お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

シュタウフェンベルク城砦

2022年02月19日 | 旅行

私が昔学生時代を過ごしたマールブルクから 20 km ほど南に下がったシュタウフェンベルク町の高台に立つ同じ名前の城砦は、タイプとしては日本でいう山城にあたり、1233年に初めて文書に記述されている。当時は単なる国境防衛施設であったらしい。上城と下城が130年ほどの間隔をおいて建造されたが、その後の戦争で壊されたのは、城の所有者が負けたほうの軍に属していたからである。15世紀に所有者が代わり、改築と補強が施されたにもかかわらず、17世紀の中頃の30年戦争でまたもや破壊されてしまった。その後再建されることなく次第に腐朽倒壊していき、採石場となった。

シュタウフェンベルク町の „故郷を守る会” が2002年から管理している上城の廃墟には本丸と城壁が部分的に残っているが、かなりの規模の城砦であったことがうかがえる。地面は短く刈った草地で、その緑と城壁の荒々しい岩肌のコントラストが眼に鮮やかである。らせん階段で登る城塔の上からの360度の景色が素晴らしい。丘状の起伏がどこまでも続き、近くの2、3の丘には別の城砦の塔が見える。敵の軍隊が近づくのを早く見つけるのに最適であっただろう。塔の上に長く居ても飽きることがない。私は中世に生きていたとしたら志願して見張り兵になったであろう。しかし30年戦争ではドイツのいたるところが激戦地になって、人口が半分になったやら三分の一になったやら言われているので、私は生き延びていなかったかもしれない。

 

上城の廃墟 1 & 2 

城砦の下城の方は、19世紀に当時ギーセン大学で勉強していたフォン・ヘッセン−ダルムシュタット家の二人の王子が取得して宮殿風に改築させた。1925年に当時のヘッセン国の所有となり、第二次大戦後は引揚者や避難民の宿舎となった。そして2001年にドクター・ローベック・企業グループの所有となって改築と修復を経た後、2002年から4星ホテルになっている。現代風に修復改装したにもかかわらず伝統的な昔の雰囲気は侵害されていない、とされている。

〈ドクター・ローベック – プライベート・ホテルズ株式会社〉 には9軒のホテルが属しているが、そのうちの一つである。ドクター・ロルフ・ローベックという人は企業家であり著述家であるらしい。

 

下城 の外観 1 & 2 

 

 

下城の城門 1 & 2 

 

 

下城の城門の内側 ・ ホテルの入り口

キチンと制服を着た訓練が行き届いていそうな明るい女性が、少し込み入った内部の説明をしながら部屋まで案内してくれる。気持ちが良い客扱いだ。

建物の外観と城壁はオリジナルに近いのだろうが、内部は非常にモダンで完全な現代風ホテルである。それでも廊下やロビーには鎧などの装飾品を陳列している。

  

ロビー ・ ロビーの一角

私の部屋は建て増しの部分だ。シングル・ルームだが狭苦しさは感じないくらいの広さがある。天井は白、壁はベージュ色、敷き詰められた絨毯は灰色がかった青色で、照明器具の傘はベージュと赤色を使っていて、茶色系の現代風家具を使いやすく、日本のホテルにもあるように配置している。簡易天蓋を持つシングルベッドだけが城砦ホテルの雰囲気を感じさせる。清潔なバスルームには窓はないが、空気のこもった悪臭はない。ごく普通の化粧備品があり、シャワーのキャビンが広い上、シャワーの直径が大きくてお湯が溢れるように出る。快適な使い勝手の良いシングル・ルームである。電動のよろい戸が付いている床まである窓からは、なだらかなラーン谷と近隣の村を見渡せる。

  

私の部屋 1 & 2 

テレビのプログラム冊子の 〈今日〉 のところを開いてくれているが、これは4星を標榜するホテルの義務だそうだ。星の基準というのは世界各国まちまちで、星ナシから5星まである 〈ドイツ・ホテル格付け協会〉  の基準が、やっとドイツ国内のホテルに関しては統一されつつあるらしい。しかしその基準には従業員の専門性、技量、愛想のよさ、そして優しさなどは含まれない。客としてはこっちのほうが大事な気もするが、それらは客観的に評価できないからだろうか。

夕食は中世の香りいっぱいの 〈騎士の地下酒場〉 というレストランでとる。天井も壁も積み上げた石が丸出しで目の粗いセメントで補強しているが、浅いアーチ型の天井から石が落ちてこないか心配になりそうだ。その天井から古い車輪風の蜀台が釣り下がる。もちろんロウソクではなくて電気に替えてある。古めかしい暖炉があり、鎧やかたぴらや槍などの武器の装飾品を並べている。広いテラスからは私の部屋からと同様に、なだらかなラーン谷と近隣の村を見渡せる。テーブルは花とロウソクで飾られ、BGMはオペラのアリアとクラッシックのピアノ曲。快活な少し雑な感じがする給仕のおじさんの仕事が速い。暖かい4種類のパンがすぐに出てくる。薬草入りのバターと食べると美味しい。メニューには無いが、ワインを100mlだけ特別に注文せさてもらう。

 

レストラン 1 & 2 

レストラン 3

前菜は 〈城砦ガーデンサラダ〉 で、パリパリのパン屑が少しのっている。いかにもその辺の畑から取ってきた様な野菜のミックスサラダである。薄味のフレンチソースが少量かかっていて、この国のレストランでよくあるどぎつい酸っぱさがなくてよろしい。

メインディッシュとして 〈田舎風騎士鍋〉 という料理を注文した。細切りの豚と牛肉・マッシュルーム・ピーマン・ズッキーニ・ジャガイモのごった煮である。スプーンが付いてきたところをみると、下にたまった茶色の煮汁と一緒に食べるようだ。上にルッコラ・サラダがたっぷりかかっている。いかにも騎士が使いそうな焼きのあまい赤茶色の深皿で供された。煮汁の濃い色に似合わず控えめな醤油味に近い味で私の口に合う。壁や天井を見渡しながら中世の騎士がこうしたものを食べたのだと思うと、その雰囲気に没入してしまう。 ここはグルメレストランではないので突き出しも出ないし、最後のエスプレッソにプラリーネ(中にクリーム・ナッツ・ブランディーなどを入れたチョコレートボンボン)が付いて来ない。繊細な料理ではないが、それなりに美味しく食せた。

朝食は城塔にある部屋でとる。こじんまりとしたモダンな明るい部屋で、城塔にしては思ったより広い。暖かいソーセージや卵を含め、割と良い品質で必要なものはすべてある。4星レベルに合致する朝食なのだろう。客が少ないからかレセプション係の女性が給仕もする。昨日とは違う人だがやはり快活でしっかりしているし、特に、仕事を楽しんでいる印象を与えるのは非常に良いと思う。テーブルに 〈朝の便り〉 があって、今日の天気、ニュース、お知らせなどの他、ローベック氏の5冊目の本(自伝)と 〈週末お得プラン〉 などの宣伝文がみられる。

 

朝食部屋

2日目の夕食は、昨晩給仕のおじさんに 〈キャンドルナイト・ディナー〉 というコースメニューにすることを言ってあったので、そのように私のテーブルをセットしてある。ローソクの明かり4つ(昨晩は1つ)、ツタと赤い花の造花、藁で作ったボール状の装飾物、そして赤いハートの置物2つでテーブルを飾ってある。今日は昨日のおじさんの他にきびきびしていて愛想の良い若い女性もいて、二人ともよく気がつくサーヴィスをしてくれる。

一皿目は子牛のフィレのカルパッチョ。バルサミコ主体のドレッシングがかかり、上にサッと炒った松の実とパルメザンチーズを散らしてある。さらにルッコラ・サラダとトマトとキュウリが少し上にのる。カルパッチョをどうやってこんなに上手く切ったのだろう。極薄なのに凍らせて切った痕跡が認められない。バルサミコの味が控えめで軽く、美味しく食べられた。

魚料理はフライパンで焼いたドラーデ(鯛に似た海魚)のサフラン・リゾットと緑色アスパラガスの先端添え、だ。ドラーデの薬味としてローズマリーを使っていて、表面をカラッと焼いている。薄めたコンデンスミルクを皿上に流していて、エッと思ったが、魚に振った塩の辛さとこれの甘さがうまい具合に混ざり合って旨い。

肉料理はバラ色に焼いた鴨の胸肉の下に黒レンズ豆を敷いて、ポテト・甘レモン・ピューレを添えている。煮たサヤエンドウと人参と緑アスパラの茎も少し皿にのっている。肉の焼き具合がいいし、豆がよく合う。マッシュポテトにリメッテ(甘レモン)の汁をたらしているのはフレッシュで、結構意外性を感じる味だ。こげ茶色のソースも辛くなくて旨い。皿を下げる時にいつも美味しかったかどうか訊かれるのであるが、前菜に 〈大変結構〉、魚料理に 〈美味しい〉 と答え、この肉料理には 〈素晴らしく美味〉 という評価を与えた。

そして 〈よろしい〉 と答えたデザートは、自家製のマンゴ・ムースとココナッツ果汁のシャーベットとパッションフルーツ。これはチョコレート味がないのが良かった。チョコレート味は重いから、私はデザートとして食べるのはあまり好まない。

最後はいつものようにエスプレッソで締めくくった。

全体的に量が少なめで薄味で美味しい料理を供する。別にミシュランの星が付いているわけでもなくホテルのパンフレットでグルメを強調しているわけではないが、盛り付けにも気を配っていて、大変良いレストランだと思う。

ここは中世の雰囲気を味わえるし、住み心地もいい。また泊まっても良いと思わせるホテルである。自宅からもっと近いところにも同じ系列の城砦ホテルがあるので、今度はそちらにしてみようかな?!

「チェックアウトをお願いします。」

「満足のいく滞在でしたか。」

「、、、、、うーん、、、、ひとつの点だけ除いて大変結構でした。」

レセプションの女性の顔が険しくなる。

「その点とはいったいなんですか。」

「工事の音です。昨日の午後5時半まで一日中、ドリルで穴を開けるような音が断続的にずっと聞こえて不快でした。」

「ああ、それは上の階でバスルームの工事をしている音です。来週には終わります。」

このような状況で例えば「お気の毒に。」とか、「ごめんなさい。」といった言葉を口にしないのは、若いドイツ人の典型的な反応である。自身の責任ではないことに関しては謝らないのだ。年配の人(すべてではないが、、、)や自分の立場(客商売)を認識している人だったら、「エス・ツーツ・ミア・ライト (お気の毒に)」と言ったであろう。しかし、この言葉は 〈謝罪〉 ではなく、〈同情します〉 と言っているだけである。『謝ったら何を要求されるか分からない。』と無意識に警戒するドイツ人が多いらしく、このような場合に謝罪の言葉はまず聞かれない。ドイツはすぐに謝る日本人には „危険?“ な社会である。

 

〔2012年7月〕〔2022年2月 加筆・修正〕

 

 


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