goo blog サービス終了のお知らせ 

里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

盆提灯に灯りを灯す

2025年08月14日 | 暮らし

昨13日夜には盆提灯に灯りを灯しました。
当地方のお盆は8月13日から16日までが普通でいわゆる月遅れ盆です。
13日は盆の入りや迎え盆として先祖の霊をお迎えする習わしのあるお宅も多いと思います。
幼少の頃は沢山の盆提灯を吊したことを憶えています。これは先祖の霊を迎えるためのものと思っていました。
我が家の菩提寺は浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
父が亡くなり、それを引き継ぐ形で世話人を仰せつかってすでに30年。
しかし、日常の忙しさ故に仏事の習わしは何とかこなすのが精一杯というところでした。
多少考える余裕が出来たのは勤め人稼業から解放された後と言うことになるでしょうか。
浄土真宗ではお盆に先祖の霊が帰るという概念はありません。
浄土真宗は往生即成仏の教えですから全ての人は亡くなると同時に成仏し極楽に行けると言うことです。
親鸞聖人の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の名言に凝縮されるとも言えるのでしょう。
したがって他宗で故人が成仏できるようにと行う追善供養はありません。お墓には卒塔婆もない訳です。
30年多くの仏事に関わると結構な経験値が蓄積されます。
親戚や地域では我が家と違う宗派の方がずっと多く、浄土真宗はかなり特徴的と言えそうです。
地域の中には様々な宗派が混在するため、宗派を越え地域なりの習わしが形成されてきたのでしょう。
当地方では、昔から、親戚間で初盆に盆提灯を送る風習があります。
お盆に先祖の霊をお迎えすることがないので本来は提灯を飾ることもないはずと思ったりもしていました。
しかし、これは小生の思い違い。阿弥陀仏の光明を象徴する灯りであって先祖の霊を迎えるためではないのでした。
我が家でも両親が亡くなった折りにいくつか頂きましたし、それ以前の提灯もあります。
逆の立場で我が家からも同様に送ってきましたが、時代の変遷とともに住まいなどの環境も変わっています。
次第に現物ではなくお提灯代として現金を送るようになりました。
今は昔のように沢山の提灯を吊るすようなことはしませんが、今年もいつも通り立て型の盆提灯を二つ用意しました。


夕方に灯りを灯します。


我が家では幼少の頃から迎え火は焚きません。盆棚は作っていましたが、精霊馬等の飾りものはしませんでした。
これらは教義に叶ったものですが、真に理解してのことだったのかは定かでありません。
今は普段の仏壇のままで綺麗にする程度です。但し、ご飯、お萩、果物、菓子などのお供えをします。
浄土真宗ではこれらのことも故人に捧げるものではなくご本尊阿弥陀如来に捧げるものとされます。
お盆は故人の霊を迎えるのではなく偲ぶものなのでした。




最新の画像もっと見る

2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
成仏とお盆 (はな)
2025-08-14 09:08:14
畑の写真をいつもありがとうございます。
立派な盆飾りも拝見しました。
私の生家は禅宗の農家で、お盆は先祖の還る日でした。 毎年盆飾りをして迎えますが、果たして、盆だけ返ってくるのかと今、考えます。 魂は何時でも家のなかにあるのではないから。
浄土宗は、もしかしたら正しい考えではないかしらと。
成仏したものは魂は残っても、もう世俗に戻りご飯を頂くことはない。 再会したいと情に流れるは、ただ心の弱さなのではないかしら?とも。
とてもよいお話を聴き、ありがとうございます。 仏陀の考えでなく、人がそれぞれに考え解釈してしまうから宗派として別れるのは残念なことです。 
盂蘭盆は、亡き先祖を偲ぶもので、けっして未練をつなぐものではないと思うようになりました。

いきなり失礼いたしました。
返信する
Unknown (kazmelon)
2025-08-14 11:15:03
はなさんへ。
コメントありがとうございます。
拙ブログをご覧いただき恐縮です。
仏事のやり方も昔とは大分変わってきましたが、田舎ではまだまだ習わしが残っています。
宗派も様々、我が家の親戚でも臨済宗、曹洞宗、真言宗、浄土宗と同じ浄土真宗は少ないです。
それぞれの宗派に色んな機会に触れることも多いのですが、浄土真宗はより特徴的と感じますね。
ある意味現実的とも感じられ共感できることが多いように思います。
もっとも、小生は深く帰依しているとかではないので知らないことの方が圧倒的に多いです。
ありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。