お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

へーレン水城

2020年04月27日 | 旅行

チャイナウィルス-19による武漢肺炎の拡大が落ち着きを見せ、終息へ向かう一縷の希望が見えてきたドイツです。しかしながら、4月26日現在、面積800平方メートル以上の大型店舗は休業、ホテルもレストランも喫茶店も休業、学校は閉鎖、2メートルの間合いを取ることとマスクの着用が義務 (罰則あり)、個人旅行の禁止、、、、、といった状況です。

風がまだ冷たい日もありますが、晴天が続く今日この頃、車で1時間ちょっとのヴェーザー川に行きました。その川沿いには、周りをお堀で囲まれた小さな水城があるのです。このへーレン水城は男爵であり軍人でもあった人物が、16世紀後半、別居していた妻の為に建てたお城です。この地方で花咲いたヴェーザー・ルネッサンス様式で最も早い時期に建てられた城館のうちのひとつだそうです。19世紀の後半に改築が行われ、1956年までその男爵の子孫が所有していました。その後ハノーファー市の起業家に所有権が移り、こんにちまで続いています。

入り口 ・ 右の門柱 

 

左の門柱 ・ 敷地内

この4角形のお城は中庭を囲んでいる3階建ての建物です。南東と北西の位置には丸屋根を持つ円形の塔が立っています。建物の東には庭園が広がっていて、南側と西側には昔の大農園の面影を残す、お城と同時期に建てられた石造りの納屋が並んでいるのです。その納屋の一部は現在レストラン・カフェになっています。

 

正面 ・ 納屋

以前来たときは敷地内に入れたのですが、今日は例の伝染病のせいで封鎖されています。付属のレストラン・カフェももちろん閉まっています。建物に近付けないので、門の辺りからの見学と、ヴェーザー川を渡って対岸からの遠望しか出来ません。

 

ヴェーザー川の対岸から

お城を見たあとで山歩きをしました。昼食は、前述のようにレストランもカフェも閉まっているので、妻の手作り弁当です。

 

お握り ・ おかず

お握りには昆布、おかか、梅干しが入っています。おかずはサバの味噌煮、キャベツの甘酢漬け、ビーツ、根菜のきんぴらです。晴天の下、新緑の中で特に美味しくいただきました。飲み物は水出しの麦茶です。

帰りに菓子パンを買って、自宅で喫茶をしました。〈カタツムリ〉という名の渦巻きレーズン入り、〈豚の耳〉のチョコレート付き、そして名前を知らない菓子です。見苦しいほど大きいのもあって一度には食べきれず、2日に分けました。皿は妻の作品です。サクランボ・ヨーグルトも次の日でした。

 

〈カタツムリ〉直径15㎝ ・〈豚の耳〉直径17㎝

 

名前を知らない菓子 直径12㎝ ・ ヨーグルト

何はともあれ、武漢肺炎の早期収束を願う毎日です。

 

[2020年4月]

 

 

 

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シュリュッセルブルク城塞

2020年04月08日 | 旅行

当地では、蔓延するチャイナ肺炎19のせいで今だに厳しい外出規制がかけられていますが、天気が良いので、人がほとんどいないと思われるド田舎の村に弁当を持って散歩に行きました。

 

村のメインストリート ・ 通り沿いの教会

 

すし太郎 ・ おかず

弁当はたいへん使い勝手の良い 〈すし太郎〉 で、上に海苔を散らしました。おかずはブロッコリーとパプリカの煮ものと卵焼きです。天気は良かったのですがまだ冷たい風が強くて、車の中で食べざるを得ませんでした。

ハノーファーから車で1時間ちょっとのその村には小さな城塞があります。シュリュッセルブルク城塞というのですが、シュリュッセルとは鍵という意味なので鍵城塞という名前になります。なぜなら、このお城は14世紀の前半に、あるカトリックの司教によって建てられ、司教区のワッペンのシンボルが鍵だったからです。

 

登城路 ・ ワッペン

シュリュッセルブルク城塞は、以前行ったことがありこのブログでも紹介したペータースハーゲン城の出先機関として建造されました。北方からの攻撃に備えての処置だったそうです。ところが15世紀にはその軍事的な存在価値が次第に薄れて行き、30年戦争が終わった後で城塞はシュリュッセルブルク村の役場として使われるようになりました。1846年までその状態が続き、その後1961年まで学校だったそうです。こんにち残っている建物は、最も大きかった16世紀後半のシュリュッセルブルク城塞のごく一部であるとのことです。今は個人所有になっていて、一般の人々には開放されていません。

 

お城の全景 ・ お城の裏側 

城塞は、はっきり言って、汚いみすぼらしい建物です。見栄えのする建築物としての魅力はないし、残念ながらあまり手入れをしていないのではないかと思えます。

ところで、このシュリュッセルブルクの村には中心部から少し離れて穀物倉庫が立ち並ぶ地域があります。この倉庫群ですが、17世紀初頭にはすでに存在していたようです。

 

倉庫群 1

当時人々が村の外に農具や穀物や種を保管しようと考えた訳は、家が立て込んで村が狭くなったこと、何度も繰り返されるヴェーザー川の氾濫による洪水、そして数度の火災だということです。19世紀には穀物の収穫量がどんどん増え、倉庫群は絶え間なく拡張されていきました。1970年代には幾つかの倉庫が老朽化により崩壊する危険もありましたが、その所有者と役所の連携でそれを阻止し、最近の数年を費やして広範囲にわたる修復を施しました。

 

倉庫群 2

元来の構造を維持していて文化遺産として保護されている26棟の倉庫群の一部は、 現在でも使用されています。

 

倉庫群 3 ・ 倉庫群 4

倉庫の木組みの木材はオーク材で、格子形に区切られた部分の充填物は一部、未だにオリジナルの粘土だそうです。

例のチャイナウィルスが広がっているせいで、ドイツ全土のレストランとカフェがまだ営業をしていません。それで、自宅に帰ってからワッフルを焼いて午後のティータイムをしました。生地の水分が少な過ぎたのか、少し硬くなりました。皿は妻の作品、ジャムも妻の手作りです。

 

ワッフル

 

[2020年4月]

 

 

 

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