私の住むニーダーザクセン州にあるアールデン城館は16世紀中頃に工事が始まり、その30年後にアラー川の畔に完成した水城です。もともとお城は二重の堀と塁壁に囲まれていましたが、塁壁はフランス風庭園を造るために17世紀の終わり頃壊されました。さらに19世紀には堀が部分的に埋められたのです。現在は塁壁の残りが北側に、そして堀が南と東側に残っているだけです。
お城は本質的に半木骨造りで、西ウイングの1階だけがレンガで出来ていて、今日の馬蹄形の建物は3つの3階建ての翼で構成されています。レンガを詰めた半木骨の建物である南の翼がお城の最も古い部分です。建物の個々の翼は住居のために使用されただけでなく、馬小屋や納屋でもありました。
城館 1 & 2
城館 3 & 4
城館 5 & 6
城館に属する池
このアールデンの町には15世紀前半から侯爵事務所があり、町の管理と裁判権の行使をしていました。それでアールデン城館の建設は事務所の上級公務員が指揮したそうです。17世紀前半の30年戦争ではたったの1日で帝国軍によって落とされ占領されましたが、破壊されることは免れました。18世紀前半からアールデン城はこの地の代官の住居でしたが、同世紀の後半からしだいに公的目的の為に使われるようになり、監獄であった時代もあります。19世紀中頃から20世紀の後半まではアールデンの地方裁判所でした。そしてその後、改装がかなり必要とされていたお城の建物は、州の所有から売却されたのです。買収したのはアートオークションハウスで、現在も代表会社の本社として使っています。それで建物の外観だけ見ることが出来、内部は残念ながらオークションが開かれる日のみ見学が可能なのです。次のオークションは5月の前半に3回開かれるようです。
オークション開催予告の掲示
ところでこの町に来て知ったのですが、アールデン城館にまつわる興味深い話があり、20世紀の中頃前後に映画化されたり小説の題材になったりしたそうです。その話とは、17世紀の終わりごろから18世紀の前半にかけて32年間、この地方の王女であるソフィー・ドロテア フォン ブラウンシュヴァイク-リューネブルクが終生城館に幽閉されていたのです。この町ではこんにち彼女のことを親しみを込めて “アールデンの王女“ とか “アールデンの公爵夫人“ とか呼んでいます。
ソフィー・ドロテア王女 (出典: Wikipedia)
どうしてこんなことになったのでしょう。それはソフィー・ドロテア王女が浮気をして駆け落ちしようとしたからです。その背信行為が封建裁判所で有罪となり、彼女の夫の要請でアールデン城館への追放になったのです。彼女は二度と自身の2人の子供に会えませんでしたが、後に、釈放されることを期待して彼女の娘であるプロイセン女王 ソフィー・ドロテアと連絡を取っていたそうです。結婚した時のソフィー・ドロテア王女の持参金を夫は没収しましたが、毎年生活費を送っていたし、その額も物価の上昇に応じて上がっていったようです。王女はお城の北ウィングにある2階建ての半木骨造りの建物に住んでいました。王女のために40人の警備員が配備され、そのうち5人から10人が24時間体制でお城を守りました。王女の連絡担当者と彼女の郵便物は厳しくチェックされていましたが、救出解放や脱出の試みは一度もなかったそうです。当初王女はお城の中だけに留め置かれましたが、後に監視者を伴って外の施設を訪れることが許されました。2年間の刑期の後、引き返さなければならない地点が明確に指定されて、約2キロメートルの馬車での散歩が出来ました。その他、お城ではミュージシャンなどの訪問者を迎えることが許されていたし、彼女の母親は無制限の面会許可証を持っていました。お城には女官が二人、侍女が数人とその他のスタッフがいて、家事と料理を受け持っていました。制限の多い生活による避けられない運動不足は肥満につながり、王女は18世紀前半に脳卒中を患って約一年後に死去しました。病理解剖の結果、肝臓疾患と60個の胆石が明らかになったとのことです。ソフィー・ドロテア王女の遺体は近くのツェレという町にある家族墓所に埋葬されました。
"アールデンの王女" のことを長々と書いたのは、私が個人的に興味をそそられたからです。18世紀前半に病理解剖がすでに通常化されていたのでしょうか。ちなみに、日本で初めて解剖が行われたのは1754年ですね。
アールデンの町には他にも見所があります。町外れに、モニュメント保護の対象になっている古い穀物倉が立ち並ぶ広い一角が、そしてそのすぐ近くにユダヤ人墓地があるのです。こんな田舎にもユダヤ人が住んでいたとは、驚きです。
穀物倉の一部 (出典: Wikipedia) ・ ユダヤ人墓地
さらにアールデンはコウノトリでも有名で、この町の周辺に毎年100羽ぐらい飛来するようです。コウノトリに関する展示物を見ていると、85歳のおばあちゃんがやって来て色々説明してくれました。何でも、3年前に亡くなった夫がずっとコウノトリの世話をしていたそうです。巣の近くの、今は人が住んでいる昔の火の見櫓にテレビカメラが設置してあり、コウノトリの子育てを含む生活の様子がテレビに映し出されるようになっています。
巣に居るコウノトリ ・ 旧火の見やぐら
コウノトリが一夫一妻の習性を持つことは知っていましたが、カエル、ミミズ、虫、野ネズミを食べることは正確には知りませんでした。夏の間に子育てをして冬になる前に南に飛んで行き、次の年に同じ巣に帰って来るのですが、親鳥と子鳥が同じ巣に帰って来て巣を取り合ってけんかをするそうです。さらに知らなかったことですが、コウノトリは食べ物が少ない年には口減らしの為に生んだ子鳥のうちの一羽を捨てる、つまり間引きをするのだそうです。巣から落とされた子鳥は人間が保護します。しかし、草むらに落ちるとなかなか見つかりにくいとのことです。最近は地球温暖化のせいでずっとこの地に居座るコウノトリもいるそうで、そのときは冬に、本当は良くないのだけれども、餌をやるのですが、近くの町の養鶏場で殺処分した雄のヒヨコをもらって餌にするそうです。
いろいろと勉強になった日曜日の外出でした。
さて今日は二種類の魚料理です。
ニジマスのニンニクバター焼き 1 & 2
˂ニジマスのニンニクバター焼き˃ を作るためにノルウェー産のフィヨルド・ニジマスに軽く塩コショウをしておき、味噌、味醂、醤油、酒、砂糖、ニンニク、それとおろしショウガでソースを作っておきます。バターを熱し、皮付きの面を焼いて焦げ目がついたら反対面も焼いて取り出します。そして白菜とエリンギを炒めて、その上に焼けたニジマスを置いて、全体にソースをかけて少し煮るのです。
白身魚の南蛮漬け 1 & 2
˂白身魚の南蛮漬け˃ ではまずソースを作ります。和風だし汁に砂糖、醤油、酢、さらに鷹の爪を入れて煮立てて冷ましておきます。そしてタマネギ、ピーマン、ニンジンを細切りにして炒め、ソースに入れます。Rotbarsch (タイセイヨウアカウオ、メバルの一種) に塩コショウををして、片栗粉を付けます。油で揚げて熱いうちにソースに漬け込み、冷やして食べます。
〔2022年3月〕