里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

ソラマメ「終り初物」も今は昔

2022年06月30日 | 畑:豆類



当地方も何と梅雨明け。と言うか6月梅雨入り宣言前が連日雨で梅雨状態、宣言後が梅雨明け状態。
ソラマメの葉も次第に黄ばんできました。終りを告げる印です。


しばらくぶりで作ったので感覚はイマイチだったものの、まずまずの出来となりました。
倒伏対策は支柱に横テープを2段に張っただけの簡易なものです。それで十分な効果がありました。
ただ土砂災害警戒情報が発令される大雨で全体が畝方向に少しなびきました。
実害はなかったようです。


3月に追肥と土寄せをし、さらに4月にがっちりと土寄せしたのが効果的だったと思います。
株全体が遅れていたものも若干ありますが、今穫れているのは主に上段の莢。


下段で遅れ気味だった莢も少し。


この時期になると莢に錆が付きやすくなります。


病害虫は殆ど見られません。ここに来てチョコレート斑点病が若干。


河内一寸は、もともと3粒莢の比率が少なく2粒莢が多いので、今はほとんど2粒、1粒莢です。
当地方の主力品種の打越一寸は比較的3粒莢が多い。
ソラマメの市場価格は3粒莢、2粒莢、1粒莢と綺麗に差が付きます。
ですから3粒莢の出来やすい品種を作るのは当然と言えます。
ソラマメは食用にならない莢の部分が大半なので粒が少ないほど歩留まりが悪い。
但し、粒の大きさは2粒、1粒莢の方が大きいです。
まだ結構穫れます。


2分半茹でました。穫り始めからみると風味は少し落ちるでしょうか。助っ人宅では天ぷらや素揚げでも食するらしい。


あとは片付けながら穫って終了とします。
ところで、当地方が昔からソラマメの産地になっているのには、訳があります。
かつて、越冬栽培するソラマメは当県南部が北限とされました。
京浜市場に出荷されるソラマメは南から北上し当地方が最後、「終り初物」の産地として珍重されたのです。
面白いことに、昔はソラマメは作られているのに地元では殆ど消費されませんでした。
「口に合わない」と自ら公言する生産者もいたものです。
地元の嗜好が枝豆、特に青豆であったことによるものでしょう。
ですから、地元市場にも店にも殆どソラマメの姿がありませんでした。
さすがに現在はそんなことはありません。鹿児島のソラマメも並んでいます。
かつて珍重された当地方の「終わり初物」のソラマメも昭和の時代で終わりを告げます。
30余年前、当県北部で春播きソラマメの栽培が始まり、当地方より遅い産地が出来ました。
さらに春播きソラマメは北海道にまで達し、当地方の「終り初物」も今は昔となりました。
「終り初物」と言う言葉も死語になっているかも、と検索してみたところ冒頭に出てきたのが、何と中島みゆきさんの「終り初物」と言う曲。
昔々ギターをかき鳴らしていた小生も、とんとご無沙汰で、中島みゆきさんも「時代」「悪女」「地上の星」くらいまでしか知りません。
テレビの主題歌で2020年1月リリースらしい。
「こんな言葉を今どきわかる人がいるかしら 言葉は変わる暮らしは変わる 今ではなんて言うかしら ・・・」
身につまされます。



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