窯元日記復活

「紙すき場(近村) 速水御舟筆」東京国立博物館蔵

「紙すき場(近村) 速水御舟筆」東京国立博物館蔵 1幅 大正3年(1914) 絹本着色 232.1×55.4 A-10529
解説→「本作は、甚だしく入選率が低かった第1回再興日本美術院展に出品、入選した。極彩色の色彩構成は、今村紫紅の「熱国之巻」に、そして構図は、坂本繁二郎の水彩画「紙すき場」を参考にしたといわれ、さまざまな新しい技術や作品を貪欲に学ぶ意識が際立つ。 」



「速水御舟
日本画家。蒔田(まきた)良三郎(質商)の二男として東京浅草に生まれる。本名栄一。のち母方の速水姓を名のる。1908年(明治41)松本楓湖(ふうこ)に入門、10年に巽(たつみ)画会に初めて出品する。翌年今村紫紅(しこう)、安田靫彦(ゆきひこ)らの紅児会に加わり、ことに同門の先輩紫紅の感化を受けて画才を伸ばした。14年(大正3)の日本美術院再興には院友として参加、17年の第4回院展で『洛外(らくがい)六題』が認められて同人に推された。19年に交通事故で左足首を切断するが、不幸にめげず精進し、翌年の院展に細密描写の大作『京の舞妓(まいこ)』を出品している。写実の追究はさらに続き、中国院体画にも注目して主観性を強め、25年の『樹木』『炎舞』にみられる象徴味をたたえる画風を開いた。その後、細密描写を離れ、琳派(りんぱ)にも関心を向け、伝統的な装飾美と西洋近代術の融和を図って苦心を重ねた。『翠苔緑芝(すいたいりょくし)』(1928)、『名樹散椿(めいじゅさんちん)』などがその成果である。30年ローマ日本美術展覧会に美術使節としてイタリアに渡り、ヨーロッパ各地を巡って帰国した。帰国後は表現の単純化を目ざし、『女二題』『花の傍』『青丘婦女抄』『サーカスの少女』などを制作している。チフスのため40歳で急逝。[原田 実]
『河北倫明他編『速水御舟――作品と素描』全二巻(1981・光村図書出版) ▽『現代日本の美術14 速水御舟』(1977・集英社) ▽吉田幸三郎編『速水御舟』(1975・便利堂)』                                                                
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

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