お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

古代都市遺跡 ミラ

2023年01月29日 | 旅行

こんにちデムレと呼ばれる集落にあるミラは、トルコ共和国のアンタルヤ県リュキア地方にある古代都市の遺跡です。ミラはカトリック教会の聖人ニコラオスの出身であるため、(特に正教会の) 巡礼地として知られています。

 

ローマ劇場 1 &

 

ローマ劇場の一部と墓地 1 &

ミラは古くから、ある程度は重要な町でしたが、特にヘレニズムの時代からはリュキア地方で6つの大きな都市のひとつでした。(解説: ヘレニズム時代とは、紀元前334~紀元前30の約300年間をさします。ギリシア文明とオリエント文明が融合してヘレニズム文明が生まれました。) そして皇帝テオドシウス2世 (西暦408年から450年) の下で、ミラは地方の行政首都および教会の主要都市になって司教が居ました。9世紀の初めに町はアラブ軍によって略奪され、その後その重要性の多くを失ってしまいました。さらにビザンチン皇帝アレクシオス1世コムネノス (1081–1118) の治世中、ミラは一時的にイスラムのセルジューク朝に征服されたのです。

 

かつての建物の一部?

古代都市の遺跡ミラは何世紀にもわたって、近くを流れるデムレ川の泥の下に埋もれていました。19世紀の後半と20世紀の中頃に部分的に発掘されて修復された教会などがありますが、本格的な発掘が始まったのは20世紀の後半になってからです。

 

墓地 1 &

 

墓地 3 & 4 

このミラ遺跡の見所は、ローマ劇場と古代リュキアの岩の墓です。入場口を入ると、目の前にドーンと広がります。まだ全部は発掘されていないのでしょう。それ程広くはありませんが、非常に興味深い景色です。

ミラは我々の宿があるフィニケから、交通量の多い海岸べりの道を約30㎞西に行ったところにあります。あまり遠くないので、宿で3度目の朝食を食べてゆっくりと出かけました。

 

トルコの朝食

基本的には前2回と同様の食品が並びましたが、今回は初めて肉製品 (焼いたソーセージ) が付いています。ドイツのソーセージに比べてグッと味は落ちますが、変化をつける、もしくはアクセントを与える、という意味ではたいへん結構でした。

 

〔2023年1月〕

 

 

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ブラウンシュヴァイガー宮殿

2023年01月26日 | 旅行

「ブラウンシュヴァイガー宮殿」という単語は検索すれば出てきますが、その実体はありません。説明しますね。

ブラウンシュヴァイガー宮殿は1718年から建て始められ、火災や改築を経て1841年に完成しました。さらに1865年に再び火災で破壊されて、再建されたのは1868年です。第一次世界大戦の後、公爵が退位してからこの建造物は宮殿として使われなくなり、国立劇場、自然歴史博物館、そして図書館や州の税務署として利用されてきました。ナチスの時代にはエリート軍人の教育施設になったようです。第二次大戦終戦間近の1944-1945年には、度重なる空襲によって再建不可能なまでに破壊されてしまいました。それでブラウンシュヴァイク市議会は、市民の反対を押し切って1959年に宮殿の廃墟をすべて片付けて公園にしました。そして時が過ぎ、2004年に、ある投資会社がその公園にショッピングモールを建設するという計画を出しましたが、市民は2つの理由を盾に反対しました。ひとつは、周辺の個人経営の店舗にマイナスの影響が出る、という点。もうひとつは、市民の憩いの場として公園をそのままにしておくべきだ、という点です。しかし市議会では宮殿の正面を昔の姿に忠実に再建するという条件のもと、1票の差で可決されたのです。工事は2005年に始まり、2007年には「宮殿広場」という名前の付いた場所にショッピングセンターが完成しました。建物の中には、約150の店舗と飲食店のほかに、市立古文書保管所、市立図書館、文化研究所、宮殿博物館などが入っています。

それで、ブラウンシュヴァイガー宮殿といえるのは正面の容姿だけなのです。

  

ブラウンシュヴァイガー宮殿 1& 2 (内部はショッピングモール)

一方「宮殿」としての中身があるのは、ブラウンシュヴァイガー宮殿から徒歩5分程の歴史的中心部にある、私が泊まった〈ドイツハウス〉というホテルです。文化財保護の対象になっている建物はワイン卸売業者が19世紀の末にこの地に建てて、1919年から3世代にわたる家族経営のホテルです。戦時中に1944年の連合軍による爆撃で一部壊され、1945年から1949年まで英国将校の集会所として接収されていました。その後時代に合わせて改築と改装と設備の現代化と家具の一新を繰り返して、20世紀末には創業100年の記念祝典が催されました。

  

歴史的中心部 ・ ホテル ドイツハウス

  

ホテルのロビー ・ 階段の踊り場

 

客室

ホテルの中には、〈ドイツハウス〉という名前にしっくりこないイタリアレストランが2002年から入ってます。名前は〈アル・デゥオモ(大聖堂)〉です。

 

ホテルのレストラン

古い建物なので天井が高く、少々暗くて重厚な感じがします。昼間なのですいています。愛想の良い、経営者の息子を中心に男性だけがサーヴィスをしています。正式イタリアンのレストランでスパゲッティやピッツァはメニューに載っていませんが、後でその経営者の息子に訊くと「粉物」も注文できるそうです。料理長はこの息子の父親で、イタリアからの移民です。母親はドイツ人で、息子はドイツで生まれ育ったそうです。

さて、前菜は3種類の冷菜盛り合わせです。ひとつは牛フィレ肉のカルパッチョ。下にルッコラのサラダが敷いてあり、上にパルメザンチーズがかかっています。そして自家製のマリネにしたサーモンです。赤コショウを粒のまま散らしています。3つ目は焼いた子牛肉の薄切りで、マグロと白ワインで作ったソースがかかっていてケッパーがのっています。3つとも私の知っている料理ですが、味はそれなりに良いし、いろいろ食べられるのが楽しいのです。特にうれしかったのは、ナスとズッキーニとパプリカの焼いたのんが付いていたことです。

 

前菜

メインディッシュとして、上にイタリア産パルマハムとモツァレラチーズを置いて焼いた豚のフィレ肉を注文しました。ブランディー・クリームソースがかかっています。チーズが溶けてへばりついているのが、何だかゴムのようで難儀でした。モツァレラチーズはやはり生のままトマトと一緒に食すのが好きです。固い肉が3切れもあり、一番大きい1切れを残してしまいました。温めたからか、ソースのブランディーの香りはとんでいるし、クリームはやはり胃に重い。全体的に、まぁふつうの味でしたね。旨かったのは、付け合わせのローズマリーを散らした焼きポテトと新鮮な蒸し野菜でした。

  

メインディッシュ ・ 付け合せ

食後のエスプレッソはさすがイタリアレストラン、美味しかったのです。

このレストランは朝食も供していますが、ごく普通のドイツ風朝食でした。

 

〔2016年3月〕〔2023年1月 加筆・修正〕

 

 

 

 

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古代都市遺跡 リミラ

2023年01月24日 | 旅行

リミラはトルコのリュキア地方南部にたくさんある古代都市遺跡のひとつです。地中海沿岸の私たちの宿泊地である小さな町、フィニケの北東約6kmにあります。この地で人が生活していたことは考古学的発見 (後期幾何学陶器) により紀元前8世紀後半までさかのぼれますが、この古代都市の歴史についてはほとんど知られていません。町の構造と範囲についても確かなことは分からないのです。しかし、リミラは紀元前5世紀のクサンティア王朝の時代に地域の集落の中で重要な位置を占めていたのではないか、と考えられており、さらに東リュキア王朝期に発展して、紀元後4世紀前半にリュキア地方のすべてと北と東の隣接地域を一時的に支配した可能性がある、とされています。高度な技術を持っていた時代にリミラで包括的な建築プログラムが実行され、その過程で25ヘクタールの土地を壁で囲み、真ん中に2つの天守閣のような塔を備えた要塞が建設されたようです。

 

墓地遺跡 1 & 2 

 

墓地遺跡 3 ・ 墓の内部

 

石棺 

リミラの、多数のレリーフとリュキア語で刻まれた碑文が見られる大規模な墓地遺跡は圧巻で、特に印象的なのはアリカンドス渓谷の入り口にあるそびえ立つ岩肌に広がるネクロポリス (巨大な墓地) です。さらに劇場、温泉施設、門、円柱の遺跡は、帝国時代のリムラの繁栄を示しています。司教が居る町であったリムラの地位は、司教の教会や他のキリスト教の祭式館に現れています。

 

劇場 1 & 2 

 

オレンジ畑 ・ オレンジ

さて、遺跡のある場所はオレンジ畑が広がる地域に隣接している荒涼とした所です。ほとんど原形をとどめていない建造物が点在していて、草を食む羊がその間を徘徊しています。比較的保存状態が良い劇場とネクロポリスは、岩肌に灌木が茂る山の斜面とその麓にあり、民家は全くなくて、道路をオレンジを満載したトラックが時々通る以外は時間が止まっているような雰囲気です。見事な墓地遺跡ですが、すべての墓に大きな穴が開いているのは本当に残念です。過去に、墓場泥棒が埋葬品を盗むためにあけた穴です。

 

その他の建造物 1 & 2 

 

 ・ 乾燥茄子

 

弁当 1 & 2 

ところで、我々の宿があるフィニケのスーパーで、中をくり抜いて乾燥させた茄子を見かけたので買ってみました。ひき肉や米とナッツなどを詰めて煮る料理に使うようです。妻は牛のミンチ肉とタマネギと卵を混ぜて詰めて、弁当のおかずにしました。フッと茄子の香りがして結構ですが、皮が意外と硬くて口に残ります。あとは家から持って行ったヒジキ及びレタスとイワシの炒め物です。ご飯には梅干し、昆布、おかか、海苔を載せています。墓地の斜面の岩に腰かけて美味しく食べました。

 

〔2023年1月〕

 

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ベルゲ宮殿

2023年01月21日 | 旅行

東西ドイツ統一の前の1949年 から 1990年まで西ドイツの首都であったボンに行ったついでに、ゲルゼンキルヘンという町にあるベルゲ宮殿に宿泊しました。

この宮殿は、もともとは13世紀にこの地方の防衛のために建造された水城でした。今でも建物は堀で囲まれています。その後16世紀に宮殿に改築され、18世紀には再び改築されて、現在は後期バロック様式の領主の館としての姿を保っています。1900年に貴族であった最後の所有者が亡くなった後、地方自治体がまず借り上げ、四半世紀後には買い取りました。そしてそこに国民保養施設が開設されたのです。ナチズムの時代には国民社会主義ドイツ労働者党 (ナチ党の正式名称) が建物を利用し、大戦後の1950年代と1970年代に、そして21世紀初頭にも町が大規模な改装を行いました。

 

宮殿の正面 ・ その斜め     

 

薬草園  

この、城館内部にあるホテルとレストラン、フランス風庭園、そして複数の湖沼を含む広大な猟獣保護区域は、近隣の住民にとってかけがえのない保養地となっていて、施設全体が1988年に文化財保護の指定を受けたのもうなずけます。

実は今回、月、火、木曜日と連続して講演依頼があり、少しのんびりしようと思って金曜日にここに来たわけです。

宮殿のまわりには湖沼が点在し散歩道が縦横に走る自然が広がっていて、夏でないのが本当に残念です。

 

猟獣保護区域の入り口のひとつ

  

猟獣保護区域内 1 & 2 

フロント係のお姉さんの明るい笑顔に迎えられましたが、ロビーの真ん中にバーがあり色々な商品が入ったショウケースも並んでいて、私の好きな雰囲気ではありません。まあ、ロビーは長居するところではないのでいいですが、、、、。

 

ロビー

客室は広くてモダンな家具を配しています。バスルームの設備も申し分ありません。何だか久しぶりにゆったりした気分になります。窓からの景色が結構ですね。

  

客室 ・ 客室の窓から

レストランは増築されたようで、フランス風庭園に面したガラス張りの縦に長い清潔感あふれる部屋です。残念ながら冬なので庭園に花はありません。イージーリスニングのピアノ曲がほとんど聞こえないくらいの音量で流れ、サーヴィススタッフは明るくきびきびと対応してくれます。金曜日ということもありますが、宿泊客ではない、外から食事に来た客でかなり賑わっています。テーブルサイドで脱いだコートをスタッフがクロークに持って行ってくれるところをみると、この地方ではかなりの高級レストランなのでしょうか。それで料理の写真を撮るのは遠慮しました。

  

レストラン 1 & 2                

 

レストラン 3

まず黒と白のパン、生ハム、バター、オリーヴ、ししとうの酢漬け、薬味入りクリーム、そしてジャムが供され、それをつまみながらノンアルコールのヴァイツェンビール(小麦を主原料とする発泡性の強いビール)を飲んでいると、お通しが出てきました。それはマリネードに漬けた肉サラダで、タマネギが混ざっています。上にミニ・カイワレみたいな植物がのっていて、ミニ・トマトの1/4が添えてあります。オリーヴ油が多めにかかっていて、「醤油一滴で引き立つのになぁ。」と思った味でした。

前菜はパスタ料理。アルデンテに茹でたラーメンのようなヌードルの食感がなかなか結構です。クリームソースはマイルドで美味しいのですが、こってりした単調な味で多くは食べられません。火を通してある大きめのホタテ貝が二切れ添えてあります。甲殻類からとったエキスの泡がかかっている、とメニューには書いてありますが、それらしき味はしません。結局1/3ほど残してしまいました。

私は不幸にも、このときビールス性胃腸炎からの回復期でした。前夜和食コースを最後まで食べられたので大丈夫だと思っていましたが、やはり西洋料理は重いですね。

さて、主菜は牡牛のほほ肉の煮込み料理です。付け合わせは茹でたカリフラワーに天かすのようなものをふりかけた料理とマッシュポテトで、皿を含めたすべてがたいへん熱々です。茹ですぎていないカリフラワーがよろしいのですが、肉汁を化学物質できつくしたようなこげ茶のソースが美味しくありません。また1/3残しました。

そしてデザートはウィスキークリームのブリュレ(プリンのようなかためのクリームの表面に砂糖をふってバーナーで焼いたお菓子)です。2、3種のベリー・フルーツ、ミントの葉、そしてミント味のシャーベットがのっています。このシャーベットはさっぱりと旨いのですが、ブリュレの方はウィスキーの風味がほとんどなくて甘すぎるし、胃にずっしりと重くて2/3も残したのです。

翌朝は天気が良くて、前述のガラス張りのレストランに朝日が差し込んでいます。キラキラと美しい光の中で、珍しいことにセルフサーヴィスではなく、よく気の付く明るいお姉さんの給仕で朝食です。布のナプキンを使えるし、飲み物の特注や卵料理のリクエストも受け付けるサーヴィスですが、食品の質は普通のようです。昨夜と違っていつも食べる量の朝食を食べられました。

このベルゲ宮殿ホテルは、宿泊客よりも誕生会や結婚式などの催し物を中心に運営していると思われます。

今回の滞在は、まだ寒い時期だったし体調が悪かったからでしょうか、食事も不味くて楽しくありませんでした。

 

〔2016年2月〕〔2023年1月 加筆・修正〕

 

 

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古代都市遺跡 アリキャンダ

2023年01月16日 | 旅行

トルコ共和国の南の地中海沿岸地方には大昔の遺跡が沢山あります。そのひとつが、我々の宿があるフィニケから30㎞ほど北にあるアリキャンダです。

この古代都市アリキャンダは紀元前6世紀から紀元後の西暦11世紀まで存在していたことが実証されています。現在海抜710〜820メートルの急な斜面にある遺跡は、主にローマ時代からのもので、ここから周囲の山々と渓谷の広い景色を眺めることができます。

 

神殿? &

 

幹線道路 1 &

 

幹線道路 3

  

商店街 1 &

この地域に人が定住した痕跡は紀元前2000年にさかのぼるとの事ですが、アリキャンダは紀元前6世紀にリュキア人によって設立されました。ヘレニズム (アレキサンダー大王からローマまでのポストクラシック文化時代) の時、都市はすでにギリシャ化されていました。紀元前2世紀からローマ帝国の記録に現れ、都市の住民は贅沢で浪費を好む、と説明されています。ビザンティン帝国 (東ローマ帝国) 時代にはまだ司教が居た大事な都市がその後なぜ放棄されたのかは、今の所まだ不明です。遺跡の発掘調査は今日まで続いています。

 

 

劇場 1 &

 

劇場 3 &

 

劇場 5

 

スタジアム 1 &

  

スタジアム 3 ・ 床のモザイク

恐らく冬だからでしょう。有名であるにもかかわらず観光客はほんの数人だったので、私たちは調査を終えている遺跡の全域をゆっくりと散策することが出来ました。劇場、スタジアム、幹線道路、商店街など、原型を想像出来るものの他、我々素人には何の建造物であったのか分からないものも沢山あります。ここで千数百年前から数百年前にわたり、人々の生活が営まれていたのだなー、というロマンティックな思いと、こんな山中の斜面での生活は大変だっただろうなー、という現実的な感想が交差しました。

 

トルコ風朝食

さて、宿の二日目のトルコ風朝食です。根本的には一日目と同じですが、卵の調理法やパンを変えたり、一日目にはなかったものを付け加えたり、それなりに変化をつけてくれています。春巻きのようなものは、薄い生地にチーズを巻いて揚げたようです。パン籠の下に3種類のチーズが隠れています。イスラム教だからでしょうか。ソーセージやハムなど、肉を使った食品が全くありませんね。しかし、栄養バランスのとれた朝食だと思います。

 

その他の建造物 1 &

 

その他の建造物 3 &

 

その他の建造物 5

 

〔2023年1月〕

 

 

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