お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

フレヒティンゲン水城

2024年07月27日 | 旅行

フレヒティンゲン水城は、私の住んでいるハノーファーから真東に100㎞少々離れたところにある人工湖の畔に建っています。昔の東ドイツに属する土地にあり、第2次世界大戦後の1945年に東ドイツ政府に収用されるまで、シェンク・フォン・フレヒティンゲン家の先祖代々の居城でした。

その歴史ですが、何でも14世紀の初め頃に近くの採石場の石を用いて造られた天守閣や防御壁を備え、要塞化された城として建てられたそうです。15世紀後半の火事で深刻な被害を受けた後、古い城の一部を組み込んで後期ゴシック様式の建築要素を追加することで、フレヒティンゲン城の複合施設は最初の大きな構造変更を受けました。その100年後、防御態勢がもはや中心的な役割を果たさなくなった城はルネッサンス様式で再設計されたとのことです。そして狩猟小屋、農場の建物、住宅、馬車小屋として使用されました。南側にあった厩舎は19世紀半ばに乗馬場に改装され、後に学校の体育館として利用されるようになりました。第2次大戦終戦直後の土地改革の過程で、城などを含むソビエト占領地域の貴族の全財産が補償なしに没収された後、フレヒティンゲン城はいわゆる回復期施設、老人ホームと住宅、結核患者のための施設、皮膚科病院、精神科の州立療養所として使用されました。そして国家人民軍が入城して人民軍の兵舎として使用された後で、この環濠のある城は再び老人ホームなって、20世紀後半には天守閣に内部エレベーターが設置されたそうです。20世紀の終わり頃の政変 (東西ドイツ統合) 後、当初はまだ老人ホームとして使用されていましたが、すぐに城は個人投資家に売却されました。そして今世紀に入って城をキャッスル・ホテルに変える計画が繰り返されてきましたが、これらの計画はまだ実行されておらず、建物は現在使われていません。

城の西岸には池を持つイギリスの風景式庭園があり、“大砲広場”には1880年に作成された大砲のレプリカが置かれています。

 

水城 1 & 2

 

水城 3 & 4

冒頭で述べたようにこの水城があるフレヒティンゲンの町はかつての東ドイツで、それ故、しばしばそうであるように、さびれた感じが漂っていて人影がたいへん少ないのです。おかげでゆっくり散策出来ました。

 

水城 5 & 6

人工湖の他に大小の趣のある池が複数点在し、ハスの葉っぱが浮かび水鳥が遊んでいます。池と湖の周りの林には散歩道がたくさんあり、手漕ぎおよび足漕ぎボートの乗り場もあるので、天気の良い週末などはそれなりに賑わっているのかもしれません。

 

水城 7 ・ 散歩道 と 休憩場

 

城門 ・ 城門から見た建物の入り口

城門は固く閉ざされていて鉄格子の間から荒れ果てた入口とそこに続く道が見え、寒々とした雰囲気が漂っています。水と緑に囲まれた周囲は良い雰囲気なのに、死んだような城はまことに残念です。

 

昼食

城門の右にあるゲートハウスは一応レストランだけれども、土日しか開いていないようです。さらに月曜日だということもあり、町のレストランやカフェが全部休みか夜だけの営業ということで昼食を食べるところがありません。それでスーパーマーケットで買って、当日泊まるホテルにチェックインして部屋で遅い(15時)昼食を摂りました。

カリフォルニア巻きには火を通したサーモンのサラダとアボカドを巻いてあり、ゴマをふりかけています。醬油、ワサビ、ショウガは小さな袋に入って提供されます。残念ながらご飯がべちゃべちゃで風味がなく、美味しくありません。今までの経験で旨くないのはわかっていましたが、何となく買ってしまったのです。それと甘い菓子2つ、家から持って行ったバナナ、部屋に付いていたガスなし水です。宿泊する部屋はスイートなのに電気ケトルもお茶セットも冷蔵庫もありません(詳しくは別のブログで)。なんとも味気ない昼食になってしまいました。

 

〔2024年7月〕

 

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ショェーニンゲン城館

2024年07月05日 | 旅行

ショェーニンゲン城館は私の家があるハノーファーから東南東に1時間20分ほど走った、昔の東西ドイツ国境の西ドイツ側にあります。14世紀中頃に狩猟小屋兼国境の要塞として建設されました。その後16世紀から17世紀にかけてルネッサンス様式で改築されて以降、武器庫が取り壊され住居として使用されていました。ところが19世紀前半にこの地方の行政機関がショェーニンゲンから他所に移されて以来、城は荒廃して行ったのです。20世紀の後半になってやっとショェーニンゲン市が城館を復元して一般公開しました。さらにバロック様式の庭園と城の建物に隣接する公園を整備し、現在はホテルレストランを持つ複合施設になっています。

 

城館 1 & 2

 

庭園 ・ 中庭

 

裏門 ・ 街の様子

ショェーニンゲン市は小さいけれどこぎれいで、軽い傾斜のある都市です。城館は街の賑わいのすぐ近くにあって現代的に修復しているため、城としてさほど面白くありません。何か公的な施設が入っているようです。城のすぐ上にあるギムナジウム(日本でいう小学校 5 年生から高校 3 年生に相当する生徒が大学進学を目指すことを念頭に 通う学校)の下校時で、生徒が城の敷地を通って帰って行きます。小高いところにある城の周囲には池がいくつかある広大な斜面の公園が広がっています。

 

レストラン ・ 水

さて昼食ですが、外壁の外から入るようになっている城の建物の一部であるレストランでとりました。

飲み物は小さい瓶の炭酸水です。

前菜はミックスサラダで、まずその量に驚きました。そしてその新鮮さに感激したのです。野菜は全部パキパキで、自家製のドレッシングは少し酸っぱくて優しい味でした。

 

ミックスサラダ ・ 城館バーガー (パンの上部をずらしています。)

サラダを何とか完食してハンバーガーに相対しましたが、これもでかい。私はハンバーガーはそれほど好きではないのですが、〈城館バーガー〉という名前に興味をそそられて注文したのです。内容的には失敗でした。挟んでいるのはサラダ菜、キューリの酢漬け、紫玉ねぎ、トマトで、それはいいのですが、肉が焼き過ぎでガチガチに硬いし市販のソースが不健康そうで不味い。パンのほとんどとフライドポテトを3分の1ほど残しました。最後に久しぶりに飲んだエスプレッソが美味しかったのです。

午前11時半の開店と同時に入って1時間半後に出るまで、私が唯一の客でした。給仕スタッフのおばちゃんに親切な対応をしてもらいました。

 

 当時の東西ドイツ国境 (オリジナル) 1 & 2

ところで、ショェーニンゲン城館のすぐ近くに、当時の東西ドイツ国境の野外博物館というか国境施設そのものを残しているところがあります。部分的に修復していますがオリジナルをしっかり残していて、なかなか見応えがあります。国境に接して東ドイツ側に村があったことに驚きました。

犬の散歩をしている女性がいたので話しかけてみました。

「 あなたはこちら側(西側)に住んでいるのですか。それともあちら側(東側)ですか。」

「 あちら側です。」

「 そうですか。当時、国境が開いたときはどんな様子でしたか。」

「私はまだ小学生だったので、状況がよく分かっていませんでした。以前は不自由な社会だったけれども、家族や地域の人々がみんな寄り添って強い絆を持って生活していました。国境が開いて自由にはなったけれども、人間どうしのつながりが淡白なものになったような気がします。

 

〔2024年7月〕

 

 

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ヴァルベルク城塞

2024年07月01日 | 旅行

ヴァルベルク城塞は私の住むハノーファーから東南東に約100km、かつての東西ドイツ国境の西ドイツ側であるニーダーザクセン州東部のエルム山脈の東端に建っています。

 

城 と 堀の一部 1 & 2

この堀のある城は13世紀初頭に某貴族によって設立され、何世紀にもわたって先祖代々の本拠地でした。その後17世紀前半の三十年戦争でひどく損傷しましたが、より要塞化されて再建されました。

 

全体像 

 

正面 ・ 右斜め 

 

城 と 池

何度か所有者が代わった後、20世紀の前半に某学校協会が商業学校を運営するために城の複合施設を買収して大規模に再建しました。第2次世界大戦中は軍病院として、戦後の数年間はヘルムシュテット地区の結核病院として使われた後、20世紀の後半からは農業貿易技術学校の訓練センターとして利用されて来ました。そして今世紀に入って何度か改修工事が行われ、現在ホテル&レストランが営業している他、城内で子供演劇、オペレッタ、ワイン祭り、城祭り、コンサート、クリスマスマーケットなどの催しが開かれます。

 

中庭 ・ テラス

城の周りには耕地が広がり、それを納得させるかのように城の向かい側にかなり大規模な農場施設があります。全体的にこぢんまりとまとまった城で、花壇や道沿いにバラの花が目立ちます。横の広場で何か催し物の準備をしているし、中庭に座っているとホテル&レストランのスタッフが頻繁に行き来します。なかなか活気に満ちた古城です。

 

城に属する農場の入り口

城の周りには全く飲食店がないので、帰りのアウトバーンのサーヴィスエリアで簡単に昼食を食べました。ドイツでは割と知られた魚貝類だけを扱う〈北海〉という軽食チェーン店があったので、そこでアラスカサーモンに衣をつけて揚げた料理にポテトサラダをつけてもらいました。本来は魚にハーブが入ったクリームソースが付くのですが、サラダの味が強いのでそれと一緒に食べようと思ってソースは断りました。さらに、サラダも少しだけにしてもらったため少々貧弱な皿になりました。サラダがいつものように少し酸っぱめで美味とは言えませんでしたが、サーモンは表現がサクッとしていてなかなか良い味だったのです。

 

アラスカサーモン と ポテトサラダ と スプライト

 

〔2024年7月〕

 

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