中共コロナのせいで国全体が完全ロックダウンとなっている今日この頃、旅行もレストランでの食事もままならない日々を、もっぱら近隣の山々でトレッキングをして過ごしています。
今日は自宅から南に20㎞離れた所にあるレフェステ城館の付近を歩きました。このレフェステ城館ですが、鉄格子の門が広く開いていて別に何も、例えば 〈私有地〉 などの表記もないので敷地に入って行って見学と撮影をしていました。すると、訪問客を見送って玄関先に出て来たおばさんが、
「あなた方は誰ですか。何をしてるんですか。ここは個人の家ですよ。」
と、強い口調で私たちをとがめます。
「分かりました。すぐに立ち去ります。」
城館 1 ・ 城館 2
城館 3
怒られて気分を害しましたが、もちろん、断りもなく私有地に入った私たちに非があります。しかし、城館と付属の農場が歴史的に有名なクニッゲ家の所有で 〈クニッゲの大農場〉 と呼ばれているので時々見学者が訪れるであろうことを考えると、門の所に 〈進入禁止〉 とでも書いておいてくれれば、お互いにストレスを感じなくてすむのに、、、、、と思った次第です。なぜクニッゲ家が有名なのかというと、14世紀後半に皇帝による叙爵が始まる以前からの 〈古貴族〉 に属するから。さらに、18世紀後半に生きた著述家で、ドイツでは良く知られた 〈作法指南書〉 を書いたアドルフ・フォン・クニッゲ男爵の存在があるからです。日本でいうと、16世紀の終わりごろに 〈小笠原礼法・全7巻〉 を書いた小笠原貞慶といったところでしょうか。現在の当主は1966年生まれのフベルツス・クニッゲ男爵です。城館には彼とその家族が実際に住んでいるので、一般公開はされていません。
レフェステ城館が建つ位置には元々14世紀後半にこの地に存在した二つの城砦のうちのひとつがあって、当時から現在までずっとクニッゲ家の所有です。しかしながら、その城砦は15世紀の前半に、当時の当主とハノーファー市の取り決めにより、取り壊されてしまいました。なぜなら、城砦が好戦的な騎士たちを惹きつけて彼らのたまり場になっていることに市民が恐れを抱いたからです。そしてその跡地に水城が建設され、その後、18世紀の前半に領主であるクニッゲ家の館がバロック様式で建てられました。同時に農場と、やはりバロック様式の庭園が設備されたのですが、城館の裏に広がる庭園は見ることが出来ませんでした。
農場の入り口 ・ 農場の中
外から見た農場
こんにちの農場は20世紀の初め頃整備され、同世紀の後半に建物の3分の2が火災で破壊されました。それにより、大規模だった乳牛と羊の飼育をあきらめざるを得なくなって、現在は純粋な農業だけを営んでいます。
レフェステ城館は個人の家なので食事もお茶も提供してくれません。(当たり前です!!) それに加え、前述のようにこの国は現在完全なロックダウン中なので、飲食が出来るのは私たちの 〈お城〉 だけです。
妻がよく作ってくれる食事の一部を見てみましょう。
ロートバルシュの酒蒸しゴマ油かけ
この料理の作り方ですが、〈メトロ〉 という自営業者専用のスーパーで買ってきたロートバルシュ (メバルの一種) を酒蒸しします。そして生ネギを刻んで載せて、塩とコショウで味を調えます。最後に熱々のゴマ油をジュッとかけるのです。ゴマ油のおかげで中華風味になって美味しい。私は少しだけ醤油をかけます。食器は沖縄で買った壺屋焼です。
オヒョウの煮付け
オヒョウは普通の仕方で煮付けるのが私たちの口にいち番合います。土鍋は妻の作です。
イワシのみりん干
以前は妻が自分でイワシの下処理をしていましたが、最近、すでに下処理が済んでいる冷凍イワシを見つけました。それを解凍し、水気をしっかりふき取り、醤油とみりんと酒と砂糖およびショウガに1日漬けました。そしてベランダで2日ぐらい干して卓上で焼いたのです。熱々のものを美味しくいただきました。
鶏のトマト煮
〈鶏のトマト煮〉 では、鶏の骨付き腿、炒めた玉葱、トウモロコシ、ポロネギを妻の自作の土鍋に入れました。塩とコショウを振って月桂樹の葉っぱで香り付け。そしてトマトは新鮮な生ではなくて水煮缶詰めトマトを使いました。長い間、缶詰食品は新鮮なものに比べて味も質も落ちると思っていましたが、そんなことはないようですね。なぜなら、野菜にしろ果物にしろ、たくさんとれて値段が安い旬の時期に缶詰めにするので、季節外れの新鮮食品より風味があるようです。食材を入れた土鍋に蓋をしてオーヴンに入れ、150度で2時間ぐらい熱します。このような土鍋とそれを使った料理を当地では 〈ロェーマー・トップ〉、すなわち 〈ローマ鍋〉 といいます。トマトを使ったのでイタリア料理の雰囲気が出ました。寒い冬に最適な料理です。
[2021年1月]