パタラは現在のトルコのリュキア地方の地中海沿岸にある古代都市でした。この地方の最も重要な都市の1つであり、かつ最も重要な港と見なされていました。
ガラスケースの中の模型 (全敷地の一部)
模型に見て取れるように、まわりに3つの丘があるパタラは要塞化されて城壁に囲まれていました。
この古代都市遺跡は、私たちが冬休みの後半に1週間弱滞在したカシュという町から西に50分程走った所にあります。
発掘により得られた小さな遺物により、この地には銅器の時代から青銅器時代の初期にかけてすでに先史時代の集落があった事が証明されています。集落は本質的に内港の北東にある丘に限定されていて、ここの建築遺跡は紀元前7世紀までさかのぼります。アレキサンダー大王 (在位: 紀元前336年 - 紀元前323年) 以来、パタラはヘレニズム帝国 (紀元前323年 - 紀元前30年) の勢力圏に属し、ディアドコイ戦争の重要な海軍基地でした。
古代の港湾施設 1 & 2
復元された当時の運搬船
その後のローマ時代にはパタラはリュキアで主導的な地位を占めていて、リュキア同盟の6つ都市の中で最も重要な都市であったとも言われています。使徒パウロは3回目の伝道の旅の間 (西暦53-58年) パタラに留まったそうです。
北の外れにはローマ総督にちなんで名付けられたメッティウス・モデストゥス・アーチという城門の遺跡があります。
城門
繁栄していたパタラですが、その港は古代からゆっくりと沈泥になって行きました。これは、近くを流れるクサントス川による連続的な砂沖積層と移動する砂丘の形成によって起こったことです。そして港はついに中世に放棄されました。パタラが文献で最後に言及されたのは15世紀後半です。
時を経て18世紀後半に、ある旅行者がパタラの遺跡を発見しました。、、、が、この古代都市の体系的な発掘は1988年まで始まりませんでした。発掘調査の前でさえ、円柱が並ぶ通り、浴場、いわゆる「コリント式寺院」、門、寺院の墓、倉庫など、古代パタラの遺跡がはっきりと見えていましたが、体系的な調査により議会所や灯台など、移動する砂丘の砂で大部分または完全に覆われていたモニュメントが次々と確認されたのです。
非常に広い敷地の中に崩れた建造物が点在していますが、城門と共に劇場が極端に保存状態が良いのは2008年から2012年の間に修復が行われたからだそうです。
劇場 1 & 2
劇場 3
さて、宿への帰り道にあるスーパーで冷凍海老を買って夕食の一部にしました。
焼いただけの海老の頭 ・ 海老料理
海老はまず殻を炒めて、そこにワインと水を入れて出汁を取ります。頭を焼いて、その焼き汁を出汁ソースに加えます。もう一つのフライパンで海老のむき身を焼いて出汁ソースをかけて黒ニンニクを入れます。
デザート
そしてデザートは、私がバナナ、リンゴ、レーズン、蜂蜜、ヨーグルトを混ぜて作りました。
〔2023年2月〕