お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ウィルヘルムスホェーエ宮殿

2022年12月31日 | 旅行

ドイツ連邦共和国のほぼ真ん中に位置するカッセルという都市の一部にバード・ウィルヘルムスホェーエという地域があります。この地の山公園が2013年にユネスコの世界遺産に登録され、公園のハイライトがウィルヘルムスホェーエ宮殿(ウィルヘルムの高台宮殿)です。

現在宮殿があるところには12世紀以降修道院がありましたが、17世紀のはじめに狩猟用の大規模な城が築かれて修道院はなくなりました。現存の宮殿は18世紀の末ごろに懐古主義のスタイルで建てられました。余談ですが、19世紀の初めごろ、ナポレオン軍に占領されていた間、この地域はナポレオンスホェーエと改名されていたそうです。19世紀から20世紀にかけて、この宮殿にはウィルヘルム皇帝の家族がいつも夏に滞在していました。英国空軍による第2次大戦終戦間際の爆撃で部分的に破壊されたあと放置され、1961年からやっと宮殿の再建が始まったようです。現在は博物館として利用されています。

  

宮殿 ・ 付属の植物園

 

山公園の一角

宮殿の真向かいの山頂にはヘラクレス記念碑が立っています。

  

山公園の一角宮殿の真向かい ・ ヘラクレス記念碑

宮殿の隣に〈宮殿ホテル〉があります。

 

宮殿ホテル

ホテルのレストランで昼食をとりました。

前菜は季節の野菜と海老が入ったクリーム。わりと美味しいのですが濃厚すぎるので煮詰まっているのかと思いきや、そうでもありません。メニューをよく見ると、クリーム・スープではなくてクリームと書いています。正しいのですが、私はもう少し水分が多いほうが好きですね。中に入っている海老は新鮮そうですがあまり味を感じません。塩味でもいいから下味をつけていたら良いのに、、、、と思いました。

 

前菜

メインディッシュは焼きグリーン・アスパラガスの、胡麻ポテトとカレー・生クリーム添え。ベジタリアン料理です。醤油味に近い味のソースがかかっているアスパラガスの他に焼きトマトもあり、茹でたジャガイモに少しのソースと白胡麻をふりかけています。硬く茹で上がる種類のポテトを使っていますが、崩れやすいポテトのほうがホクホク感があって美味しいでしょう。薄味のカレークリームはポテトにつけるのでしょうか。上にカレー味のかき餅がのっています。私はカレー味が好きなのでけっこう美味しく食せましたが、珍しい組み合わせでアンバランスな感じが否めないし、この料理の意図するところがつかめませんでした。

 

メインディッシュ

駐車場が満車だったので、数台の車が駐車していた山道の路肩スペースにとめておいたら、ユネスコの世界遺産であるこの山公園は全域駐車禁止であるらしく、罰金約5千円を払わされました。

 

〔2015年10月〕〔2022年12月 加筆・修正〕

 

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デュック城館

2022年12月29日 | 旅行

北西ドイツのライン河流域にある、沢山の邦人が住むことでも有名なデュッセルドルフから南西に25㎞離れてデュック城館が建っているのですが、これはこの地方で最も重要な堀のある城のひとつです。

 

お城の入り口への道 ・ お城の入り口

この要塞に関する記述が初めて現れるのは、11世紀末の古文書だそうです。14世紀の後半に近隣の貴族たちの争いに巻き込まれて破壊されましたが、10年後に再建されました。そして17世紀中頃、要塞が城館風に改築されたのです。それに続いて18世紀にはバロック様式への改築と拡張がなされ、19世紀の末頃には南翼棟が再設計されました。しかし、この南翼棟は1945年に爆弾によって深刻な被害を受けたそうです。そして第二次世界大戦後、デュック城館は1961年に復元されました。その機会に、18世紀に織られた中国の絹の壁紙が部屋のひとつに適用され、その図柄は中国の職人や農民の日常のシーンを示しているとのことです。20世紀の終わりに、相続人である女性がお城と庭園を庭園芸術と景観文化の中心地としてデュック城館財団に寄贈しました。

 

お城 1 &

 

お城 3 &

 

お城 5 &

デュック城館に関して、歴史的な観点から2つの点が注目に値します。 ひとつは、お城は900年以上にわたってザルム・ライフェルシャイト・デュック家が所有していて、20世紀末に財団が設立され、庭園芸術と景観文化の中心地となった事です。もうひとつは、ケルン、ユーリッヒ、ゲルデルンという権力の中心が居並ぶ中において、数世紀にわたって自治を維持することが出来た事です。

こんにち、城館の施設は堀に囲まれており、その周りは広大な英国風の風景公園です。デュック城館とその周辺では、ほぼ一年中数多くのイベントが開催されています。例えば毎年恒例の「イルミナ」で、宮殿と公園がライトショーと雰囲気のある音楽で満たされます。さらに芸術作品の展覧会もしばしば開催されるのです。

私は古城を訪れるときは何時も、古色蒼然とした雰囲気の建造物を期待しています。

 

果物 & 植物店 ・ 入り口の建物

 

お土産店

ところが、デュック城館に近づいて行くとまずガラス張りの大きな店があります。お城に属する農場かどうかは知りませんが、近くの農場で栽培した果物や植物などを販売しています。さらに奥に進むとこれまたガラス張りの建物があり、ここで入場料を徴収されるのですが、中に入るとまず絵葉書や城館の写真集やお城ゆかりのお土産品などの売店があります。古城を見学に来たのかレジャー施設に来たのか判らなくなりそうでした。

 

庭園の一部 ・ 城館の中庭

そして庭園の一部を見ながら少し歩いてお城の建物に到達します。かなり広く、城塞風の建造物を見ながら歩いて行くと一番奥の城館の中庭に出ます。シーズンオフだからでしょうか、内部の見学は出来ません。

さて、前述の風景公園は18世紀の末頃にそれまでのバロック様式の庭園が放棄され、ザルム・ライフェルシャイト・デュック家のヨセフ王子の下で英国風のスタイルで設計されました。王子自身が植物学者であり、特に公園や複合施設の庭園で栽培されているすべての植物に関する書籍の著者でもありました。彼はまた、主に植物学の本を所蔵する城内図書館を設立したのです。ドイツ記念碑保護財団は、「非常に多くの貴重な樹木や植物の希少性」を理由に庭園と風景公園を高く評価しています。20世紀の末以来、城館は財団によって管理されています。

 

公園から見た城館 1 &

 

公園から見た城館 3 ・ 公園内の橋

2002年、デュック城館はノルトライン-ヴェストファーレン州の分散型ガーデンショーの際にその中心でした。私が通過してきたガラス張りの建物はこの時に造られたのでしょう。ガーデンショーの目的は、24ヘクタールのかつての耕作地に統合公園を作成することによって、敬意を持って扱うべき既存の構造及び用途を公園としての新しい用途と融合させることでした。

 

枯山水 ・ その横の竹林

このイベントでは、敷地内にさまざまなテーマガーデンが造園されたのですが、中でも枯山水が造られ、その横に竹林があるのに驚きました。自然の竹林はドイツにはないのです。

 

レストランの外観 ・ その内部

昼食を、お城の建物のひとつにあるレストランで食べました。現代的なビストロ風の店です。

まず、栗クリームスープを食べました。少々煮詰まっていましたが、栗の味はしました。

 

栗クリームスープ ・ ヴィテッロ・トンナート

次の料理はヴィテッロ・トンナート(Vitello tonnato)というイタリア料理です。仔牛肉の薄切りとサラダ菜にツナソース (ツナ、アンチョビ、ケッパー、サワークリーム等をすり潰したソース) をかけてトマトとケッパーを添えています。イタリアレストランで前菜として供される料理です。軽くて、美味しくいただきました。

 

ヴァイツェンビール

飲み物はアルコールフリーのヴァイツェンビールでしたが、寒くなったのでビールを飲むのもそろそろ終わりかな、と思った次第です。

 

〔2022年12月〕

 

 

 

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ハーゼンベルク城

2022年12月23日 | 旅行

〈ハーゼンベルク〉とは〈ノウサギの山〉という意味ですが、ここラインガウ地方の丘陵地帯にノウサギが多いかどうかわかりません。ラインワインの有名な産地なので、ブドウ畑が多いのは確かです。

  

ブドウ

ハーゼンベルク城は1824年にブドウ畑の中に完成したのですが、1871年までの間に11回も所有者が代わるも全く利用されず、廃墟となっていました。そして12番目の所有者が現在の姿に再建し、1930年まで住んでワイン販売とホテル・レストランを経営しました。その次の所有者も城をそのように利用していましたが、第2次世界大戦後にドイツ国が買い取って防災学校として使い、次に所有したヘッセン州は消防学校にしました。ヘッセン州は2000年に消防学校を閉めて、日本の高校生とほぼ同年代の生徒のための学校を設立すべく大改増築を行い、2003年に〈ハーゼンベルク城〉という名前の全く新しい全寮制の学校が開校したとのことです。

お城と学校と寄宿舎は、それ程広くない林のような敷地に建っています。

  

学校の門 ・ 学校の敷地内

城の建物は図書館と多目的ホールとして使われています。

 

校内から見た城 ・ ワイン畑から見た城

この素晴らしい環境の州立学校の目的は、やる気に満ちた才能のある良家の子弟を支援することだそうです。公立の学校がいわゆる〈エリート〉を選抜して教育することに激しい反対もあったようですが、〈我々はエリートを育てるのではなく、良い生徒を支援するのだ。〉という、何だかわからない論理で開校したそうです。私の知る限り、学力だけで選抜される日本の〈全寮制エリート高校〉とは少し違うようです。なんでも、3段階のきびしい選抜試験に受かった生徒を毎年約65人入学させ、全校で約190人で男女比はほぼ1:1だとのことです。授業料や生活費など全て込みで約5万円の月謝です。これが高いかどうか私にはわかりませんが、私立の同じような学校の月謝は15万円から20万円だそうです。ヘッセン州の子供がほとんどで1割ぐらいが他の州から来ているそうですが、イスラムやアジア系の子供も何人かいます。私が接触したのは校長と物理教師と2人の歴史教師の4人ですが、そのうちの3人は博士号を持っている程、優秀な教師が多い学校のようです。

さて、なぜ私はこの学校に来たのでしょう。

今年 (2015年時) は第2次世界大戦終結70周年ということで、ドイツの敗戦前後、そして大東亜戦争(太平洋戦争)での日本の敗戦前後の歴史を集中して勉強しようという催しがあり、私に、広島と長崎の原爆についての講演依頼が来たのです。他にもいろいろ講演やセミナーがあったのですが、30人くらいの生徒と3人の教師が私の講演を真剣に聞いてくれました。子供たちが教室に私の来校を歓迎する手書きのポスターを張ってくれたり、ワインをプレゼントしてくれたりしました。

 

プレゼントのワイン

そのあと3人の教師と学生食堂に行きました。生徒たちの長い列が出来ていたのですが、教師とゲストは割り込んで良いということになっているそうで、列の先頭に立ちました。日本だと、生徒たちの人権が、、、、、、などと問題になるのでは? と思いました。

カウンターの向こうにおばさんが居て、数種類の料理から欲しいものを皿に入れてもらうシステムです。私は少量のスパゲッティにトマト系のソースをかけてもらい、肉団子と茹で野菜をよそってもらいました。サラダとデザート果物はすでに小皿に入っています。各種飲み物が器械から出るようになっていました。

 

学生食堂の昼食

えっ? 味ですか? 珍しい味でした。

(ものの本によりますと、〈まずい〉という言葉は昔は関東地方の方言だったようです。一方、けなし言葉の少ない京都や大阪の言葉では、美味しくないときは〈珍しい味〉などと言ったとのことです。)

 

〔2015年10月〕〔2022年12月 加筆・修正〕

 

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田舎の農園ホテル・ホェーネ

2022年12月18日 | 旅行

数千年前にネアンデルタール人が住んでいたネアンデルタール (ネアンデル谷) にメットマンという小さな町があり、そこに面白いホテルを見つけたので、隣接するデュッセルドルフで講演をするのを機に泊まってみました。「田舎の農園ホテル・ホェーネ」という名前が示すように、原型は18世紀半ばに建てられた農場です。この地域は旅人や商人が行き交う交易路上にあったので、ある時小さな旅館が建てられました。

 

ホテルの外観 1 &

 

ホテルの外観 3 &

その旅館と農場をロイチャー家が1970年に入手して現在まで所有しているのですが、全施設が融合、拡張、そして改装されたのがこんにちの農園ホテルです。建設工事の際は、改築のために壊されたこの地域の古い家屋の壁や塀の石を集めて再利用したそうです。現在3代目の経営陣ファミリーだそうで、その当主の創造的な意欲により、人の目を引くホテルになっています。例えば塔らしき物も立っていて、何となくお城に似せて設計したようです。

 

ホテルの外観 5 &

   

ホテルの外観 7 &

一部は軽い斜面になっている広大な敷地にはホテルとレストランの他、ウェルネスやスポーツの為の施設も充実していて、長く滞在して休暇や余暇を過ごすのに適したスパリゾートです。

 

屋内プール ・ 全敷地の図 (パンフレットより)

さらに、田舎の農園ホテル・ホェーネは気候中立なオーガニックホテル、 通称「ビオホテル」なのです。ビオホテルとは、〈世界で唯一、宿泊するお客さまの健康と環境への配慮に関する厳しい基準を規約とするビオホテル協会の認証を受けた宿泊施設。 ドイツ・オーストリアを中心にヨーロッパで、約100軒のビオホテルが稼働しています。〉(グーグル検索による) とのことです。

 

ロビー ・ 廊下

ロビーには至る所に、昔農場で使っていた古い器具を利用した装飾を施してあります。少々事務的なお姉さんが、迷路みたいな建物の中を部屋まで案内してくれます。レンガむき出しの一角もある私の部屋は雰囲気が良くて結構落ち着きますが、暖房を節約しているのでしょうか、少々寒いのです。ダブルルームなので洗面台が二つ並んでいるし、シャワーとバスタブもあります。洗面室とトイレが別室なのは、この国では珍しいことです。今は寒くて使えませんが、笹に囲まれたテラスが付いています。冷蔵庫の中の無料の飲み物はもちろん全てオーガニック製品です。

 

私の部屋 ・ テラス

さて、このホテルに興味を持った訳はお城に似た外観であるということだけではなくて、レストランで寿司も供することです。

夕食時にレストランに行ってみると、そこはだだっ広いホールのような空間で、西洋料理のビュッフェ形式に加え、一部実演によって温かい料理も食べさせる、といったシステムです。寿司のビュッフェは小さな巻物だけのようです。全体的に雑然とした雰囲気で、スタッフはチョロチョロ動き回って料理を運んだりテーブルを片付けたりするだけ。それぞれの客に心を込めて給仕しているという感じはまったくありません。

 

レストランの寿司を供する一角

私はビュッフェの料理は無視して、ノンアルコールのヴァイツェンビールを頼んだ後、アラカルトで味噌汁と鶏の唐揚げ、そして寿司の大きな盛り合わせを注文しようとしました。すると、私のテーブルのすぐ近くで仕事をしていてそれを聞いていた邦人の寿司職人がとんで来ました。そして言うには、「オーガニックの魚はほとんどないからその古いメニューに載っている盛り合わせは出来ない。日本人の客には前もって説明している。」とのこと。それで〈おまかせ〉で握ってもらいました。

 

ビール ・ 鶏の唐揚げ

 

味噌汁 ・ 〈おまかせ〉寿司

前述のようにここはビオホテルなので、供される飲食物はほぼ全てオーガニックの物だけです。ビールは柔らかくてコクがあって旨く、衣の味付けが薄い唐揚げはレモンとマヨネーズで食べます。赤だし汁のような味噌汁は味が濃すぎて不味い。〈おまかせ〉寿司は握りと刺身がサーモンとマグロだけで、それにアボカドの小巻物と卵焼きが付いています。マグロとサーモンは刺身も握りも美味しくありません。アボカド巻きはそれなりの味がして、卵焼きは少し甘すぎます。すし飯はまあまあですかね。日本人の寿司職人なので大いに期待していましたが、外れました。このホテルのレストランの寿司を含む日本料理のレベルは、他のアジア人が営んでいる町の〈和食?レストラン〉並みであると分かりました。

 

朝食場 1 &

朝食は別の、これまた大きなホールでとります。もちろんオーガニックの食品ばかりです。発泡ワインも提供する割と豪華な朝食なので、食に関しては特に小言を言うことはありません。

 

オレンジジュースとミルクコーヒー

、、、が、数人のドイツ人ビジネスマンと少しの中高年カップルの一般客に混ざって、中年の英語族ビジネスマンたちのグループが近くに居ます。時間の経過とともに加わる人も去る人もいるので正確な人数は分かりませんが、10数人は居そうです。このホテルで会議でもあったのでしょうか。引退する前の仕事で英語が必要だった私は、当時を思い出して何となく落ち着かなかったのです。

 

朝食の一部 1 &

この「田舎の農園ホテル・ホェーネ」で全部のスタッフに言えることは、みんな明るくて好感が持てるということです。しかしながら、ホテル全体として繊細さがないし高級感がない。客がどーっとやって来てビュッフェに群がる、といった感じなのです。加えて、オーガニックにこだわっていることと夕食のビュッフェ形式がネガティブに働いているのではないか、と思います。ここにはもう来ません。この後大勢の邦人が住むデュセルドルフにも宿泊するので、寿司に関して期待が高まります。

 

〔2022年12月〕

 

 

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ヨハンニスベルク城

2022年12月14日 | 旅行

フランクフルト アム マインから西に位置する、海抜114 mから182 mの間に広がるラインガウ地方は、リースリングという種類のブドウだけが栽培され、最も良いラインワインの産地と言われています。だからでしょうか、このあたりにはお城と修道院がたくさんあります。そのうちのひとつであるシュバルツェンシュタイン城については、以前(2021年5月 加筆・修正)報告しました。

 

シュバルツェンシュタイン城

今回訪れたヨハンニスベルク城はホテルではなくて伝統的なぶどう園です。この地でワインがつくられ始めたのは8世紀の末ごろで、12世紀に修道院が建てられましたが、だんだんと落ちぶれていって16世紀半ばには廃墟になり、17世紀の30年戦争で完全に破壊されました。18世紀の初期にバロック風の城を模した建物が建造され、それがこんにちのヨハンニスベルク城なのです。その数年後にはワインの貯蔵用に260 mもの長さをもつ堂々とした丸天井の地下室が完成しました。第1次世界大戦以前のワインリストを見るとヨハンニスベルク城のワインはヨーロッパで最も高値で希求されていたことがわかり、最も良質のボルドーワインよりも高価だったとのことです。第2次大戦時に英国軍の空爆で城が壊され、その再建に10年近くかかりました。所有者の未亡人が2006年までこの城に住み、コンサートなどの催し物を行っていたそうです。

  

お城への道 ・ お城からライン河を望む

ライン河を見下ろす斜面の頂上に建つお城は左右対称でたいへん立派ですが、残念ながら中には入れません。広い敷地に母屋と付属の建物がいくつかあり、その中の2棟がワインショップとレストランです。

  

入り口 ・ お城

  

ブドウ ・ 昔のブドウ絞り器

  

敷地内の建物 1 & 2 

現在、ヨハンニスベルク城とぶどう園は毎年13万人もの訪問者がある観光地になっています。

レストランのテラスで昼食をとりました。ガラス張りの天井と、天気と気温によって取り外しが出来るガラスの壁に囲まれた空間です。

  

レストラン ・ レストランからの景色

私はブドウジュースをミネラルウォーターで割ったトラウベンザフト・ショルレを頼みましたが、隣のテーブルの客がビールを注文しようとしていました。そのときのウェイトレスの受け答えを聞いて私はびっくりしました。なんと、他の飲み物は全部あるけれどビールだけは置いていないとのことです。おそらくワインの売り上げを伸ばそうという魂胆なのでしょうが、このドイツでビールを置いていないレストランなんて初めてです。

さて、食したのは自家製のザウアー・ブラーテン(いろいろな香辛料と一緒に酢または赤ワインに数日漬けておいて蒸した牛肉)です。上にブドウとアーモンドを散らしています。これはドイツの伝統料理で、各地方ごとにヴァリエーションがあるのです。肉が箸でも切れそうなくらいにやわらかくなっています。酸っぱい = ザウアーという文字が付いた料理なのに、ほのかに酸っぱいだけで大変に旨い。ブドウを使っているのは納得できますね。付け合せはシュペッツレ(塩ゆでした小麦のヌードル)です。それ自体の味は弱く、私はあまり好きではないのですが、この料理によく合っていると思います。別の容器に入っているのは赤キャベツの煮たのんで、これもうっすらと甘酸っぱくて美味しいのです。

 

ザウアー・ブラーテン with シュペッツレ

ドイツ料理には珍しく、甘さにしても酸っぱさにしてもえげつなさがなくてホワホワッというかホンワリというか、そんな味付けでたいへん結構でした。

 

〔2015年10月〕〔2022年12月 加筆・修正〕

 

 

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