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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

武田邦彦氏 1/3

2019-11-28 23:57:15 | 文化

>270387 丸山真男はいなかったのか? それとも東大は力がないのか? >新聞会 12/11/08 PM03 【印刷用へ】 >武田邦彦のブログリンクより転載します。
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>戦後を代表する政治学者、丸山真男の論理と精神は、東大を始め日本でもっとも有力な知識人とマスメディアに受け継がれているはずです。 >現代の日本に関係の深い彼の思想は、次のようにまとめられるでしょう。
> 1)誰も戦争をするつもりがなく、大東亜戦争に突入したのは、論理で社会が動かずに空気で動くからだ。>誰が主張し、誰が言っているのかわからないような空気を支持するな、

そうですね。日本人には意思がない。だから、誰が言っているのかわからない。

> 2)考えの違う他者を許さず、日本だけが特殊で一歩外国に行くと全く通用しない事実や論理を崩さない日本社会の欠陥は修正されなければならない、

そうですね。日本人には意思は無いが、恣意がある。意思は文章内容になり意味があるが、恣意は文章にならず意味がない。だから、一歩外国に出ると全く通用しない。

> 3)民主主義が機能するのは、個人が自立し、尊厳を守り、本質的に矛盾する関係にある権力に対して自立することだ、

そうですね。民主主義には個人の自主・独立が必要ですね。

>このような矛盾した日本ができたのは鎖国と開国をくり返し、精神分裂的状態になったという点では岸田秀先生などとも同一であり、丸山真男の薫陶を受け、弟子だった人は東大に多い. >それなのに・・・・・・・・・

薫陶は ‘付け焼刃’ のようなものだったのですね。

>原発事故が起こると「被曝は危険である」、「広島・長崎の悲劇を再びくり返さないように、核兵器を含めて日本は被曝については厳しい考えを保つ」という核に対する思想の中核を直ちに捨てて、「被曝は安全である」という「空気」にほとんどの知識人が応諾して、沈黙を守っていることがまず第一に上げられます.

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

> 昭和天皇の御容体が悪くなったとき、日本全体に自粛ムードが漂った時にも丸山真男は「空気」を作り出してはいけないと言っています。
>2011年の自粛ムードや「放射線に強い子どもを育てなければならない」などという知識人の出現に対して、丸山真男のお弟子さん、思想の影響を受けた方が声を上げないのが不思議です.

そうですね。丸山真男のお弟子さんは、声なき民の仲間でしたね。

> 次に、温暖化対策は日本だけ、再生可能エネルギーも日本だけというなかで、「日本だけに通用し、一歩海外にでるとまったく問題にされないものが、日本だけでは常識となる」という彼の指摘もまったく顧みられない状態です。

日本の常識は、海外の非常識ですね。

>エネルギー政策でも同じで、諸外国には「石油系エネルギーが短期間で枯渇することはない」という見方が支配的で、その結果、各国の成長政策は化石燃料の消費を増やすことによって達成する計画です。>「温暖化と化石燃料枯渇」という日本の基本概念は日本以外の国では通用しません。

日本の常識は、世界の非常識ですね。

>また、多数派につけという雰囲気が彼の時代よりさらに強くなり、他者を認めないどころか、バッシング、出演禁止、雑誌は仲良しクラブのように意見の同じ人だけを出すというようになってきました。

反対意見の持ち主を非国民扱いにするようになったのですね。’異口同音・ご唱和’ の世界は恐ろしい。

>「他者の存在を認めないのではなく、さらに病的に他者の存在に気がつかない」と彼が述懐していたのを思い出します.

そうですね。考えの内容は、人さまざまですがね。正解は一つではない。幾らでもある。


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グレゴリー・クラーク氏 2/2

2019-11-28 08:29:20 | 文化

>外から来た思想に対しては排他的で、外国人は寛容に受け入れる。(つづく 編集担当:米原裕子)

中国人は、自分たちの考えを示すために漢字を作ってきた。しかし、外国人の考えを示すためには漢字を作らなかった。だから、外国人の考えは受け入れにくい。だが、外国人そのものは受け入れる。だから、彼らは多民族国家をつくっています。

>7.イデオロギーが軽薄で頼りない。
>これは日本の政治の世界で際立って見受けられる。
>真っ向から対立しているように見える自民党と民主党ではあるが、政治理念はほぼ同じだ。

そうですね。或るのは序列系列の違いに基づく対立ですね。

>だからこそ、2006年に小泉純一郎元首相が郵政民営化を掲げて、選挙で劇的な勝利を手に入れることができたのである。
>8.感情的で好戦的である。
>中国への侵略、どこまでも自制心が効かず、戦争を拡大させ、南京大虐殺という悲劇をも生んだことがいい証拠である。

日本人には批判精神 (critical thinking) というものがない。だから、暴走に歯止めがかからない。自然消滅を待つばかり。
批判精神を表すには、’あるべき姿’ (things as they should be) と ‘今ある姿’ (things as they are) の内容の比較が必要になります。日本人には ‘今ある姿’ (現実) があって、’あるべき姿’ (非現実) の内容がない。だから、批判の比較はなりたたない。それで、批判精神は想定外になっています。

>9.外交・経済政策において、戦略性に欠ける。
>クラーク氏は日本の外交ははっきりと定まった理念がなく、典型的な日和見主義であると主張。

日本人には、意思がない。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人は、仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。高見の見物・待ちの政治が多い。

>また、経済政策においても短絡的で、日本経済の10年にも及ぶ停滞を招いた主な原因もそこにある。

日本人に理念 (idea) は無い。日本語は、現実描写の為の言葉である。しかるに、理念は非現実 (考え) の内容であるから、日本人にとって理念は想定外になっている。そして、その政策も ‘行き当たりばったり’ (happy-go-lucky) になっている。

>10.合理性に欠ける。
>例えば、日本には整った義務教育のシステムがあるにもかかわらず、大学教育となるとありきたりである。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

>日本に合理主義というものは存在しない。

矛盾を含まない全ての文章は、正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。人の考えはさまざまである。
矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えに変わる。このためには、対話・議論が有効である。我々は、これらの手段を盛んにしなくてはならない。


>周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。

日本人は絶えず空気を読んでいる。だから、周りの影響を受けずにはいられない。

>11.政府の力が弱く、派閥争いが目立つ。

考え (非現実) の内容は、哲学になる。政治に関する考えは、政治哲学になる。日本人には、政治哲学がない。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

>日本は中央政府がなくても、地方自治だけで十分賄えるとクラーク氏は言っている。
>12.道徳観念は根本的に恥を重視し、罪悪感は重視されない。

日本人には意思がない。だから、加害者意識もない。罪の意識もない。あるのは被害者意識だけである。

>日本人は礼儀正しく、よく笑い、規律を守り、人に対して誠実であるにもかかわらず、過去の罪に対しては、目をそむけ真剣に向き合わない。

日本人は、自己判断ができない。だから、その行動に支障をきたさないように、あらかじめ作法というものを教え込んでおく。だが、罪に対する作法はない。罪は意思から派生するが、日本人には意思がない。意思は、未来時制の文章内容である。だが、日本語の文法には、時制というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

>その理由はこの道徳観にある。
>13.日本人は法律が嫌いである。>これに関しては、不思議がる人もいるだろう。>なぜなら日本はアジアの中だけで考えても、法治国家に属する。>レゴリー・クラーク氏は、日本人は西洋人と比べて内々に事を解決することを好み、止む終えない場合だけ裁判を起こすのだと主張した。

日本人は内内を大切にし、公 (おおやけ) を好まない。日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) があって意思がない。意思 (will) は未来時制の文章内容になり意味があるが、恣意 (self-will) はバラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在するので意味がない。だから、議論にはならないで談合 (腹の探り合い) になる。

> (編集担当:米原裕子)


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グレゴリー・クラーク氏 1/2

2019-11-28 05:00:05 | 文化
(略)
>この71歳のオーストラリアの学者は現在、日本国際教養大学の副学長を務めている。>クラーク氏は一人の西洋人として独自の見解を持っている。
>日本は島国で、集落文化を中心に発展してきたため、彼らの価値観は本能的であり、さらに言えば、感情的で現実的であると主張する。

日本語は、’今・ここ’ に根ざした言語ですからね。現実を反映して、非現実 (考え) の内容をしめしていない。

>  一方、中国は大陸文化で、長い間、周りとの衝突や接触を繰り返してきているため、価値観はより理性的だ。

中国においては、全ての考えは漢文になる。漢文にならないものは考えではない。漢人 (中国人) は、自分たちの考えを表すために漢字を作った。しかし、外国人の考えを表すためには、漢字を作らなかった。だから、漢人は外国人の考えを受け入れることが難しい。一方的な自己主張となります。

>これらの観点に基づいて、グレゴリー・クラーク氏は日本人の特徴を13の項目にまとめ、中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。
>1.過度な「群れ意識」を持ち、命令に従う習慣がある。

序列制度と上意下達のことですね。

>日本人の行動は組織立っていて秩序的であり、その良いところは、皆が従順で統制が取りやすいところであるが、一旦、性質の悪い勢力が権力を握ると、全国民がそれに従ってしまう。>その典型的な例が第二次世界大戦のときの外国への侵略である。

日本人には、批判精神がない。だから、暴走に歯止めがかからない。

>2.個人間の関係は驚くほど誠実なものである。>これについては、私自身、印象深い体験したことがある。>大阪付近の小さな村の駅に無人の野菜売り場があった。>袋に入った新鮮な野菜が置かれており、横に置いてある板切れには、1袋100円と書かれていた。誰も店番をしている人はいないため、箱にお金を入れるかどうかは、すべて買う人の良心に委ねられる。>そして、日本では物を落としてしまっても慌てる必要はない。>なぜなら、ものを拾ったら、一番近くの交番に届けるというのが日本の一般常識であるからだ。

日本人には意思がない。自己判断がきかない。全てにおいて一般常識が頼りになる。

>3.日本人は完ぺき主義者であり、極端なほど秩序にこだわる。

それは、日本人は自己判断ができない。だから秩序をよりどころにするしかない。

>日本人が秩序を守ることは、全世界が知るころである。>世界の観光名所で、旗を持ったガイドの後ろで列を作って黙々と付いていく一塊の人がいたら、それは絶対日本人である。

今ではあまり流行らなくなりましたがね。

>彼らの完ぺき主義を表わす典型的な例は、彼らのトイレの清潔さをどこまでも追い求めるところにあるのではないだろうか。>日本のホテルの部屋はどれも大きくはないけれど、トイレのきれいさは有無を言わさず完璧である。>良いホテルになると、高級な自動水洗トイレが付いている。>この点に関しては詳しい説明は要らないだろう、使ったことのある人だったら、直ぐに分かるはずだ。

日本人はキレイ好きである。気分・雰囲気を重んずるからである。

> 「4.手作りが好きである」

日本人は、目先・手先の内容に精神を集注します。しかし、全世界 (global)・万人共通 (universal) の内容については無関心です。

> 「5.チームワーク意識が強く、身内だけでやるような家族企業の管理に長けている」

家族内においても、序列制度は生きています。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な序列判断ができないと、日本語の日常生活に差し支えるほどであります。
その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗の上下判断が疎かであっては礼儀正しい日本人にもなれません。序列なきところに礼儀なしです。
‘人を見損なってはいけない’ という想いが高じて、強迫観念の域に達しています。だから、日本人は緊張して堅苦しい日常生活を送っているのです。’頑張って’ とか、’お疲れ様’ とかお互いに声を掛け合って励まし合っています。

> 「6.外国のものには、開放的で、広く受け入れるのに対し、外国人に対しては排他的である」と指摘。

そうですね。人間序列は排他的な制度ですね。しかし、ものには序列制度が通じませんから開放的ですね。

>3~6の特徴は、日本の工業化が急激に進んだ要因であると考えている。

そうですね。日本の製品は仕上がりがよい。お陰様でわが国は技術立国を経て経済大国になりました。

>  面白いのは、これらの特徴に対して、中国人は日本人の間逆であると言うことだ。>中国人は『知らないふりをしたほうがいいときには、そうしなさい。時には一歩引くことも大事である』との考えや、『その時々に応じて、どちらにも偏りがない考え方をしなさい』との考えを大切にしている。

中国人には序列制度がないから、我田引水が少ない。

>抽象的な信念について論じることが好きで、具体的な行動には移さない。

中国人は抽象論をするが、世界観がない。来るべき世界を論ずることはない。


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