お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

古代都市遺跡 パタラ

2023年02月26日 | 旅行

パタラは現在のトルコのリュキア地方の地中海沿岸にある古代都市でした。この地方の最も重要な都市の1つであり、かつ最も重要な港と見なされていました。

 

ガラスケースの中の模型 (全敷地の一部)

模型に見て取れるように、まわりに3つの丘があるパタラは要塞化されて城壁に囲まれていました。

この古代都市遺跡は、私たちが冬休みの後半に1週間弱滞在したカシュという町から西に50分程走った所にあります。

発掘により得られた小さな遺物により、この地には銅器の時代から青銅器時代の初期にかけてすでに先史時代の集落があった事が証明されています。集落は本質的に内港の北東にある丘に限定されていて、ここの建築遺跡は紀元前7世紀までさかのぼります。アレキサンダー大王 (在位: 紀元前336年 - ‎紀元前323年) 以来、パタラはヘレニズム帝国 (紀元前323年 - 紀元前30年) の勢力圏に属し、ディアドコイ戦争の重要な海軍基地でした。

 

古代の港湾施設 1 &

 

復元された当時の運搬船

その後のローマ時代にはパタラはリュキアで主導的な地位を占めていて、リュキア同盟の6つ都市の中で最も重要な都市であったとも言われています。使徒パウロは3回目の伝道の旅の間 (西暦53-58年) パタラに留まったそうです。

北の外れにはローマ総督にちなんで名付けられたメッティウス・モデストゥス・アーチという城門の遺跡があります。

 

城門

繁栄していたパタラですが、その港は古代からゆっくりと沈泥になって行きました。これは、近くを流れるクサントス川による連続的な砂沖積層と移動する砂丘の形成によって起こったことです。そして港はついに中世に放棄されました。パタラが文献で最後に言及されたのは15世紀後半です。

時を経て18世紀後半に、ある旅行者がパタラの遺跡を発見しました。、、、が、この古代都市の体系的な発掘は1988年まで始まりませんでした。発掘調査の前でさえ、円柱が並ぶ通り、浴場、いわゆる「コリント式寺院」、門、寺院の墓、倉庫など、古代パタラの遺跡がはっきりと見えていましたが、体系的な調査により議会所や灯台など、移動する砂丘の砂で大部分または完全に覆われていたモニュメントが次々と確認されたのです。

非常に広い敷地の中に崩れた建造物が点在していますが、城門と共に劇場が極端に保存状態が良いのは2008年から2012年の間に修復が行われたからだそうです。

 

劇場 1 &

 

劇場 3

さて、宿への帰り道にあるスーパーで冷凍海老を買って夕食の一部にしました。

 

焼いただけの海老の頭 ・ 海老料理

海老はまず殻を炒めて、そこにワインと水を入れて出汁を取ります。頭を焼いて、その焼き汁を出汁ソースに加えます。もう一つのフライパンで海老のむき身を焼いて出汁ソースをかけて黒ニンニクを入れます。

 

デザート

そしてデザートは、私がバナナ、リンゴ、レーズン、蜂蜜、ヨーグルトを混ぜて作りました。

 

〔2023年2月〕

 

 

 

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水城ホテル ・ クラッフェンバッハ

2023年02月22日 | 旅行

旧東ドイツの都市の中で(東)ベルリン、ライプチヒ、ドレスデンぐらいは知られていると思いますが、チェコ共和国との国境近くにあるケムニッツという町はあまり知られていないでしょう。そのケムニッツの郊外に、49の客室をもつ水城ホテル・クラッフェンバッハはあります。

小川にかかる橋を渡って城門をくぐると広い中庭に出ます。

  

橋と城門 ・ 城門から中庭を望む

U字型に水城の周りを取り囲んでいる建物群にはホテル、3軒のレストラン、カフェのほか、ロウソク、銀細工、陶磁器、刺繍などの手芸の工房が入っているのです。中庭の一角にぐるりと掘りに囲まれたルネサンス様式の城があるのですが、中に入ると真ん中に大きなエレベーターがあり全階が商業ベースの展示場になっていて、古い家具も武具もまったくありません。少々拍子抜けしました。この水城ホテルでは演劇やコンサートなどの催し物があるし、ゴルフ場が隣接しているのでこの地方の経済にけっこう貢献しているのではないでしょうか。

  

水城ホテルの全貌(出典: ホテルのパンフレット) ・ 水城 

さて、この水城は何時いかにして出来たのでしょう。

話は16世紀の中ごろまでさかのぼります。付近の村を3つ買い占めたほどの金持ちが、その豊かさを誇示するためにルネサンス様式の小さな城を建てたのが起源です。17世紀初頭にフォン・タウベという名の男爵が購入し、19世紀までの約200年間は貴族が住みましたが、その後再び一般人の間で所有者が何度か代わり20世紀にこの地方の自治体のものとなりました。第二次大戦中は政府が使用し、戦後はいち時ソ連兵が住んだそうです。20世紀の中ごろからは社会に適応できない〈不良少女〉約100人の宿舎になりました。東西ドイツの統合と同時に宿舎が閉鎖され、大々的な改装と再開発が行われて水城は昔の華やかさを取り戻しました。そして2006年から学会、会議、結婚式などのお祝い事、文化的イヴェント、オープンエアー・コンサート、そして市場などが催される場所になっています。

  

堀と水城と建物群 ・ 堀と城門と建物群

さてホテルですが、前述のようにホテルは水城をU字型に取り囲む建物群にあります。内部は完全に現代的に改装されていて、バーと兼ねているようなレセプションがあります。客室は広いのですが古い建物の外郭を使っているので窓が少なくて小さく、それが残念です。バスルームにはバスタブがあり、アメニティーグッズも申し分ありません。

  

レセプション ・ 客室

今日は2つのレストランが開いています。〈門衛所〉という名前の、城門の脇にあるレストランは伝統的な居心地の良さのもとで庶民的な料理を供するとのこと。レストラン〈丸天井〉は個性的な雰囲気で、良質なワインと繊細な料理を提供する経験豊かな料理人がいるそうです。

私は〈丸天井〉を選びました。本当にアーチ形式の天井でロウソクの灯が良い雰囲気を醸し出しています。ただ、古いアメリカン・ポップミュージックのBGMが場違いのような気がするのです。

  

レストラン 1 & 2 

まず突き出しとして、少し前にそのシーズンが終わった長者ニンニク入りのクリームが、上にイチゴとミントの葉をのせて出てきました。もちろんニンニクの風味がフッとしますが、特筆すべきことはありません。

  

突き出し ・ 食器

食事は〈農園の領主 フォン・タウベ男爵〉という名前がついたメニューを注文しました。 

前菜はクリームとライス入りのトマトスープです。ライスの食感が面白いし適度な酸味があって美味しく食べました。

 

前菜

メインディッシュは魚料理か肉料理かを選べるようになっています。私が選んだ肉料理ではスープと同様に熱々の皿で、焼いた3種の肉(牛豚鶏)が供されました。肉は3つとも小さく、牛肉はベーコンを巻いています。ソースが肉汁ソースとキノコ入りクリームソースの2種類あります。うれしかったのは、ちょうどシーズンの緑と白のアスパラや低木トマトを含めて、いろいろな種類の温野菜をたくさん食べられたことです。さらにキュウリとニンジンの千切り生野菜も付いています。付属の炭水化物はジャガイモで、それを揚げているのですが、そのまま揚げたりコロッケ風にしたりして5種類の付け合せにしています。

全体として、ドイツ食の特徴である味の濃さとどぎつさがなくて穏やかな良い味でした。

 

メインディッシュ

デザートはいろいろな種類の甘味の盛り合わせです。盛り付けも色合いも良いのですが、2、3似たようなものがあるのが少し残念だったのです。

このメニューは〈バリエーション〉ということを強調していて、久しぶりに食後の気分が良い、満足のいく夕食でした。

 

デザート

朝食は夕食と同じレストランで食すのですが、穴倉のようで暗く、電灯とロウソクの灯は朝食には似合いません。しかしながら食品の種類は多く、たとえば10種類の紅茶がありました。サーヴィス面ではよく気を使うおじさんが気持ちよく接してくれました。

水城ホテル・クラッフェンバッハは、中世のお城の雰囲気を望まないのなら大変良いホテルだと思います。幾日か滞在してゴルフ三昧、というのもいいかもしれませんね。もっとも私はゴルフをしたことがないし、(今のところ)したいとも思わないのですが、、、、、。

 

〔2016年5月〕〔2023年2月 加筆・修正〕

 

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古代宗教施設遺跡 レトゥーン

2023年02月20日 | 旅行

レトゥーンは南トルコのリュキア地方 (小アジア) にある古代の宗教施設の遺跡で、近くの都市クサントスをはじめとするリュキア地方の都市の聖域でした。古代末期まで8世紀以上の間、レト (ギリシア神話の女神)、アルテミス (レトの娘)、アポローン(レトの息子) がここで崇拝されていました。寺院やその他の建物の遺跡は、クサントスの遺跡とともに1988年以来ユネスコの世界遺産となっています。

 

ガラスケースの中の模型

 

劇場 1 &

この地では古くから人の営みがあったらしく、紀元前8世紀の陶器が発見されました。ギリシャ神話の舞台のひとつでもあるこの聖域で、この地方のすべての都市のカルト的お祝い、演劇、競技会がここレトゥーンで行われました。何度か拡張されたストア (多くの市民が集う所に建てられた列柱廊) と劇場がそれを示しています。

 

遺跡 1 &

 

遺跡 3 &

 

遺跡 5 &

 

遺跡 7 & 8  

ここは元々湿地帯で地下水が多いらしく、遺跡は部分的に水に浸かっています。ガラスケースに入った模型を見ると、真ん中に大きな神殿があった事が分かります。いち部壊れかかった劇場と柱の列があるストア以外は、何の建物だったのか判断するのが難しかったのです。

 

羊の放牧 ・ オリーヴの木

私たち以外の訪問者は男性ひとりだけだったし、遺跡の中で羊の群れが草を食んでいて、何とも静かなのんびりした空間でした。大変に古いと思われるオリーヴの木の下で昼食の弁当を食べました。

ところで、この地方はクルミが有名で毎年180トン程生産しているそうです。その中心の村、タシュカレを名前に冠した食べ物を見つけたので買ってみました。Cevizli Sucuk (クルミソーセージ) です。もともとはジョージア産ですが、トルコのアナトリア地方の料理のデザートとして有名だそうです。クルミソーセージは地方によって製法も名前も異なるとのことです。この食べ物はビタミンBとC、カルシウム、鉄分、ナトリウム、カリウム、そして繊維質が豊富であるだけでなく、熱量 (エネルギー) もたくさん供給するので、特にスポーツ選手から愛好されています。

 

クルミソーセージ 1 &

スーパーマーケットで売っているクルミソーセージは真空パックで、クルミをブドウ果汁 (または別の果物の果汁) と小麦粉で作った食材で包み込んだソーセージ型をしています。吊るして作るので糸が付いています。その食材は硬めのういろうの食感で、味はうすくて甘さも少ない。その代わりクルミの味がググッと引き立ちます。

 

チャイ

トルコの飲食でもう一つ気になるのはお茶 (トルコ語でチャイ) です。リゼ茶、すなわちトルコ北部の黒海沿岸地方リゼ県原産の紅茶です。通常は砂糖を少し入れてミルクを入れずに飲みます。少し古い2004年の統計では、トルコは205.500トンのお茶を生産し (世界の総お茶生産量の6,4%)、世界最大のお茶市場の1つでした。国内で120.000トンが消費され、残りは輸出されます。さらに、トルコは2004年に1人あたり2,5 kgで世界で最もお茶の消費量が多く、英国 (1人あたり2.1 kg) がそれに続きました。そういえば、宗教的にアルコールを飲む人が少ないからでしょうか、チャイを飲んでいる人 (特に男性) を頻繁に見かけます。

 

〔2023年2月〕

 

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シュタットハーゲン宮殿

2023年02月18日 | 旅行

私の住むハノーファーから程近いシュタットハーゲンという小さな町にある宮殿は、13世紀に建てられた水城が16世紀にルネサンス様式の宮殿に増改築されたものです。この地方の政府と財政官庁が入っていたり、皇太子の住居として使われたりした後、19世紀に大規模な修復が行われました。第一次大戦の後に当時成立したシャウムブルク・リッペ共和国の所有となり、第二次大戦後にこんにちのニーダーザクセン州が取得しました。そして現在はこの町の税務署の建物です。税務署に申し込めば宮殿の見学が可能だそうです。

  

宮殿 1 & 2  

  

宮殿 3 & 4

 

宮殿 5

宮殿の施設に属する建物がまわりにいくつかありますが、16世紀中頃に建てられた面白い形をした公務小屋が税務署の入り口のすぐ近くにあります。昔は行政と法務にかかわる役人が詰めていましたが、1963年からは郷土博物館になっています。宮殿付属の庭園には池の中に木組みの家があり、1927年来のカフェだそうです。何時からかは知りませんが、現在は店を閉めています。

  

公務小屋 ・ カフェ

 

庭園 1 & 2

実は今日はこの町に週末の遠足に来たのです。午後のお茶をしようと店を探したのですが、見つかるのはイタリアのアイスクリーム屋だけなのです。仕方がないので、そこで紅茶と私の好きなケシの実入りのケーキを注文しました。ケーキ屋ではないので冷凍製品を解凍しただけのもので、ケシの実の部分(黒いところ)にしっとり感がなくてパサパサでした。

 

ケシの実ケーキと紅茶 

最近は老人の客に好まれる伝統的ケーキ屋 & 喫茶店が少なくなったような気がします。残念です。

 

〔2016年5月〕〔2023年2月 加筆・修正〕

 

 

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古代都市遺跡 クサントス

2023年02月15日 | 旅行

我々が滞在しているカシュから北西に50kmの所にあるクサントスのハイライトは、都市の建物の遺跡に加えて、ユニークなリュキア地方の墓、墓の柱、石棺です。ちなみに、クサントスというギリシャ語の名前は近くを流れるクサントス川に由来しています。

 

都市に入る当時の門

この古代都市の歴史は約2000年に及び、古代における自立と独立のための闘争の地であった事がその特徴で、約10km離れた古代沿岸のリュキアの都市パタラを海軍および商業港として使用していました。ローマ帝国が支配していた時代にはクサントスはリュキア同盟の長として特に重要で、ローマとの友好的な関係を維持していました。ローマ内戦の混乱の時にクサントスの町は破壊されましたが、その後再建されてローマ劇場とアゴラ (マーケット広場) を備えていました。

 

遺跡 1 &

 

遺跡 3 &

 

遺跡 5 &

 

遺跡 7 &

  

遺跡 9 ・ 何故か遺跡の中に居るロバ

それ以来、クサントスはローマ帝国による恒久的な保護と発展を享受して来たのです。しかしながら、町の建物はビザンチン時代の初期に荒廃したので、7世紀に住民はサーサーン朝やアラブ人から身を守るために町の背後の丘に後退し、その地を要塞化しなければなりませんでした。そして7世紀から8世紀にかけてのアラブの侵略をきっかけにクサントスはついに大部分が放棄され、取るに足りない村に落ちぶれて行ったのです。

 

石棺 1 &

  

石棺 3 ・ 墓

19世紀の前半にこの古代都市はイギリスの考古学者によって再発見され、それ以来ロンドンの大英博物館が多くの出土品を所有しています。その後2011年までフランスやその他の国が発掘調査をしていましたが、2012年にトルコ政府から発掘ライセンスを付与されなくなりました。

ところで、トルコにはその甘さで知られたお菓子があります。トルコ語でロクム、英語ではターキッシュ・ディライト(Turkish delight、「トルコの悦び」)と呼ばれる、砂糖にデンプンとナッツ(クルミ、ピスタチオ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、ココナッツ)などを加えて作るお菓子です。スーパーにあるのはもちろん、町中には専門店もあります。その歴史はよく分からないけれども、トルコでは15世紀から作られていたそうです。こんにちではバルカン半島、ギリシャの他、欧米でも知られています。

 

ターキッシュ・ディライト 1 &

 

ロクム 1 &

食感はヌガーに似ていて、柔らかく弾力があります。色々な香料の香りがしてそれなりに結構ですが、私には少々甘すぎます。

 

〔2023年2月〕

 

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