フレヒティンゲン水城は、私の住んでいるハノーファーから真東に100㎞少々離れたところにある人工湖の畔に建っています。昔の東ドイツに属する土地にあり、第2次世界大戦後の1945年に東ドイツ政府に収用されるまで、シェンク・フォン・フレヒティンゲン家の先祖代々の居城でした。
その歴史ですが、何でも14世紀の初め頃に近くの採石場の石を用いて造られた天守閣や防御壁を備え、要塞化された城として建てられたそうです。15世紀後半の火事で深刻な被害を受けた後、古い城の一部を組み込んで後期ゴシック様式の建築要素を追加することで、フレヒティンゲン城の複合施設は最初の大きな構造変更を受けました。その100年後、防御態勢がもはや中心的な役割を果たさなくなった城はルネッサンス様式で再設計されたとのことです。そして狩猟小屋、農場の建物、住宅、馬車小屋として使用されました。南側にあった厩舎は19世紀半ばに乗馬場に改装され、後に学校の体育館として利用されるようになりました。第2次大戦終戦直後の土地改革の過程で、城などを含むソビエト占領地域の貴族の全財産が補償なしに没収された後、フレヒティンゲン城はいわゆる回復期施設、老人ホームと住宅、結核患者のための施設、皮膚科病院、精神科の州立療養所として使用されました。そして国家人民軍が入城して人民軍の兵舎として使用された後で、この環濠のある城は再び老人ホームなって、20世紀後半には天守閣に内部エレベーターが設置されたそうです。20世紀の終わり頃の政変 (東西ドイツ統合) 後、当初はまだ老人ホームとして使用されていましたが、すぐに城は個人投資家に売却されました。そして今世紀に入って城をキャッスル・ホテルに変える計画が繰り返されてきましたが、これらの計画はまだ実行されておらず、建物は現在使われていません。
城の西岸には池を持つイギリスの風景式庭園があり、“大砲広場”には1880年に作成された大砲のレプリカが置かれています。
水城 1 & 2
水城 3 & 4
冒頭で述べたようにこの水城があるフレヒティンゲンの町はかつての東ドイツで、それ故、しばしばそうであるように、さびれた感じが漂っていて人影がたいへん少ないのです。おかげでゆっくり散策出来ました。
水城 5 & 6
人工湖の他に大小の趣のある池が複数点在し、ハスの葉っぱが浮かび水鳥が遊んでいます。池と湖の周りの林には散歩道がたくさんあり、手漕ぎおよび足漕ぎボートの乗り場もあるので、天気の良い週末などはそれなりに賑わっているのかもしれません。
水城 7 ・ 散歩道 と 休憩場
城門 ・ 城門から見た建物の入り口
城門は固く閉ざされていて鉄格子の間から荒れ果てた入口とそこに続く道が見え、寒々とした雰囲気が漂っています。水と緑に囲まれた周囲は良い雰囲気なのに、死んだような城はまことに残念です。
昼食
城門の右にあるゲートハウスは一応レストランだけれども、土日しか開いていないようです。さらに月曜日だということもあり、町のレストランやカフェが全部休みか夜だけの営業ということで昼食を食べるところがありません。それでスーパーマーケットで買って、当日泊まるホテルにチェックインして部屋で遅い(15時)昼食を摂りました。
カリフォルニア巻きには火を通したサーモンのサラダとアボカドを巻いてあり、ゴマをふりかけています。醬油、ワサビ、ショウガは小さな袋に入って提供されます。残念ながらご飯がべちゃべちゃで風味がなく、美味しくありません。今までの経験で旨くないのはわかっていましたが、何となく買ってしまったのです。それと甘い菓子2つ、家から持って行ったバナナ、部屋に付いていたガスなし水です。宿泊する部屋はスイートなのに電気ケトルもお茶セットも冷蔵庫もありません(詳しくは別のブログで)。なんとも味気ない昼食になってしまいました。
〔2024年7月〕