お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

エジッレス城塞

2023年07月30日 | 旅行

エジッレス城塞も、北イタリアに攻め入ろうとするフランス軍に対抗するために建造されたスーザ渓谷にある城塞のひとつです。

  

前からの遠景 ・ 後ろからの遠景

この城塞は14世紀の前半に初めて歴史書に記され、その後フランス軍に取られたり取り戻したりのせめぎ合いが続きますが、ナポレオンI世の末弟ボナパルトの軍がイタリアを征服した19世紀の初頭に破壊されました。そして比較的早く19世紀前半に再建されたときに原型の建築様式は近代的な軍事理念に沿うようにアップグレードされて第2次世界大戦終了までイタリア軍に属した後、捨て置かれていました。そして20世紀後半に地方自治体が入手して修復のプログラムを始めたのです。西暦2000年から国立山岳博物館として公開されており、時折展覧会も開かれるようです。

  

前方の部分 ・ 後方の部分

  

長い登城路の一部 ・ 入り口

  

入り口(内部から)・ 内部

スーザ渓谷にはほとんど観光地化されていない寂しい村もあります。そのうちの一つサルベルトランド村の役場の前にある、村唯一のレストランで昼食をとりました。だいたいは地元の客を対象にしているようなので、我々は要領がよくわかりません。まずナイフとフォークの並べ方が特徴的ですし、パンの代わりに棒状の堅パンが出るだけでオリーヴもバターもありません。

  

セットされた食卓 ・ 棒状の固パン

問題だったのは、書かれたメニューが無くて女主人がテーブルに来て料理の名前を言って注文をとるかたちです。女主人の極端に少ない英語の語彙と我々の極端に少ないイタリア語の語彙でなんとか、妻と私が別々のパスタ、それに加えて妻が豚肉料理、私が鶏肉料理というふうに注文できたときにはもう疲れ果てていました。

  

ラビオリ ・ 幅広麺

パスタの一つはラビオリで、ひき肉とトマトのソースで食べました。もう一つは幅広麺で、トマトとチーズをまぶした味付けでしたが、どちらもたいへん美味しかったのです。いつも思いますが、イタリアのパスタは田舎でも旨いですね。

飲み物は、妻が赤ワインで私がガスなしのミネラルウォーターでした。

  

鶏肉料理 ・ 豚肉料理

鶏肉はただ焼いてハーヴを散らしてレモンをかけているだけ、豚肉は煮込んで肉汁ソースがかかっているのですが、どちらの肉も硬くて特に美味しいとは思いませんでした。

面白いのは給仕の仕方です。鶏肉を除いて、あとの3つの料理は女主人が料理を大きな容器に入れてテーブルに来て好きなだけ取り分けてくれるのです。自分の空腹度に応じて量を調節できるので良いやり方だと思います。

 

ミックスサラダ

二人で一つのミックスサラダを注文したのですが、赤と白のキャベツとトマトが主な食材で、オリーヴオイルとバルサミコと塩と胡椒を使って自分で味付けしました。野菜自体の味が濃いので見かけより美味しかったのです。

  

桃の白ワイン煮 ・ スイカのポートワインかけ

デザートは桃の白ワイン煮とスイカにポートワインをかけたもの。どちらも良く冷えていて、さっぱり感が満点でした。

私だけコーヒー(エスプレッソ)を注文したのですが、素晴らしく美味しくて、食事の締めに最適だと思いました。ドイツのようにテーブルで、ではなくて、日本のように勘定カウンターで支払いをしました。

イタリア料理のコースでは料理の出る伝統的な順番が存在します。1.アペリティーヴォ、2.アンティパスト、3. プリモ・ピアット、4. セコンド・ピアット、5.コントルノ、、、などなど。

ありがたいことに、私たちが食した田舎の小さなレストランはコースにはこだわっていないようでした。私たちが注文したパスタはプリモ・ピアットに、肉料理はセコンド・ピアットに、そしてサラダはコントルノ(副菜)にあたるようです。

イタリア人対応の給仕の仕方を体験できて面白い昼食になりました。周りのイタリア人たちはびっくりするほどたくさん食べて、たくさんワインを飲んでいました。

ずっと以前にやはりイタリアの田舎のレストランで食事をしたとき、隣のテーブルのイタリア人が自分たちが飲んでいたボトルワインを勧めてくれました。

私:「ありがとうございます。でも私はこのあと運転しないといけないので、、、、、、。」

イタリア人:「私もです。」 

 

〔2017年8月〔2023年7月 加筆・修正〕

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーザ渓谷

2023年07月27日 | 旅行

イタリアのトリノから西の山岳地帯にスーザ渓谷があります。ワインで有名なピエモンテ州に属する渓谷です。この谷にも遺跡がたくさんあるのです。妻と私が10日間過ごしたのは、2006年のトリノ冬季オリンピックのときにスキーの会場であったサウゼ・ドゥルクスという町です。ここを基地にトレッキングや遺跡めぐりをしました。

さて、スーザ渓谷の中央部に位置するのが人口約6600人のスーザという町です。この町の歴史は古代ローマ以前までさかのぼり、中世に生きたある歴史家は「アルプスで最も古い都市」と記しているそうです。中世から近代にかけて、スーザは南フランスと北イタリアを結ぶ交通路の要衝として重要な役割を担いました。19世紀初頭にナポレオン・ボナパルトはモン・スニ峠(モンチェニージオ峠)越えの交通路を整備し、新たに今日〈ナポレオン街道〉と呼ばれる街道を開きました。ナポレオンはさらにスーザに都市(città)の格を与えたそうです。その歴史を反映して、町にはローマ時代の遺跡をはじめ歴史的建造物がいたる所に見られます。

  

紀元8年から9年にかけて建設されたアウグストゥスの凱旋門 ・ ローマ時代の水道

  

礼拝堂 と それに至る道 ・ ローマ時代の野外円形劇場

  

スー城 ・ 昔の劇場

  

スーザ市役所 ・ アイスクリーム入り新鮮フルーツサラダ と エスプレッソ

遺跡見学の後、町のカフェで休憩しました。注文したのはアイスクリーム入り新鮮フルーツサラダです。果物が本当に新鮮だし、やはりイタリアのジェラート (アイスクリーム) は美味しいですね。私はコーヒーもたのみました。イタリアでコーヒーというと自動的にエスプレッソのことです。本場の味だし、何よりも安いのです。満足したおやつでした。 

 

〔2017年8月〔2023年7月 加筆・修正〕

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バール城塞

2023年07月24日 | 旅行

現在バール城塞が立つ位置に5世紀にはもう建造物があったようで、それが10世紀に拡充されて何世紀もの間フランスとイタリアを結ぶ歴史的ルートであるアオスタ渓谷を管理する役目を負ってきました。西暦1800年にイタリア軍がフランスの大軍をこの地で迎え撃ってこの地方とトリノを守ったのですが、バール城塞はその時に大破してしまい、19世紀の前半にこの地域を支配していたサヴォイア家によって再建築されました。その後19世紀末にはその軍事的重要性を失いましたが、引き続きイタリア軍が弾薬庫として使用していました。そして1975年に弾薬庫が閉鎖された後アオスタ渓谷自治区に所有権が移り、1980年代に呼び物として観光客に解放されましたが、建物の損傷がひどいことが明らかになりました。それで1990年代に長期にわたる大規模な修復を施して、2006年に博物館として再開されたのです。ここには美術品の展示室やギャラリーもあり、夏にはミュージカルや演劇の興行が行われるそうです。

  

川沿いの公園から見たバール城塞 ・ 城塞 と 斜面ケーブルカー

  

城塞 1 & 2

  

城塞 3 & 4

城塞の真下の小さな谷に、昔の面影を色濃く残した雰囲気の良い村があります。のんびりと散歩しました。

  

城塞とその真下の村の模型 ・ 村の屋根瓦

  

村のメインストリート 1 & 2

この日は早く帰ったので、アパートメントで午後のお茶をしました。

 

ひとくち菓子 と 紅茶

近くのスーパーで買ったひとくち菓子の詰め合わせです。いろいろな果物をあしらったタルトやシュークリーム風のものがあります。記すべき特徴はありませんが、普通に美味しく食べられました。紅茶はアールグレイでした。

 

〔2017年8月〔2023年7月 加筆・修正〕

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サール城

2023年07月16日 | 旅行

アオスタ渓谷から派生してフランスとの国境に沿って走るヴェニー谷を、モンブランの真下の約二千メートルのところにある小さな湖まで登りましたが、小雨と風が強い悪天候のせいでモンブランは残念ながら見えませんでした。

  

湖 ・ その隣の湖

湖から10分くらい下ったところにある山小屋で、父親が日本人だというイタリア人の青年アルバイトが片言の日本語でサーヴィスをしてくれました。この地方のスープを注文して、恐る恐る、私たちが持ってきた弁当をここで食べてもいいかと聞くとOKが出たので昼食にしました。

スープにはたくさんの高菜のような野菜と人参およびジャガイモが少しだけ入っています。山小屋がある場所は約10度Cだったので、温かいスープが五臓六腑に染み渡って美味しかったのです。 

  

スープ ・ ちらし寿司 と おかず

弁当は〈すし太郎〉で作ったちらし寿司でした。簡単で美味しい、良いインスタント食品ですね。おかずはほうれん草のおしたし、きゅうりの酢の物、スーパーで見つけたイタリアの野菜コロッケ、昨晩の夕食の残り物のラム肉です。気温が低いため弁当が冷え切っていて美味しさが半減していたのに加え、最初に食べたスープでお腹が大きくなって全部は食べられなかったのが残念です。 

アパートメントへの帰りにサール城を見学しました。

 

遠景

  

登城路 ・ 入り口

城内の見学にガイドが付きましたが、イタリア語なので理解できませんでした。しかしながら、この地域には珍しくドイツ語のパンフレットがあったので城のことが少しわかりました。

それによると城が古文書に現れるのは13世紀の前半ですが、建物は12世紀に存在していたと思われるそうです。その後貴族や実業家などが所有して改築や修復をくりかえし、18世紀には近代的な華麗な居城になりました。20世紀後半までこの地域を統治していたサヴォイア家が所有して、その後所有がある公法人に移り、1989年からはアオスタ渓谷がある自治州のものとなって今は博物館です。

 

城内の礼拝堂

  

狩猟の成果を飾ったサロンの壁 ・ 狩猟の成果を飾ったギャラリー(蛇の様なうねりのある装飾は全部牡鹿の角)

おびただしい量のカモシカの頭蓋骨と牡鹿の角を使った装飾を見た妻が一言。

「趣味が悪いね。」

 

〔2017年7月〔2023年7月 加筆・修正〕

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェーニス城

2023年07月13日 | 旅行

アオスタ渓谷で最も有名な城の一つ、フェーニス城は多くの塔と戦闘に適した建築が魅力です。この城は13世紀中頃の文献に初めて現れ、15世紀になる前後に今の規模に拡張されたそうです。18世紀ごろから傷みがひどくなってきたので、19世紀の末と20世紀の前半に修復されて今日の外見になりました。現在はアオスタ渓谷自治区の所有で、博物館になっています。

  

遠景 ・ 近景

 

入り口

2013年に来た時の経験からイタリア語のガイド付きでないと中を見学できないのを知っていたので、外観を見ただけで終わりました。

さて、アパートメントで夕食です。

妻が前菜として5種類の料理を用意しました。

 

5種の前菜

左がオイルサーディンとほうれん草に似た菜っ葉のしょうゆ味炒め物です。菜っ葉に少し癖がありますが、全体として結構いけます。

その横にこんにゃくの鰹節炒め。懐かしい日本の味です。

その下がメロンとパルマハム。メロンがちょうど食べ頃の熟れ具合で、甘い香りが素晴らしい。

その右にキュウリとワカメの酢の物とトマト。その上がナスの田楽で、少し甘めの味噌をつけて食べました。

 

カレーライス

そして私の好きなカレーライスですが、自宅で作るのと少々違っていて、豚のあばら肉(骨付き)、玉ねぎ、ニンジン、ロマネスコ、ズッキーニ、ジャガイモが入っています。時々見つかる小さな骨のかけらが邪魔になったし、ロマネスコとズッキーニはカレーに合わないのがわかりました。やはりカレーは古典的な具材が良いですね。

  

ネクタリン ・ ヨーグルト

デザートは2種類あり、ネクタリンとレモンとブルーベリーのヨーグルトです。ネクタリンがドイツで食べるより美味しいと思いました。

飲み物はいつものように妻はワインで私は麦茶なのでした。

 

〔2017年7月〔2023年7月 加筆・修正〕

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする