窯元日記復活

クリスチャン・ボルタンスキーさんが亡くなりました

クリスチャン・ボルタンスキーさんが亡くなりました。残念です。2019年の国立国際美術館での展覧会を拝見しました。やはりホロコーストの写真が印象的でした。


共同の記事から「クリスチャン・ボルタンスキーさん(フランスを代表する現代芸術家)フランスメディアによると7月14日、がんのためパリの病院で死去、76歳。
 44年パリ生まれ。少年期から独学で絵画を描く。20代から映像や写真を使った作品に取り組み、68年にパリで初の個展開催。生と死、記憶や忘却を主なテーマに、人間の苦悩や感情を表現した作品で世界的に活躍した。
 日本との関係も深い。90年代に名古屋市と水戸市で個展を開き、香川県の豊島(てしま)に世界中の心臓音を集めた作品「心臓音のアーカイブ」がある。18年に旭日双光章受章。19〜20年に大阪市、東京都、長崎市で回顧展が開催された。 (共同)」

展覧会会期
2019年2月9日(土) - 2019年5月6日(月)
国立国際美術館のHPの展覧会の紹介から→「クリスチャン・ボルタンスキー(1944年-)は、現代のフランスを代表するアーティストのひとりです。1960年代後半より短編フィルムを発表し始めたボルタンスキーは、1970年代に入り、写真を積極的に用いるようになりました。人が歩んできた歴史や文化人類学への関心を土台とし、写真やドキュメントとビスケット缶などの日用品を組み合わせることで、自己あるいは他者の記憶に関連する作品を多数制作し、注目を集めます。1980年代に入り、明かりを用いたインスタレーションを手掛けるようになったボルタンスキーは、子どもの肖像写真と電球を祭壇のように組み合わせて展示した「モニュメント」シリーズ(1985年-)で宗教的なテーマに取り組みます。それを発展させた《シャス高校の祭壇》(1987年)は、1931年にウィーンの高校に在籍したユダヤ人の学生たちの顔写真を祭壇状に並べ、その写真を電球で照らすというものでした。肖像写真を集めて展示する手法は、大量の死者の存在、具体的にはナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺とその犠牲者のイメージを想起させるものとして解釈され、大きな議論を呼びました。第二次世界大戦期のユダヤ人の大虐殺は、ユダヤ系の父を持つボルタンスキー自身の問題とも結びつきます。パリのグラン・パレの広大なスペースを生かし、大量の衣服を集積させた《ペルソンヌ》(2010年)など、その後もさまざまな手法によって、歴史や記憶、そして死や不在をテーマとした作品を発表します。
1970年代からドクメンタ(ドイツ・カッセル)やヴェネチア・ビエンナーレなどの現代美術国際展に招待され、活躍の場を世界各地に広げたボルタンスキーは、日本でも、越後妻有アートトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭などで積極的に展示活動を行い、2016年には東京都庭園美術館で個展が開催されました。
国立国際美術館、国立新美術館、そして長崎県美術館の3館が共同で企画する本展は、ボルタンスキーの初期作品から最新作までを紹介する、国内初めての大規模な回顧展です。1970年代から近年までのボルタンスキーの様々な試みを振り返ると同時に、ボルタンスキー自身が「展覧会をひとつの作品として見せる」と語るように、作家自身が会場に合わせたインスタレーションを手掛けるという構想のもとに企画されました。半世紀を超える作家活動を経て、いまなお、積極的に創造を続けるボルタンスキーの広大なる芸術世界を紹介いたします。
作家略歴
1944年、パリ生まれ。写真や身分証明書といった記録資料と衣服や文房具といった日用品を組み合わせることで、自己あるいは他者の記憶に関連する作品を制作し、注目を集めるようになる。子どもの肖像写真と電球を祭壇のように組み合わせた「モニュメント」シリーズ(1985年-)や、大量の衣服を集積させた《ペルソンヌ》(2010年)など、現在まで一貫して、歴史や記憶、死や不在をテーマとした作品を発表している。
2006年、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。

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