お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

フェルトハイムスブルク城館

2020年02月29日 | 旅行

旧東ドイツの村や町を車で通ると、質の悪い石炭が燃える臭いがします。いまだに石炭を暖房に使っているのでしょうか。

我が家のあるハノーファーから真西に120㎞走ると、旧東ドイツの田舎にフェルトハイムスブルク城館があります。このお城は13世紀の中頃にカトリックの司教たちによって建造され、15世紀前半にフェルトハイム家の所有になりました。そして19世紀には新ロマネスク様式の城館に改築されたのです。その後お城は1945年までフェルトハイム家のものでしたが、土地改革によって没収されて、戦後はまず青少年の保養施設として、のちに学校として利用されました。そして1990年の東西ドイツ統合の後に、ある起業家が土地と城館を購入し包括的な修復と再開発を実施したのです。2015年に再び所有者が代わり、こんにちお城はホテル、カフェ、(結婚式のために) 戸籍役場の出張所として使われ、中庭では定期的に蚤の市、園芸展覧会、射撃祭り、そしてクリスマスマーケットが開催されます。

 

城館カフェにかかる写真

フェルトハイムスブルク城館がある村は小さくて静かです。周りの環境は自然が多く牧歌的で住み心地が良さそうです。

 

城館 1 ・ 城館 2

 

城館 3 ・ 城館 4

お城は古めかしくて風格のある、見ようによっては童話的な建造物なのです。

城門をくぐって中に入ると、裏庭の一角にさらに古そうな廃墟があります。これは12世紀の後半に築かれたとされる城砦の廃墟で、11メートルの高さの丸い防御塔が残っています。

裏庭 ・ 裏庭に面するところ

 

裏庭から城門を通視 ・ 城砦の廃墟

裏庭に面するホテルの入口に行くと張り紙が、、、。携帯電話の番号が書いてあって、電話してくれとのことです。来城を告げるとぽっちゃりしたおばさんが出て来ました。

「いやー、この辺は静かですね。」

「はい、冬場はたいへん静かです。」

なるほど、ホテルの設備などを見ると夏場は結構賑やかなのだろうと思います。

「今夜の泊り客は私一人ですか。」

「いえ、もう一人男性がいます。」

こういう所にひとりで泊まるのはまず間違いなく男なんですよねー。でも、若い女性がこんな寂しいところにひとりで泊まるのは、何だか不気味ですね。

おばさんが、板張りでギシギシと音を立てる迷路のような廊下と階段を部屋まで案内してくれました。

 

階段の踊り場 ・ 廊下

ここには12の客室と2つのアパートメントがあるのですが、全部の部屋に 〈王女の部屋〉、〈伯爵夫人の部屋〉、〈辺境伯の部屋〉 などの名前が付いています。私の部屋は 〈公爵の部屋〉 です。天井が高くて大変広いダブルルームのシングルユース。部屋は清潔で古い重厚な家具を備えてあります。窓ガラスもピカピカに磨いています。バスルームにも必要なものは全部あって快適に住めそうです。

 

私の部屋 1 ・ 私の部屋 2

夜8時以降、ホテルのスタッフは帰宅し (スタッフといっても今日はおばさん一人だけですが)、お城に居るのは宿泊客だけになります。その8時までに申し出れば、週末の午後だけ手作りのケーキを提供している城館カフェで何か夕食らしきものを食べさせてくれるそうなのですが、ちゃんと夕食を食べたければ車で10分程走らなければなりません。城館のホームページで事情が分かっていたので、私は夕食を持ち込みました。

ドネルケバブ (当地ではドェーネルという) です。私は日本でこのトルコの食べ物を食べたことがないので分かりませんが、ドイツではピザ生地のポケット状の袋に肉と生野菜と3種類のソースをあふれんばかりに挟み込みます。めったに食べませんが、私は好きです。

 

ドネルケバブ

食べようとして包みを広げてみると、持ち歩いていたので変形しています。それはまだいいのですが、冷たくなってしまって美味しくないのです。それに量が非常に多い。ドイツ人は一般にたくさん食べるのですが、東ドイツの人は特に大食いなのでしょうか。

 

ファンタ

飲み物は缶入りファンタです。部屋にお茶を沸かす器具も冷蔵庫もないので、あとは水道の水を飲むしかないですね。ドイツの水道水は飲めるので問題ありませんが、何ともさびしい夕食でした。

 

朝食のビュッフェ ・ 私の朝食

朝食も、量と選択肢が少ないので簡単なものになりました。

フェルトハイムスブルク城館は、飲食に関しては期待できませんが、お城のたたずまいと内装は心を歴史の中に誘い込んでくれます。周りが静まり返っているので、特にそんな感じがします。

 

[2020年2月]

 

 

 

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ヴォルフェンビュッテル城館

2020年02月16日 | 旅行

ハノーファーの自宅から南東に1時間ドライブするとヴォルフェンビュッテルという町があり、小さな町にもかかわらず大変立派な城館があります。このヴォルフェンビュッテル城館はもともとは11世紀の後半に建造された水城でした。そして13世紀後半から18世紀の中頃までこの地域の公爵たちの居城だったのですが、この間たび重なる攻撃や攻囲によって何度も破壊されました。その都度再建および改築や増築がなされ、その結果外観と内装が次第に変わっていきました。その後のいち時期女子学校になり、20世紀の後半から今日までお城の一部はギムナジウム (基礎学校での4年を終えて入る9年制の高等学校) として使われ、同世紀の末からは国立芸術学校も同居しています。

 

城館の模型 ・ 正面

 

中庭 ・ 廊下 1

 

廊下 2

一般に開放されている博物館の部分では、17世紀の末頃から18世紀の中頃にかけて内装された部屋や広間が見所の中心です。

 

部屋 1 ・ 部屋 2

 

部屋 3 ・ 部屋 4

 

部屋 5 ・ 部屋 6

 

部屋 7 ・ 部屋 8

さらに様々な催し物もあり、お城の中庭で行われるオープンエアーの祭典 〈文化の夏〉 では国内外の芸術家たちが作品を展示。小さな城内劇場では通年にわたりいろいろな作品が上演されます。10年ほど前には、ある映画の舞台になったそうです。

 

航空写真 (Wikipediaより)

ヴォルフェンビュッテル城館の周辺には、歴史的な図書館、兵器庫、小さなお城が建っています。

 

城館酒場 (テラス席がある家)

ところで、城館前の広場に面して何軒か木組みの家があるのですが、そのうちの一軒が 〈城館酒場〉 と呼ばれる飲食店です。そこで昼食を食べました。

飲み物はいつものようにノンアルコールビールです。

 

ノンアルコールビール ・ 黒パンとそれに付けるもの

まず黒パンの薄片と3種類の 〈おかず〉 が出てきました。パプリカの煮たのん、色々な煮野菜のチゴイネル風、それと食用豚脂です。全部知ってる味で、まぁ結構です。

前菜としてサラダを頼みました。トマトと葉野菜に、粘性の強い酸っぱいドレッシング (何?) がかかっています。新鮮です。

 

サラダ ・ メインディッシュ

メインはカッスラーのチリメンキャベツと茹でポテト添えです。カッスラーとは塩漬けにして軽く燻した豚肉です。焼くのではなくて水で煮ています。塩に漬けるときに硝酸カリウムも使っているそうです。肉を赤くするためとか、、、、。普通は少しパサパサしている肉なのですが、ここでは脂多めの首筋の肉を使っています。辛子を付けて食するのですが、私が好きな肉料理の一つです。付け合わせのチリメンキャベツは典型的な冬野菜で、ドイツでは大昔から食べているようです。フッと薬臭いような気がして不味い。いかにも体に良さそうな野菜です。もう一つの付け合わせである茹でポテトはごく普通ですね。私の好みではホクホク感が欲しいところです。

ガストロノミーに関してはいささか不満足ですが、城館の各部屋や広間や展示物は素晴らしい。一見の価値があると思います。

 

[2020年2月]

 

 

 

 

 

 

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フンディスブルク城館

2020年02月11日 | 旅行

私の住むハノーファーから東に130㎞離れた所に建つフンディスブルク城館は、古文書によると12世紀の中頃から存在しているようです。そして16世紀の後半にルネッサンス風の城館に改築されました。こんにちのバロック様式の外観は17世紀末から18世紀初めにかけて造られたそうです。

 

城館 1 ・ 城館 2

 

城館 3

ちなみに、お城の庭もバロック庭園です。

不幸にも、第2次世界大戦後に駐留していたソ連軍の兵隊が火災を起こし、建物の大部分が焼失してしまいました。そして東西ドイツ統合後の1991年からこのバロック様式の城館は徐々に復元されてきて、現在は町の所有になっています。町の文化財保護協会がお城の生命を再び呼び覚まし、今世紀の初めには歴史的な各部屋が再現されて結婚式も行えるようになりました。

 

見取り図 (円形建物群の3時の部分が城館)

実際に訪れてみると、他の多くの城館が博物館的であるのとは違って、〈生きて動いている〉お城でした。というのは、城館と庭園と農地から成る敷地が大変広くて農場としての機能があるようです。数人の農場スタッフがウロウロしていました。

 

農場の建物 1 ・ 農場の建物 2

左右対称で幾何学的な庭園は季節がらまだ眠っていますが、春と夏はたいへんきれいだろうと思います。しばらく辺りを歩きましたが、訪問者は私ひとりでたいへん静かです。

 

庭園 1 ・ 庭園 2

 

庭園 3 ・ 庭園 4

城館の内部は、現在修復中ということで残念ながら見学することは出来ません。

 

レストランの入り口 ・ レストランの内部

城館レストランは営業しているようなので昼食を食べようと思いました。レストランに入ると、その一角にある酒場のカウンターに数人の男女がいます。そのうちの若おばさんが私に、

「何でしょうか。」

何でしょうか、って、食事に来たに決まっているでしょう、と思いながら、

「昼食をとりたいのですが、、、、。」

「はぁ、そうですか。食事ですか。」

と言って、他の人と何やら言葉を交わしています。そして、

「いいですよ。お座りください。」

客は私一人です。何か変だなぁ、と思いながら部屋の真ん中の席に座ったのです。

そして日替わり定食を注文しました。水曜日の今日はシュヴァイネシュニッツェル (薄く叩き伸ばしたトンカツ風料理) です。ノンアルコールの飲み物とサラダが付いているそうです。

 

取材チーム

ここで数人の男女がドタドタとレストランに入ってきました。あるテレビ局の取材チームで、感じのいいレストランの紹介番組の録画をするのだそうです。チームの若い女性が私に、

「ここにお座りですと映像の背景にあなたの姿が映るのですが、よろしいでしょうか。そうでなければ別の席に移っていただきたいのですが、、、、、。」

私は、 〈私は普通に食事をしていていい〉、 〈私をめがけて撮影しない〉 ことを確かめてその席に留まることにしました。すると、承諾の書類に名前と住所を書き込んで署名することを求められ、その書類と一緒に顔写真を撮られました。私が後で文句を言わないように、です。取材チームはレストランの責任者に話を聞きながら、あちこち撮影していました。番組は3月頃放映されるそうです。全部終わった後で取材チームのひとりが私に、

「お騒がせしました。」

と挨拶しました。よろしい。

さて食事ですが、明るくやさしそうな若おばちゃん給仕が迅速なサーヴィスをしてくれます。

飲み物は北ドイツにあるイェーヴァー市で醸造されたノンアルコールビールです。あれ? パンとバターが出てこないのはなぜだろう。

 

テーブルセッティング ・ ノンアルコールビール

意外にも厨房からのサーヴィスが出てきました。カマンベールチーズの揚げ物です。キイチゴの自家製ジャムを付けて食べます。これは知ってる味ですが、結構いけますね。

 

カマンベールチーズ ・ サラダ

葉野菜のサラダには既製のフレンチソースがかかっています。視覚的には極細の白と赤のもやしが面白いですね。生ネギを散らしているのはドイツで初めてではないかと思います。全体的に美味しいサラダです。

 

シュヴァイネシュニッツェル ・ エスプレッソ

主菜のシュヴァイネシュニッツェル。顔の大きさぐらいあり、これもキイチゴジャムで食します。添えられているのは皮付き揚げポテトと焼きミニトマトとマッシュルームのクリーム和えで、ここにも生ネギを混ぜています。私の好きな料理ということもあり結構美味しく食べたのですが、いかにも多すぎて3分の1ぐらい残してしまいました。

最後の〆はエスプレッソです。

最初から最後まで客は私ひとりだったので、経営はうまく行っているのだろうか、と思ったりしましたが、冬場以外はそれなりに賑わっているようです。パンフレットによると、定期的にイースター・ブランチ、観劇ディナー、イタリアン・ビュッフェ、スペアリブ・ナイト、美食ビュッフェ、勤務後のディナー、日曜ビュッフェ、午後のお茶などの催し物が開催されるとのことです。暖かくなったらまた来てみようかな?

 

[2020年2月]

 

  

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リスボン

2020年02月04日 | 旅行

リスボンは言わずと知れたポルトガルの首都です。この都市の情報は容易に手に入るので、ここでは簡単に記述します。

リスボンはフェニキア人がその基礎を築き、ユーリウス・シーザーの時代に古代ローマの都市のひとつになりました。8世紀の前半にイベリア半島の大部分がムーア人に占領されましたが、その後2回目の十字軍の遠征を背景に、12世紀の中頃キリスト教者によって奪還され、アフォンソ III世のもとでポルトガル王国の首都になりました。そして16世紀の初めごろから、リスボンは当時世界で最も輝かしい商業 及び港湾都市のひとつになったのです。ちなみに、ポルトガル船が日本に初めて鉄砲をもたらしたのは1543年です。ところが、18世紀の大地震のせいで、それまで兆候が見えていた経済活動の下降が確実なものとなってしまいました。しかし19世紀には再び繁栄を取り戻し、現在ポルトガルの首都として名実ともに政治と経済の中心です。

さすが昔から繁栄している都市ですね。教会の内部も素晴らしいし、大きな立派な建物がたくさんあります。大航海時代を象徴するモニュメントもあります。

 

リスボン 1 ・ リスボン 2

 

リスボン 3 ・ リスボン 4

 

リスボン 5 ・ リスボン 6

    

リスボン 6 の内部 ・ 教会

 

教会の内部 1 ・ 教会の内部 2

 

教会の内部 3 ・ 教会の内部 4

 

国会議事堂 ・ その衛兵

裏通り ・ カフェ

 

モニュメント 1 ・ モニュメント 2

足を棒にして市内の見学をした後は昼食です。12月31日なので営業しているかどうか分かりませんでしたが、観光客の多い繁華街から少し離れた所にある和食レストランに行ってみました。行ってみると、レストランというか、、、、テーブルがほんの数卓しかない小さなあまり清潔感のない食堂です。店の前で日本人のおじさんが座ってタバコを吸っています。

「こんにちは。営業してますか。」

「今日は休みなんですよ。」

「そうですか。残念。」

と言って立ち去ろうとすると。

「あー、お握りと蕎麦ぐらいなら作りますよ。」

ということで、こちらで昼食をいただくことにしました。

このおじさん、1970年代の初め頃に日本を出ていろいろな国を放浪した後、米国はカリフォルニア州に定住して芸術カメラマンとして働き、定年退職して2年前からこの店を営んでいるそうです。正確には彼の奥さんの店で、彼女に日本食を伝授しているとのこと。その奥さんというのは、やはり米国に移住していたフランス人で、彼女が 「そろそろヨーロッパに帰りたい。」 と言うので、フランスよりも物価が安いポルトガルに来たそうです。小学校高学年の女の子が二人います。

さて食事です。ちゃんと和風の食器を使っています。

夫人のオリジナルであるキュウリの酢の物。香料が効いています。

 

キュウリの酢の物 ・ フォアグラなど

さらに夫人の手作りのフォアグラと甘く加工した果物です。フランス人はフォアグラを自分で作るんですね。知りませんでした。でも味は私たちの好みではありません。

味噌汁とお握りは、フランス人ではなく日本人のおばちゃんが作った様な見事な味でした。

 

味噌汁 ・ お握り 1 

 

お握り 2 ・ 蕎麦

蕎麦は市販の乾燥蕎麦を使っているし少し伸びていましたが、本格的に出汁をとっているようで、たいへん美味しく食せました。

その上おじさんと話が弾み、たいへん楽しい食事になりました。世界のあちこちに興味深い過去を持つ日本人が居るものだ、と実感した次第です。

 

[2020年 2月]

 

 

 

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