タルヴィージオ (ドイツ語圏ではタルフィス) はイタリアの最北東部、イタリア・オーストリア・スロベニア3国の国境線が交わるところにあります。カナール渓谷にたたずむ、人口約4200人を抱える小さな町です。私たちはここで夏休みの後半1週間を過ごしました。もちろん山歩きが目的です。
近くの山 ・ 近くの山 と せき止め湖
スロベニアから見た山々 と 城塞の廃墟
この町はローマ時代にそのルーツを持ち、11世紀初めから18世紀後半までバンベルク司教区に属していました。19世紀の後半に当時の市場自治体タルヴィージオには3000人弱の人が住んでおり、その93%がドイツ語を、5%がスロベニア語を話していたそうです。20世紀の初めに自治体は町の地位に昇格し、紋章を与えられました。タルヴィージオ町は1914年から1918年にかけて戦われた第一次世界大戦の終戦までカリンシア公国、すなわちオーストリア・ハンガリーに属していたため、軍隊の駐屯地の町でした。さらにタルヴィージオは古代の交易路上にあり、鉱業における重要性も持っていました。長い間この町は経済的に、オーストリアとユーゴスラビアまたはスロベニアの間の小さな国境交通の恩恵を受けて来たのです。今日では観光、特にマウンテンスポーツ (登山、トレッキング) とウィンタースポーツが町の経済にとって重要になっています。第一次世界大戦終戦の頃まで、上述のように、町の住民はほとんどがドイツ語を使っていましたが、その後イタリアになってからはドイツ語を話す人が徐々に去って行き、イタリア語を話す人と比較して少数派になりました。現在タルヴィージオの4つの公用語は、イタリア語、ドイツ語、フリウリ語、スロベニア語です。
タルヴィージオの魅力のひとつは、町の中心部にある市場です。
市場
1950年代の、まだ隣国オーストリアで商品が不足していた頃から、多くのケルンテン州 (オーストリア) の住民が国境を越えてタルヴィージオに買い物に来ていました。1990年代にはそれに加えてハンガリー、ソロバキア、チェコ、ポーランドの人々も買い物に訪れたそうです。ところがこの頃は平日のお客さんが明らかに減り、老舗商店は大幅な売上減少を被っています。ただ週末のみ、多少客足が増えるそうです。すぐ近くの比較的大きな都市で、新しくショッピングセンターが出来たヴィラッハが手ごわい競争相手になっているようです。
もうひとつの見所は教区教会です。
教会 ・ 教会から見た町の一部
高台にある現在の教会は15世紀の中頃に建てられ、17世紀と20世紀の中頃に拡張されました。
しかしながら、タルヴィージオの第一のハイライトは何といってもモンテ・サント・ディ・ルッサリ (Monte Santo di Lussari) でしょう。タルヴィージオの中心部から西に車で5、6分走るとゴンドラの駅があり、ここから海抜1,789 mのモンテ・サント・ディ・ルッサリに登るのです。その頂上からはタルヴィージオ盆地と周囲の高みの広い景色を楽しむことが出来、ここからいくつかのトレッキングコースが出ています。この山が有名なのは頂上に16世紀に建てられた教会を持つ小さな村があるからです。村といっても住民登録をしている人は一人で、教会以外の建物は公共施設、ホテル、レストラン、カフェだそうです。まさに観光客の為の村です。
サント・ディ・ルッサリ山頂の村
山頂の教会1 & 2
最初の礼拝堂は、言い伝えによると、マドンナと子供の小像が発見された場所に14世紀中頃に建てられました。現在の教会の歴史は16世紀にさかのぼります。19世紀の初めに雷に打たれ、第一次大戦の時は爆撃されましたが、その都度再建されました。そして2000年に教会は完全に改装され、ゲルマン語 (ドイツ語)、ロマンス語 (フリウリア語とイタリア語)、スラブ語 (スロベニア語) の3つの近隣言語人種のすべての人々、つまり「3つの民族」のための巡礼の場になっています。
村のレストラン&カフェで、素晴らしい景色を楽しみながら休憩しました。飲んだのはアルコールフリーのビールです。お菓子のひとつは、何だか変わった有機栽培の粉を使った生地のティラミスです。軽くてさっぱりしていて旨い。
ビール ・ ティラミス
クロスタータ ・ スーパーで見つけたクロスタータ
もう一つのお菓子はクロスタータというお菓子だそうですが、この地方の特産かどうかは分かりません。リンゴとレーズンとコテージチーズを焼き込んだ美味しいケーキです。タルヴィージオのスーパーで杏子のクロスタータを見つけましたが、コテージチーズは入っていないようですし、美味しいかどうか分かりません。
〔2022年9月〕
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