窯元日記復活

鞏県石窟

20年ほど前のSDカードから、河南省の旅の続き。
河南省鞏義市にはもう一つは鞏県石窟。5時廻って廻りも薄暗くなっていたのですが石窟に行った唯一で感激しました。(気分的には目指せ敦煌でしたが・・)当然石窟内は写真禁止でした。



参考→「鞏県石窟
きょうけんせっくつ
中国、河南省の鞏県城北西、約1.5キロメートルにある北魏(ほくぎ)の石窟寺院。大力山の断崖(だんがい)に南面して5窟がある。古く浄土寺といわれ、明(みん)代の重修碑によると、北魏景明年間(500~504)に開削されたと伝える。第1洞と第2洞は西部に、第3、第4、第5洞の3窟は東部に位置しており、第1洞と第2洞の間には摩崖の釈迦(しゃか)大像が刻まれている。第1洞から第4洞までの4窟は方柱窟で、方柱の四面に仏龕(ぶつがん)をつくり、周壁にも仏龕、千仏などを刻み、また腰壁には伎楽(ぎがく)の天人、鬼神怪獣の像。門口内両側には王侯貴族の礼仏図。天井の格間には図案化した蓮華(れんげ)、蓮華化生(けしょう)、天人などを描いている。第5洞だけが仏龕窟であるために、内部構造や荘厳(しょうごん)も異なり、造営年代も520年代の後半。ほとんど同時に工事が進められ、第2洞が未完成のまま廃棄されているところをみると、北魏の滅亡とともに造営を終えたものと推測される。
[吉村 怜]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ」







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