朝朝食を取った広間とは違う)。設えが本当のレストランで雰囲気がよろしい。

アラカルトで頼んだ前菜は “卵と根菜のみじん切りが入った鳥のコンソメスープなのだが、卵に代わって親の肉が入っていた。スープの味にコクがなく、少し煮詰まった辛さが気になる。パンを出すのを忘れているが、経験の浅そうな素朴な女の子が一生懸命走り回って給仕をしているので大目に見よう。„フベルトゥスの地下室“ のつもりだったのでチップの小銭を持ってこなかった。ゴメンネ。

メインは子牛の内腿のウイーン風薄切りカツレツ。肉が柔らかくて旨い。付け合わせは „農民の馬鈴薯“ という名の料理で、ジャガイモのスライスを玉ねぎとたっぷりのベーコンで炒めてある。別の小皿にサラダが付く。ポテトの味が水っぽく、油でギトギトした付け合わせの後で食べるサラダが美味しい。

デザートは取らずにエスプレッソを飲んで早々と部屋に帰った。

お城のホテルは一般に雰囲気があって面白いが、美味しい食事も楽しめるところは希少である。“お城でグルメは難しい。“

 〔2011年3月〕〔2021年7月 加筆・修正〕

 

 

 

 

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ヴェステルブルク水城

2021年07月11日 | 旅行

ハルツ山地の北にある „ロマンチックホテル・ヴェステルブルク水城“ で3泊を過ごした。“水城“ とは濠に囲まれた城のことである。ハルツ山地は当時の東西ドイツの国境に位置しているが、このホテルは旧東ドイツにある。 

城下のヴェステルベルク村には20数戸の建物があるのだが、そのうち4分の1は荒れ果てた廃屋で旧東独の田舎の典型的な姿だ。小さい林の中にあって堀に囲まれている城は面白い形をしている。上から見ると、円柱尖がり帽子の塔を中心にして一方にドーナッツ型の建物、反対側に塔をつかむ様にコの字型の建物がある。

門館をくぐって石橋を渡ってドーナッツ館を突き抜けると中庭があり、その真ん中に昔の鳩塔があるのだが、 今は „クウクウ鳩塔ルーム” という客室になっている。門館に4つ客室があり、普通の部屋とスイートルームを合わせると全部で45室になる。 

  

濠の外から見た水城 1 & 2

  

濠の外から見た門館 ・ 門館の下から

 

中庭 と 鳩塔

私の部屋は、コの字型の建物にある角部屋だ。私は重い荷物を2つ持っていた。

レセプションでチェックインの後、 

「何かお持ちしましょうか。」

「いいえ、結構です。ありがとう。ご婦人には重過ぎますから。」 

中庭を通ってフロントとは別の入り口から入り、最上階まで狭い曲がりくねった階段を上がる。今更荷物を一つ持ってくれ、とは言えない。

「エレベーターは付けないのですか?」

「付けることが出来ません。文化財保護の対象になっている建物ですから、、、。」

 ごもっとも。

  

フロントへの入り口 ・ もうひとつの中庭

ヴェステルブルク (ヴェステル城塞) の創立は西暦775年頃であるといわれているが、確たる証拠はなく、神話の世界の話らしい。この地域のことは1052年の文献に記載されているが、城塞の存在が明らかなのは文献に基づく証拠から1335年である。日本では鎌倉時代が終わった頃だ。16世紀の末頃にはここで魔女裁判が行われたそうである。30年戦争の時、皇帝の軍隊が占拠していたヴェステル城塞は1630年にスウェーデン軍によって包囲攻撃されたけれども、皇帝軍がすぐに降伏したため城は破損をまぬがれた。その後頻繁に所有者が代わったが、エルベ川以西がフランス領になった時代である1807年からの7年間は、フランス皇帝ナポレオン一世の妹である Pauline Bonaparte の所有であったそうだ。

そして第2次世界大戦後の1945年に城塞はソ連の占領地に属することになり、ドイツ第三帝国東部だった戦地から逃げて来たり追放されて来たドイツ人の宿泊所となる。東ドイツ時代はその地域の役所、幼稚園、学校、又は診療所など、多面的に使用されていた。そして東西ドイツ統一後の1990年から1999年まではレストランとして賃貸されていたが、1999年にレルヒェ夫妻の個人所有となり、大規模な再建と復元を経て2000年に „ロマンティックホテル・ヴェステルブルク水城“ として開業した。その後もほぼ毎年改築及び改装を行ってホテルの充実を図り、例えば、この城のかつての所有者であったプロイセンの王子 „アルブレヒト・フリードリッヒ“ の名前が付いた私の部屋は2007年に提供出来るようになったようだ。2008年の春にサウナとスパの施設が増築された。

今回私は „城塞の魅力“ というプランを予約していた。

3泊、3x朝食、1x6品のキャンドルライトディナー、2x5品のメニュー、プールとサウナとスパの無料使用、そして城見学がプランに入っている。

スイート・ルームのシングルユースなのでかなり広く、45平方メートルある。比較的新しい部屋の床は床暖房なのでもちろんタイル張り、壁はベージュ色、高い天井は白色に塗装してある。バスルームも大変広くて、シャワーの他にバスタブも付いているのが嬉しい。バスルームには大きな窓があり庭が見える。部屋の照明器具が趣のある年代物で薄暗いが、だからこそ落ち着く。壁にはアルブレヒト・フリードリッヒの肖像画と大きな鏡が2つ掛かる。そしてバロック時代のこげ茶色の重厚な家具を過不足なく配置してある。ワインレッドの絨毯の上にセットされた寝椅子とソファーセットは、焦げ茶色の木の部分に、これまたワインレッドのカバーであるのだが、この色は重厚な感じを与える。角部屋なので窓の総面積が大きく、窓からは堀と庭がよく見える。壁の一角には歴史的な砂岩のアーチ状窪みと天井の張りがあり、やはりこげ茶色の木製ベッドは天蓋を付けられる造りになっている。その他、大きな平坦スクリーンのテレビとランの花などの鉢植え数個が置かれている。

  

私の部屋 1 & 2 

 

私の部屋のバスルーム

私の部屋のあたりは比較的新しいが、夕食に行く途中で通る他の所は本当に古さを感じさせる。廊下や階段が歪んでいたりギシギシ音がしたりするし、古いカマドやミシン、家具、そして武器類や衣装など、博物館にあるような骨董とガラクタが廊下を飾る。その廊下や階段が入り組んでいるし、ドアが沢山あって迷いそうである。

Marie Pauline 王女・レストランはアーチが沢山ある石造りの部屋で薄暗い。薄ベージュ色のテーブルクロスに濃いベージュ色のカバーをかけた椅子が並び、耳を澄ますとクラシックが聞こえる。テーブルをバラの一輪挿しが飾り、私の名前を刷り込んだ個人的メニューが置いてある。少し気になるのはテーブルの間隔が狭すぎることである。お客さんが多いときは、ぎっしり押し込まれた感じがするであろう。

レストラン

食事は最初の夜に6品のキャンドルライト・ディナーにした。

まずは、メニューに „北海の小エビのバルサミコ・キュウリ泡かけ“ とあるが、出て来たものは北海小エビとキュウリにニンニクの利いたクリームかけ、である。エビは冷凍物の様子で手がかかってない。どこにでもありそうな普通の味だ。

2品目はモッツァレラチーズを茹でズッキーニで巻いて、赤ピーマンサラダの上に乗せている。これも手がかかっていなくて材料の味がそのままする。

3番目はルコラの泡スープに茹でたミニトマトが3つ入っている。熱々でなかなか美味しい。

4品目はサッとお湯に通したらしい生暖かい帆立貝をサフランクリームに乗せ、生暖かい黒色の帯状ヌードルを添えてある。極細で長い生のモヤシの類がその青臭さで存在を主張する。味がうすかったが、塩と胡椒で結構いけた。

主菜は菜食料理を含む3品から選べるようになっていて、私が選んだのは刻み乾しバジリコをまぶして揚げた子豚のカツレツの、カリフラワーとブロッコリとマッシュポテトを丸めて揚げた物 (女公爵ポテト) 添え。薄茶色の肉味のソースがかかる。熱々で柔らかい肉で旨い。揚げた刻みバジリコの口当たりが良い。

デザートは椰子の実の衣をつけて揚げたバナナと南国の果物シャーベットに、椰子の実の粉とチョコレートシロップがほんの少しかかる。とにかく量が多すぎる。この揚げバナナに挿した星の形の花火に火をつけて持って来た。ディナーの説明に „星の瞬き付き“ とあったのは、このことだったのだ。

全体として感動はなかった。普段食す物の域を出ていない。しいて言えば、刻み乾しバジリコをまぶして揚げた子豚のカツレツが一番美味しかった。エスプレッソで締めくくり。

この3泊2食付のプランは、超高級ホテルに1泊してミシュラン2か3つ星を食べるのと同じくらいの値段だから仕方ないか。部屋がいいし床暖房が気持ちいいからそれで良しとしよう。しかし、その部屋も安さを感じさせる点がある。スリッパがなし、テーブルにのる数個のリンゴが置物であり、バスルームの備品は液体石鹸とシャワーキャップ以外何もない。部屋係のオバちゃんが怠慢なようで、 電話の横にあるメモ用の鉛筆の芯が折れたまま。ベッドサイドのスタンド電球2つのうちひとつが切れたまま。そしてティッシュ紙が殆どないのにその箱を換えてないし、ランの花の管理が良くなく、一部枯れかけている。

この城塞ホテルが属するロマンチックホテル・グループは、私も時々利用するが、上級から上の下くらいのホテルが多い。値段とホテルの良さが正の相関関係にあるのは致し方ないし、部屋とバスルームが広くて居心地が良いので結構満足である。

面白い城ホテルは旧東独の北部に多く、美味しいレストランのあるホテルは旧西ドイツの南から中部のライン川流域に多い、というのが私の印象である。

朝食の場所は昨夜の薄暗いレストランだ。やはり朝食は明るい部屋のほうがいいと思う。食品は種類が大変多いし、質の良さそうな物もある。だがソーセージとベーコンが冷たくなっていて、もう殆どない。客が少ないので少ししか用意せずに補充をしないのだろう。ジュースの種類は多いが、市販のビンから直接コップに注ぐ。各テーブルに „今日のしおり“ が置いてあり、天気、夕食のメニュー、そして散歩や遠足場所の提案などが載っている。連泊の客のことを考えている証だし、レセプションに度の異なる老眼鏡を5個置いているのも微笑ましい。しかしながら、客が „Guten Tag! (こんにちは)“、„Guten Morgen! (おはよう)“ と、きちんと挨拶するのに、ホテルの従業員が „Hallo! (ハロー)“ とだけしか挨拶しないのはいかがなものか。

2晩目の5品メニューは „自家製ガチョウの胸肉のハムの果物味マスタード添え“ で始まった。リンゴとイチジクなどの果物少し、ミントの葉一枚、そしてゴマが表面を覆うミニパンひとつなのだが、市販のものを並べただけである。ミニパンが美味しい。

次はスモークサーモンを西洋わさびクリームで食べさせる。キューリとノヂシャと極細茎のモヤシにバルサミコ・酢がかかる。これも材料をそのまま並べただけ。

3品目は弱いカレー味のブイヨンに細かく刻んだ根菜が入る。繊細な味ではないが悪くない。

そして3つの主菜から „焼いた雄若鶏の胸肉“ を選ぶ。茹でホーレンソウに松の実を少しまぶした料理と煮赤パプリカとニョッキが付いている。肉に少し塩を振り過ぎているが、ホーレンソウと一緒に食べるとちょうどいい塩辛さになる、

デザートは „レモン草のクリームプリン“ だが、レモンの風味は殆どしない。シナモンがかかり、果物少しとミントの葉1枚、そして棒状のクッキーが同じ皿にのる。

最後はいつものようにエスプレッソ。

1品目と2品目の、市販のものを並べただけの皿は感動も何もなく、いただけない。後の料理はシンプルな味ではあるが悪くない。すでに腹がくちていたわりにはデザートが一番美味しかった。

さて最後の夜である。今日も5品メニューだ。

アペリティフはノン・アルコールのカクテル „ストロベリー・ドリーム” の上に、各種果物の串刺しをのせている。甘くて美味しい。

まず、ブルゴーニュ産ワインゼリーで固めた熱湯処理したカセラー (塩漬けした豚のあばら肉) で始まった。ミニトマト半分と貝割り菜のような葉っぱが少しとクリームが少し乗っていて、ミニパン付きである。旨い。手をかけて料理したという印象だ。

次は落とし卵 (布に包んで塩水で茹でた卵) をレムラード (マヨネーズに薬味と根菜を混ぜた物) で食べさせる、ちゃんとした料理である。トマトカルパッチョ (トマトのスライス) と生葉野菜も、すべて新鮮で美味しい。

3品目は „アーモンドクリームスープのニンニクと緑アスパラ入り“。アーモンドの欠片を散らしている。フッとニンニクの匂いがし、フッとアニスの味がする。隠し味だろうか、なかなか凝っている。

メイン料理ではバターで焼いたホタルジャコに炒めた細切ハムとモヤシの一種がのり、全体が、甘味をからめたキャベツにのっている。茹でて炒めた緑の葉っぱが少し載るジャガイモに、なぜか “城ポテト” と名がついている。色々な味が混ざり合って美味である。

デザートはスイートレモンのパフェ、木苺のソースに生木苺、杏ソース、ミントの葉一枚、そして棒型ビスケットだ。美味しくて見た目もカラフルである。

今日は全体として手を掛けているのがわかる料理で、味もなかなか結構であった。3回の夕食で一番美味しかった。楽しめた。

ものすごく太った女性料理長が挨拶に現れた。一般に、太ったコックの料理はカロリーが高いので注意が必要だと思う。

エスプレッソに添えられた一つのクッキーが3回とも違う種類なのは、好感が持てる。

このホテル、城塞なので面白いし、従業員に素朴な親切さを感じる。そして人里離れた静けさに包まれているし、大きな感激と感動はないが、住み心地が良くてしっとりとした満足感が得られる。料理も芸術性には欠けるが、手をかけているものは結構美味しい。時々食材をそのまま出しているのは感心しないが、、、、。

ハノーファーの自宅から近いことと料金の対価の質がかなり高いことを考えると、長期滞在に最適だ。次回は充実しているらしいスパを利用すればお得感がさらに増す、などとせこい事は考えないようにしよう。

〔2011年3月〕〔2021年7月 加筆・修正〕

 

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宮殿ホテル ツェツィーリエンホフ

2021年07月07日 | 旅行

ポツダムにある宮殿ホテル・ツェツィーリエンホフについて、ガイドブックに、

 

"この宮殿はいわばイギリスのカントリーハウスを装った大貴族の邸宅であるので、いかにも宮廷らしく贅を尽くした豪華な建物を期待してはならない。"

 

とあるがその通りで、茶色と焦げ茶色が目立つ地味な建物である。しかしながら、左右対称に正面の長さ100m余りも広がり、総計つの中庭を持つ建物には威厳が感じられる。木枠の模様が幾何学的な美を醸し出している。散発的ながら中世の城を思わせる要素もある。

 

外観 1 & 2

この宮殿と庭園はドイツのヴィルヘルム皇太子(皇帝ヴィルヘルム2世の子息)とその妃ツェツィーリエ・フォン・メクレンブルク-シュヴェリンの居城として1913年から1917年にかけて建設され、彼女はこれに自身の名前を付けた。1945年にソ連軍に接収されたが、1952年に当時の東ドイツのブランデンブルク州政府に譲渡された。その後ずっと博物館・ホテル・レストランとして営業を続けて来たそうである。宮殿に隣接して小さいながらも立派な邸宅が並ぶ地域があるのだが、そこは東西ドイツの統合前はソ連のKGB(国家保安委員会)が管理する地域で、ポツダムの住民にとっては立ち入り禁止区域だったそうだ。宮殿と庭園は西ベルリンとの国境が走る湖に接していたのだが、ここまでは市民の憩いの場として開放されていたらしい。

 

中庭 1 & 2 

 

客室が41しかない割りには大変に大きな建物で、ざっと見ただけでも2所に小さなグランドピアノを置いた小ホールがあり、その他にもあちこちに中小の広間がある。この建物の歴史からして会合やパーティーに利用される機会が多いのだろう。廊下を歩くと数箇所に座って寛ぐ場所があり、コーヒーやお茶を無料で飲めるようにセットしてある。

 

 

小ホール

デラックスシングルルームを予約していたが、ダブルルームのシングルユースだ。なるほどダブルとしては少し小さ過ぎるので、たぶん他のダブルルームよりも安く、シングルルームよりも高く販売する部屋なのであろう。一階のレセプションの近くの部屋なのだが、ドアを開けると玄関の間になっていて小さな机と椅子がある。バスルームと洋服ダンスが隣にあり、もう一つドアを開けると寝室だ。ベージュ色の壁と、やはりベージュ色の生地の良さそうなカーテンにこげ茶色の木製のドアで、落ち着ける部屋である。豪華ではなく、ただ古いだけの小さな家具を置いてある。宮殿の部屋という言葉から想像する派手さはない。2、3の家具やハンガーにツェツィーリエ妃の上半身の影絵細工が施されている。

 

私の部屋 1 & 2 

 

宮殿レストランは白色の天井に浮き彫りの模様が真ん中にあり、こげ茶の木製の壁にも浮き彫りや透かし彫りの模様が見られる。クラッシックのピアノ曲が静かに流れる。前方に暖炉があり、後方にツェツィーリエ妃の肖像画が掛かる。白のテーブルクロスに赤色の椅子である。照明を落としたホールは、テーブルが整然と並んでいるだけの殺風景な印象を与える。さらに、仕事で会食をしているらしい4人のグループと14人のグループが騒々しく、残念ながら雰囲気が良くない。

 

レストラン 1 & 2

 

1日目はコースメニューがなかったのでア・ラ・カルトで注文した。若いウェイターとウェイトレス一人ずつが給仕をしてくれるのであるが、どちらも注文の受け方が的を得ていて正確で早いし、慇懃でかつ愛想が良い。本当にパーフェクトなサーヴィスだと思う。

 

キッチンからの挨拶はスモークサーモンをクレープで巻いた冷たいスナック風の食べ物で、それにサラダ菜と市販のマヨネーズが付いているのだが、クレープが厚すぎるしマヨネーズの味が殆どなくて美味しくない。以前ヴァルトブルクの城塞で同じ物を食したが、やはり鮭の燻製とクレープはミスマッチだと感じた記憶がある。

 

前菜はカラシ・ハチミツ・ドレッシングをからめたノヂシャのサラダにミニトマトと香ばしく焼いたパンの欠片が少し散布されていて、焼いた海老が3匹のっている。サラダはパリパリで、海老は新鮮で、ドレッシングが少し甘めで美味しい。

 

主菜は小鹿の背肉を焼いて、ニンジンとパセリを微細に刻んで混ぜたクリームソースをかけてある。付け合せは白アスパラとニンジン、そしてパセリを練りこんだ親指状のヌードルである。肉の焼き具合はメディウムで、周囲を強火でさっと焼いている。申し分のない味である。しかし、ア・ラ・カルトの一品なので量が多すぎ、最後の方は美味しいものを食べた感動が薄まってしまって残念であった。

 

デザートは無しでエスプレッソだけにした。

 

朝食も同じホールで摂る。供されるものは4星レベルのホテルでは普通の物である。が、ブュッフェのハムなどが覆いがないので干からびているし、残り少ないか又はなくなっている物があるのに補給をしていない。もっと頻繁にチャックするべきであろう。高齢の女性と若い男の給仕人はてきぱきしていて良いのだが、キッチンに行く時に壁とおなじデザインの大きな扉を足で蹴って開けるのは美しくない。自動扉にするなど、何とかならないのだろうか。

 

ポツダムのこの宮殿はツェツィーリエ妃とその夫君の居城であったというよりも、むしろ1945年7月17日から8月2日まで、2日間の中断を挟んで行われたポツダム会談の会場になったことで良く知られている。会談の主な出席者は米国、英国、そしてソ連の首脳、すなわちトルーマン、チャーチル (途中でアトリーと交代)、スターリンであった。この会談のテーマは主としてドイツにおける第二次世界大戦の戦後処理と、ソ連の対日参戦を含めた日本の終戦についてであった。そして連合軍として日本に対するポツダム宣言が発表されたのである。

 

 

ポツダム会談が行われた部屋

ここの宮殿レストランは別に „グルメ” を謳っている訳ではないのだが、今年から<シェフのテーブル>を始めたらしい。シャンペンのアペリティーフに続いて7品の „驚きの試食メニュー“ が料理長のロベルト・タンクによって供されるということである。2日目の夕食はもちろんこれに決めた。コック長が挨拶に来て食物アレルギーがないか訊いてくれる。

Amuse gueule(口腹の快楽)が昨晩と同じスモークサーモンのクレープ巻きで、おろしニンジンとマヨネーズ添え。やはり美味しくない。そして、

① 煮セロリの細切りの上に鹿のメダイヨン。薄いクリームソースがかかる。昨晩食べた味と同じ味のサラダが添えられている。美味しいが、初っ端から量が多い味の濃い料理で大丈夫かな、と先行きが心配になって来る。

② “オレンジ・ニンジン・カプチーノ” という名のスープで、泡立てている。甘酸っぱくて良い味だ。焼いたイセエビの肉を上に置いている。旨い。

③ サイコロ状の煮カボチャとカボチャの種の上に軽く炙ったホタテをのせて、薄いクリームらしきソースがかかる。これも旨い。

④ 飼兎の肉を極薄の小麦粉生地で巻いて焼いて、梨のポートワイン煮とサラダ菜が付け合せだ。パリパリに焼けた生地と軟らかい肉の口当たりも良く、美味しい。

⑤ 揚げ焼した白身のKatzenfisch(猫魚;日本名は分からない)を暖かいレンズ豆のバルサミコ和えにのせている。この料理も美味である。バルサミコの甘酸っぱい味が印象的だ。

⑥ 子豚の焼あばら肉の下に煮ヴィルジング(キャベツ系の葉野菜)を敷いて肉汁ソースをかけた料理で、ポテトコロッケが2つ添えてある。良い味ではあるが、殆どア・ラ・カルトで供される位の量なので多すぎる。

⑦ レモンアイスクリームにナッツのクロカントと少しだけ果物系のソースがかかる。さらに果物少々とシャンペン味のティラミスが同じ皿にのる。旨いだけでなく、軽くて量が少ないのでデザートとして大変結構である。

このコースメニューであるが、〔コースの流れが魚から肉へ〕 無し、〔だんだんと味を濃くして行く〕 無し、〔口直しのシャーベット〕 無し、〔皿の上のゴテゴテした装飾〕 無し、〔今流行のモレキュラー料理法〕 無し、〔芸術性〕 無し、〔高級レストランでよく使われる日本食材〕も無しで、使っている誰でも知っている食材が全て皿の上で確認可能である。以上の点に関して、例えばミシュラン3ッ星のレストランと比べて明らかな違いがあると思う。

私はこの<シェフのテーブル>に大変満足した。ミシュラン3ッ星で食べるときとは違う充実感がある。その上、値段が3分の1であることを考えると満足感が3倍に跳ね上がる。

〔2011年2月〕〔2021年7月 加筆・修正〕

 

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