愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

とおつおや(祖先)のみたまやにむかいてもうすことば

2014年08月14日 | 歴史

とおつおやのみたまやにむかいてもうすことば

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深鉢  縄文前期

縄文土器は一万年まえからつくられはじめた。

生活第一、生業第一、自立と共生の出発。

深鉢とは煮炊きのためにつくられた。その模様とは縄による渦潮である。

海の波、河の波。

北から南から東から西から、この日本に土着した縄文人とは海洋の民であり

河の民であり、山の民でもあった。その根源とはハイブリットであり

マトリックス複合でもあった。そして土着の力でもあった。

縄文人は海や河の洪水を恐れ高台にムラをつくった。

男は海や山へ動物や魚を狩りにいった。

女は採取経済として、草の実や山の実をとりにいった。

とおつおやのみたまやにむかいてもうすことば、

縄文から出発した。

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 深鉢 縄文前期

把手付深鉢 縄文中期

 

縄文時代のことを日本庶民が知ることができたのは、敗戦後の昭和21(1946)年からで

あった。すでに明治10(1877)年に東京大森貝塚の発掘によって、縄文の遺跡が全国各地

で発見されていたが、明治維新国家官僚・大日本帝国国家官僚によって、昭和20(1945)年

8月15日の敗戦まで、縄文研究の発表は禁止されていたのであった。

 明治維新国家官僚による国家神道ではなく

縄文からの生活第一、生業第一、自立と共生の出発として日本神道を探究する人々は確実

に存在している。

それが現在の静かなる庶民による古事記研究潮流でもあろう。

 

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 人面付釣手土器 縄文中期

 

火焔型深鉢 縄文中期

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 深鉢 縄文中期

深鉢 縄文後期

注口土器 縄文後期

巻貝型土器 縄文後期

 

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 壷型土器 縄文晩期

注口土器 縄文晩期

浅鉢形土器 縄文晩期

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 1万年前の縄文から日本に土着した庶民はあらゆる災害にも負けず

生活第一、生業第一、自立と共生で生存してきた、その遺伝子は

過去から未来への船でもあった。

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 玄米発酵乳酸菌製造を後ろにして小林秀雄<無私の精神>を撮る

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