愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

小説  新昆類  (16) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類

 大日本帝国・帝都東京は、日本国の首都東京に変貌しても、律令制度のシステムは保守
しきる。朝鮮戦争に突入する前夜、占領軍によるレッドパージ政策に寄生して、敗戦後に
高揚した民衆の変革の要求とたたかいを封じ込め動物的本能である自己遺伝子と模倣子は、
朝鮮戦争という他者の犠牲の上に成立する経済復興によって、再度、政界・財界・官界に
おいて復活する。

 解体されたかにみえた財閥銀行は、朝鮮戦争による収益によって、金融という血管をは
りめぐらし、死んだかにみえた系列の巨人体をよみがえらせるのである。一九九二年、U
SAによって批判されている日本市場の不透明、持ち合い株制度、系列という独占体質は、
朝鮮戦争において形成される。さらに下向すれば大東亜戦争総力戦経済体制であり、さら
に下向すれば明治初期に出発する国家官僚主導による資本主義の律令制度的形成にまでた
どりつく。

 日本の資本主義とはアングロサクソン的な自然発生的に生成してきた市場経済ではない。
律令制度システムによる統制によって自然生成してきた資本主義である。ゆえにスターリ
ン資本主義となる。

 スターリンは孤独であり誰も信用せず、彼が主体化したのはマルクス主義の前提である
ヨーロッパ哲学史・ヨーロッパ経済学史ではなく、ロシア皇帝政治警察との死闘の体験で
ある。革命者は逆説的に政治警察との死闘により政治としての民衆支配方法を学ぶ。なぜ
か? 十九世紀は個人の世紀であったが、二十世紀は組織の世紀となったからだ。組織と
は組織との死闘により建設される。スターリンは流刑地のシベリヤから歩いてモスクワに
戻ってきたという英雄伝説がある。

 スターリンは政治警察との死闘に打ち勝ったが、逆に皇帝ツアー政治警察のウィルスに
感染し、ロシア皇帝の自己遺伝子と模倣子はスターリンの体内に浸入した。民族の牢獄を
スターリンはウィルスの進化として、ソビエト連邦として再編した。これがスターリン民
族主義の理性と正義であった。

 革命による反革命の悲劇はなにゆえ起きるのか? それは革命戦争が政治警察やあるい
は軍隊により、民衆から引き離され、孤立した空間に封じ込められることにより、革命者
に民衆不信あるいは他者不信を引き出しながら、政治警察のウィルスは革命者の模倣子に
浸入する、こうして自己遺伝子は革命が成功した後に再起動する。歴史とは動物的本能と
しての自己遺伝子と模倣子の反復である。模倣子こそは自己遺伝子と往復する回路として
の衝動であり、シミュレーション、構想力であろう。

 地方自治国を認めた封建幕藩体制を打倒し、律令制度の反復としてあった日本の明治体
制の成立と近代の出発。明治十四年の政変で、イギリス・USA型の資本主義国家を志向し
ていた筆頭参議大隈重信と福沢諭吉の勢力が、政府から追放され、伊藤博文・山県有朋の
長州が勝利し、プロシア型国家官僚システムによる資本主義ー富国強兵戦略が選択される。
自由民権運動は粉砕され天皇絶対主義システムが古代より再起動する。古代天皇制を自壊
させたのは後醍醐天皇の野望としての鎌倉幕府つぶしだったが、後醍醐天皇まで退行した
のであり、足利尊氏は逆臣となった。「天皇の世は千年そして八千年続け、太古のさざれ
石に苔がむすように永遠なれ」これが国歌であり日本国是の誕生。

 革命と反革命が二重言語として一体になり進行する、これが明治維新としての革命であ
り反革命であった。ゆえに論理と倫理は沈黙し、アンダーグランドへ押しやられるのであ
る。 

 「建前」と「本音」、「近代」と「封建」この二重言語とはいかに自然生成し、天皇制
を廃棄すれば自己そのものが崩壊するという恐怖が、自己遺伝子と模倣子から突き上げて
くる。言葉は二重に引き裂かれ、言葉は自己から離れ、自己の体験と歴史は沈殿する泥と
なる。日本の根幹に迫り「日本イデオロギー論」を現出した戸坂潤は近代の牢獄で殺され
た。日本とは何か、その根幹をデジタルワールドに移植する作業とは、明文化することで
ある。デジタルワールドの出現とは、地球資源の限界が一九七〇年、ローマにおいて資本
主義の危機として宣言されたことに出発する。資本主義は無限に拡張していく運動である。
 月に行ってみたが、月とは資本主義が展開できる場所ではないことが冷厳な事実として
USAに突きつけられる。そこで宇宙進出競争で発展したコンピュータ・ネットワークに
おけるデジタルワールドが選択された。資本主義はデジタルワールドにおいて無限的な運
動をしていくことができる。資本主義崩壊の回避としてデジタルワールドは七十年代に選
択された。しかしここでは裸体のごとくにされる。情報とは裸体である。曖昧な日本の二
重言語は通用しない。日本自己遺伝子と模倣子はデジタルワールドによって裸体にされて
いくのだろうか? 資本主義は暗闇市場を嫌うのだ。

 数々の妨害にあいケネディは民主党大会において大統領候補指名を勝ち取る。それまで
大統領は二期八年、第二次世界大戦ヨーロッパを解放したアイゼンハウアー将軍だった。
その副大統領として支えたのがニクソンである。一九六〇年の大統領選挙においてケネデ
ィは、アイゼンハウアーの弟子ニクソンに勝利した。世界はこうしてファシズムに勝利し
た世界大戦の英雄物語から機軸が転回した。これがUSAが存続できるかをめぐる危機感
である。このときクリントンとゴアは中学生だった。そのニューフロンティア戦闘精神と
しての自己遺伝子と模倣子は彼らに継承される。これがイデオロギーである。

 一方、一九六〇年の日本総理大臣といえば、満州国建設者A級戦犯岸信介である。世界
の機軸がいかにあたらしく変わろうと日本は変わらず、天皇制のごとく狡猾に生き延びて
いけ、これが一九五五年吉田茂が創設した自民党の自己遺伝子と模倣子。その国家官僚と
の合体権力構造は四十五年間一貫として変わらず継承されてきた。隣国である韓国との政
治史との対比をみれば、日本がいかに現状維持であったかが明確になる。

 六〇年安保をめぐる闘争の季節は同時に、エネルギー基幹産業の転換としてもあった。
石炭から石油への機軸転換である。石炭つぶしに抗拒したのが九州・三池闘争であった。
労働と資本の総対決として現出した。しかし政治において新安保条約は成立し、エネルギ
ー産業は石炭から石油へと一挙に転覆された。わたしも中学校までのストーブは石炭だっ
たが、六八年高校へ入学すると石油に変わっていた。政治における永久保守国家官僚独裁
政権現状維持(保守)と経済産業における革命、これが自民党独裁政権下における生活
であり、民衆の労働と生活は不断にあたらしい経済への適用へと追いやられていく。これ
が経済における革命と競争である。庶民はとにかくいそがしい生活なのだ。新時代になん
としても適用すべく明日に追われ行く効率への道である。これが高度経済成長を実現した。
 一九六〇年安保闘争による世論をおさめるべく岸信介が退陣し、池田隼人が新総理大臣
になる、彼のブレーンによって国民統合のプログラムが準備された。所得倍増計画である。
「政治革命から経済革命へ」高度経済成長戦略の機軸価値観。労働者は安保闘争と三井三
池闘争から職場に戻った。企業内労働運動、労働組合は自分の賃金をアップするだけでよ
しとする、生活向上委員会に変節していった。動物的本能である「商」の自己遺伝子と模
倣子が反復する。政治はUSAとケネディにまかせ、自分たちはそのすきに世界市場へと
のりだしていく。USA賛美論が巻き起こり、テレビ番組はUSAから提供されたドラマ
番組。ハリウッド映画が日本映画を市場において駆逐する。

 CIA極東委員会による、「文化においてUSAの自己遺伝子と模倣子を浸入させ拡張
させる」「USAの文化生活が世界の規格となる」スポーツ・スクーリン・セックスの三
S政策の全面展開が、六十年安保闘争による反USA意識の現出に対応する答えであった。
「政治と文化はUSAにまかせ、日本はひたすら労働せよ」これが世界戦略に組み込まれ
た高度経済成長の六十年代であろう。しかし六三年十一月、ケネディ大統領の暗殺は、日
本の民衆に再度、USAへの不安をかきたてた。「やはりアメリカは爆撃機B29で空襲
し原爆を落とした恐ろしい国なのだ」つねに日本民衆からよみがえってくるのは戦争犠牲
の記憶。これがUSAと日本の複合意識として奥底に起動している。USAにとってはい
つ日本が真珠湾攻撃をしかけてくるのかわからないという恐れである。

 九一年湾岸戦争で起動したのは、日本民衆にとって、B29による空爆の記憶である。
USAの財政赤字・貿易赤字そして経済の停滞をもってUSA帝国主義の没落を八十年代
から「アメちゃん」などとやゆしていた日本民衆は、湾岸戦争のリアルタイム映像に動転
する。判断能力は喪失し、続いて北欧三国の独立からついにソビエト連邦の消滅。九二年
十一月には四十代の若さでクリントンとゴアがケネディ大統領の再現を果す。USAのニ
ューフロンティア戦闘精神が再起動する。自己遺伝子と模倣子の再起動周波数は三十年で
ある。





【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

小説  新昆類  (17) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類

 わたしはなぜ六〇年の類似を、一九九二年の十一月に気づかなかったのだろう。ケネデ
ィが大統領に当選した六〇年十一月、世界はキューバ革命に代表されるごとく、中国革命
からアジア・アフリカ諸国の独立の嵐だった。八九年革命も冷戦という四十五年間にわた
る世界大戦を終焉させ、独立国をソビエト連邦から誕生させた。帝国主義としてあったソ
ビエト連邦はアフガニスタン侵略戦争の泥沼を背負い自壊する、もう一方の帝国主義とし
てあったUSAは、長期冷戦大戦の終結をみすえ、地域覇権として登場するイラクを世界
へのみせしめとして各個撃破したのである。

 九一年一月、湾岸戦争に衝撃を受けたわたしは、九二年まで判断停止・思考停止という
自失と絶望にあった。現状を理解するためには過去の類似をみよ、という思想の原点に無
知だったのである。なによりも思想とは個人による作業であり、過去との対話であること
に勇気をもって踏み出すことができなかった。高度経済成長価値観によって教育されたわ
たしは、世界の変化を理解することができなかったふるいタイプの人間であった。おしよ
せる天皇結婚式祝祭と圧倒的な日本回帰に思想として反発し、七十年代以来の日本批判精
神の一点を死守することに精一杯だった。

 高度経済成長をなしとげた日本イデオロギーあるいは日本哲学は「商」の自己遺伝子で
あり模倣子である。それは十七世紀西ヨーロッパによって形成された世界システムと世界
市場から身をかくすことによって自然生成した。徳川幕藩体制三百年間にわたり「商」の
哲学は熟成した。支配階級としての武士は藩を持ち暴力武装を私有化する官僚であり、
「商」は士農工商の最低身分制度に甘んじて、権威にすりよることによって生き延び財を
構築したのである。都市の市場と群れに目立たず埋もれ、したたかに狡猾に「商」の自己
遺伝子は進化し模倣子は拡張していく。

 三井・住友・三菱といった明治近代に表出する国家資本主義を体現する独占系列機関、
その数字人間たちの背骨と哲学、徳川幕藩体制の場所に蓄積されてきた実践的イデオロギ
ーにこそ日本資本主義の強さが内包し存在すると言われてきた。七十年代においては経団
連システム設定者たち大企業の社長とか社長たちは、住宅街につつしみふかく生活してき
た。八十年代にふってわいたボウフラとは自己遺伝子の質が違うのである。

 日本資本の数字人間の実践的イデオロギーと組織戦略指導主体は、個人において質を放
出する西ヨーロッパやUSAアングロサクソン的あるいはプロテスタンシティズムな資本
の明確な身分差、階級的な富のイデオロギーとは違っていたかにみえた。法人資本主義の
個を捨て組織のノルマ数字達成に生きる集団的数字闘争による場の独占をめざす拡張主義
の日本的経営は西洋(EC、USA)の経営者たちをおびやかしてきた。世界市場から身
をかくすことによって、三百年間という子宮によって形成された日本主義の自己遺伝子
は世界市場のウィルスとして、EC・USA・アジアから知覚される。

 人は己の肉体をむしばむウィルスが発見されれば、己の肉体と空間からウィルスを排除
し、ウィルスとの戦争を開始するのは必然。こうして特許戦争USA独占禁止法の日本適
用、規格戦争は表出する。

 経団連のシステム設定者たちは、それが己の会社でないかぎり、法人資本主義の組織か
ら離れると、個人として富はのこらない。富はどこまでも企業体としての法人資本主義組
織に保持されなければならない。しかし日本システム設定者たちはシナリオを操作してき
た者・富のネットワークを形成する族であることにかわりはない。日本が世界の金持ち国
家として世界に表出した八十年代、とくに円高ドル安の八五年プラザ合意移行、バブル形
成によって、持たざる者と持てる者との階層は明確に分裂した。

 こうして日本システムはUSA金融ネットワークを中核とする世界システムによって、
おだてられ、うまくのせられ、八五年移行のバブルを形成するのである。特徴的にはイギ
リス・サッチャー、USA・レーガン、日本・中曽根がおしすすめた国家政治経済体制が
ある。いわゆる金への貪欲、裕福な人々が自分の所有する富を自分だけのために拡張せん
と疾走する病気である。こうして社会性が喪失し、人々は金銭第一主義となり「金食えば
金が成るなりお札かな」の成金となった。

 中曽根がやったことは八五年体制と称して、社会の壊滅である。陰謀集団とくんで、成
田空港のゼネコン大規模工事、国鉄民営化分割によるバブル土地の発生、NTT民営化に
よる株投機へのあおり、すべて成金主義の土壌はサッチャー経済とレーガノミクスを模倣
した中曽根によって自然生成した。資本主義そのものをかれらは国家によって破壊した。
成金主義の日本と正義の人々との闘争こそ八十年代にほかならない。まさに機軸をめぐる
内戦であったのである。八十年代におけるゲリラ・パルチザン戦の炸裂はそれを物語るだ
ろう。しかし多くの人々は株をもち、土地を持つ成金主義へと転向していった。金こそが
成功であると。ゆえに八十年代とは壮絶なイデオロギー戦争であった。価値観と人間の死
生観をめぐる機軸転回であったが、多くの国民は金と成功を選択した。国家と結託し国民
は社会の破壊をおのれの自由意思で選択したことを、わすれてはならないだろう。八七年
多くの国鉄労働者が自殺をとげた。九十年代の日本とは死者たちを愚弄し汚辱した上に成
立したシステムであった。その社会はやがて復讐の女神によって覆されるだろう。

 日本資本主義の自己遺伝子は徳川幕藩体制以来、進化し上昇してきた数字の臨界点に世
界システムによって押し上げられ、世界市場のウィルスとして変貌をとげる。第二次世界
大戦による敗戦、形式としてのUSAから外部注入されたアングロサクソン型市場経済と
平等主義、公平なルールにもとづく数の闘争としての民主主義。日本システムにとってこ
うした連合軍による構造改革は世界市場への絶好の機会をあたえた。資本主義がより発展
するためには、明治近代に形成された天皇家を頂点とした地主制度は世界市場に通用する
ことがない桎梏なシステムだった。

 フィリピン経済がいまなおテイクオフできないのは、多国籍企業による支配が原因であ
るが、主体的要素は強力な地主制度にある。八六年の民主主義革命として表出した地主階
級のアキノ政権でもっとしても土地革命はいまだにやりとげることができなかった。土地
を地主から農民のものとする土地革命は、ロシア革命、中国革命、キューバ革命を例にあ
げても革命そのものとしてなしとげられる。日本システムは己が血を流すことなくUSA
にシステムの書き換えを代行させたのである。こうして日本イデオロギーあるいは日本哲
学の「商」の自己遺伝子は、本来のエネルギーを具現する実践的空間をわがものとした。
世界市場への再起動は目の前にあった。

 機略と狡猾にとんだ日本イデオロギーの自己遺伝子は、将軍家と武士天皇家と軍人、U
SAと日本官僚にそのつど権威の対象をすりかえながら他者と自己をだましだまされなが
ら変貌をとげる。明治近代成立以降、日清戦争・日露戦争の勝利によって、おのれを一等
国民として放漫に朝鮮半島から中国大陸へ侵略し、満州国を世界をだましながらつくりあ
げ、フィリピンから東南アジアへと拡張欲望を表出し、他者の空間を踏み荒らした土足の
血液主義は自然発生的な臣民の爆発的エネルギ-。それが敗北するや否や、臣民から国民
への平等主義をUSA軍という解放軍からもらいうけ、本来の姿にもどれる幸福を手にす
る。日本国民にとってUSA軍はまぎれもなく天皇軍国から自由にしてくれた解放軍であ
った。その神話が労働運動史上、初めてであり終わりであった日本労働者階級のゼネスト
を自壊させるにいたる。

 大日本帝国最後の天皇による政令が外国人登録法であった。こうして日本システム成員
たちはまず、強制労働にあった在日朝鮮人・中国人労働者の反乱をおさえると同時に、今
度はUSA軍を利用し、日本労働者階級の反乱をつぶすことに成功したのである。レッド
パージ政策と重なるように戦争犯罪者たちは日本システムネットワークに復帰する。その
とき、臣民の圧倒的多数者はUSA軍による占領の幸福をかみしめ酔いしれて、生活のエ
ネルギーにばく進していたに違いない。朝鮮戦争は隣国の地では残酷に血を流し人々を引
き離す悲しみに満ちた光景であったが、日本は経済復興による明るいエネルギーと興奮だ
ったのである。

 自由と経済復興の明るさの前では、おのれが犯した侵略戦争と殺人犯罪を告白する理由
はない。暗いものは隠し通さねばならぬ。過去にこだわる者は乗り遅れてしまう。大日本
帝国の敗北と侵略戦争の罪はすべてかつての軍隊の上層部にあるとする国民的合意が強力
に形成され、とどのつまり、天皇とわれわれ国民は軍部にだまされていたのだと、罪の意
識といまいましい過去から解放され、「商」の自己遺伝子をおのれの模倣子とする。成長
神話はこうして軍事組織から経済組織へと転回する。この変貌こそが原光景である。

 ヒロシマ・ナガサキの実態をUSA軍とともに隠そうとしたシステム成員たちは大日本
帝国の敗北を総括し自己改造したとはいえない。自己改革とは主体がまたはシステムを構
成する人間が血を流すということである。すべて軍部の責任とした日本システム成員たち
は、プロシア型国家資本主義から、アングロサクソン・USA型資本主義にのりかえたに
過ぎなかった。日本経済自己遺伝子はUSA型資本主義にのろかえたに過ぎなかった。ア
メリカ産業の品質管理、技術、ビジネス、思考方法をエネルギッシュに学習し、模倣子は
アメリカをめざしていく。こうして日本システムその組織が事実として戦略が根底から敗
北したのだという、戦争産業総力戦組織は突きつめて総括されることなく、大日本帝国の
時代はノスタルジアの氾濫として、ロマン主義に回収されてきた。これが日本イデオロギ
ーの本性である。イタリア・ドイツとの格差がここにある。




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (18) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類

 自己と他者をだます、おどろくべき能力を持った機略と陰謀と狡猾にとんだ動物的本能
である。関係を利用することをもって生き延びる者は、おのれの貌をしらなければ他者も
しらない。人間関係が恐ろしいものであるように、国家と国家の関係も恐ろしいのである。
 天皇を頂点にとした大日本帝国の軍事戦略は東アジア全体に戦線をのばす。その結果、
植民地においては民族解放闘争のゲリラ・パルチザン戦争に悩まされ、中国戦線では毛沢
東の持久戦争によって、広大な中国のふところ深くひきづられ、伸びきった戦線はズタズ
タに切断され敗北する。そして東南アジア戦線においては、USA海軍によって、まず海
軍が壊滅させられ、島・陸地の陣地はひとつひとつ戦略的に奪還され、ついに海軍と陸軍
は日本列島まで後退させられ封じこめられていく。アングロサクソンの軍隊はドイツ軍を
壊滅させたヨーロッパ戦線においてもそうであるが、敵の戦略的陣地をひとつひとつ徹底
的に容赦なく壊滅撃破し、一歩一歩勝利を積み重ねていくのである。その勝利への執念と
リアリズムこそ、おそれるべきである。中国戦線の日本軍兵士は生き延び本土に帰れたが、
東南アジア戦線の日本軍兵士は海と陸において、九十%が戦死した。オキナワ戦の実態を
みても、アングロサクソンの軍隊とは封じ込めによる各個撃破戦略である。本土決戦を経
験しなかった日本は、おそるべき世界史と他者を発見できなかった。

 ニューヨーク株価一九二〇年代とプラザ合意・八五年九月主要五カ国蔵相・中央銀行総
裁会議・G5によるドル高是正の合意。各国の協調介入の結果、ドル相場が急落し、円高
不況の懸念から日銀は公正歩合を再三引き下げた。長期の低金利でだぶついた資金が株や
土地投機に大量に流れ込み、バブルを形成した、紙幣印刷機経済である。円は紙となって
空から落ちてきた。

 レーガノミックスと呼ばれたレーガン経済政策は、高金利設定でドル相場をあげていく
金融ゲーム政策であり、これと連動したのがサッチャーと中曽根である。列島金融空母
化を中曽根と宮沢は推進した。金融列島改造である。そのために駅の土地を資本主義に投
げ込むために、国鉄を民営化しNTT株でもうけるためにNTTを民営化したのである。
 八五年からの株価グラフはニューヨーク一九二〇年代株価の模倣子となった。八九年十
二月二十九日、三万八千九百十五円を頂点に一挙に下降する。九〇年十月一日、二万二百
二十一円となり、一九九二年四月九日には、一万六千五百九十八円となった。一九二〇年
代の模倣子たる日本が死んだ日である。この資本主義の死を隠してきたのが重心なき九十
年代の浮かれた構造であろう。資本主義とは生産と破壊の反復としてある。これこそが消
費。生産様式の消費と破壊として経済戦争はあり、資本主義の前衛こそが数字である。庶
民的なバブル空間は九十年代に入ってからであった。

 日本の過去が主体的に問われはじめたのは、六〇年安保闘争の挫折と敗北からである。
革命的左翼の登場による帝国主義分析からであった。歴史的自己批判は敗戦から25年を
得て登場した。それまでの運動は日本国民が戦争の犠牲者であった、ふたたび戦争の惨禍
はもうたくさんだ、という反戦意識であった。六五年、戦争賠償金を問わない日本に都合
がいい、日韓条約に反対する学生運動から、日本帝国主義批判が登場する、そこで、侵略
戦争の主体的内省が開始されていった。そこから沖縄問題が連鎖していった。自己否定の
課題が問題意識にのぼる。

 スチューデント・パワーとしての世界的連関、九七年、中国における文化革命と紅衛兵
運動、USAにおけるベトナム反戦運動と人種差別撤廃運動の高揚、六八年・パリ五月革
命、日本における学園闘争と青年労働者による反戦運動、韓国の民主化闘争、これらが世
界的に連関していった。日本にとわれたのは七〇年に現出した出入国管理法上程をめぐる、
侵略戦争への主体的自己批判だった。自己と日本現代史への根底的批判は九八年から開始
されたのだが、日本システムは全力をあげて壊滅するのである。

 日本は民衆の時間とシステム成員たちの時間は決定的に分裂している。民衆の時間の現
実はみすぼらしい。絶望と無力と悔恨と敗北が連続が生活である。敗戦後から今日まで、
システム成員たちは民衆の時間と空間を奪い貧しくみすぼらしくすることをもって、おの
れの自己実現・欲望達成の操作可能な空間を占有してきた。おのれの思考とアイデアが実
現することは人間にとって快楽である。そうした快楽をシステム成員たちは、世界に隠れ
ながら市場・空間・情報を私有化することでもって、わがものを謳歌してきた。株食えば
金が成るなり法政治。

 同じ日本語を話ながら、システム成員たちと民衆は別人種。感受性、思考、行動様式、
生活様式は決定的に違う。民衆の物語と現実はあってはならぬものとして、その表出と歴
史的空間は殺され、機略と狡猾と言語操作とフレームアップにとんだ、システム成員たち
の列島空間は全面転回として表出する。それはさらに民衆の時間を悲劇の空間に閉じこめ
る。民衆の物語は俳句・短歌といった詩的運動に表出するが、その感受性が詩的武装にと
ぎすまれ、能動的な論理と悪魔のごとき執念で地獄から立ち上がり、システムの物語と貌
をはぎとり暴露することは困難である。

 八五年体制としてあったプラザ合意は日本を金融大国として、世界に押し上げる。関心
のまなざしが他者によって日本にそそがれる。八十年代後半からシステム成員たちの物語
は、USA・西ヨーロッパのジャーナリストたちによって表出した。日本に滞在し彼らは
システム成員たちの物語を、インタヴューと取材によって、その表層と歴史をえぐりだす
ことに成功した。システム成員が白人に対しては無防備だったからである。

 白人のジャーナリストは他者としての異邦人の感受性で、日本システムという固有な対
象を分析し思考し論理的に再構成した。日本資本主義の原点が江戸時代にあったことが分
析され、高度成長の原点たる国家資本主義の秘密が権力構造の謎として、満州国を建設し
た統制計画経済にあったことが、暴露される。システム成員たちへの実践的な取材によっ
て。日本のジャーナリストがシステム成員たちに接近しても、彼らは天皇制言語である
「和」の自己遺伝子によって、取り囲まれてしまうか、暴力装置によって排除されてしま
うだろう。システム成員たちが一番おそれているのは、日本住民である。彼らほど、帝国
内の階級構造に敏感な人間はいない。彼らは転覆こそおそれている。ゆえに自国内の批判
勢力としてある革命運動をつぶしてきたのである。転覆されれば明治近代以来の既得権と
再分配同盟が崩壊してしまう。ゆえに八十年代の日本とは場所において分裂していたのだ。
八十年年代のバブルとはレーガン・キンユウゲーム経済の破綻と失敗を救うために、図ら
れたのだが、ついに日本システムそのものを内部から自壊させた。その尖兵となったのが、
労働貴族の典型となった「連合」という陰謀集団である。権力に接近する者は、まずおの
れの出身階級を殺さなくてはならない。八十年代とはまた、壮大なゼロへの転向の季節で
あった。ゆえに個々人のイデオロギーが問われたのである。なぜならイデオロギーとは、
世界をつくる先行として人間存在の原点をめぐる実践の場所から発生するから。これが思
想である。

 世界市場の深層に生活する民衆はシステムの表層がみえない。国民国家に閉じ込められ
た民衆とはすでに、感受性・思考・知覚そのものが、だましとみせかけのウィルスによっ
て洗脳されている。国家暴力装置と対決し、存在空間がおびやかされることによって、は
じめて民衆は自分自身が人間であることを発見する。こうして実存者は生まれる。実存者
こそがシステムの表層を発見できる。

 民衆の空間は切断されバラバラにされる。敗北したものが「和」のウィルスに感染し、
模倣子に組み込まれたとき、イデオロギーの変節は完成し数字人間の群れは誕生する。数
字こそは空間のウィルスである。システムの深層は唯我となった個人を全体において統合
する。個人はいがみあう関係の破壊からくる、殺意をみせかけのシオテム上にかくす。階
級性を解体された階級の関係は不信がとってかわり、階級を利用するシステム成員たちは
みごとに団結している。マフィアのように。日本システムと徹底対決する武装せる表出者
でないかぎり民衆は他者をとおしてシステムの表層をかろうじて発見できるのである。
 ソ連軍をたくみに峡谷におびきよせ、ゲリラ戦によって世界史に登場した一九五二年生
まれのアフガニスタンの指導者マスード司令官は、徹底して毛沢東からフランス・レジス
タンスまで世界の戦略戦術書を学習し、アフガニスタンに実践適用したという。彼は他者
を通してこの地がおのれの主体的実践の場であるアフガニスタンの表層を発見したのであ
る。

 中東湾岸戦争でイラクのフセインは神においのりするばかりであった。そこにはもはや
表層をみる力はない。神学の深層がなにか神秘的な力に満ちており奇跡をよびおこし、や
がて勝利するのだという幻想は戦争の前にふきとぶ。戦争の表層と神学の深層は人間の内
部において再構成され再現実される。それぞれが異相の動物的本能であることに気づかぬ
者は交通関係において勝利できない。なぜなら戦争を含めて交通関係とは他者との関係。
人間関係が恐ろしい出来事を表出するがゆえに、われわれは他者から学ぶのである。神学
の深層に逃げこんでも交通関係は何ら解決しない。ゲリラ戦は表層としての空間を問題に
するがゆえに、他者から(それは敵もふくむ)徹底的に学ぶのである。イスラムの神を信
仰するがパレスチナ・ゲリラもアフガン・ゲリラも世界の他者としての表層から学び表出
することによって今日までたたかいぬいてきた。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (19) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 二十世紀最後の十年間が九十年代だった。これまで世界というイメージはどこか奇跡
のようにおのれを救ってくれる存在のように思えてきた。第三世界などはもはや存在しな
い。存在するのは、限界・限定・死・閉ざされた地球上に表出するありとあらゆる万物・
万人の表層表出だ。世界のイメージとは、ユダヤ教的世界の旧約聖書、キリスト教世界の
新約聖書、イスラム教的世界のコーラン、仏教的世界の仏典、そしてマルクス主義的世界
の共産党宣言、ロシアマルクス主義世界のインターナショナル、中国マルクス主義世界の
第三世界論(林彪)・ファノン「地に呪われた者」等による帝国主義世界に対する告発の
書によって生成してきた。すでにロシアマルクス主義のインターナショナルと中国マルク
ス主義の第三世界論は消えている。東欧・ソ連邦の自壊によって、第三世界はバラバラと
され、G7・国連安保理を中心とした帝国主義世界システムによって封じ込め各個撃破さ
れているのが今日の表層として進行している。

 それが神学としてのユダヤ教・キリスト教・イスラム教であれ、思想の武器としてのマ
ルクス主義方法であれ、民衆のイメージは世界システムとの衝突によって、内部に形成さ
れてきた。抑圧者は抑圧者の世界イメージをもって反乱者を撃破せんとする。それらが世
界イメージの対決として人間の交通関係の表層に出来事としてあらわれる。
 EC統合を起因としたブロック経済の闘争と、東欧・ソ連の労働者国家の解体と市場経
済の混乱、国連安保理による世界システムに反抗するものへのみせしめ的各個撃破戦略。
ユーラシア大陸・中央アジアの表出。旧ユーゴスラビア民族内戦。旧ソ連民族内戦。イギ
リスにおける宗教戦争と独立運動の表出。イラク・トルコ・イランにまたがるクルド民族
解放闘争の表出。チベットの局地紛争。ペルーの内戦。これら世界システム経済のブロッ
ク化と宗教戦争もからんだ民族戦争は、近代システムとしての「国民国家」形成以来、世
界イメージとしての外部も内部も解体されたことによって、すべてがありとあらゆるもの
が、近代的枠組みを突き破り、あらたなる中世の乱世に向けて突入している。
 世界の外部が解体され死臭をかぎとったのであれば、もはや私の世界・私の内部・私の
深層などは一度崩壊をとげる。乱世の時代においては、私の内部は他者との交通関係をめ
ざし、表現することによってのみ生き延びられる。なにも表現しない私の内部などは、も
はや死体そのもの。もはや外部としての世界も内部としての世界も存在しない。第一自然
の死とともに世界イメージはみごとに死んだ。

 万人の万人よる闘争。たしか哲学者ロックはこう物語る。アングロサクソン・一万年の
問いは、こうして二十世紀最後の十年間を規定する。あらたなる中世と乱世の地球史に
万人の闘争が参入する。日本語によって他者をごまかし、いつのまにか世界市場を占有し
てきた日本システムは、この万人の闘争・あらたなる中世と乱世の前に、戦略的無準備性
をさらけだし、いまや朝鮮戦争以来のシステムの鉄筋は折れ、コンクリートにはひびが入
りきしみ音をうなりながら自壊しようとしている。

 「歴史の終わり」とあなたが言うように、イデオロギーは終焉をとげたのではない。死
んだのは近代「国民国家」形成以来の世界イメージ。資本主義は外部という敵なしに内部
を形づくることはできない。資本主義の内部こそ国内市場としての「国民国家」である。
「国民国家」を基盤に資本主義は世界市場に挑戦する。その場合、外部とはまだ開発され
ていない領域である。未踏の流域といってよい。さらにはシステムが異質なおのれをおび
やかす存在としての外部、つまり敵が必要となる。敵が存在しなければ資本主義の内部は、
不合理・非理性的な共食いをはじめる。数の獣の手にあけわたすことになる。

 市場の見えざる神の手とは、つまり理性のことであるが、この理性は「国民国家」を基
盤にした動物的本能の自己遺伝子と模倣子のことである。資本主義の外部の敵として労働
者国家群は存在した。国内の敵とは資本主義打倒をめざす革命党派・労働運動・企業を告
発する住民運動・国家と対決する運動の存在によって、はじめて資本主義の理性は市場の
見えざる神として自己を保守できる。

 資本主義システムの成長と発展のためには、社会主義国家という敵・未踏の領域と異質
なシステムとしての敵がどうしても必要であり、資本主義とは敵なしには自己運動が回転
しない。資本主義とは物質が神である物神による自己運動だからである。おのれの物神シ
ステムをくつがえすイデオロギーと革命勢力が存在してこそ、「国民国家」資本主義の内
部は自然生成できる。

 外部としての敵の存在によって資本主義システム成員たちは団結できるし、世界市場に
生成する世界企業・多国籍企業も市場を占有するという新植民地収奪を可能とする。こう
して社会主義なき以後の資本主義は、あらたに敵をシステム設定する。こうして宗教イデ
オロギーと民族イデオロギーが浮上する。資本主義の最終とは個人が国家の敵として設定
されるはずである。たしか中世には暇人を興奮させるための「魔女狩り」というゲームが
あった。宗教戦争として。

 やはり資本主義上の映像と表層・最後の人間とは、中世から飛び出す。資本主義の模倣
子は過去を未踏の領域として触媒を延ばした。デジタルワールドの恐竜時代は幕をあける。
興奮と幻滅このゲームこそ、資本主義の動物的本性である。

 資本主義とは原理である。ゆえに原理なき場所に資本主義は成立できない。ドイツ観念
哲学の引用者であるあなたは、共産主義が終焉し自由と民主主義の市場経済が勝利し、イ
デオロギーの闘争としてあった歴史は終えたと、高らかに宣言した。ヨーロッパ北方民族
神学としてあるヘーゲルの閉じられた円環にまいもどり。あなたは、いささかも九十年代
を予感させる最後の人間を説明しなかった。

 人間の動物本能は洞察し表象する、そして無意味なものに意味をあたえ、世界をつくる、
人間は前世代の到達点から出発する、絶えずあたらしい更新から人間は先行する、これが
人間の存在様式である。ゆえに過去との対話は重要となる。

 人間とは出来事を発生させる社会的動物である。出来事は不断に更新される。社会は肉
体である。体は頭脳より先行する。ゆえに社会の出来事は、人間のイメージを不断に超え
ていく。なぜなら、あらかじめ、人間の頭脳はブレーキが資本主義によってかけられてい
るから。資本主義は、なんとか人間を商品にするためやっきになっている。物神だからで
ある。学校とは賃金労働者を規格生産するための工場である。そしてまた資本主義を洞察
する人間の表象行為も工場である。世界はふたつの工場による熾烈なイデオロギー競争。
 規格化された日本の多くの人々は個人としての思想が問われたことがない。ゆえに論争
はできない。つまり個人としての綱領が不在なのである。商品への同一化これが人間的内
容を喪失した日本の未来社会である。重心なき。全的滅亡は近い。しかし世界はイデオロ
ギーの力によって、かろうじて成立している。世界をつくる人間は同時に世界からも不断
に問題解決能力をめぐって問われているから。冷戦構造を利用しうまく成金になった日本
はゆえにイデオロギーをおそれている。かれらの価値観は生活向上のために金だけである
と、世界から認識されているから、その洞察をおそれている。つまり日本は個人と人間存
在様式をおそれている。世界をおそれている。自己がうしろめたいからである。ゆえにU
SAの精神奴隷となるしか世界への道はないのである。人間存在様式からはずれた日本は
ゆえに世界から孤立する。彼らの最後の人間とはやはり天皇制に帰還するだろう。あの草
原と丘のふるさとの輝き、白い馬の琴線かなでる子宮へと。

 あなたがその言説、ヘーゲル世界精神である自己絶対化がよみがえる。商品は自己完結
しているがゆえに、商品となった市民は自己中心となる。こうして都市に自己中心型人間
は大量生産された商品となってあらわれる。そのイデオロギーは、すでに破綻した効率な
る近代合理主義である。かれらは無意味なものを嫌悪する。自己拡張にとっての意味のみ
を求めているから共有をしならい。しかし資本主義の私有は自壊をとげようとしている。
世界は私有から共有へ転回した。資本主義の自己遺伝子と模倣子は社会主義という敵を喪
失たことにより、デジタルワールドへと先行した。私有ではなく共有をめざすものこそが、
資本として成立できる逆転が開始された。近代とは私的所有の世紀であった。私的所有制
度に基盤をもって資本主義は物神の自己運動を展開してきた。資本主義の自己遺伝子と模
倣子は更新しながら自己運動する半永久革命物神である。ゆえに私有をめざすふるい近代
的合理主義者は、現在の資本主義によって打倒される。こうしてマルクスはデジタルワー
ルドにおいて復活する。終焉したのはマルクス経済ではなく近代経済であることが立ち上
がるだろう。政治においても六〇年安保から四十年間日本国家権力と世界の更新をめぐり、
ソスト書き換えで熾烈に記憶装置の内部でたたかってきた革命的党派がいよいよ本性をみ
せるだろう。誰がシステム設定するのか? 政治さえも私有から共有へ移動している。そ
の意味で湾岸戦争の英雄政権であるブッシュ二世は、二十一世紀ゼロ年代に適用できない
であろう。ブッシュ二世もやはり羊たちの沈黙その犠牲者となるのだろうか? 死神はU
SA最後の人間を発生させる。出来事の特異発生こそが進化論だった。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (20) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 処女作・精神現象学においてヘーゲルは、変化するものへのダイナミックな人間の精神
運動を弁証法的神学として思弁化していった。それはやがて北方ゲルマン民族によるプロ
イセン国家形成のイデオローグとしておのれの立場を固める。

 マルチン・ルターによる宗教戦争は神学への幻滅と荒廃を民衆にあたえた。ヘーゲルは
イエナにおいてフランス革命とナポレオンの進軍に衝撃をうけ、哲学によって世界をつく
った。哲学史は自分によって総括され、みごとな円環を閉じた、とされドイツ神学を復興
させたのである。ヘーゲルの内部はドイツの動物的本能である自己遺伝子と模倣子に回収
され、世界精神を語りながら、ドイツ民族と国家神学に閉じ込められた。

 アングロサクソンのイギリスやフランスにおけるブルジョア革命、近代「国民国家」の
登場として、ヨーロッパに革命的に表出したナポレオンの戦争。その反動としてもたらさ
れたドイツ民族意識。ドイツは宗教としてのイデオロギー戦争を「農民戦争」として国土
が荒廃するまで長時間・徹底的に戦いぬいてきた。経済・産業・国家統一などはくそくら
えで、イデオロギー(カトリックかそれとも宗教革命としてのプロテスタントか)の勝敗
が重要だった。こうして幾つもの村が消滅した。それが他者としてのナポレオンに領道さ
れた史上はじめての国民軍との激突によって、おのれ自身を知る。

 ドイツには宗教戦争を通してダイナミックな人間の精神運動としてあるイデオロギー哲
学が観念上に形成された。観念とは民族言語によって形成される内面・深層であり、詩人
と思想者の王国が、やがて「土と血」のファシズムに全面組織された理由がここにある。
ドイツ観念哲学はドイツ民族言語の歴史的ゲバルト内戦によって形成されてきた。
 人間の内面は民族言語によるところの神学・思いこみとしての観念、そしておそるべき
人間関係がもたらす精神的受動と攻撃、家族という制度からはじまり地域・国家それら制
度上の表層に出現する交通関係の衝突作用によって生成する。人間関係の悲しみと喜びを
民族言語によって現出されるのが文学。

 共同体構成員の感受性がダイレクトに構成として表現され、それが共同体の多数者の心
に共鳴すれば、その詩と小説は民族文学に上昇する。近代国民国家が形成されていれば国
民文学となる。

 近代世界市場が形成されていれば、他民族言語に翻訳され他者の思考と精神にとどく。
だがそのとき化学変化がおきる。内面を放出したかにみえた民族の文学は翻訳されると同
時に異化され相対化され表層へと転化する。

 ヘーゲルが生きていた時代はすでに世界市場が形成されていた。文学は人間の感情・情
・情念として線・関係を物語る人物を現出するが、哲学はひたすら思考技術として洞察を
先行させる「人間とはどこからきて、どこへいくのか?」命題を表層へと上昇させる、そ
のために下向への道をあるく。

 ヘーゲルはヨーロッパ哲学を総括し哲学的歴史はヘーゲルによって円環が閉じられ、自
己完結したといわれている。哲学史の宗教改革マルチン・ルターであらんとしたヘーゲル
は他者としとのユダヤ思想・ギリシア哲学・イギリス・フランス哲学をひとつの宗教改革、
イデオロギー戦争として、ドイツ「土と血」民族言語内部にとりこんでいった。それが神
学の自己完結である。「土と血」はナチスのスローガン。

 老化するにしたがってヘーゲルは人間の出来事が現出する変化するものへの恐怖により、
彼の情念は世界精神の自己絶対化のうえに、おのれの体系たる哲学史の円環を閉じ、哲学
史をおのれの言語によって終わらせようとした。それはフランス革命とナポレオンによる
近代国民の登場による世界市場への恐怖といってもよい。

 表層に恐怖するものは、おのれの幻想・観念としての内部と深層に閉じこもる。そして
ヘーゲルの世界精神とは、やがて自分たち北方ゲルマン民族が世界の真理を体現するとい
う第三ローマ帝国への渇望である。こうしてドイツ観念哲学は、旧約聖書以来の神の時間
を体現するユダヤ人を抹殺し、第三帝国というドイツを中心としたローマ帝国の再現をヨ
ーロッパに建設するという、ヨーロッパ最終解決に向けて暴走したナチズムのイデオロギ
ーと連結する。日本の「土と血」は天皇制であった。ファシズムとはやはり地主たちの運
動であり、土(郷土)から工場に追われ血(家族から引き離された)労働者の復讐の情念
がゲバルトとなった。擬似郷土と擬似家族の頂点として最大地主天皇はいた。明治政権と
は勝利者による土地の占有である。ほとんどの森林は天皇と明治官僚たちの私有財産であ
った。「土と血」をめぐる民族浄化はユーゴスラビア内戦においてもあらわれたのだが、
日本ファシズムを現出させた日本イデオロギーはいまだ解明されていない。

 民族言語の内部・深層・観念・思いこみが交通関係の表層としてある世界市場の再分割
と支配に挑戦したとき強暴になるのはただ神学による。イタリア・ポルトガルスペイン・
オランダ・イギリス・フランスの国々が、海洋貿易、あるいは大航海時代によるアフリカ、
南北アメリカ大陸を植民地分割し、植民地から収奪した富で、本国の産業と商業を成長発
展させていた時期、ドイツは宗教改革の火花を起こして以来、農民戦争という宗教戦争、
イデオロギー闘争によって、荒廃と貧困のなかで観念哲学の体系の基礎工事をしていた。
ドイツ思考の徹底さは合理主義を生み、戦略的部品としての機械を現出する。ドイツの鉄
と機械はすぐれている。機械とは人間が空間に形成するもうひとつの設計思想による構築
力にちがいない。

 ドイツ思考の徹底さを継承したマルクスは、ドイツを追放されることによりパリに移住
し、そこでフランス革命運動、社会主義運動という他者との出会いによって、ドイツ言語
の内部に閉じこもっていたヘーゲル哲学と対決し、ドイツ観念哲学に対し戦闘を開始する。
そこでマルクスは革命運動と哲学の担い手である労働者階級を発見する。知識人とは民族
言語の内部である国家神学に閉じ込められている。その観念と思いこみのおかしさを彼ら
はしらない。

 これに対し賃金奴隷としてある労働者階級は、徹底して表層に生きている。その労働は
資本主義の歴史的空間と世界市場の数字である前衛に結合している。彼らの内部にはなに
か観念・思いこみといった深淵な神学がによって生活しているのではない。彼らは徹底し
て表層としての数字に全面的に規定され制約され、工場制度に従属し、その沈黙の労働は
金属機械と格闘し、集団的協働として生産する。独我的な思いこみの労働は機械にまきこ
まれ死を意味する。工場制度での生産は、観念哲学・神学・新約聖書が自然に動かしてい
るのではない。具体的・現実的な労働とは、社会的関係としての人間たちが数字といった
貨幣に縛られ生産しているのである。観念ではなく数字に毎秒追われ行く人間こそ労働者
である。

 私有され特権的な内部を持たぬ最後の人間として、歴史に登場してきた労働者階級にマ
ルクスは驚嘆する。

 「世界事象に驚嘆する能力こそは、
 その事象の意味を問うことを可能とする前提条件である」   マックス・ウェーバー

 内部をもたぬ最後の人間が、もしおのれの労働を縛る工場システムと商品・貨幣が流通
する交通関係としての市民社会システム・法制度と国家システム、それらの秘密を知った
のならどうなるだろうか? 内部をもたぬ最後の人間が民族言語の神学から、思考を逆転
させおのれ自身の哲学を探求しようとしたのならどうなるだろうか?

 マルクスは内部をもたぬ最後の人間の革命性におのれの実践的思考を結合させ、商品・
貨幣それら数学が表出する資本主義システムの貌をはぎとり、かくされた秘密をあばき探
求すべく、同時代の世界市場と資本主義の前衛たるロンドンに出発する。

 世界市場を逆手にとり、マルクスは哲学・経済学の民衆的浸透を実現した。おのれが内
部をもたぬ人間として戦略的部品の労働力商品と化し、おのれの肉体的知覚をマシン化す
ることによって機械と格闘し商品を生産する世界市場の前衛の動向に直結する万国の労働
者・被抑圧民族がマルクスを受け入れ理解せんとしたのはなぜか。

 それはマルクスの言説に衝撃を受け、おのれの世界が逆転したからである。もはや昨日
の世界と今日の世界は違う。なにも思考せずなにも探求しなくてもよし、とされていた奴
隷の幸福と別れを告げ、みわたせばただ表層のむきだしの現実世界が言語としておのれの
存在をとりかこんでいる。階級はおのれの出身階級を問うとき、蒼ざめた現実原則に出会
う。眠りから覚めた朝、職場への道で、ふと考える、おれは賃金労働者という労働力を売
り物にする商品である、と。商品とは交換に向けた命がけの飛躍である。資本主義が労働
者に教えるのは幻滅の現実原則であるが、マルクスが労働者に教えたのは生涯にわたる思
想としての登山であった。こうしてイデオロギーは存在となった。

 マルクスは徹底した思考と徹底した分析によって、同時代の表出する具体的現実原則を
再転換するジャーナリストの方法をもって、ドイツ観念哲学批判として、ヘーゲル法哲学
批判、経済哲学手稿、ドイツ・イデオロギー、フェルバッハ・テーゼ。政治革命論であれ
ばパリ・コミューンの動向を分析したフランス革命三部作。経済であればイギリス世界資
本主義の真っ只中で研究した資本論。マルクスの方法はつねに先行し、人間が交通関係の
表層に現実原則化させる出来事を研究し、具体的に哲学の方法でもって体系化する。具体
的な現実から抽象の旅に出て時間を下向して、再度、具体的な現実にまいもどりる。その
現実とは思考され言説となった実践的な現実である。言語によって対象化された現実とは
作業領域としてしか立ち上がらない。ありのままの人間の現実とは液体の時間帯だからで
ある。対象化の方法として弁証法はあった。思考と記述の方法である。




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (21) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 重要なのはマルクスの実践的態度である。ドイツ哲学・フランス政治・イギリス経済・
おのれの前に他者として表出する前衛的出来事。こうした世界事象に驚嘆し、他者から学
び格闘することにをもって現在の表層を具体的に記述するシミュレーションこそ重要であ
る。前衛とは敵が表層において現出する前衛的出来事から学び研究し、再構成することを
もって現在の表象にシミュレーションすることが前衛の存立条件なのである。

 これをレーニンは一九一七年十月、ロシア革命と労働者国家の樹立として実現した。
レーニンは近代政党の型を資本主義政党に先駆けて形成した。内部をもたぬ労働者階級の
革命党はサークルの集合体であってはならぬ。サークルの寄せ集めがいかにして、ツアー
皇帝の政治警察に弾圧され、壊滅され、運動の流れを切断されてきたか。マルクスが内部
をもたぬ人間を発見し、最後の人間をシミュレーションしたように、マルクス革命的想像
力を継承したレーニンは、ではいかにして内部をもたぬ最後の人間を組織化し、革命党を
形成するのか? これをシミュレーションした。

 当時、労働者階級をもっとも組織し大きかったのは、カウツキーを主流派とするドイツ
社会民主党であった。いわゆる帝国主義社民である。レーニンが他者としてドイツ社会民
主党から学んだことは、労働者存在の二重性である。労働者は近代的工場制度によって訓
練され組織されている。私有化され特権化された内部をもつ独我としての私的所有より革
命的な存在である労働者は民族言語の内部に閉じ込められ、交通関係が限定されている労
働者の意識は、労働組合運動という経済的要求としての自然発生に限界がある。自然発生
とは私的所有の欲望が不均衡衝動として発生する。ありのままの労働者はけして革命的で
はない。賃金が向上し労働条件が改善され、前時代の奴隷的工場のひどい条件の下で働く
労働者とおのれを比較し、おのれが構成員として働く近代的工場制度に自己満足すればか
れは内部をもつ帝国主義労働者として自己完結する。

 それまでの総評を解体し連合となった帝国主義労働運動はいまなお総括されていないが、
これこそは中曽根による八五年体制戦略の機軸であった。国鉄労働組合は解体され陰謀集
団が権力と蜜月な政治取引をやったのである。小沢が自民党を割って、新生党をつくった
とき、影には当時の連合会長山岸がいた。

 内部をもった人間は「国民国家」民族言語の動物的本能によって組織される。こうして
第二インターナショナルは崩壊し、ドイツ社会民主党は帝国主義戦争・市場分割戦争に組
み込まれてしまう。内部をもたぬ人間がシステムの革命をめざす実践過程に登場するのは、
ただおのれがただの労働力商品として意識する階級としてである。先行意識は世界を変革
できる目的意識である。これを政治意識という。政治とは人間関係のおそろしさを社会関
係の表層において、もっともダイナミックに現出する。そこでは人間のエサ場での支配欲
望、集団場所における自己実現欲望、推論とシミュレーション・ゲームとしての闘争、陰
謀、だましあい、暴力、それらが渦巻くエネルギーに満ちた場である。

 さまざまな潮流が場所と空間の支配権をめぐって昼・夜、ゲームの争奪戦をしている。
ゲームの空間支配のための最強な職業としての暴力装置が国家警察であり国家軍隊であり、
治安維持に全体をかける、天皇の警察と天皇の軍隊はいま再起動している。

 内部の感受性を宝のように大事にする文学的人間はけして政治空間に参入してはならな
い。せいぜい声明とか署名とか選挙に出馬すればいいだろう。実は選挙とか、議会とは政
治空間ではない。儀式である。政治とは階級と階級の激突であり、ゆえに治安警察がスパ
イを送りこむ、「自国内の敵規定」となる、壮絶なイデオロギー闘争として起動する。日
本においては明治近代から地下たるアンダーグランドにこそ政治空間は存在し、それは現
代まで続いている。現在の国会とはやはり帝国議会として儀式を模倣している。それを報
道するメディアとは戦前をひたすら反復している。そこに本来の政治空間は皆無であろう。
階級闘争としての政治空間は文学的人間の感受性を壊滅させるであろう。

 むきだしの表層、ゲバルトとしての政治空間は幻想としての人間の内部いっさいを殺ぎ
落とす。アンダーグランドにこそ政治空間は沸騰し、マグマとしてイデオロギーは生成し
ている。帝国主義市民としてのわれわれは、そこへ降りていけば、自己が粉砕されること
を動物的本能として予感している。ゆえにおそろしいのである。われわれの自己遺伝子と
模倣子はすでに義務教育とメディアによって尊大な市民として培養されてきた。しかしな
がらその刷り込みの書きこみが嘘であることは、蒼ざめた資本主義の裸となった現実原則
によって自覚している。

 あたしのまわりは他人事な仮想現実でほんとうのことはかくされいる。健全な市民とし
て培養された自己遺伝子と模倣子とは国民言語であるが、その下降にもうひとつの本来の
動物としての自己遺伝子と模倣子が再起動をいまかいまかと待っているのを、ある日突然
瞬時に気づく。こうして風景はかわる。昨日の日本は今日の日本ではない。新撰組が活躍
した幕末期から本来の日本その現実原則はアンダーグランドにもぐりこんだのである。こ
うして近代的自我としての感受性は崩壊し、帝国主義と資本主義の二十世紀を商品として
命がけの飛躍を作動させる。それがイデオロギーの作業領域であろう。

 USAにおいてもベトナム戦争・湾岸戦争・バルカン症候群としての戦争が出来事とし
て現出するのは帝国主義と資本主義のはざまである国内からである。ある日、突然、帰還
兵は悪夢によって戦争を個人的に再起動させてしまうのだ。かれは兵士として生産をゼロ
へと壊滅させ消費させる資本主義の反復運動を組織として体現した。兵士としての商品は
完成品として仕上げられればられるほど、そのソフトはウィルスとなり、帰還兵をして、
市民が集うレストランで機関銃を発射するのである。なぜなら生産を壊滅させる商品は生
産する商品へと、なかなか転換できないからであろう。労働力商品を資本論としてあらわ
したマルクスが再登場している理由がここにある。USAはマルクス資本論の典型として
おのれを自己実現させるであろう。

 なぜ、わたしがこうした理論作業をしているのかといえば、わたしが鬼怒一族の子孫だ
からである。そしてわたしの妻、真知子は有留一族。鬼怒一族と有留一族は市民社会には
けして回収されえない特異的存在である。われわれの歴史と現在は記述化と説明されえな
いアンダーグランドにある。世界恐慌としての経済金融クラッシュは、いずれにおいても
かくされてきたアンダーグランド昆虫情報体が飛び出すに違いない。デジタル資本主義が
丸裸にするのは基本的運動構造ではなかったか? マルクスが市場経済といわなかったの
は市場経済など、古代から存在していたからである。近代の資本主義は、最後の人間を現
出させるだろう。資本主義の運動構造とはやはり人間をめぐる問題なのだろう。
 近代の内部とは私的所有としての心理学であろう。「わたしの心こそ資本主義の私的所
有・最後の砦」であろう。ゆえに資本主義は出来事を分析するとき心理学者を動員する。
数字は精神分析でするがよい、とするのがマルクスへの破綻した対抗ではあったが、すで
に近代精神分析としての心理学も破産している。「思いの強さ」という心理も資本主義私
的所有の最後の牙城であろう。

 内部をもたぬ人間は弾圧・投獄・敗北・無力・絶望、つくっては破壊され、再建しては
破壊される連続的経験を通して、敵から動物的本能として学習するのである。

 レーニンはツアー皇帝に対する青年貴族の反乱・人民意志派の革命的伝統「人民のなか
へ」、こうしたロシアの政治革命運動の敗北から学び、継続は力とするためには何をすべ
きなのか? レーニンの兄は「人民の意志派」として皇帝の暗殺に失敗、牢獄で銃殺され
た。この執念からレーニンはいかに勝利する組織を形成するかのシミュレーションを起動
させる。帝国主義政党もふくめて、今日の政党の原基はレーニン組織論が現出した表層の
流れにある。自民党もレーニン組織論を採用していなければ露となって消滅していたであ
ろう。

 党員条件の明確化、全国政治新聞の発行、党大会、中央執行委員会(執行とは行政であ
り事務管理生産能力とコマンド指令として行動委員会)、支部に対する上級機関としての
地区・県委員会、それぞれの名称は違うが、自民党でさえ組織構造の形は中央集権として
のレーニン組織論である。党員の条件があいまいでサロン的なサークルの寄せ集まりでは、
今日の緒潮流が激突する政治空間をたたかうことはできないし、レーニン組織論が骨格と
ならなければ、近代政党として形成できない。二十世紀とは組織集約である。ロシア革命
は商品としてのプロレタリアートが命がけの飛躍をした世界の場所であった。つまり資本
主義を先行したのである。それはつまりレーニンが資本主義と帝国主義を対象化するのに
成功したからであろう。

 ロシア革命後、レーニンは青年たちに訴えた。マルクス主義を主体化するためにはその
前提であるヨーロッパ哲学史を学ぶ必要がある。マルクス主義とは資本主義を分析する方
法であるから、ギリシア哲学からはじまるヨーロッパ哲学と経済学の総括の体系軸として
ある。だからその前提を学ぶことを怠ってはならぬと。




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (22) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 みすぼらしくきたならしい現実に生き、貨幣がなければ路上街頭生活へと追放され死ん
でいく、内部をもたぬ貨幣という数字に徹頭徹尾規定され、内部をむたぬ数字によってお
のれの生死の条件を、生活において制約されているものこそ、プロレタリアートである。
これが内部をもたぬ最後の人間として世界市場に接続している。この世界はいつのまにか
資本と商品によって脈管が形成されてきた。これが二十世紀であった。自然もまた商品で
あった。これが現在の世界システムであり、USAには資本の国家・多国籍企業が中央集
権としてアップロードする利潤をわがものにすることのできる皇帝が幾人も住んでいる。
皇帝と労働力商品としての奴隷の関係は古代いらい変わりはない。商品とはダウンロード
であるが資本とはアップロードである。

 みすぼらしくきたならしく矮小であり卑屈なわれわれ市民が、マルクスの言葉に出会う
とき。もう、いやだ。もう、こりごりだ。ちくしょう。ちくしょうめ。くそったれ。あの
やろう。バカにしやがって。殺してやる。なめるなよ。いまに、みてろ。だめだ。
だめだ。もう、おれはだめだ。なんてぇ、こった。ちくしょう。これが、おれの人生か。
負け犬になってたまるか。その前にあいつを、ぶっ殺してやる。マルクスの言葉はこうい
ったむきだしの世界市場の表層から、おのれが商品であったことを自覚させ、階級と階級
のはざまの眠りから、階級形成への登山、その一歩を開始させるのである。

 世界市場とは強制収容所であり、スピーカーからウィルスイデオロギーの演説が流れる
と、囚人たちは感動に涙した。偽りの市場主義イデオロギーは葬られた。強制収容所はス
トップした。市場経済自由化の失敗である。囚人にとっていま必要なのは、リスクを恐れ
ず思考錯誤を繰り返すことだ。九十年代とはクリントン政権のもとでユダヤ金融ネットワ
ークがグローバルの名のもと、全世界プロレタリアートを囚人とした、強制収容所からの
大量虐殺への逆襲である。九十年代とはユダヤ自己遺伝子と模倣子が世界市場を制覇し全
面展開した十年間であった。ゆえに文明の衝突としてのユダヤ人問題。ユダヤ人がバビロ
ン帝国の奴隷からはじまり、エジプト帝国の奴隷、そしてローマ帝国の奴隷からヨーロッ
パの奴隷、商品創造と金融創造の能力があるゆえ、どこの帝国においても財政を担当させ
られ、庶民から嫉妬され、ゲットーに囲い込まれてきた。

 ゲットーとは強制収容所である。資本主義の勃興とともにユダヤ人はゲットーから国家
財政さえも左右できる存在となり、ヨーロッパはユダヤ人問題に頭を悩ます。その最終解
決を施行したのがナチスであった。ユダヤ人を強制収容所のガス室へおくりこんだのはヨ
ーロッパ民族資本主義の総体の意志であったことを忘れてはならない。ゆえに能力がある
ユダヤ人はUSAへ亡命した。そして第二次世界大戦から五十年をかけて世界資本主義を
製造の商品から金融商品へと転覆したのである。九十年代はその爆発であった。イスラエ
ルがイギリスとの武装闘争で独立を勝ち取ったように、ついに金融世界市場においてユダ
ヤはアングロサクソンから独立し、おのれの動物的本能である自己遺伝子にとりこみ、グ
ローバル金融世界市場を模倣子が全面展開する養豚所としたのである。すでに日本が誇る
庶民の貯蓄資産がかれらによって収奪されているのは自明である。いまとはユダヤ五千年
と中華五千年の文明間闘争の季節であり、これが二十一世紀ゼロ年代としての十年間であ
ろう。一方がドイツファシストによって大量虐殺された悲惨な歴史をもつなら、中国も日
本ファシストによって侵略され千万人以上が大量虐殺された悲惨な歴史を内包している。
つまり堂々と歴史を語れる子孫たちなのだ。歴史を語れるものこそがグローバル市場へと
命がけの飛躍ができる。

 ソ連解体後、ユダヤ人はロシアからイスラエルあるいはUSAへ転出していったが、そ
の後、ロシアは機能を停止し、世界市場から見放された事実を、もってしても、いかにユ
ダヤ人の能力がその国のシステムを担っていたかがわかる。

 すでにファシズム同盟国に勝利した第二次世界大戦のイギリス・USA二重帝国の正義
英雄物語は九十年代にすたれてしまっていた。かわりに登場したのがユダヤ人が過酷な強
制収容所で「どう生き延びた」かである。これが、労働力商品としてリストラの嵐からど
う生き延びるかをめぐる世界プロレタリアートにとって、身近な問題として受け入れられ
た。強制収容所ではまさに人間のからだから石鹸や数々の商品を生産するという資本主義
の極限を誕生させた。市場の選民たるユダヤ人がその商品原料となったことば文明の皮肉
である。こうした修羅場での商品生成を死の恐怖が日常であった現場を通貨したユダヤ人
のグローバル金融戦略とネットワークがいかなるものかは、われわれの想像を絶するだろ
う。資本主義とは商品と消費の関係であり、つぎなる商品を消費してもらうためには、こ
れまでの世界を破壊しなくてはならない、それが戦争である。

 戦争は世界恐慌という形でもあらわれる。一度ご破算にするのだ。やがてくる世界恐慌
は、アングロサクソンの二十世紀形態をご破算にするに違いない。グローバル世界資本主
義とは富の一極集中であり、そこにおける金融商品の瞬時のマネーゲームなのだ。ロシア
革命七十年で蓄積してきたソ連の富は、USAの巨大資本家に回収され、九七年東アジア
金融危機においても富は、USAのある頂点へと回収されていった。高度経済成長の過酷
な労働で死亡するほど働いて形成した日本全般の富も九十年代においてUSAの富豪に回
収されてしまった。日本に残ったのは砂漠の富としての天文学的な国家財政赤字である。
今日の世界市場とは冷酷にして富がひとりに集中する一人勝ちのシステムなのである。ゆ
えに資本原理はマルクス資本論以上に原理化しているのだ。これに対抗するために、西ヨ
ーロッパはEC統合としてユーロを形成した。ひとりの富のために全世界プロレタリアー
トは労働する商品となる、これを帝国主義市場原理という。資本主義の極限を通過した工
場制度こそ強制収容所であり、人間はいまなお商品なのである。

 われわれ市民の日常とは、もう、いやだ、もう、いやだと思いながら毎朝、決意をこめ
て肉体知覚を武装し、おそろしい人間関係の現場で、無から有を生み出す商品誕生のため
に格闘する。これが表層であり現実原則である。自分の肉体におのれみずからムチをうっ
て自己動員しなければ、家賃も払えず、路頭に投げ出される。

 われわれ市民の壁とは世界市場であり、われわれの内部とは市場の競争と戦争に規定さ
れ、全面的にシステム設定されている。内部とは商品を手に入れることによって誕生し、
喜怒哀楽とは交換によって規定された感情である。興奮と幻滅とは交換であり、実はセッ
クスも商品と商品の交換である。恋愛も商品と商品の回路である。かくしてマルクス唯物
論は商品を解明し、資本主義からどう人間が脱構築できるのかを人間的社会あるいは社会
化された人類の表層において探求する。

 それまでの哲学は現実を人間的あまりに人間的に自己解釈してきた。民族言語たる動物
的本能たる自己遺伝子と模倣子の内部たる深層の神学にとりこまれてきた。マルクスはこ
れを商品の解明において表層へと転倒したのである。自然的人間は商品へと進化した、こ
れが近代から今日の戦争と革命の世紀であった。人類とは商品である、これが資本主義文
明である。そこにおける民族主義とは世界市場に規定された商品と商品の差別化と差異を
ありあまるほどに主張しているのだ。イデオロギーもまた、ヘーゲルがそうであったよう
に世界市場に対抗する商品である。ゆえに世界市場の戦争と革命は民族および部族戦争と
して現出する。今日のアフリカ現象こそがわれわれ市民の未来を先取りしている。文明と
はやはり砂塵へと帰還するのだろうか?

 ユダヤ教徒はヨーロッパキリスト教世界そのものを信用していない。いつまた再び自分
たちがキリスト教徒にだまされて強制収容所送りになるかもしれない恐怖をもっている。
ゆえにソビエト連邦が崩壊したとき、ドイツ全体主義の暴力としての反復が自分たちに襲
いかかるであろうことを予測して、イスラエルヘ集団移住したのである。ヨーロッパ・キ
リスト教世界はすべてユダヤ人迫害をドイツに罪と背負わせ、いまなお、歴史的謝罪はユ
ダヤ教徒世界にしていない。キリストを裏切ったのはユダとされ、この神話はいまなおキ
リスト教徒世界の根源的物語である。九十年代はユダヤがクリントン政権にのり、金融ネ
ットワークによって、資本主義をユダヤ原理主義へと誘導したのである。

 それが文明の衝突であり五千年の民族歴史が内包されている。ゆえに世界とはおそろし
いのである。ユダヤ人が金融において強いのは「ある民族が生き長らえる秘密は敗北を受
け入れるその能力にある」という一点にある。そして九十年代の金融マネーゲームはつい
国民国家を商品として生成した。資本主義はまさに、地球規模となって、国家は商品とし
て格付けされるのである。一九七二年固定相場から変動相場に転換してから三十年が経と
うとしている。 





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (23) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類

 ユダヤ人であったマルクスのシミュレーションとインスピレーションは、旧約聖書以来
の長いユダヤ人の旅と時間が存在していたからこそだと思われる。アインシュタインもユ
ダヤ人であったが、ユダヤ人から天才が出現するのは、古代からの悠久時間との日常的対
話であると、かれは自伝でのべている。ユダヤ教のバイブルである旧約聖書はキリスト教
とイスラム教という世界宗教の原典である。日本の天皇神学が世界宗教になれないのは、
あらかじめ人類観が喪失しているからである。古事記にしても日本書紀にしても司馬遷
『史記』の盗用にすぎない。ゆえに日本とは古代から他者のソフトを盗用し、おのれのも
のとでっちあげる能力にかけては世界一番なのである。ペテン師と詐欺師による捏造こそ
がその動物的本能としての日本イデオロギーであることは、すでに世界で暴かれている。
ペテン師と詐欺師はおのれの歴史を総括できない。現実原則がだましだまされの自己解釈
関係だからである。日本とは他者によってしか発見されえない特殊な場所なのだ。ゆえに
現在の時間のみとなり、時間は不断に消却され、あたらしい、だましとだまされの営為と
向かう。こうして歴史は日本外部によってしか認識されない。

 マルクスは内部に深層の時間をもっていたからこそ、内部をもたぬ最後の人間を発見で
きた。さらに市民社会の特権的内部と、内部をもたぬ表層に表出する流通の貨幣と商品の
秘密をあばいた。マルクス以後の帝国主義による世界市場とは、すでに国家さえも商品と
なった。その前衛こそ為替相場である。瞬時における為替相場とは国家通貨をめぐるマネ
ーゲームであるが、国家=金融商品である。売られた国家は暴落する。それが九七年にお
けるアジア金融危機であり、これを総括しマレーシアの指導者は固定相場にしたのである。
USAが覇権を握るIMF=ガット世界体制とは、USAのただひとりの富豪のために多
様な国家を商品と変換したシステム設定であった。まさに国民国家とは商品としての資本
主義原理であり、これが現代の資本論なのであろう。敗戦後、日本はUSA主導によりサ
ンフランシスコ条約からIMF=ガットシステムに組み込まれてきた。日本は商品となっ
たのである。

 商品の価格を高くするために、国内の革命勢力と成田空港に反対する土地を強制収容で
取り上げられた農民の運動を、膨大な国家機密予算をつかい壊滅してきたのである。すべ
ては国家という商品創造のためであったが、いまや成田空港は国際空港としてもアジア国
際競争力から脱落しようとしている。空港という商品でさえも、世界市場から価格比較さ
れ、成田空港や関西空港はかれらが第一価値観とする市場主義によって敗北した。九〇年、
ブッシュ政権から突きつけられた日本の貿易黒字を解消するための構造障壁交渉、そこで
国内需要として六〇〇兆円の公共事業のUSAへの約束。九十年代はまさに海・なぎさを
破壊し、山林道路建設という、全国いたるところで大規模工事が勃発した。

 しかし、九十年代の官僚はそれが実は商品創造であることを忘れていた。世界市場から
切り離され国内で自己完結できる商品などもはや存在しない。われわれ市民とはすでに世
界市場によって規定されている。国内旅行より近くの海外旅行の方が安ければ、海外を選
択するだろう。これが世界市場である。ゆえに九十年代の大規模公共事業は廃墟となるの
である。砂漠に残ったのは天文学的な赤字国債借金地獄である。

 バブルの戦犯である宮沢大蔵卿が九十年代にやったことは印刷機経済である。九十年代
とは、まさに借金による国家バブル商品だったのである。あれほど公共事業をてがけたゼ
ネコン(大手建設会社)が大量の不良債権をかかえ、倒産寸前にあるのは不思議である。
実はかれらは本業ではなくマネーゲームで失敗したのだ。かれらがもうけた富はすべてU
SAのプレイヤーに収奪されてしまったのである。六〇〇兆円の公共事業をUSAが日本
に約束させた九〇年とは、すでにUSAのプレイヤーたちは日本公共事業システム、暗闇
市場といわれていたゼネコン、暗闇システムといわれていた建設省など、データー化され
全面的に分析されていたのである。なぜか?。それらは世界金融市場にとって商品だった
からである。商品とは裸体にされ明るい間昼間のテーブルにあげられる。秘密は女性性器
たる「おまんこ」をペンライトで、真剣に擬視するストリップのすけべな観客のごとく、
商品とはさらされる運命にある。

 商品とはまさにストリップ劇場におけるセックス交換である。その交換もまた商品とし
て観客を楽しませ興奮させる。ストリップ嬢が「つぎはだれ?」とひさし指でウエルカム
をするとき、プレイヤーはまっさきに手をあげるのだ。九十年代の日本とは世界金融市場
USAのプレイヤーにとってストリップ嬢の、おまんこであった。

 指名されたあなたは競争に打ち勝った幸福にあり、服をぬぐ。やがて裸体のあなたはス
トリップ嬢の指示により、男根を天に向けて寝る。やがてストリップ嬢はおしりをそこに
移動させ、みごとあなたの「きんたま」をおのれのぬれた入り口にさそう。ぐっと、あな
たのきんたまは吸引されていくのだ。ストリップ嬢のしろいおしりの上下運動がはじまる。
観客は「きんたま」と「おまんこ」の結合に集中する。「おまんこ」の肉ヒダが「きんた
ま」吸い付いている、はなさないと。「おまんこ」は「きんたま」の根元まで降下すると、
またうえにあがる、でも「きんたま」ははずれることはない。この商品としてのセックス
上下運動こそ株式市場である。何億人もの視線がそのプレイヤーたちセックスに集中して
いるのだ。商品とは交換という上下運動の熱のまさつでありヒダラである。銀行で為替相
場を仕事でやっている女性から、ある飲み屋で聞いた話だが瞬時の判断が左右する仕事に
没入しているとき、あすこが濡れてしまうそうである。あれは、どんなセックスよりも興
奮するの、と。そして幻滅がやってくるの、と。

 マルクス以後の資本論とは商品分析の基礎となり、実証主義の基礎となった。マルクス
はギリシア哲学を再発見したルネサンス以降の近代哲学を総括し、その内部とは神学と市
民社会の私的所有としてのアトミズムによる世界の解釈にすぎないことを発見した。精神
の運動・闘争としてある私的所有としての内部をもつ閉じられた円環の哲学を、実践の空
間としての存在へ、人間関係が裸体としてむきだす表層へと転倒したのである。

 近代的工場制度でのシステム化された戦略的部品としての労働。機械を操作格闘し、お
のれ自身の肉体的知覚を機械と同期させる武装せる労働。これら内部をもたぬ労働者の工
場制度は軍隊と同様だ。その労働は常に危険であり、かれの肉体的知覚と筋肉は緊張して
いる。その反復作業は軍隊の基礎である行進に相当する。また機械の操作と格闘は軍人に
とっての武器使用である。野外で仕事をする土木・建築でも近代的工場制度は貫徹されて
いる。

 第二次世界大戦においてアングロサクソンの軍隊が、ヨーロッパ戦線と太平洋戦線にお
いて、ファシストの軍隊をひとつひとつ徹底的に撃滅し、勝利していったのは、イギリス
産業革命以来の近代的工場制度における労働者の組織された工場訓練であった。USAに
おけるフォード型大量生産の巨大化した工場制度こそが、USA労働者を日常として訓練
しガムをかみながらであっても、日本帝国の海軍・陸軍を徹底的に殲滅した。重要なのは
人の要素なのである。

 これに対し日本とドイツの軍隊は、「土と血」といった精神の国家神学によって形成さ
れていた。日本であれば神としての天皇であり、ドイツであればヒットラ-「わが闘争」
におけるローマ帝国を北方ゲルマン民族が再興するという第三帝国民族神学だった。内部
と深層によって骨格付けられた軍隊は、最初、世界をだまくらかす電撃作戦として、勢い
はあるが、元来その思想と価値が強力な内部である超越的神学による閉じられた円環であ
るため、実践的な戦場である戦線の現場分析を誤り、戦略的敗北をまぬがれない。神学の
主体は外部としての、むきだしの表層を排除してしまう。神学は永遠の自己解釈であるか
らおのれの都合が悪い論理は排除するのである。神がかり的超越的な力が存在すると思い
こむ担い手は、世界市場のまえに敗退する。

 ドイツも日本も近代的工場制度は形成されていた。そしてドイツの産業革命における発
明と合理的な金属機械類の体系は強力。またドイツ医学と化学は世界の先頭を走っていた。
しかしながらドイツ・日本の資本主義はアングロサクソン型の自由発生型資本主義という
市場の見えざる神の手にまかす自由性はなく、国家計画デザインの下に成長した資本主義
だったのである。




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (24) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類

 一九二九年ニューヨーク発「アメリカが死んだ日」株式暴落、世界恐慌同時大不況の突
入と戦乱の三十年代。イギリス・USAはケインズ社会政策をとりいれる経済政策によっ
て資本主義の循環危機を保守。スペインにおける人民戦線政府の誕生とそれをめぐる反動
勢力の転覆攻撃。ドイツ社会民主党の労働組合運動と選挙運動を帝国主義社民と批判し、
社民内分派闘争としてリープクネヒト・ローザ・ルクセンブルクによるドイツ共産党の創
出と、その指導による労働者武装蜂起の失敗。このとき、ドイツの政治空間は選挙ではな
くドイツ共産党員三十万人と、あたらしく勃興した国家社会主義党の街頭であった。スタ
ーリンに忠実であったドイツ共産党は三十万人の党員をかかえながら、ドイツ労働者の指
示を失い孤立。ナチスたる国家社会主義党は金融・銀行攻撃とユダヤ人排撃と反共突撃隊
によって、急速に支持を拡大し、やがて選挙で第一党になる。ヒットラーは国会放火がド
イツ共産党であるとする捏造によって、ドイツ共産党を壊滅。ナチズム運動の爆発的拡張
は国民的運動となった。なぜ、ドイツ共産党が敗北したかといえば、当時のスターリン指
導による世界共産党たるコミンテルンが「労働者の祖国ソビエトを守れ!」が第一方針だ
からである。国家社会主義党と競り合っていたとき、ドイツ共産党の演説は、「コミンテ
ルンはこういう方針をだした!労働者の祖国たるソビエトをまもれ!」という国際主義し
か演説できなかった。ドイツ労働者の動物的本能の自己遺伝子と模倣子に接近できた演説
は国家社会主義党の側であった。ナチズム突撃隊は資本主義への憎悪を扇動したのである。
資本主義=ユダヤ人となり、商人たるユダヤ人は排斥された。これが近代市民社会の原罪
である。ドイツ革命の失敗は世界史に大きな打撃を与えた。結局、プロレタリアートは、
ナショナル(国)からインターナショナル(国際)へ転換できるのか? という命題であ
る。

 ドイツ社会民主党が中心になってつくった第二インターネショナルにおいては、プロレ
タリアートは国民国家に組織され、戦争に動員されてしまった。人類という概念ははたし
て存在するのかということである。同類どおしが殺し合いをやる人間とは、はたして類的
存在であるのか? という根底的懐疑から人間存在に絶望するニヒリズムは誕生する。二
十世紀の哲学的命題はすべて第一次世界大戦後に出現してしまっていると、いわれている。
敵対し国民国家どおしの世界戦争に愛国主義により戦争に賛同し解体した第2インターナ
ショナルの反省から、ロシア革命勝利による全世界労働者の鼓舞と高揚からレーニン指導
によって誕生したのが、第三インターナショナルである。しかし、レーニン死後、スター
リンによって、「全世界労働者は労働者の祖国ソビエトを帝国主義とファシストから防衛
せよ!」に転換させられた。この革命的批判として、スターリンとの党内闘争に敗北し追
放されたトロツキーによって建設されたのが、第四インターナショナルであった。ユダヤ
人であったトロツキーは世界共産党の悪魔として固有名詞にされてしまった。いわゆる
「トロッキストの策動」という固有名詞である。こうしてトロツキーはスターリンが放っ
た暗殺者によってメキシコで頭蓋骨をピッケルで割られるという思想者特有の暗殺のされ
方で殺された。日本においては一九七七年、ある党派がおのれの哲学と政治思想を批判す
る敵対党派の最高指導者を二名暗殺した。その指令の方法はスターリンと類似していた。
まず、頭蓋骨を叩き割るのである。永遠にその頭から思想と言語が飛び出さないように、
まず頭蓋骨から殲滅するのであろう。

 これこそがイデオロギー戦争の現実原則が激突するアンダーグランドの政治空間である。
「自民党の汚職には怒りの一票で」などと、はしゃいでいる近代市民社会には、本来の政
治空間などは存在していないばかりでなく、市民社会とは成人式の晴れやかな、つぎから
次へと出現する衣装の豊富な量であり、不断に自己の裸身を着飾ることが制度となってい
る。市民社会とはアトミズムなのだ。動物的本能をかくすことに最大限のエネルギーをさ
くのである。ゆえに疎外された仮想関係として成立している。市民社会とは人間が商品で
あることを前提とする不断の商品再生産システム装置。ゆえに商品を汚し分析し批判する
イデオロギーは嫌悪されるのである。「あなた暗いわね」と。たしかに七十年代は暗かっ
た。国家権力に反対する青年たちを、「あいつらは、連合赤軍だ、きおつけろ」こうした
言葉で、自己を正当化し、ひたすら、経済とマイホーム獲得に奔走してきたのである。自
分の企業がもうかれば自分の給料があがる、という高度経済成長が国民的価値観であった。
土地を取り上げられた三里塚農民の叫び声も全国農業協同組合は無視したばかりでなく、
国家官僚の指示で、農作物を市場から排除したのである。国家に反対するものには、徹底
した弾圧と排除を!アンダーグランドにたたき落とせ! これこそが市民社会の原罪であ
る。ゆえに日本とは明治近代成立時からふたつの空間に分裂してきたのだ。アンダーグラ
ンドにおいては何人もの政治青年たちが殺され、あるいは思想において自殺してきた。情
念のマグマと鬼怒一族・有留一族の古来からの怨霊は通底している。

 現在の日本における根底的危機とは、六十年代から七十年代の街頭世代としてのスチュ
ーデント・パワーを上部構造とシステムに迎え入れなかったことによる。フランスでは六
八年パリ五月革命世代を八十年代の社会党ミッテラン政権時において文化大臣にまでさせ
て、歴史が迎え入れることに成功した。USAにおいても、クリントン・ゴア政権として
迎え入れることに成功した。中国においても紅衛兵世代は指導的立場で活躍している。し
かし日本はこの世代を政治から徹底的に排除した。ゆえに日本の団塊の世代はある無意識
な動物的本能をもって、日本解体を促進している。全共闘世代は街頭と社会において侵略
戦争を経験した軍人世代によって敗北を強いられたのである。日本システムが受け入れた
のは、六八年世界街頭運動への傍観者であった人間か、あざやかに変節した人間のみであ
った。世界的に街頭パワーとして表出した団塊の世代とは、第二次世界大戦後すぐに誕生
した世代である。その自己遺伝子と模倣子には世界大戦が根源にある原子を内包している。
原子爆弾の世代といっても過言ではない。ゆえにおそるべき世代なのである。九五年オウ
ムによる無差別テロとして東京中枢に戦争を行使した戦略参謀としての人物はこの世代だ
った。まさにアンダーグランドからの市民社会に対する正義なき最初の一撃であろう。

 世代圧殺の森として霞ヶ関を敵と射程したのはなぜか? 問題は有名大学出身の三十歳
代というスキル世代ではない。問題は六十年代から七十年代を街頭へと疾走した世界紅衛
兵世代である。パリニューヨーク・ワシントン・北京・ソウル学生四月革命・そして日本
各地の都市と大学・高校その地球的連動とは、やはりこの世代が原子爆弾という、ある物
質とある物質が衝突するとき、すざましいエネルギーが表出するという原子を、おのれの
動物的本能たる自己遺伝子と模倣子に核として作動させているからである。あいまいな態
度に終始して日本全国のお客さんを失望のどん底たる幻滅をあたえてくれた自民党・加藤
六十歳世代はよく「日本をダメにしているのは責任を回避する五十歳代である全共闘世代
だ」と、憎悪して、言う。しかしかれらの弱点は、自民党・加藤によって明らかになった。
いわゆるマス・メディアにたいする根底的懐疑が欠如しているのだ。たしかに社会人とし
て優しき大人ではあるが、おのれをめぐる情勢分析が、あまりにも自己解釈として作動す
るのである。いわゆる戦争をしらないのであり平和でなければならないという、神話にあ
る、小市民としての典型である。

 「およそ、戦争は人間の弱点を前提とする。そしてまさにこの弱点を衝くことを本旨
  とするのである」                クラウゼヴィッツ『戦争論』

 ところが現在五十歳後半~60歳前半としての団塊の世代は、その青春時において、同
世代が党派闘争として戦争をしてきたのである。かれらは子供の頃からエネルギッシュに
同世代人口が多いため競合してきた。まさに競争によって鍛えぬかれた世代であり、知識
欲は優れている。そしてかれらの動物的本能たる原子は戦争であるから、組織形成は軍隊
として自然生成させることができる。運命づけられた組織者なのである。そこに六十歳代
後半のごとく、「あれも、これも」という逡巡はない。まさに農村から北京に結集し文化
大革命をなしとげた紅衛兵の世界同期世代なのだ。

 日本は再度この二十一世紀ゼロ年代に、アンダーグランドから第二撃が、出来事として
現出することは間違いないであろう。この帝国主義市民社会とアンダーグランドが、ふた
つの日本として分裂進行していることこそが、最大の危機なのである。これをマトリック
ス政治空間という。二重言語と複合、いまなお、われわれは寺山修司と三島由紀夫の呪縛
にある市民社会に生きている商品である。

「出口なし!」と叫べば、出口という実名の日本人がヨーロッパ旅行で事故にあいメディ
アに登場する。寺山修司はあの世からこの世を演劇化しているのだ。寺山修司は神となっ
た。寺山修司から脱出する方法は、徹底的に寺山修司を分析し論じ言説化することである。
対象を言説としてもちあげれば、おのれのなかで対象は自壊する。わたしは以前その意欲
があったが、いまは無理である。その逆に、どんどん寺山修司本体に回収されている。い
ま、わたしにできることは、寺山修司の言葉に近づかないことである。寺山修司がやらな
かった問題群をテキスト化するしかない。わたしは三島由紀夫よりも寺山修司のほうがお
そろしいのだ。三島由紀夫は近代主義者であったから、恐怖ない、かれがかかげた天皇主
義を自壊するために、一九七〇年十一月三島事件にショックを受けた時点から、日本とは
なにか? そして天皇とはないか? おのれのなかで三島由紀夫と天皇制を自壊させるた
めに、アンダーグランドたるもうひとつの日本に亡命したのである。その自壊は自己完結
ではなく、他人に向けて説明しなくてはならない。ゆえにウィルスイデオロギーなのであ
る。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (25) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類


 日本天皇神学国家による中国侵略の開始と、国内における日本共産党の壊滅。在日中国
人・在日朝鮮人への排外政策とアジア人蔑視による大和民族血液主義の国民的統合。軍国
主義とは天皇が現人神としての真理であり、その真理の担い手が侵略軍と軍人であるとす
る絶対的価値観をもつ内部・深層が表層を固定し、融和する軍事統合社会である。朝鮮は
36年間にわたり日本帝国が侵略植民地したのだが、「立派な兵隊を出すために国語生活
を実行しよう!」が植民地朝鮮での標語であった。国語とはつまり日本語であるが、当時、
学校で朝鮮語を使用したら鞭打ちの刑が強行された。日本の残虐性は隣国から民族言語と
名前を禁止し日本語の名前へと強制したことにある。これが日本官僚の近代合理主義の典
型である血液主義であるといわれている。国語=国家である。ドイツでは、自分たちがい
かなる残虐行為をしたのかは歴史教育として義務教育の根幹とされている。日本はおのれ
の歴史教育をごまかし排除してきた。すでにそれは五十五年の格差がある。半世紀にわた
り、日本はおのれ自身の過去を、なきものとして、あつかってきたのである。ゆえにおの
れの過去は瞬時に忘却するシステム設定されている。なんという自己欺瞞であろうか。そ
こにおいてはなにが正義でなにが不正であるのか、判断ができない人間のみが学校から送
り出されてくる。こうして正義と国民主権の担い手はマスメディアと置換される。不正を
報道するマスメディアこそが国民の固有名詞である。とにかく労働力商品としてのわれわ
れ帝国主義市民は生活に追われ過酷労働で時間の戦争をやっているのだ。こうして街頭か
ら不正を弾劾する人間はそして誰もいなくなったのが、都市の砂漠である。

 政治活動とはマスメディアにまかせておこう。おれたちは享楽にひたる居酒屋で。天皇
の存在をうやまい、読み書きさえできればいとするのが日本教育の最低条件である。あと
は競争と競合という勉学戦争のなかで高度な労働力商品を形成するというのが近代的工場
制度としての教育制度である。まさに教育とは商品を排出する工場である。侵略戦争と植
民地収奪の歴史を教えることは、日本国家という商品をみずから傷つけることになる、そ
れは徹底的に排除されるのである。教科書もまた商品である労働力商品予備軍を洗脳する
ためのマニュアル商品である。商品の基準管理として教科書検定はされなければならない。
文部省とは異端を排除する法王庁なのである。そこでは国家の機軸である国語をウィルス
から監視する機関である。居酒屋で飲んでさわいで楽しければそれでいいとするのが九十
年代であった。

 現代の帝国主義国家とはもちろんG7である。市民たるわれわれがこの資本主義システ
ムに生活している以上、おのれの能力を不断に他者と比較し判断する日常から逃げること
はできない。かくして評価の基準は数字となる。こうして市民の動物的本能たるアトミズ
ムは誕生する。アトミズムとは自分のことで精一杯という明日に追われ行く分節された人
間である。力学的人間関係にわたしは規定され、自己防衛が思考の骨格となる。資本主義
の原理は他人をだまくらし、物質として利用しようとするペテン師・詐欺師と消費される
ものとの関係が原基であるため、いつも心理は利用されまい、だまされまいとして他者に
たいして武装する。男と女の関係も、だまされまい、利用されまい、とする疑惑の関係と
なる。自然な関係はいつのまにか歪曲されてしまう。アトミズムの労働力商品・その戦士
たる男は、女を慰安のセックス対象として柔らかなセックスマシンとしての肉体を求める。
この商品の男に規定された女は「常に商品から肯定され、商品に守られ、商品に相手にし
てもらわないと不安になる」といった性的武装に着手する。これが資本主義の循環運動で
ある。ゆえに不況であっても、この日本ではブランド愛がどうにも止まらないのである。
男の精液も女の愛液がとろりとしろいように、しろいひとたる西ヨーロッパからのブラン
ドとセックスしたくてうずうずしているのである。そのような世界イメージは大航海時代
十七世紀に形成されてきた博愛主義である。文化的植民地の実態がここにある。いまなお
日本の男は西洋人にコンプレックスをもち、日本の女は「日本の男はどうせ金髪が好きな
のよ」と日本の男に不信の目をむける。そして日本の女も西洋人とのセックスをひたすら
夢にみるのである。

 植民地文化の男と女は近代的自我というおのれが独立していない。ましてその自我は天
皇制に依拠しているために、自己内面との対話に出会うことが壁となって困難である。ゆ
えに日本は人間的内容を喪失した未来社会といわれるのである。ゆえに簡単にロボットと
の共存は可能となり、ロボット最新国となるのは間違いない。内面と対話するよりロボッ
トと対話する同期社会はすでに開始されている。やがてロボットセックスマシーンが商品
となるであろう。近代日本の真理とは人間ではなく物質であった。人間よりも物を信用し
た社会ゆえに高度経済成長を実現した。商品と純化した男と女は不信を前提に競合してい
る資本主義社会こそ日本である。

 九十年代は実に享楽的な時代であり、その享楽がクリントン時代に日本の総理大臣は七
人もかわった。賃金労働力商品は日本など、どうでもよかったのである。なぜなら、思想
という自己との対話を経験していない完全な自己完結された商品であったから。これが地
球資本主義時代の世代商品である。心配するのはいつ自分が商品の棚から販売不能として
おろされリストラされることのみである。九十年代とは自己の労働力商品をどう高まるの
かの競争と競合であり、こうしてグローバル商品は、近代的主体としての個人を放棄した。
いまやどの場所でも商品は形態電話を離さない。携帯電話がないと恐怖にたたきこまれる。
いつも液体として誰かに接続されていないと生きて行かれないほどまでに変形したあたら
しい商品象である。おのれ自身が個人として世界をつくるのが、近代の人間像であったが、
こうしたあたらしい労働力商品は完全に内部をなき商品へと変貌したのである。もはや生
き方思想を模索し絶望し自殺する青年はいない。圧倒的に現出しているのはいじめとか仲
間との関係または試験という商品途上への不安から自殺するのである。その孤立感とはお
のれが商品へと命がけの飛躍ができないだろう、という孤独である。

 要約すればグローバル全体主義過度期商品の過程こそ九十年代資本主義であった。内部
などは消滅した。あるのは商品の差別と差異、そこにおける自己商品比較こそが自己をみ
つめる液体化された視点でしかない。資本主義とは液体なのだ。セックスムービでいえば、
若き男性が若き女性の顔面めがけて発射するしろい精液である。そして、おまんこのひだ
からとろりとながれるしろい愛液である。しろい精液と愛液こそ帝国市民としてのわれわ
れのグローバル地球的資本主義の表象なのだ。ねばねばしたその自己遺伝子と模倣子のし
ろさはUSAの大富豪のしろさとかわりはない。セックスメディアはアンダーグランドた
りえるか?

 これが今日のアンダーグランドの命題である。いまや、セックスさえも地球的資本主義
たるUSAによって規格化されようとしている。USAは映像と表層において最後の人間
を表出せんとする。最後の人間こそ内部なき規格統一化された商品であることは、すでに
これまで展開してきたとおり自明であろう。これこそがUSAのIT革命戦略なのだ。お
のれの勃起したきんたま画像を今日もUSAの市民たる商品は享楽的な趣味として世界に
向けて送信している。これこそが最後の人間たる商品の命がけの飛躍であろう。しかしそ
の商品は動物であるから、おのれの自己遺伝子と模倣子がたまごたるおまんこへの出口を
真摯に求めている。日本のチャットでも深夜会話を楽しんでいると、突然USAから、ハ
イパーリンクとしてきんたま画像が表示されるのである。きんたま商品のプレゼンテーシ
ョン宣伝。インターネットとは国境をボーダレスきんたま商品とおまんこ商品が本能のま
なざしで出会うシンクロの場所となった。これこそが現代資本主義である。

 内部は完璧に消滅した。あるのは外部としての商品羅列である。資本主義とはまさにま
るはだかへと変性した。秘密の最後の牙城たる天皇制はいったいどうなるのか? これは
USAしだいであろう。しかしながら日本は国家商品の差別と差異として天皇制ブランド
を防衛するはずである。天皇制とは、現在の日本にとって世界に誇る最大商品なのだ。し
かしキリスト教徒の国家とは原則を重要視する、それは中国もおなじてある。天皇制がソ
ニ-・ホンダ・トヨタのごとく世界商品になるためには、あまりにも暗くきたない歴史を
かかえている。日本では過去の暗い罪悪の歴史はみごとに記憶装置を消却し初期化してき
たが、ところがいまでも韓国でも中国でも戦争記念館が存在し、日本帝国による残虐な行
為が展示され観客にショックを与えている。オランダからも戦争賠償金をいまなお請求さ
れている。これでは美しいブランド世界商品にはなれない。グローバル地球資本主義によ
って明治近代に成立した天皇制は追い詰められているのである。すでにさびしく近代は終
焉したといわれている。近代的自我が崩壊したからだ。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (26) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類

 日本の近代的自我が安定し、評論・批評の分野が判断停止・思考停止のまま危機感もな
く政治家を悪者にすればよしとする論理が九十年代の総体であった。大学教授も天皇であ
るから実に安定している。新機軸の哲学など誕生していない。日本回帰ばかりである。そ
れは日本の近代的自我とは天皇制に依存しているからである。天皇制が安定しているかぎ
り、おのれの近代的自我も安定している。すでに天皇制を批判する過激派は九十年代にお
いて街頭から排除することに成功した。警察庁における高度コンピューターをつかったデ
ジタル監視システムのおかげである。しかし天皇制が世界商品と命がけの飛躍はできるの
だろうか? 

 外務省はそのために国連常任理事国入りを画策しているのだが。おそらく今後アジアか
ら日本への戦争犯罪を弾劾する叫び声は再度表出するだろう。日本兵士によって虐待され
た人々が死をむかえているからである。人はおのれのかけられた不正と虐待はトラウマと
して一生、背にかかえながら生きる。じつは加害者の方は快楽として虐待したのだからそ
れは愉快な出来事としてすぐ忘れるのだが、人は苦しいことは一生わすれることはできな
い。ちくしょう、あのやろう、として生涯憎悪として忘れることはない。これが人間関係
における血の債権である。日本は血の負債が事実として、みえないアンダーグランドに蓄
積しているのだ。わたしにしても自分に暴力をふるった私服と機動隊の顔は、いまでも忘
れない。ちくしょう、いまにみてろ、という憎悪として寝る前に、あの、やろう、と湧き
上がることをおさえることはできないのだ。

 日本に暴虐されたアジアの人々がおのれの死をまえにして叫ぶのはこれからである。ユ
ダヤ人が虐殺された強制収容所がまさに現場として映画化されてきたのも、五十年たって
からである。人間とは復讐する動物的本能をもっているのだ。その復讐へ和解する時間を
半世紀、日本は放棄してきたのである。USAに依存して。天皇制がグローバル地球資本
主義から商品失格の烙印を押されたとき、天皇に依存し安定してきた。

 日本近代的自我は崩壊するだろう。ここに日本人なるものの最大危機がある。ここにお
いて最終的に内部は全的滅亡をとげるだろう。しかし天皇制は生き延びるであろう。徳川
幕藩体制への位置に後退しながら。しかしそのとき宮内庁が存続できるかどうかはわから
ない。商品としての天皇制の再度の転換が、やってきたのである。これが商品を解明する
現代の資本原理論である。世界商品への命がけの飛躍ができなかった商品は地域商品とな
るのである。

 レーニン死後、ソ連邦におけるスターリンの絶対的権力の確立。トロツキー反対派勢力
の壊滅と古参革命党員の抹殺。「人民の敵」KGBによる密告制度。洗脳された子供が親
を「人民の敵」として売る悲惨な暗い時代。強制収容所政策による大量奴隷労働力商品の
確保と、それら奴隷労働力商品を動員しての巨大公共事業プロジュクト推進。クラークと
いいう自営農民撲滅と農業機械化への近代的工場制度の導入。しかし計画的農業生産たる
コルホーズは失敗した。農業と農民を犠牲とする重工業力への推進。農民を犠牲とする矛
盾的工業力への転換。「社会主義の祖国を守れ」に集約されるロシア・スターリン主義に
よる第三インターナショナルの私物化と、それによる各国共産党(インターナショナル支
部)への路線への押し付け。その路線とはスターリンの内部を忠実に反映した不断に情勢
に動揺する路線であった。帝国主義勢力、ファシズム勢力に対する受動性にあったため、
常に30年代の激突する戦乱の情勢への後追いとなり、ドイツ革命・スペイン革命はファシ
ズム運動に敗北する。労働者階級を組織したのはファシズムであった。

 第一次世界大戦後の世界システムたる自由資本主義同盟は、ナチス・ドイツ、ムッソリ
ーニ・イタリア、ヒロヒト日本のファッシズム拡張を、当初、自由きままにあそばせてお
いた。ファシズムが共産主義撲滅をかかげた政治勢力であったからである。レーニンによ
るロシア革命が誕生したとき、世界資本主義国家は連合として、ロシア革命をいち早く壊
滅しようと、軍事介入した、日本も侵略派兵した。当時の世界シシテムの親分はイギリス
であった。まず、アングロサクソンの基本的戦略である封じ込め作戦を展開した。当時日
本とイギリスは同盟を組んでいたからイギリスの要請にしたがって日本はシベリアへと派
兵したが、赤軍によって粉砕されてしまった。ゆえにロシアは世界を信用していない、ス
ターリンが「革命ソビエトを防衛せよ」という第一戦略はある意味で正しかったのである。
イギリスを親分とする、世界システムは虎視眈々とソビエト壊滅を狙っていた。そこにお
けるドイツ革命である。

 ドイツ革命が成功すれば、共産主義革命はヨーロッパ全土に伝染する。ドイツ革命を壊
滅させるために、イギリスはドイツ国家社会主義党であるナチスに裏から資金を与えた。
そしてイタリアに誕生したファシズム党であるムッソリーニにも裏から資金をあたえ支援
したのである。日本におけるファシズム運動をどうイギリスが支援していたのかは、まだ
解明されていない。第一次世界大戦後の世界情勢とはロシア革命の成功によって、全世界
労働者は「未来がみえた」として絶望から希望に燃えた熱い季節だった。フランス人民戦
線政府の誕生。スペイン人民政府による政治からのスペイン王の追放。ヨーロッパ革命の
嵐は勢いをもって前進しようとしていた。日本においてもロシア革命に鼓舞され勇気付け
られ労働運動・農民運動は前進し革命情勢は到来していた。

 そのとき、登場したのがイタリア・ドイツ・日本におけるファシズム突撃隊であった。
日本においては大東亜共栄思想をもった右翼民族主義者と陸軍青年将校の連合である。
「共産主義を撲滅せよ!」と彼らは叫び、労働争議、地主と小作人との農民争議に武器を
もっ突撃隊として、資本主義体制を防衛したのである。世界資本主義の親分であるイギリ
スはファシズムによって助けられた。次の戦略は彼らを政権につかせることである。こう
してフランス人民戦線政府はまず、フランス・ファシストによって打倒され、ドイツにお
いてもドイツ社会民主党はヒットラ-・ナチス党に惨敗する。全ヨーロッパファシズム勢
力はスペイン王を全力で支援し、スペイン内戦において人民政府側は壊滅されたのである。
これを裏から支援したのがイギリスであった。ゆえにいまでもイギリス情報部はCIAに
並ぶ、世界一のスパイ情報部として君臨している。イギリスがたてた当時の世界戦略はド
イツ・イタリア・日本のファシズム帝国軍隊をソビエト侵攻に向けさせ、ソビエト赤軍を
壊滅させ、モスクワを占領することであった。ドイツ軍の主力はソビエト侵攻であり、こ
の東方戦線がもっとも激烈だったのである。ソビエトはドイツ軍との攻防で二千万人の死
者を出している。ソビエト侵攻のためにドイツ軍はまずとなりのポーランドからオースト
リアを電撃作戦として、占領したのである。

 しかしヒットラーは、USAが育てたイラクのフセインのように、おのれの動物的本能
である自己遺伝子と模倣子が戦争の過程で再起動したのである。「敵は本能寺にある」明
智光秀のようにフランスを占領してから、親分であるイギリスに牙を向けた。

 イギリスは自国の植民地あるいは軍事基地が、電撃的にファシズム軍によって攻撃を受
けてから、イングランド王国世界連邦であるアングロサクソン連合軍を形成し反撃に転じ
たのである。明智光秀であるドイツ・イタリア・日本のファシズム機軸同盟は、なにゆえ
に、当時の親分である織田信長であるイギリスに牙を向けたのだろうか? いまでもわた
しは理解不能である。おそらく、明智光秀のように親分からいじめられていたのであろう。
ドイツにおいても第二次世界大戦敗戦による戦争賠償金の負担は過酷であった。民衆自身
がイギリス憎しに固まったのであろう。では日本はなぜ、USAの真珠湾を電撃空爆した
のであろうか? いまでもわからない。本気に当時の戦争設計者たる参謀本部はアメリカ
大陸を占領し、第二の満州国を建設しようとしていたのであろうか?わからないなにひと
つ、戦争指導者は語っていらず、第二次世界大戦の総括などされてはいないからである。
わたしの推論によれば、当時、台湾が日本の植民地であったから、日本はフィリピンを植
民地として収奪したかったのであろう。フィリピンはUSAの植民地であった。実際、日
本はマッカーサー将軍を追い出しフィリピンを占領した。フィリピンを占領すればUSA
海軍が反撃として攻めてくる、その前にUSA太平洋海軍の母港である真珠湾攻撃したの
であろうか?
 
 とにかく日本帝国の大東亜共栄圏をめぐる戦争計画書は、当時の官僚であった宮沢喜一、
中曽根康弘たちによって、永遠に隠されてしまったのである。ファシズム同盟として第二
次世界大戦を起動し戦争計画を形成した東大法学部出身の官僚たちによって戦争は推進さ
れた。その革新官僚たちによって戦後シシテムは形成され、自民党は誕生したのである。
その官僚たちの政党である自民党が二十世紀を支配し、いまなお二十一世紀さえも自民党
独裁政権として維持しようとしている。支配者は自己の都合が悪い過去は永遠に死ぬまで
隠す、これが支配官僚の鉄則である。ゆえに当時の戦争計画は永遠に明らかにならない。
USAが情報公開するのを待つだけである。

 近代史とは中世以上に闇なのだ。このようにして歴史は消却されていくのであろうか? 
商品は軍人から官僚へ転換したに過ぎないのが日本の二十世紀であり、商品は<いま>投
資家という資本家に買われなくてはならない。そのための国民国家である。<いま>売ら
れたら富の世界システムから脱落する。この瞬時の攻防こそが資本主義である。そして政
治家の仕事は国民に貨幣とのセックス猥談を提供することである。それがなければ国民は
居酒屋でストレスが発散できない。政治家の悪口を言えば、国民の肛門からたまりにたま
ったガスが抜ける。そのおのれのガスを国民は「これがおれだ」とうっとりと嗅ぐ。自己
を確認できるのだ。そしてマスメディアは自分さがしの、ドラマを商品として国民に提供
する。これが「いま」なんですよ、と。あしたも労働力商品として近代的工場制度である
職場でがんばりましょうね、と。永遠に「明るい、いま」のみが信仰する商品、正義の味
方たるUSAが微笑んでいる。

 日本国民とは永遠に菊の紋章たる肛門と対話していくのである。肛門にきんたまを挿入
すると亀頭にくそがつく。そのくそこそ、日本国家たる商品にとっては、おのれを汚す過
去なのである。亀頭についたくそは、すぐさま肛門からきんたまを抜いて、シャワーで流
さなければウィルスが浸入してしまう。

「過去は水に流せ」これが国民国家の最大綱領である。この神聖な立国テーゼを犯すもの
は、アンダーグランドへとたたき落とされるのである。そのために天皇の警察は存在する
のだ。あなたの電話はすでに盗聴されている。いつのまにか菊の紋章たる帝国議会で盗聴
法は成立していた。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (27) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類

 ローマ帝国衰亡の時期をひたすら反復して、商品となった日本文明は全的滅亡へとむか
っているのだ。いまはただひたすら享楽にひたりましょうよ、あなた。われわれ帝国主義
市民はこうして「いま」のみの刺激に反応する原生動物へと退化した。自己を省察できな
い文明はゆっくりと滅亡してきた。やがて、あなたの部屋は盗聴から盗み撮りされるであ
ろう。すでにUSAでは、部屋で生活する他人の実態がサービスとしてみられるゲームが
インターネットで爆発的に商品となっている。それは人を興奮させる。ついに資本主義の
液体化現象はここまできたのだ。ゆえに商品である国民国家も液体化現象液と置換される
のは間近に迫っている。これが映像と表層における最後の国家なのだ。

 おのれの富を破壊するマルクスとレーニンのウィルスを全世界から駆逐するために、フ
ァシズム国家の誕生とファシストを政治的に利用できると微笑んでいた世界システムにと
って、おのれが育て上げた乱暴な息子から突然殴られたことは皮肉であった。

 第一次世界大戦の波動は民族の牢獄であったロシア帝国を解体し、労働者国家を誕生さ
せた。一方、ドイツと同盟を組み敗北したトルコ帝国は世界システムによって、植民地分
割された。イギリスはとくにアラブ中東を植民地化せんと狙っていたのである。第一次世
界大戦という戦争は、マルクスによる「フォイエルバッハ・テーゼ」のシミュレーション
と「共産党宣言」「コミューン論」がロシア革命として世界政治の表層に具体的現実とし
て登場させたのである。そしてオスマン・トルコの分解とイギリスによる植民地分割はイ
スラムの表層を眠らせたかにみえたが、実はロシア革命もオスマン・トルコ帝国分解によ
るイギリス支配もイスラム・パワーを再起動させる準備だったのである。近代化を推進し
ていた現代イラン王朝が打倒され、中世から登場した黒いイスラムによるイラン革命は七
九年、キリスト教世界を驚嘆させるのである。

 文明史でいえばロシア革命とソビエト終焉の七十年間とは、イスラム・パワーが中世か
ら再度よみがえる準備のために存在したかにみえる。内部をもたぬ最後の人間としてのわ
れわれ市民は、ただ表層空間に衝撃的に出現した出来事を信じる。一九一七年十月革命は
全世界の内部をもたぬ人間の心臓を太鼓のように打ち鼓舞させ、イギリスを機軸とする植
民地支配の帝王たちを打ち破ることが可能である希望を与え、とにかく元気にさせたので
ある。こうしてマルクスとレーニンのウィルスは植民地支配下の被抑圧民族として絶望に
沈んでいた内部をもたぬ人間の想像力に伝播し、実践のシミュレーションと希望の世界イ
メージを形成させたのである。

 七世紀の砂漠から誕生したイスラムの動物的本能である自己遺伝子と模倣子は、たかが
近代の新参の共産主義ウィルスに覚醒されながら、この他者から学習し、いつかおのれ自
身がウィルスの世界事象として表層に現出すべく準備をするのである。オスマントルコが
解体され、西ヨーロッパ十字軍によって植民地分割され、中央アジアはスターリン民族政
策によってソビエトに編入されたが、彼らはモスクで、ひたすら忍耐してきたのである。
七世紀、キリスト教批判として、旧約聖書の流れからアラブに出現したコーランが西は地
中海を越えスペインからフランスの入り口まで浸透し、東は中央アジアからインドネシア、
そこから北上してフィリピン諸島まで浸透したイスラム自己遺伝子と模倣子のパワーから
いえば、近代とはひとときの戦略的後退である。砂漠から誕生した。

 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の原理とは生存である。一九七九年イラン革命によ
って近代は相対化されてしまったのである。それはあらたなる中世のはじまりだった。最
初の産業革命をなしとげ、世界を植民地化したイギリスはアングロサクソン連邦を形成し
たが、その本国では八百年にわたり支配してきたケルト民族によるアイルランド解放闘争
との戦争状態こそが八十年代だったのである。近代の親分であるイギリスが古代からの逆
襲をうけている表象こそ、近代とは過去から復讐をうける文明なのである。

 イスラム自己遺伝子と模倣子を再起動させウィルスへと変貌させたのは、なんといって
も、ユダヤ・シオニズム運動であろう。「ユダヤ人抹殺はヨーロッパの最終解決」とする
ナチス突撃隊によるユダヤ人虐殺とアウシュヴィッツ・ガス室。これらの戦慄すべき、出
来事は、ヨーロッパの国家権力から商業復興による国家財政蓄積のため利用され用が終え
ると東に追いやられるかゲットーに封じ込められていた、ユダヤ人の国家形成に火をつけ
た。

 西ヨーロッパとは異端なしにはおのれが定性できない動物的本能である自己遺伝子と模
倣子がある。十字軍遠征の中世とはペストの時代と異端狩りの時代でもあった。歴史学者
によると、国内十字軍によって三百年間に異端のアルビジュク派であるという嫌疑をかけ
られた百万人以上のフランス人が殺されたと推定している。十字軍が誕生したのはフラン
スであった。最初は国内の異端狩りから開始され、やがてエレサレム奪回へと十字軍遠征
が開始される。フランスはイスラムからフランク族と呼ばれていた。その強暴さは人肉を
食っていたと記録されている。十字軍遠征時二百年間に殺されたユダヤ人の推定数は十万
人として記録されている。これがフランク族たるフランスのおそるべき、動物的本能であ
る自己遺伝子と模倣子である。現代も文化の国を装いながら、最大の武器商人であり南太
平洋では核爆弾実験を植民地でくりかえし強行してきた。イギリスと先頭にたってたたか
った英雄女性も最後は異端として処刑された中世。その異端狩の十字軍を現代において継
承しているものこそ、USAの十字軍たるK・K・K(クー・クラックス・クラン)であ
る。ヨーロッパとUSAのキリスト教とは悪魔とユダの存在なしには、おのれ自身が定性
できない。

 ユダヤ人によるおのれ自身の最終解決とはおのれ自身による国家創出であり、その約束
された地こそパレスチナであった。ヨーロッパのゲットーにいるかぎり、いつなんどき国
家矛盾のスケープゴートとして虐殺されるかもしれない。この恐怖に打ち勝つためにはパ
レスチナへ移住するしかなかった。USAのユダヤ・ネットワークはこれを強力に支援す
る。

 パレスチナは世界イメージの発祥の地といってよい。旧約聖書から表出したユダヤ教、
キリスト教、イスラム教の聖地。パレスチナ、レバノン、シリアという地域は、宗派の党
派闘争とヨーロッパ十字軍遠征以来の宗教戦争により、イデオロギーは純化され原理化さ
れる。極限的な原理主義によってしか生存できぬ宗教エネルギーの場所。

 こうした原理の土地からパレスチナ人を追い出し、ユダヤ人の国家を創出した出来事は、
原理の導火線に火をつけ中東戦争を現出した。イスラエルの日常は非日常としての戦時体
制にある。イスラエルの原点はアウシュビッツであり、その恐怖は生存するためなら何で
もするといった動物本能の自己遺伝子と模倣子にある。外部においても内部においても戦
時体制という非日常が日常となる。イスラエルの空港で乱射しユダヤ人を殺した日本赤軍
の岡本公三はアラブの英雄となった。それを最大限利用したのが日本の商社である。かれ
らはアラブから英雄の同族として迎え入れられた。ゆえに日本の石油商人である商社は中
東で資本主義の大展開ができたのである。日本赤軍とは七十年代、日本資本主義の英雄で
ありゼロ戦特攻隊であったのだ。わたしは商社マンからある飲み屋で聞いたことがある。
「日本赤軍と岡本公三には足を向けて眠れないよ」オイルショックを脱出し日本がメジャ
ーの石油支配から抜け出し、アラブ地域において独自に石油採掘権を確保し安定的に石油
を供給できたことが、七十年代から八十年代への経済成長の源となった。日本商社は日本
赤軍のおかげでアラブと地域やイランにプラント輸出ができたのである。

 まさに日本赤軍重信房子は日本資本主義の英雄なのだ。ゆえにハイジャク・ダッカ空港
において時の自民党福田政権は捕虜交換の条件を日本資本主義の利益のため承諾したので
ある。原子爆弾の自己遺伝子と模倣子をもった、世界紅衛兵たるスチューデントパワーの
音楽こそがビートルズでありオノヨウコであるが、その世界政治の代表選手こそ日本のク
リントンとゴアである重信房子なのだ。自民党加藤などは重信房子の下男となって再学習
しなくてはならないだろう。哲学などといっていまさら西洋哲学の自己解釈に革命的マス
ターベーションをしている男などは、重信房子のブラックホールに吸収されてしまうであ
ろう。イデオロギーとは存在なのである。重信房子は日本武士たるサムライの自己遺伝子
と模倣子を世界に証明した英雄なのである。もはや日本の未来は武装した女にしか存在し
ていない。

 モンゴルは世界帝国を形成しながらも、内部独立によって巨大帝国は崩壊し、騎馬民族
はおのれの故郷である草原へと帰り内部を閉じていった。巨大帝国を運営するということ
はすざましいエネルギーがいるのである。北京・モスクワという都市はモンゴル軍団がつ
くりあげた都市である。ローマ帝国もヨーロッパにおいて都市を形成し、内部へと閉じて
いった。帝国の崩壊後には世界宗教がとってかわるのであるが、モンゴルには世界宗教を
生み出すことができなかった。チベット仏教がモンゴルの宗教であるが、仏教は戦争にに
は不向きなまったく個人の解脱をとく、個人的な人間宗教である。しかしキリスト教とイ
スラム教は砂漠から誕生したゆえに生存をかけた共同体戦争の宗教であろう。

 オスマン・トルコの解体により内部へと閉じたかにみえたイスラム教の動物的本能であ
る自己遺伝子と模倣子を、ユダヤ教自己遺伝子はアラブ世界における戦争国家の突然なる
近代的人工的現出として、イスラムを眠りから覚醒させてしまった。原理主義DNAは他
者の原理主義DNAを呼び起こす。ヨーロッパ・キリスト教自己遺伝子と模倣子はおのれ
自身が解決できなかったユダヤ人問題をアラブ世界に押し付け背負わせたのである。イギ
リスの二枚舌であった。中東は第二次世界大戦後のヨーロッパとUSAの繁栄を支えるア
ンダーグランドとして確定されてしまったのである。北の資本主義先進国が存在するG7
たる帝国主義国家の繁栄をささえる南地球は、いまもアンダーグランドとして確定されて
いる。これがわれわれ帝国主義市民社会の原罪となって、告発されている。市民社会とは
近代文明の一部であり、ある意味で、二十世紀の近代が二つの世界大戦により地球環境を
破滅させたのである。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (28) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類


 原子爆弾を登場させた愚劣て低俗な文明こそ近代である。環境破壊は極限に達している。
この愚劣な近代文明への逆襲が中世から飛び出してきたイスラム原理主義であろう。近代
とは過去とアンダーグランドからつねに復讐をうける資本主義システムなのである。なぜ
なら人間と国家は資本主義の商品でありながら、そこには同意できないとするのが、現代
世界の普遍的価値観だからである。しかしながら商品は不断に分析されなければならない。
その方法としてマルクス資本論は資本主義が存続するかぎり生存するのである。資本主義
のウィルスとして。永遠の運動である資本主義は地球まで商品とするであろう。商品とさ
れたものは内部が消却され砂漠となる。その砂漠から誕生したのがユダヤ教・キリスト教
・イスラム教という共同体戦争宗教だった。

 仏教を戦争宗教へと転化しようとして失敗したのがオウム真理教であった。仏教の宗派
である池田教を国家宗教へと押し上げようとしているのが、現在の権力党派まで上り詰め
た創価学会である。現代の神学はエネルギーに満ちているのだ。おそらく宗教は商品たる
人間が商品ではないことを優しく癒してくれる麻薬なのであろう。

 ゆえに思想はいつもヘーゲル哲学へと呼び戻されてしまうのかもしれない。われわれ帝
国主義市民は商品の集積庫から脱出することはできない。

 いまも「出口さぁ~~~~ん」と、呼びかけるほかはないのである。
 
「あの、出口さんが消えたんですよ」レミングは寺山修司の資本論であった。

 驚嘆すべき世界事象は、内部をもたぬきたならしくみすぼらしい人間によって表出する。
キリスト・ブッタ・ムハマンド・マホメッドは内部を捨てることによって、おのれの精神
世界をの格闘は開始され、世界同時性の現在の表層から実践的な声を聞く。それは私的所
有としてのおのれの内部を解体し、ただ世界同時性の現在の表層から実践的な声を聞く。
 それは私的所有としてのおのれの内部を解体し、ただ世界同時性という表層の空間へお
のれを投げ出す。むきだしの他者が彼の内部を占有し、外部としてあった人間的社会ある
いは社会化された類的存在が彼の内部となる。

 旧約聖書という深層と内部と歴史に規定されていたキリストとマホメッドは、このシス
テムを変革するシミュレーション、当時のむきだしの表層を未来に向けてシミュレーショ
ンする内部をもたぬ人間の革命的想像力にきこえる世界同時性としての他者の声を、あら
たなる世界事象の神の声として了解したのである。

 人間的社会あるいは社会化された類的存在としての共同社会に表出する、キリスト・マ
ホメッドの世界イメージは、むきだしの表層の他者との会話と対話によって、あらたなる
世界事象の実践的な武装せる予言者として、現在の共同社会に出現する。それは私的所有
としての内部ある人間を驚嘆させ、同時に内部なきみすぼらしくきたならしい民衆を驚嘆
させる。

 マホメッドは神の声を聞くたびに恐怖にふるへ、豊穣な妻の肉体へと飛び込んだそうで
ある。だが彼はやがて武装せる予言者として、あらたなる世界イメージと共同体形成に向
けてアラブ世界の表層に現出する。

 内部を徹底的に破壊し解体した人間は、むきだしの表層その実践と試練によって世界同
時性の声を聞くのである。その声こそ類的存在の自己遺伝子と模倣子の声である。自然の
畏怖と人間関係の恐ろしさの肉体的知覚は、その極限的な試練の時間におのれの自己遺伝
子の声を聞く。現在の表層に偶像・仮象の死臭をかぎとり、同時に新たなる世界事象をか
ぎとる。むきだしの動物的本能はついに、類的存在の自己遺伝子と模倣子の声を聞くにい
たる。その自己遺伝子の声を神の声として知覚した予言者は人間関係の表層たる実践的空
間に登場し、おのれの真理を共同体のものとすべくみすぼらしくきたならしい内部なき人
間、民衆の自己遺伝子と模倣子に向けて振動させる。

 重要なのは声である。やがて弟子たちはその声を記述する。彼らは表層に表出した驚嘆
すべき出来事を記述し編集する。こうして声は内部へと深層へと転化し物語が誕生する。
その場合、記述し編集するためには哲学者はいらない。詩的言語記述の物語展開能力をも
った民衆詩人がこれにあたる。哲学者は内部と深層という私的所有によって、世界を解釈
・注釈する人間であり、彼らが参入するのは物語が完成した後に、神学者としておのれの
内部に私的所有するためである。

 宗教と神話を誕生させるには弟子たちの共同作業と彼らによって形成されていく掟をも
った共同社会によってである。キリスト教はパレスチナの地に閉じられたままであったか
も知れないが、その自己遺伝子と模倣子の声をウィルスへと上昇させたのは組織者パウロ
による。ローマや地中海世界にキリスト教を広める基礎を形成したのはパウロであった。
 ローマ帝国は当初、内部なき人間である商品奴隷や下層社会に感染していったキリスト
教のウィルスを抹殺するために徹底的に弾圧する。ローマ市民にはギリシア・ヘレニズム
文化の流れを模倣したシミュレーションとしての誇り高きローマ神話がある。ローマは狼
から誕生した狼一族によって誕生するという神話である。これはモンゴル帝国の蒼き狼か
ら誕生したとする神話と類似している。しかし、みすぼらしく、きたならしい奴隷どもの
キリスト教ウィルスはこれを偶像として否定するのだ。ギリシア哲学とローマ文化は私的
所有としての内部なき人間の自己遺伝子と模倣子ではなかった。奴隷どものキリスト教ウ
ィルスはローマ帝国の広大な植民地と世界市場(地中海世界とヨーロッパ)を逆手にとっ
て、内部なき人間の模倣子となり、共同体の世界イメージとして伝染していく。

 ヨーロッパの深き森と石まみれの貧困な大地から出現したヨーロッパ人は、体力と個人
的な闘争能力に優れていた。いわゆるインド─ヨーロッパ語族とは共通の個人的闘争心が
ある。とくにヨーロッパは蛮族としての蛮勇は世界一であった。ローマ帝国の雇い兵とし
て職をえた蛮族たるヨーロッパはローマ貴族から戦争術を学習していく。
 ローマ帝国兵士として彼らは地中海世界とヨーロッパ植民地での民族解放闘争鎮圧へと
派遣され、ヨーロッパの戦闘的自己遺伝子と模倣子は、ローマ帝国の軍隊から起動してい
くのである。すべての道はローマに通じている。ヨーロッパのインフラは植民地建設とし
てローマ帝国がなしとげた。

 やがてローマ帝国のアンダーグランドに展開したキリスト教は奴隷たちによって市民へ
と伝染していく。奴隷が市民を改宗させていったのである。市民から貴族へ、貴族からと
うとう皇帝へと伝染し、ついにキリスト教はローマ帝国宗教と上昇した。

 商品人口統計としてのみ記述され、遺伝子のみの時間的回路のみを残し、消滅していく
非歴史的人間は出来事によって支配される。歴史的人間は出来事を支配する。人間とは人
間を奴隷にしてみたいという本能をもっている。現代市民社会では主婦が主人の奴隷とな
っている。家庭内暴力の子供は主人と主婦を奴隷とする。アテネからローマでも市民社会
とは、必ず奴隷を生成するのである。なぜなら人間の欲望が全面展開するのが市民社会で
ある。

 奴隷はおのれの表現されない感情に表現を与えてくれる人物を待っていた。そして、魂
を高揚させてくれる人物の出現を待っていた。市民の明るい希望に満ちて上昇志向を支え
るためには、暗い絶望世界が市民の現状生活を自己確認するために、アンダーグランドと
して形成されていなくてはならない。そのアンダーグランドを組織したのが、パウロであ
った。革命と同様、新興宗教も早急に制度化されなければ、自らの内部にかかえた自壊の
種子によって崩壊してしまう。キリスト教はパウロという組織者がいたから確立した世界
宗教として歴史的存在となった。アンダーグランドとはつまり、つぎなる歴史的存在を準
備する原理と原理の闘争空間である。それは古代以来、かわっていない。五十年代・六十
年代・七十年代・八十年代・九十年代の半世紀にわたる日本のアンダーグランドは、上部
である市民社会にはけして理解できないゲバルト戦争をやってきた。死者・自殺者という
戦死者は数多い。このアンダーグランド空間から出来事を支配する存在は現出するのであ
る。莫大な国家財政をつぎこんだ過激派壊滅作戦は成功しなかった。現代日本アンダーグ
ランドとは戦時空間であったパレスチナの地と通低していた。

 やがてローマ帝国はその巨大さゆえに内部自壊を起こし、ローマとビサンチンに分裂す
る。西ローマ帝国は蛮族であるローマ帝国の雇い兵士であったヨーロッパ軍団によって壊
滅された。ヨーロッパ部族社会は独立を勝ち取った。ローマ皇帝と貴族は東ローマ帝国で
ある、現在のトルコの首都であるビサンチンに逃亡していった。皇帝の座に座ったのが教
皇である。ヨーロッパはキリスト教皇が支配するキリスト教のソビエト連邦となった。
 こうして内部あるギリシア文明からの流れを汲む、ヘレニズム文化様式は偶像破壊とし
て地下に埋められ、イタリア・ルネサンスまで再発見されない。ギリシア文明とローマ文
明を継承したのはユダヤ人とイスラム世界であった。イタリア・ルネサンスはユダヤ人か
らギリシア文明の再発見を習得した。そして用がなくなったユダヤ人は消えてもらわなく
てはならなかった。一五一六年ベネチアにユダヤ人を完全隔離するヨーロッパ最初のゲッ
トーができた。こうしてキリスト教皇とそれるつながるイタリア大商人は銀行業とそのネ
ットワークをユダヤ人から収奪することに成功したのである。これがイタリア・ルネサン
スの動物的本能である自己遺伝子と模倣子であった。




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (29) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 ヨーロッパ自己遺伝子と模倣子はキリストがローマ帝国にただひとりで抗拒した倫理革
命者・民族解放の英雄として、おのれの内部にとりこんだ。西ローマ帝国の腐りきったシ
ステムは自壊したが、キリスト教皇と法王庁のローマ帝国は残った。キリスト教がローマ
帝国の支配システムを継承したのは、スターリンがツアー皇帝の支配システムを継承した
ことと通低する。

 キリスト教の物語はヨーロッパ自己遺伝子と模倣子によって編集され、ローマを中心に
した内部と深層をもつ世界宗教として生成する。ヨーロッパ自己遺伝子のシンボルこそは
十字架である。クロスされた十字のシンボルこそ石の文明たるヨーロッパ自己遺伝子のパ
ワーを象徴する。ヨーロッパ文明としてよみがえった石の構築物は近代にいたり、鋼鉄や
コンクリートという素材をえて、世界的な建築様式その基準化を獲得する。文明とは、き
わめて機械的な枠組みのなかで、しだいにより多くの大衆なるものを一般として標準化す
ることを目的とする。同じように考え、同じように感じ、順応主義こそが文明の条件であ
り、市民はすすんで巨大な官僚機構に隷属することこそ、文明の空間となる。ヨーロッパ
文明を誕生させた官僚機構は、キリスト教の根幹から生成した。

 その十字架に貼り付けられた血まみれのキリストの肉体は、ヨーロッパ自己遺伝子と模
倣子の戦争とわが闘争によって、過去を破壊し解体してくたものへの贖罪である。重要な
のはキリストの肉体ではなく、十字なのである。クロスした十字こそは蛮族であるヨーロ
ッパ部族の力のシンボルであり、それは北方神話の巨人伝説までさかのぼる。白人とは氷
河期を生き延びてきた巨人幻想の遺伝子を内包している。巨人は石を持ちあげ、石をつむ、
こうして氷河期の土地を開墾し農地をひらく、その十字とは建設の意志である。ゆえにヨ
ーロッパは開拓し建設する行動する人間に絶対真理があるのである。

 だからこそ動物的であり蛮勇をもっているのだ。エジプト文明が巨大なピラミッドを建
設し、中国文明が万里の長城を建設できたのは、官僚機構の存在にある、つまり文明遺跡
とは官僚機構の記述として、今日残っている。文明が民衆によってつくられたとするのは、
誤りである。イギリスの北、アイルランドに残る巨大な石によるケルト民族による構築物
とはなにか? ヨーロッパは深い森に閉ざされ、ながいあいだシンプルに、ただ氷河期の
落し物である巨大な石と対話していた。戦闘的個人主義であるがゆえに、官僚機構は誕生
せず、古代文明は生成しなかった。こうして地中海文明の植民地となったのである。

 しかしながらヨーロッパはギリシア文明とローマ文明という官僚機構の帝国による支配
によって、おのれを組織化することを学習していくのである。その機構としてキリスト教
を選択し、おのれの過去たるケルトの記憶を消却したが、おのれのパワーの象徴である、
十字架にキリストの肉体である偶像を回収した。こうしてキリストの物語はヨーロッパ文
明となった。キリストを裏切ったユダは、ヨーロッパ・キリスト教に頑固にも改宗しない
裏切り者としてのユダヤ人であり、軽蔑の対象としてのフレームアップが作為される。悪
魔とはイスラムやおのれがいまだ知らない未開の世界となった。創価学会はキリスト教は
弱わよわしい宗教であるからダメであるなどと邪教として規定しているが、ヨーロッパ・
キリスト教は暴力と強力に満ちた宗教。

 そのパワーのシンボルである世界をクロスさせる十字構造により、再度、建築の意志に
より、おのれが破壊したローマ帝国をわが蛮族としての部族がつくりあげる目的意識こそ
ヨーロッパ自己遺伝子と模倣子である。この複合的な部族がすみわけをしている部族連合
の総称こそがヨーロッパという固有名詞である。ヨーロッパという言語はギリシア神話か
ら誕生した。いまだ動物と人間と神々が同期し競合していた倫理なき戦争世界である。
九十年代ヨーロッパ統合と共通貨幣ユーロの誕生は、部族連合がUSAと日本の世界市場
への同期と競合から危機感をもって建設された。とりわけUSAとイギリスによるアング
ロサクソン二重世界帝国の金融攻勢から防衛しなければ、ヨーロッパ部族は各個撃破され
てしまうだろう現状意識である。二十世紀、イギリスを盟主とするアングロサクソン主導
によるふたつの世界大戦でヨーロッパの大地と人心は荒野とされたことが、ヨーロッパ連
合部族のアングロサクソンへの距離のとり方である。ドイツもフランスもスペインもイタ
リアも基本的にイギリスとUSAを信用していない。

 十字軍の表層こそは、地中海市場とインド洋市場をイスラムから奪い取ることにあった。
また同期としてキリストの物語をヨーロッパ自己遺伝子と模倣子によって自己完結するた
めには、エレサレムを奪い、ローマ教皇の支配下に置くことが必要であった。しかし、ユ
ーラシア大陸の東方であるアジアから、モンゴル騎馬軍団がすべての都市と文明を草原に
戻すのだ、と、東ヨーロッパに襲いかかり、ローマ教皇に対し、挑戦状をおくりつけた、
教皇はふるえあがり恐怖のどん底にたたき落とされる。恐怖は悪魔を呼びこみ、再度一三
四七年からはじまるペスト・ウィルスはヨーロッパ自己遺伝子と模倣子を壊滅せんと襲い
かかるのである。これが絶望と暗黒のヨーロッパ中世であり、死の舞踏である。

 暗黒と絶望の世紀、ヨーロッパ自己遺伝子はペストウィルスとの死闘を通し、世界の周
辺から中心へと進化をとげる準備をするのである。皮肉にもローマ教皇を恐怖につき落と
したモンゴル軍団は、十字軍の敵であったイスラム軍によってアラブの地に敗北しローマ
の道をあきらめ東ヨーロッパ戦線からも撤退する。しかしロシアはモンゴルの支配化にお
かれた。

 かろうじてヨーロッパ・キリスト教世界は破壊されず死守できた。この暗黒と絶望と無
力に打ちのめされた個人の表層の地獄めぐりを思考する。それがダンテ「神曲」である。
共同体成員はペストウィルスによって次からつぎへと死んでいく、それでも文化を求める
「ボッカチオ」がある。哲学はギリシア哲学を発見し、おそるべき戦闘的個人による思考
の内省が誕生する。内省と退行こそは内部から外部へ出ることを発見し、省察は他者を発
見する。ペストと異端狩の中世の時代、科学者は錬金術の実験を部屋に閉じこもり繰り返
していた。哲学者は部屋に閉じこもり思考していた。詩人は部屋に閉じこもり「神曲」と
いう壮大な物語を書いていた。この閉じこもりこそが世界事象に驚嘆する能力を形成した
のである。神学者も教会の地下室にこもり、それまでの文献をひたすら自動記述していた。
複写である。この人間の手によるコピー聖書が生産され、出回り、やがて教会から聖書を
万民のもとへ奪還せよ、たる宗教改革を準備する。

 この閉じこもりというおそるべき圧縮された思考力と忍耐力こそが、心的エネルギーを
形成し、やがて全世界を植民地にしていく大航海時代を準備したのである。ヨーロッパが
世界システムの地球という円環を建設できたのは、中世というアンダーグランドにおける
自己遺伝子が眠りから覚醒したのである。中世とは夜の四つのひとつは覚醒していよ、と
いうブッタの教えに置換すれば、覚醒した夜と夜の夜その時間帯であった。かくしてヨー
ロッパにとって部屋とは想像力の全世界であり個人の基地となる。人間をどこまでも怜悧
にみすえる悪魔のごとき執念から美術は空間と光たる彩色を発見するリアリズムの誕生で
ある。

 ペストウィルスとモンゴル騎馬軍団によって、ヨーロッパ自己遺伝子と模倣子は自壊す
る、その自壊とは教皇という教条から個人が脱却したことによる、戦闘的個人の誕生であ
る。こうして内部なき人間は世界をわがものとすべく、冒険への海路へと出発した。内面
と対話できる能力こそ実践力と行動力の源となった。

 地球を発見した近代文明はヨーロッパの模倣子となっていく。しかしいまだヨーロッパ
の起源をめぐる論争は皆無である。それは世界植民地によってヨーロッパが富という私的
所有たる内部をもったからであろう。内部をもった人間は文明たる官僚機構によって自己
肯定され、文明の市民となるからである。こうして市民にとってアンダーグランドは軽蔑
の対象となり、近代文明のためにアフリカと南北アメリカ大陸の基層文化は壊滅された。
 二十一世紀初頭の世界とは、文明とアンダーグランドが、同期と競合として展開される
であろう。それゆえに、あたらしい人間像があらわれようとしている。市民へと順応した
プロレタリアートの後に登場するのは、どのような妖怪であろうか?わたしの予測によれ
ば、それは間であることに間違いはない。人間は果して類的存在なのか? それとも
部族的存在なのか? それらを模索している同期と競合において、人間型ロボットの商品
化とクローン人間の商品化である。まさに商品としての人間と商品としての国家が混迷す
る世界市場において、近代文明の内部は自壊する。現在とは資本主義以後の資本主義とい
う過度期のヒューマノイド幼年期である。

 モンゴル軍団の襲来は、日本、ベトナム、インドネシアへと押し寄せたのであるが、い
ずれも死守できた。日本では若き北条時宗と鎌倉武士団による死力をつくした、戦争指導
によって、モンゴル軍団の侵略戦争を撃退する。日本文明は鎌倉政権の官僚機構によって
守られたのである。戦争とは官僚機構と官僚機構による相手を壊滅する闘争である。異説
によれば北条政権を転覆しようと戦略を練っていた天皇と藤原貴族一族が、モンゴル帝国
に通じていたとする説がある。それを実証する文献はまだ発見されていない。事実、モン
ゴル来襲の戦後、後醍醐天皇は一挙に鎌倉幕府転覆を全国指令するのである。これに同調
したのが、北条一族と長く先祖以来闘争してきた足利尊氏だった。こうして後醍醐天皇・
足利尊氏連合は鎌倉幕府を打倒し、新田義貞によって鎌倉は炎上した。やがて、モンゴル
軍団を打ち破ったのは、天皇制の神風であったとする神話へと、回収されていった。宮内
庁が私有する美術展をみたとき、わたしは驚嘆した。巨大な、フビライ・ハーンの絵画が
そこにあった。天皇一族の情報部隊は古代から存在していた高度な能力をもっていた、そ
れが国内ばかりでなく海外に通じていてもおかしくはない。

 平家と源氏による内戦はこの天皇情報部隊が起動させ、操作していたのである。ゆえに
源頼朝は天皇に同調した弟である源義経を打ち、京都と離れた鎌倉に幕府を開いたのであ
る。天皇制という自然生成的神話は武士が操作されるばかりで、他者を発見し外部へとで
る回路を閉ざされることを頼朝は平家との内戦で学習した。

 日本におけるむすぼらしくきたならしい内部なき人間の、民衆的出現は平家・源氏とい
う同じ天皇一族から出た武家集団の徹底した内戦からであろう。それは仏教思想にあらわ
れる。思想とは人間とはなにか? 人間はどこからきて、どこへいくのか? それらを根
源的に問う。表層における内部なき人間の実践的思考である。

 それまで日本はありあまる豊かな自然生成の四季に同化する、人間の感情と天皇制神話
に埋もれていた。それらは和歌というきらびやかな情の歌にあらわれる。歌こそは内部あ
る人間の美しき自然感情である。思想とは中国律令制度と漢語文献を、天皇制の動物的本
能である自己遺伝子と模倣子の内部へと囲った王権の国家デザインであり、仏教も王権の
デモントレーション、貴族のシミュレーションにすぎなかった。私的所有という内部ある
人間は、中国・朝鮮という他者と外部の制度をシミュレーションすることをもって列島に
閉じこもり他者との出会いがない自然生成の民衆をぶったたまげさせる。

 こうして民衆は王権国家官僚がつくりあげた文明である国家デザインとシミュレーショ
ンによってだまされる。

 みすぼらしくきたならしい内部なき人間の戦闘部族たる騎馬民族はユーラシア大陸の草
原から朝鮮半島の南端において国家を形成する。いわゆるカヤ文明である。その鉄の鋳造
技術はヨーロッパ十世紀以降の技術水準をもっていた。ここに日本が誕生した。高句麗・
新羅・百済そして南端の騎馬民族国家日本、やがて日本は海を越え九州に上陸する。革命
的な騎馬と鉄武器によって地方土俗王権あるいは共同体を次々と破壊し、九州を制覇し、
瀬戸内海を東へと侵攻を開始する、出雲王権を滅ぼし、ついに大和に西日本を制覇する部
族連合の上にたつ大王を擁立するのである。それが天皇制の起源であり天皇制の故郷は南
朝鮮加羅である。

 この話をわたしは九六年ミラノから帰る飛行機で、隣に座った韓国の若き商社マンに天
皇の系譜を図を書いて説明したら、あまりにも興奮したのか鼻血をだして、ぶったおれて
しまった。よほど衝撃だったのか日本人の戦争責任を回避し、韓国を侵略し暴虐のかぎり
をつくした最大戦争犯罪人天皇ヒロヒトの先祖が韓国南部だなどという詭弁に怒りがこみ
あげてきたのであろう。しかし実際、天皇制伝統文化は百済とか南朝鮮が起源であること
は、すでに歴史家の常識である。天武天皇も南朝鮮の武人であった。

 内部ある人間として地方土俗王権は自然生成的神話をもっていた。その神話を天孫降臨
たる騎馬民族神話に回収し、大王は交戦する者に対しては容赦せず徹底的に破壊するが、
降伏するものには部族連合の構成員として迎える騎馬民族の植民地支配方法をとった。し
かし朝鮮半島における高句麗・百済・新羅の戦争により、南端の日本は百済に回収され、
日本はこの列島の植民地を本国としたのである。

 内部なき人間が他者との激突または囲い込みによって、王権という強力な内部と日本イ
メージを擁立するのは「大化の改新」からである。国家デザイナーとしての藤原一族は、
積極的に中国、朝鮮から学者・技術者・官僚を移住させ、当時の中心であった唐帝国から
制度の体系を導入する。そして国家の消滅をかけた百済・新羅・高句麗の三国戦争によっ
て追われた部族軍団がどしどしと日本に移住してきた。かれらは東国開拓たる国造部とし
て東日本へ集団移住していった。東北蝦夷征伐の根拠地づくりである。朝鮮から移住して
きた軍団部族は蝦夷たる縄文人を大量虐殺しながら東北へと侵攻する。

 殺人集団として戦闘的な関東武士団はこうして形成されていったのである。日本は人殺
し文化といわれているがその起源は先住民族であった縄文人の大量虐殺にある。現在の日
本民族とは、イギリスをアングロサクソンが先住ケルト民族を大量虐殺して奪ったように、
縄文人から日本列島を奪ったきわめて侵略性がたかい民族なのである。日本人が戦争部族
であることは戦国時代をみてもあきらかである。騎馬民族が起源だからである。




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (30) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 文字としての漢字、法律としての律令、学問としての儒教、宗教としての仏教、こうし
た体系的シミュレーションによって、日本イメージの基礎は形成され、部族連合を呪術に
おいてまとめる大王は、天皇として改名され、天皇神学の物語が土着化する戦略は、発動
する。騎馬民族はどこの地においても土着化できる適応能力が高度なのである。

 他者が長い時間空間から表層に体系化した制度を、徹底的に学習し、おのれの空間と場
所に自己実現させる。これが国家官僚である。七〇一年「大宝律令」の発布。七一〇年
「平城京」建造、七二〇年「日本書紀」編纂。これらの実現はハイ・テクノロジーたるデ
スクワークとしての事務能力つまり行政能力を私的所有する国家官僚機構が存在しなけれ
ば完成しない。国家とは文明同様に官僚機構のことなのである。

 高度情報・高度技術を内部に私的所有する日本への亡命者である百済・新羅・高句麗・
中国官僚と学者、それに亡命してきた戦争部族を組織することによって、藤原不比等は世
界の中心たる中華文明を日本に翻訳し移植した。おそらく「平城京」は中国語・朝鮮語日
本語が世界同時性として進行し、土方である民衆からみれば複合としての多言語的表層に
おいて都市が建設されていった。共通語は漢語であった。

 土俗としての自然生成的民衆は人工的なデザインと労働集約によって、突然、変貌した
空間と巨大な大仏像の出現にぶったまげ土肝をぬかれたに違いない。日本の都市とは古代
以来、官僚のデザインによって、ある日突然その人工建築が姿をあらわすのである。ゆえ
に長いものにはまかれなくてはならない、順応主義へと飼育されていく。北条鎌倉幕府が
後醍醐天皇によって転覆されたのは官僚機構が末期の病に犯され、新たなる統治能力を持
った官僚新世代の育成に失敗したからである。

 平城京建設という実践的・肉体的知覚の全面的発動、他者との具体的コミュニケーショ
ンという共同作業の時間を、同時体験する行為によって、高度情報・高度技術をもつ内部
ある他者は日本語を学習し、日本民衆を異化し対象化する。土着語でありながら、日本語
とは騎馬民族がもちこんだ言語である。ツーグイース系である。そして日本語は朝鮮南端
において騎馬民族が建設した、馬韓たるカヤ文明に依拠している。

 平城京建設の土木作業・建設作業とは、もっとも具体的労働であり、多言語であっても
肉体言語がそれをカバーする。わたしは八十年代後半から90年代前半、NECが外国人研
修生としてコンピュータ製造工場に受け入れた、フィリピン人、韓国人、中国人、タイ人、
バングラデッシュ人、パキスタン人、南アメリカの人といっしょに仕事をしたが、他者と
の実践的交流たる感情のコミュニケーションを実現するのは身体言語による共同身体労働
によることを発見した。

 たとえばレイプを別にして、男と女のセックスは、身体的知覚たるセンサーを全面展開
する自己遺伝子と模倣子の愛情訓練である。自己遺伝子と模倣子の学習器官、コミュニケ
ーションの共同肉体労働としてある。他民族でありまったく理解できぬ言語を話す他者と
の実践的交流と学習の場は、男と女のセックスであり結婚だ。民族の交差点であるシルク
ロード・中央アジアやインド洋に接するインド・パキスタン・イラン・イラク・トルコへ
のルート、こうしてインド=ヨーロッパ語の民族は他者と交流し学習し混交されていった。

 高度情報・高度技術をもつ他者はおのれの内部をそぎ落とし、日本語を話す女と結婚し
日本に土着化する決意を固める。帰るべき国家はすでに消滅したからである。平城京はみ
ごとに完成し次にとりかかるのは日本語を翻訳し、編集し、日本史記を誕生させることで
ある。各地方土俗王権はすでに国譲りとして武装解除していた。

 高度情報・高度編集技術をもつ他者は平城京から日本列島の旅に出発する。これが記紀
神話のヤマトタケルである。広大なユーラシア大陸の旅からすれば、日本列島の旅はそれ
ほど困難ではない。彼らは五年間を旅し、各地方・格農村共同体に伝承されている自然生
成的神話を語り部たちあるいはシャーマンや部族の長老から聞き取り調査取材をし、それ
を翻訳し漢字に記述した。

 自然生成の四季を内部にもつ民衆的神話・民衆的想像力・民衆的物語はこうして模倣子
に回収されたのである。高度情報・高度編集技術をもつ他者は、こうして五年間をかけて
日本列島の各地方・各農村共同体から民衆的物語を収集すると、平城京に帰り部屋に閉じ
こもった。重要なのはこの時期、ユーラシア大陸からエジプトの神話伝承まで収集する情
報部隊も存在したということである。

 当時、唐帝国はローマ帝国とも交流があった超大国としての世界の中心であり、シルク
ロードによって世界の文献は収集され、漢語に翻訳されていた。藤原不比等は、それらの
文献を盗用すべく唐帝国に情報収集部隊を送りこんでいたのである。

 律令制度の確立から平城京という首都の建造は、表層空間への人工的支配意志の表出で
ある。ゆえにそれは建築によって体現される。常識的な官僚機構であれば、外延的拡張を
めざす。しかし藤原不比等と高度情報・高度編集技術をもつ官僚機構がめざしたのは内延
である。天皇制八千年継続への打ち固めである。日本自己遺伝子と模倣子の建設という内
部・深層を人工的に形成する神話史記の捏造であった。これに十年間も部屋に閉じこもり
完成させたのである。驚嘆すべき閉ざされた秘密の部屋で、日本は帝王切開によって誕生
した。外部における戦争に勝利し、日本を制覇したどの戦争部族の将軍でさえ、この生き
神たる内部を亡き者にはできなかったのである。日本で勝利できる方法はただひとつ内部
建設をめぐるイデオロギー戦争である。盲目の哲学者これを発見したのである。70年代か
らインターナショナル国際組織に着手したカルト宗教である池田教の創価学会も内部建設
として、壮絶なイデオロギー戦争をしてきた。いまやこれらの団体は陰謀組織として制度
化され、官僚機構に伝染させたウィルスとなり権力党派として上昇したのである。クーデ
ターを起こした現代の藤原鎌足である。

 一九八七年国鉄の民営化はそのクーデターとしてあった。最後の労働運動の牙城であっ
た国鉄労働組合は解体され当時二十万人いた組合員は、二万人と後退させられ、陰謀者山
岸と盲目の哲学者よって「連合」が誕生する。当時、野党にいてこれを全面的にバックア
ップしたのがカルト教の党派である公明党である。この時期官僚機構は国家財政の総力を
あげて批判勢力である過激派壊滅作戦を展開させる。

 まさに八十年代とは市民社会のトレンドの裏側では、壮絶なイデオロギー戦争の戦国時
代であったのである。しかし八十年代を勝利したかにみえた官僚機構は、その勝利によっ
て内部を九十年代において瓦解させてしまったのである。なぜか? これまでの日本を制
覇した権力機構のように、天皇制に変わる国家理念とあらたなる内部・深層たる日本史記
を建設できなかったからである。それはつまりバブルという外へ外へのそう状態であった
からだ。だれひとりとして十年間部屋に閉じこもる他者になることができなかったからで
ある。この時期、クーデターを起こした官僚機構と陰謀集団のなかで八千年まで構想力の
魔手をのばす内延を建設できる能力ある人間は皆無であった。高度経済成長戦略を建設し
た官僚でさえ三年間、結核治療病棟のなかで構想を内部建設したのである。

 文明とは官僚機構が形成する。「失われた十年間としての九十年代日本文明」とは、八
十年代における官僚機構の内部建設の失敗である。八十年代とは大規模巨大工事として人
工的な日本列島改造への疾走であった。それを官僚機構は不沈空母建設と位置づけた。革
新官僚として敗戦を迎えた宮沢喜一と中曽根康弘はUSAの工作員として、将来の総理大
臣を約束され、自民党代議士になったとする異説がある。官僚機構は宮沢喜一と中曽根康
弘に、まんまとしてやられたのである。かれらが日本を防衛する意識などひとかけらもな
いことは自明となるであろう。そしていまUSAの工作員である自民党と小沢一郎は、ま
すます官僚機構を解体しようとしている。イギリス・USAのニ重帝国であるアングロサ
クソンはすでに一九八五年プラザ裏合意において日本官僚機構を全的滅亡にさせることを
決定した。そのとき、同時にソビエト連邦と東ヨーロッパの解体も決定されていたのであ
った。イギリス情報部主導のもとで。これを世紀末において分析した学者がいた。江藤淳
である。江藤淳は日本文明たる官僚機構が全的滅亡をとげることを予言して絶望のなか自
殺した。フランス・ポストモダンの旗手たる哲学者たちが絶望のうえに孤独に自殺したの
もこの時期であった。陰謀史観ではないが二十一世紀初頭は、アングロサクソンによって、
なにかが仕掛けられているのだ。それは文明をめぐる問題である。ゆえにいま洞察しなく
てはならないのは、民衆の文化ではなく官僚機構の文明なのである。日本で律令制度とい
う最初の官僚制度をつくったのは藤原不比等であった。

 なにゆえに、藤原不比等らは「日本書紀」の編集に向かったのか? それは騎馬民族王
権内における、すざましい血と血の権力闘争、こうした残酷な情念をもつ内部を捨てたか
ったのかもしれない。王権内・宮廷で殺し合いを続けていけば騎馬民族の王権は、いずれ
他者によって滅ばされてしまう。そしてこの地はわが故郷ユーラシア大陸の草原ではない。
海に囲まれた島である。

 圧倒的な豊かな森林と四季、肥えた土地を開墾し、田畑をつくる労働を美徳とするおだ
やかな農耕民族の島となり、海や山から食物を見つける採集民族の縄文人は北へと追いや
った島。こうした島を永遠に支配するためには何が必要なのか? こうして藤原不比等ら
は支配対象としての民衆を発見し、騎馬民族の内部を捨て、おのれ変貌へと自己変革をめ
ざす。すざましい島への土着化である。もはやかえるべき故郷はない。それはアメリカ大
陸を占領したヨーロッパ民族と同様である。そこに日本とUSAの同期性がある。

 日本とは官僚機構たる中国文明・朝鮮文明からの亡命者たちによって建設された、アジ
ア最終の人間たちによる極東の島。ゆえにシルクロード最終の場所。中国・朝鮮から軍団
部族が移住し、百万人の縄文人をジェノサイドとして大量虐殺して奪った島。ゆえに日本
文化の基層は人殺し文化と呼ばれている。日本人とは殺しが好きな民族であり、殺しが動
物的本能の自己遺伝子と模倣子に起動している。戦争なき平和な時代とされていたいた戦
後五十五年間においても、新左翼諸党派においては政治空間の占有をめぐって、一九七〇
年から壮絶な戦争に投入し、それは三十年戦争となった。死者・自殺者はあまりにも多い。
天下を制覇する戦国時代が反復し、再起動していたのだ。アンダーグランドの場所におい
て。明治維新においても最終的に革命党派は長州のみとなった。薩摩は明治政権から追放
されていった。最後に残ったのが大久保利通であるがかれも暗殺されていく。制度が瓦解
したとき帝国市民たるわれわれの社会は溶解する。そのとき市民は殺し合いをやるのであ
る。これが二十一世紀初頭の現代世界に現出してきた日本市民どおうしによる人殺し文化
と呼ばれる。縄文人を虐殺した現代人の自己遺伝子と模倣子が、眠りから覚醒したにすぎ
ない。これを無感知の世紀という。




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】