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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月11日 ◇お節介焼き精神とギブ・アンド・テイク ◇ナインイレヴン

2024-09-12 08:21:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月11日 ◇お節介焼き精神とギブ・アンド・テイク ◇ナインイレヴン 

  平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

9月11日(水)
 「ナイン・イレブン」の日ですが、NHKのニュースではひと言も触れられませんでした。
 もう、過去の出来事として消えてしまったのでしょうか。
■【今日のおすすめ】
 米不足で、国民が右往左往。
 国の米政策の失策といっても良いのでしょうか。
 備蓄米は温存しながら、このようなことが発生したときに対応できるようにすべきです。
 平素、お米の輸出に力を入れ、万一、現在のような事態が発生した場合には、一時的に輸出をストップして国内消費に回すなどの方策も必要です。
 有名大学出身の官僚さん達、保身ばかりを考えないで失敗を怖れず、新たなチャレンジの提案をしては如何ですか。
 昨年の今ごろ、静岡県の三島に行ったことを思い出しました。
 その後、久しぶりに三嶋大社をお詣りしたり、聚楽園や白滝公園などの庭園めぐりや梅花藻を見たりしました。
 梅花藻の花は、盛りの時期を過ぎてしまっていましたが、まだ、名残の花を見ることができました。
 富士山の伏流水で、きれいな水の豊かな街は、涼しげですね。
 TVで秋吉台の下の街も、秋芳洞のおかげで涼しいのだそうで、真夏日になることがないと報じられていました。
  高千穂神社については紹介しましたが、ここでは高千穂神社の境内の様子をお届けします。

 竹根に経営を委ねた自社のクライアントの社長の友人が経営する企業で、社員に講話をお願いしたいと言われていました。

 今日が、その日だったので、出かけてゆきました。

 十人強の社員が全員、熱心に耳を傾けてくれました。

■26 お節介焼き精神とギブ・アンド・テイク B110

 経営コンサルタント業に40年余をそそいできました。この仕事に従事する前は、商社マンでしたが、そのころに、悩める中小企業の社長さんと接する機会が多く、彼等の愚痴を聞いていました。

 彼等の愚痴は、愚痴というよりも、「こうありたい」という希望なのだということに気づきました。これが、私がもともと持っている「お節介訳精神」に火を点けてくれたのです。

 サラリーマン経験10年に区切りを付け、第二の人生を歩み出しました。

 爾後、「先生のおかげで会社が良くなりました」といわれることに快感を覚えるようになりました。この言葉が欲しいがために、一所懸命にやります。それが結果として出てきますと、この言葉に繋がるのです。

 ところが、自分では、一所懸命にやっているつもりですが、なかなか、この言葉をいただけません。自分なりに「成果が出ている」と見えるだけに、「なぜだろう?」とwhyを何十回も繰り返します。

 クライアントさんにとっては、まだ、満足の域に達していないので、この言葉に繋がらないのです。

 その様なときに、思い出すのが吉田松陰の言葉です。

    至誠にして動かざるものは
    未だこれあらざるなり

 すなわち、自分では、一所懸命にやっているつもりですが、これは「つもり症候群」(○○しているつもりの自己満足)であって「至誠」ではないのです。

 知恵と経験から、あの手・この手でアイディアを懲らし、「これでもか」「これでもか」と工夫と努力をしますと、ついにこの言葉にたどり着けるのです。

 ギブ・アンド・テイクという言葉がありますが、私にとっては、努力と工夫という「ギブ」には、この言葉が「テイク」なのです。

 ところが、世の中には、「相手に何かをしてあげたら、その見返りがあって当然」という考え方の人がいます。

 何かをしてあげても、相手が、その価値を評価してくれなければ、見返りはありません。見返りがなければ、寂しさに襲われるだけです。

 幸い、私は、生来のお節介焼きですので、人様に何かして差し上げることに対して、ホンネのところでは、「喜んで欲しい」という期待をしているのですが、「見返りを求めない」という気持ちでいます。

 一方、自分としては、何かしていただいたら、それが、妻や子供であっても「ありがとう」という言葉を発するようにしています。

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

◆梅雨と秋の長雨の比較に驚きが 911 

 秋と言いますと、すかっと晴れ渡った透き通るような青空をイメージします。

 昔から「秋の長雨」という言い方もあります。

 梅雨の時期と秋を比べますと、確かに日照時間は秋の方が長いです。

 ところが、降雨量を比較しますと、どちらが多いとお思いでしょうか 

 私は、しとしとと降る梅雨の時期かと思いましたが、なんと秋の方が降水量は多いのですね。

 考えてみますと、台風で大雨が降るというのは、近年、あたり前のようになってきてしまっています。

 その結果、自然災害に見舞われて、苦しむ方が多いのです。

 各地で洪水・氾濫が起こっても直ぐに立ち上がることは困難で、避難所生活を余儀なくされることも多い昨今です。


 世の中、いろいろなことが起こります。

 そのために、過去のことの記憶は次第に薄れてしまいがちです。

 世の中の変化を時系列的に見ますと、規則性があったり、変化に法則性が見出せたり、と結構いろいろなことが見えてきます。

 短期的に一週間を振り返えるだけでも、記憶が新たになります。

 それが記憶として蓄積されます。

 それがブログ原稿になったり、話材となったりして人脈に津軽のです。

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまでお話】 バックナンバー
 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る


■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 

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【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて ◆第92段 ある人、弓射ることを習ふに 考えたことと実行力

2024-09-12 00:21:00 | 【心 de 経営】 徒然草に学ぶ
■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて ◆第92段 ある人、弓射ることを習ふに 考えたことと実行力 
  「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆第92段 ある人、弓射ることを習ふに 考えたことと実行力
 経営コンサルタントを半世紀もやってきますと、好ましくないと思われる経営者・管理職に共通していることを感じてきました。
 超一流大学などの高学歴の持ち主で、知識豊かな経営者・管理職に多いのですが、いろいろなことを知り、自社をどの様に経営したいかもわかっていて、経営計画などに、いろいろな事項を盛り込んでいます。
 ところが、それを実践に活かせていないのです。
 やるべきことを盛りすぎるという問題点もあるのですが、実行力、行動力に欠けているのです。その結果、業績として出てこないのですね。そこに、経営コンサルタントが介在しますと、大変良い結果に繋がることが多いのです。
【原文】 ある人、弓射ることを習ふに
 ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。
 師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得矢なく、この一矢に定むべしと思へ。」と言ふ。
 わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。
 懈怠の心、自ら知らずといへども、師これを知る。
 この戒め、万事にわたるべし。
 道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。
 いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。
 なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難き。

【用語】
 諸矢: 「ひと手矢」ともいい、二本一組の矢のこと
 たばさむ: 手に挟む
 おろかに: おろそかに
 懈怠(けだい)の心: 怠け心、懈:おこたる)
 道: 仏道だけではなく、全ての学問芸術等の道
【要旨】
 ある人が、弓を射ることを習う時に、二本一組の矢を手に持って、的に向かいました。
 先生が言うことには、「初心者は、ベテランがするように二本の矢を持ってはいけません。なぜなら、二本目の矢もあるという気持ちが起こり、第一矢を、軽い、いい加減な気持ちでいてしまうからです。矢を射るたびに、当たるか当たらないかを気にかけないで、この矢だけで必ず的にあてようと念じなさい。」と言いました。
 わずか二本の矢しかない状態ですので、先生の前で一本をいい加減に放とうなどと、だれしも思わないでしょう。
怠けおこたる気持ちが起こると、自分では思っていないでしょう。しかし、仏典で懈怠のことを、「悪を行わないようにして、善・良い結果をだそうとしようとするときでも、怠け心が潜んでいて、持っている力全てを出し切れないことがある」ということを、先生は、ご存知なので、このようなわかりきった注意喚起をしているのです。
 この戒めは、矢を射るときのことだけではなく、全てのことにおいて、このことが当てはまるでしょう。

 仏道だけではなく諸道において、それを学ぶぼうとする人は、夕方には、明朝がくるという気持ちを持ち、朝には夕方があると油断して、もう一度、心を込めた修行ができると予定します。
 ましてほんの一瞬間のうちに、怠けおこたる懈怠の心が、そこに潜んでいると気づけるでしょうか、まず気づける人配なのではないでしょうか。
 なんとまあ、今ある、この一瞬において、それをすぐ実行しようとすることというのは、大変に困難なことなのでしょう。悲しいかな、これが大半の人間に共通なことなのです。
【 コメント 】
 テニスをプレーする人は、サーブをするときに、二個のボールを持っています。最初のボールを打つときに、他方のボールがあるので、是が失敗しても、もう一本打てるという気持ちでサーブをする人はいないでしょう。
 弓道の世界でも、矢を二本もって的に対峙することを、素人とでも知っています。
 しかし、弓道の試合などに出るような経験者であれば、上述のようなことを考える人はいないでしょう。ところが、初心者であるうちには、兼好が記述していますように、多くの人が、自分では気がつかないうちに、そのように考えているのかもしれません。
 もし、ここに登場する弓道の先生が、「諸矢」という弓道において当然なことを、当然として考えれば、「初心者には一本の矢しか持たせない」という指導法を思いつかないでしょう。
 常識を疑うというクリティカル・シンキングの基本的な発想法は、ビジネスの世界でもいえます。
 だれもが、「明日がある」と信じているでしょう。そのために、怠け心から、「これは明日やろう」と先延ばしをすることがあるのではないでしょうか。
 多くお人が、その様に考えるでしょうから、「今日なすべきことを明日に回すな」という箴言が存在するのです。
 私のように、高齢で、持病を持っていますと、「明日の朝が来るのだろうか」と日々思いながら布団に入ります。
 日中は、「今を大切に生きる」ということを心がけます。
 ところが、多くの人は、「今を大切に」ということを誤解して、「莫迦な行為をできるのは若いうちだけだから、今を楽しもう」と自分の懈怠心を正当化し、愚行とも思えることに走ってしまいます。
 私は、「残された人生をいかに過ごすか」という目標をもとに、充実した人生を送るには、一時一時を、それに向かって努力をするようにしています。黄泉の国に発つときに、「晩年は、一時を大切に生きられた。幸せであった」と思えるようにしたいと考えて、毎日を送るようにしています。
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