愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

小説  新昆類  (6) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 テルがノブと出合ったのは沢のバス停留場から豊田の廣次の家に帰る途中だった。ノブ
は矢板の金属会社に旋盤工として勤めていた。ノブは豊田の寛の家から自転車で矢板の町
に通っていた。テルとノブはいつも通勤途中の豊田の道で会っていた。ある日の帰り道、
テルが沢の停留場で降りて歩いていたら、後ろから自転車でノブがやってきた。ノブはテ
ルに帰り道が一緒だから自転車の後ろにある荷台に乗れと誘った。テルは恥ずかしかった
が、乗せてもらうことにした。それから急にテルとノブは親密になっていった。数日後、
またノブは会社からの帰り道、テルと出合い自転車の後ろに乗せた。そしてテルに今度の
日曜日、映画を見に行がねぇげ? とテルを映画館に誘った。テルは同意した。日曜日に
ふたりは矢板の駅で待ち合わせ、駅の近くにある東映の映画館に入り時代劇の映画をみた。
映画がはねてノブはテルと食堂で飯を食った。矢板からの帰り道。テルはノブの自転車の
後ろに乗った。二人乗りの自転車は、山を越えて、沢まで行きそれから豊田への道を帰っ
ていくのだが、ノブは山の中へとテルを誘惑した。ノブはテルの子宮へと射精をした。

 テルはその山の中の契りによってノブの子を宿すことになった。テルはノブに結婚を迫
ったが、ノブの家が強烈に反対をした。テルは廣次の家でノブとの子である長男のトモユ
キを産んだ。テルの生存する道はなんとしてもノブと結婚することだった。ノブも家が反
対しているがテルと結婚するしか責任をとる人の道はないと強く思っていた。ふたりは相
談して東京に駆け落ちした。最初はノブが旋盤工として勤めた品川の職場近くのアパート
に住んでいたが、運良く調布にある都営住宅が当たった。ふたりは長男のトモユキを連れ
て調布飛行場がすぐ前にある長屋の都営住宅に引っ越した。そこで次男のヨシヒコと三男
の泥荒が産まれた。

 栃木県那須郡野崎村大字豊田五六四番地で、ノブは産まれた。大正十四(一九二五)年
六月だった。父は寛、母はトキだった。ノブは次男だった。寛の家は豊田で豪農の地主だ
った。寛は矢板農学校を卒業した。寛はトキに五人の子供を産ませた。四人が息子で末っ
子が娘だった。寛は廣次の兄だった。次男の廣次には痩せた土地しか与えられなかった。
貧困の廣次は七人の幼子を失ったが、地主の家を継いだ長男の寛は子供を死なせることは
なかった。寛は豊田でも傲慢な男だった。軍隊に行って近衛兵を務めたことが寛の自慢だ
った。軍隊では上官まで出世した。兵役が終了し、村に帰ってくると、寛は軍人癖が抜け
きれず、いつも地主として威張っていた。

 矢板町からやってきた共産主義者の農民オルグが、小作人を煽動し、寛の家の庭で騒動
を起こしたが、大田原警察からやってきた警官が鎮圧してくれた。昭和五(一九三〇)年
の豊田小作人騒動事件だった。首謀者は捕まり大田原警察の監獄にぶちこまれた。その後、
小作人を農民運動に組織する栃木県北部の共産主義者は根こそぎ、治安法違反で逮捕され
たので、寛はひとまず安心した。矢板の川崎村からは日本共産党の青年団体である共産主
義青年同盟中央委員会の幹部になった人間が出た。それは寛が出た矢板農学校の同級生の
高橋吉次郎だった。「東京に出て、あいつは赤になったんべよ」という噂が寛の耳にも入
っていた。豊田の地主は寄り合いを持ち、町の大田原、佐久山、野崎、矢板からの赤が豊
田に潜入しする街道を監視する対策を話し合った。見知らぬ男を見かけたら、すぐ沢の駐
在所に通報することにした。

 寛の家は、小作人から「あすこはヒト・ゴ(五)ロ(六)シ(四)番地だんべ」と陰口
を叩かれていた。マッカーサーによる農地解放令によって、寛は多くの農地を手放すこと
になった。喜んだのは、それまで寛にいじめられていた小作人だった。寛の家は没落した。
周りの百姓は「いい気味だ」と冷ややかに、寛の家の没落をながめていた。農業では小作
人がいなくなり没落したが、寛は親から譲られた山を持っていた。その私有地の山は豊田
一番だった。寛の家の裏から増録村へと続く広大な山の領地は寛のものだった。増録村と
成田村の境界の山も寛のものだった。成田村のデイアラ神社近くまで寛の山だった。

 ノブはおとなしい子供だった。小作人の子供は尋常小学校に入学する頃は、家の手伝い
をしたが、ノブは地主の子供だったので、家の仕事はしなかった。小作人からノブは「ノ
ウちゃん」と呼ばれ、可愛がられた。寛の子供が寛のように尊大に威張る人間にならない
ように、小作人たちは、寛の子供に表面的な愛情を注ぎ込んだ。ノブは関東軍の謀略で満
州事変が勃発した昭和六(一九三一)年、豊田尋常小学校に入学したが勉強は得意ではな
かった。ただ駆け足が得意だった。家ではいつも寛が家長として威張っていたので、いつ
も寛の前ではビクビクしていた。母のトキは優しかった。トキは小柄な女だったが、全面
的な愛情を子供たちに注いだ。矢板農学校を卒業していた寛は、自分たちの子供の成績が
あまり良くなったので、トキに「おまえがバカだから、おまえの血を引いんだんべ」と悪
態をついた。豊田ではほとんど同族結婚だった。

 長男のマサシは弟のノブを可愛がった。ノブの下に弟のカズ、サブ、マモルが産まれた。
最後に妹のムツコが産まれた。寛とトキの子供は、トキのおだやかな性格の遺伝子を継承
し、いずれもおとなしく人が良い気質があった。しかしその底には、寛の冷たい冷酷な利
己主義の遺伝子が眠っていた。ノブが豊田尋常小学校に入学すると、すぐ番長を決めるケ
ンカが休み時間に校庭で始まった。豊田尋常小学校の伝統だった。おとなしくスローテン
ポだったノブは最初のケンカで敗れた。もともと番長になる野心がなかった。番長にのし
上がったのは小作人の子であるグンジだった。グンジの親父は豊田の小作人騒動の時、大
田原警察の留置所にぶちこまれたので、寛の家には恨みをもっていた。

 小学校の生活に慣れた尋常小学三年の六月、ノブは放課後、グンジに呼び出された。
 
「番長がノブちゃんに用があんだど」そう東豊田のトヨジがノブを校庭の前にある小山の
奉安殿に連れていった。昭和天皇の御真影と教育勅語が厳重に保管されている神社風の奉
安殿の前にグンジが腕を組んで立っていた。グンジはノブを奉安殿の裏に連れていった。

「おめぇのうちは山の主さまと威張っているが、あの山はもともと村のものだったんだん
べ、おめぇ知っていたげ?」

 グンジがノブに質問した。
 
「……」ノブはなんのことか分からなかった。

「おらが教えてやるべ、もともと村のものだった山を、おめぇのじいさまが、山県有朋に
とりいって、自分のものにしてしまったんだんべよ、おめぇのじいさまは悪人だんべ、村
じゃ、みんな知っていっぺ。おらの父ちゃんも、山に入って落ち葉や薪をとって
来るのにも、いちいち、おめぇのいえに、ことわりに行かなくちゃなんねえ、ふざけんな
このやろ!」

 ノブはグンジのゲンコで頭を殴られた。そして地面にノブは倒され、ゲンジの尻がノブ
の腹に乗った。グンジはノブのシャッツのえりをつかみ言った。

「いいか!地主だからっと言って、ガッコウでは調子こくんでは、ねえど、わかったがよ、
おらの父ちゃんは、おめげのおかげで留置所にぶちこまれたんだんべよ、おらだって、警
察なんか、おっかなぐねえんだ、この、でれすけやろう!」

 ノブは泣きながら、分けもわからず「ワガッタ、ワダッタ、かんべんしてぐれや」とグ
ンジに哀願した。グンジはノブの体から離れ、立ち上がった。ノブは泣きながら起き上が
った。

「いいか、兄貴や親に告げ口したら、どうなるか、わがっていっぺな」

 そうグンジは捨てぜりふでノブを恫喝した。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】


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