森かずとしのワイワイ談話室

平和・人権・地球・子育て・教育・くらし・そしてまちを語る

考 アイデンティティ

2008-05-20 23:58:43 | 森かずとしの子育て・教育相談室
 気づけば書き始めてから今は深夜2:00。映画「靖国」鑑賞記の中で、半沢さんが高邁なアイデンティティ論をコメントしてくれました。私も改めてアイデンティティについて考えてみました。 

 今日は、学校現場出身の県市議が集う石川県民主教育政治連盟の会合がありましたが、改定教育基本法に沿った新学習指導要領における「伝統文化の継承」、「日本人としての自覚の育成」が、「君が代」の歌唱修得ともセットになって教育内容として記載されていることについても議論がなされました。国家が制度として行う教育において、教育の担い手である教職員は、このアイデンティティをどう考えていくのかが重要になっていくと思います。半沢さん曰く「脆弱なアイデンティティ」の超克です。
 しばらく前のことですが、ある飲み屋さんで偶然に隣同士に座った30歳代中程の教師が、私の顔を見て、「森さんは小林よしのりの作品をどう思いますか。ぼくは、かなり影響を受けています。植民地時代も社会資本の整備などで、現地の役に立っているとも考えられますし・・。」確か、そんな趣旨でした。
 1995年敗戦50周年を機に、「自由主義史観」を名乗る当時東大の藤岡信勝氏らが、事実としての日本の侵略責任を相対化し、自由な立場で歴史のパラダイム転換を果たすと颯爽と登場しました。しかし、10数年を経過する中で彼らの運動も集合離散を繰り返し、今は彼ら自身が否定していた国家主義の歴史観に収斂されてしまっています。民族主義派に取り込まれたというか、民族主義そのものとなってしまった感があります。
 これに対し、アジアの戦争被害者の声と史料が掘り起こされ、国境をまたぐ論争が展開されてきました。国連関係、世界諸国の国会決議、隣国韓国では日帝植民地化歴史真相究明法のような立法がなされ、国を挙げての調査が推し進められました。その流れの中で、百人切り競争、南京大虐殺生存者夏淑琴さん裁判、先般の沖縄戦集団自決軍命裁判などで、歴史修正主義派は敗北し、従軍慰安婦問題は世界の人権問題にと、史実の客観的な位置づけ直しの時代がやってきていると思っています。
 私は、言うまでもないことですが、戦争体験がありません。しかし、戦争体験の継承には責任を負っているとずっと考えてきました。それは、言うなれば私のアイデンティティとしての心の動きというものではないかと思っています。事細かな事実をすべて知り、検証することには無理がありますが、不都合なことであっても知ろうとすること、自分の認識を絶えず変化させ、豊富化するために、世界史的な視野に立って歴史事実の大要を把握する学習と思索が必要だと思います。そして、戦争のような国境を越えた相手のある事実には、相手側との対話が成り立つ事実の共有が不可欠です。そのためには、相手側との間にある線を越えて、行き来し、対話し、痛みに共感する行動が必要でもあります。

 回り道になりましたが、先の青年教師の問いに、私は次のように答えました。「小林よしのりのマンガに描かれた言説を中国や韓国・朝鮮を訪れ、戦争体験者や遺族の前で公言し、共感を得ることができるだろうか。社会資本整備の目的は何であったか、破壊したものは何であったか。事実の認識において相手側と共有できない言説をひたすら内向きに国境の内側にこもって開陳しているに過ぎないものを次代の世界をになう子どもたちに伝えることは正しいことなのだろうか。そこをどう考えるかということではないか。別の角度から勉強してみることを勧めるよ。」

 私自身は、一般的に言うところの日本人であることを否定すべくもありません。しかし、「日本国家の立派さ」を無批判に受け入れ、それを自分の支えにして生きようとは思いません。ひとりの日本人として、人間同士の対等な関係を築くことの幸せをアジアの方々との交流を重ねて確信に到っています。そのことと、日本人であることは何ら矛盾することなく私のメンタリティの中で健康的に共存しているのです。
 半沢さんがザイードのことに触れられています。彼に触発され、ユダヤ系の指揮者ダニエル・バレンボイムが、イスラエルとパレスティナの若い演奏家たちで編成したウエスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラがパレスティナの地で音楽による和解を目指す演奏を行ったことを、私は、極めて困難なしかし歴史的な大事業として記憶する者の一人です。私は、2002年の2月にバレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場引っ越し公演リヒャルト・ヴァーグナーの楽劇「ヴァルキューレ」を東京で観ています!)
 世界は確実に開かれています。それは、新自由主義・グローバリズムのいう利益獲得のための開放ではなく、まさに人権獲得という解放の扉です。その事業を自らのアイデンティティとする日本人よ、沸き出でよ!という気持ちです。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本文化の相対性と多元性 (半沢英一)
2008-05-21 12:51:44
 森さんが私の拙いコメントに新しいアイテムを立て応えてくれたので、ついでに「日本的アイデンティティ」について、私の考えて来たことを開陳させてもらいます。
 私が小林よしのり氏や小泉純一郎氏その他大勢の「日本的アイデンティティ」にこだわる人たちの言うことを見ていてまず思うのは、この人たちはそもそも日本史について、非常に貧しい知識しか持ちあわせていないのではないかということです。
 日本史も世界の他地域の歴史と同様に、相対的・多元的に形作られてきました。そういった相対性・多元性の中に歴史の豊かさがあるのに、これらの人たちは七世紀末に作られた日本の古代的伝統でも何でもない天皇制と、明治以降の克服しなければならない帝国主義の二点からしか日本史を見ていないのです。
 日本列島の文化は(おおざっぱに言えばですが)、東南アジアから稲作を学び、朝鮮半島から金属器を学び、中国から文字を学び、インドから仏教を学び、ヨーロッパから自然科学を学び、アメリカ合衆国から民主主義を学んだ、どこから見ても相対的・多元的な文化です。現代の「日本的アイデンティティ」を求める人たちの、帝国主義時代の「つらい真実」や「他者の苦痛」に向き合わない現実逃避は、積極的に異文化の摂取にとりくんだ先人の進取の気性にもとるものだとも言えるでしょう。
 帝国主義の時代にも、日露戦争に反対した内村鑑三、朝鮮や台湾などの植民地を放棄し独立させることを主張した石橋湛山、植民地・朝鮮人民の権利を護って戦った弁護士・布施辰治など、大日本帝国と一線を画した多くの日本人がいました。私はそれらの人と同胞であることを誇りに思っています。
 中世においても、日本は平安時代の350年間死刑を廃止していたことを、私は光市事件判決のときの本ブログのコメントで述べさせてもらいました。この死刑停止期を揶揄的に評価するむきもあるのですが、私はそれを「一切衆生悉有仏性(すべての生きものは仏となる可能性をもったものとして尊いのだ)」を原則とした日本仏教の、ヒューマニズムの表れとして評価しています。
 ハンセン病患者の救済事業をしたことで名高い西大寺の僧・叡尊は、蒙古襲来のとき蒙古退散を祈祷したのですが、そのとき船が沈んで蒙古兵が溺死することを嫌い、蒙古の船が風で大陸に送り返されることだけを祈りました。このように敵の命をも尊重する姿勢が叡尊一人のことだけでなく、ある程度日本人民に共通のものであったことを、博多湾志賀島の蒙古塚は物語っています。それは台風で壊滅した蒙古軍の溺死者を、現地の日本人民が哀れんで供養したものだからです。「バカチョン」「チャンコロ」「鬼畜米英」と他国民をさげすみ、そのことによって自分自身をも辱めた「日本人」と違う「日本人」がそこにいます。
 古代においても、蘇我蝦夷・入鹿父子に攻撃された「聖徳太子」の遺児・山背大兄皇子(やましろおおえのみこ)は、蘇我氏と武力で戦うことを臣下から奨められたとき、戦えば勝つだろうがそれでは多くの無辜のものが死ぬことになる、その遺族が後に、山背大兄皇子のために父母を亡くしたと嘆くことを望まないといって、一族ともども自殺しました。「後世に、民の吾が故によりて、おのれが父母をほろぼせりと言わんことを欲りせじ」という山背大兄皇子の言葉が『日本書紀』に記されています。「海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、おおきみの辺にこそ死なめ」という歌だけが古代日本にあったわけではなく、戦役で死ななければならない人民の悲哀を思い、そのために自殺した王族の伝承も、またあったのです。
 日本史も世界の他地域の歴史と同様に相対的・多元的なもので、その中には人類的普遍性を持ち、日本人としてだけではなく人類の一員として学ぶべきものも多く含まれています。天皇制と帝国主義のみで考えられた貧しい「日本的アイデンティティ」は、日本史を貶めるものだと私には感じられてならないのです。
 

 
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。