とおつおやのみたまやにむかいてもうすことば
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深鉢 縄文前期
縄文土器は一万年まえからつくられはじめた。
生活第一、生業第一、自立と共生の出発。
深鉢とは煮炊きのためにつくられた。その模様とは縄による渦潮である。
海の波、河の波。
北から南から東から西から、この日本に土着した縄文人とは海洋の民であり
河の民であり、山の民でもあった。その根源とはハイブリットであり
マトリックス複合でもあった。そして土着の力でもあった。
縄文人は海や河の洪水を恐れ高台にムラをつくった。
男は海や山へ動物や魚を狩りにいった。
女は採取経済として、草の実や山の実をとりにいった。
とおつおやのみたまやにむかいてもうすことば、
縄文から出発した。
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深鉢 縄文前期
把手付深鉢 縄文中期
縄文時代のことを日本庶民が知ることができたのは、敗戦後の昭和21(1946)年からで
あった。すでに明治10(1877)年に東京大森貝塚の発掘によって、縄文の遺跡が全国各地
で発見されていたが、明治維新国家官僚・大日本帝国国家官僚によって、昭和20(1945)年
8月15日の敗戦まで、縄文研究の発表は禁止されていたのであった。
明治維新国家官僚による国家神道ではなく
縄文からの生活第一、生業第一、自立と共生の出発として日本神道を探究する人々は確実
に存在している。
それが現在の静かなる庶民による古事記研究潮流でもあろう。
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人面付釣手土器 縄文中期
火焔型深鉢 縄文中期
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深鉢 縄文中期
深鉢 縄文後期
注口土器 縄文後期
巻貝型土器 縄文後期
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壷型土器 縄文晩期
注口土器 縄文晩期
浅鉢形土器 縄文晩期
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1万年前の縄文から日本に土着した庶民はあらゆる災害にも負けず
生活第一、生業第一、自立と共生で生存してきた、その遺伝子は
過去から未来への船でもあった。
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玄米発酵乳酸菌製造を後ろにして小林秀雄<無私の精神>を撮る
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