里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

60年前出来た帯戸は未だ健在

2020年02月23日 | いえ

  しばらくぶりで、「いえ」に関わることを記録します。
 我が家の居間にある帯戸は作られて60年になります。


 このガラス戸も同様です。


 以前に、築130年の古民家について書きました。(フォトチャンネル「築130年の古民家の記録」
 私が生まれてから3度の改築、リフォームをしていますが、本体は建てられて以来変わっていません。築130年の根拠は、昭和57年に亡くなった祖母が生まれたときには、すでに現在の家があったということがはっきりしているからで、その祖母が生まれたのは明治25年、つまり128年前、それより何年前かは不明なので築130年の古民家としたわけです。ちなみに祖母は長女で、祖父は婿養子です。
 約60年ほど前、私が小学校高学年の時に改築した当時の姿は、その後の2度の改築、リフォームで大分変りました。しかし、居間で全く変っていないところがあります。帯戸とガラス戸です。


このようなガラスは今はほとんど見られなくなりました。


 この帯戸とガラス戸は約60年前の改築したときに出来た当時ののままです。
 60年前、茅葺屋根が瓦屋根に改築された折、この帯戸やガラス戸に変えられたのです。


 この帯戸の前は全面板の帯戸で黒光りしていました。やや記憶も曖昧になってきましたが、昔は囲炉裏でしたからすすが付き磨かれて床板や戸板などが黒光りしていました。
 戸を作るのは建具屋さんかと思いきや、当時は大工さんが作っていました。帯戸は何枚かの板をつなぎ合わせて長い板状にします。それと接着するのは今なら強力な化学接着剤ですが、当時はご飯粒です。ご飯を練って糊状にし、それで貼り合わせるのです。子供の私は面白くて飽きもせず眺めていたのでよく憶えています。60年経った今でも隙間など微塵もありません。


 隣の座敷側から見た帯戸。


昔の大工さんの技量は凄かったと改めて思い知らされます。


 実は、20余年前リフォームした折、この帯戸とガラス戸を新しいものに変えようとしました。ところが棟梁に止められたのです。もうこのような戸は作れない、変えるべきでない、と言うのです。
 この戸を作ったのは先代の棟梁の時代で、自身も先代棟梁の元で仕事をしていました。そして、リフォーム時の仕事の主体は棟梁の息子さん、つまり帯戸を作った当時の棟梁の孫に当たる方です。
 今は棟梁はすでに亡く、息子さんが継いでおられます。我が家は3代の棟梁のお世話になったわけです。棟梁はこの帯戸を後世に残したいと思われたのでしょう。


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