>もう一つ提案があります。>入試制度を変えるのです。>中学入試も高校入試も、問題数が多すぎます。>これは考える力を見るための試験ではなく、暗記力を測るための試験です。>だから問題数を思い切って大問題に絞り込み、考える問題を中心に出題する。>ただし、じっくり考えなければ解けないような問題です。> 大学入試を頂点とする入試制度を、すべて思考力を問う形式に変える。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えでない。
矛盾を含まない文章は全て正しい考えを表しています。ですから、正解はただ一つではない。考えの内容は、人それぞれです。だから、正解は無数にある。矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。矛盾を取り除くためには、対話・議論が役に立ちます。だから、対話・議論を盛んにする必要があります。
>そうすれば、まず学校での教育が変わるはずです。>当然、受験産業のあり方も変わってくるでしょう。>教育関係者はもとより、親の意識も考えることの重要さに向くはずです。>入試改革による教育制度改革に手をつけるべきです。
教育の ‘あるべき姿’ (things as they should be) の内容はハッキリすれば、そのための制度改革も内容がはっきりしますね。我々には、行き着く先の内容の明確化が何よりも大切ですね。さもないと、手段の目的化が起こってせっかくの努力も徒労に終わることでしょう。
>■ひとりでも多く「考える力を持つ」子どもの育成を
> いずれにしても、悠長に構えている暇はありません。>残された時間は、そんなに多くはないのです。>一刻も早く思考の授業を取り入れることで、ひとりでも多く「考える力を持つ」子どもを育てなくてはいけません。
そうですね。我々日本人は、無哲学・能天気の状態ではいられませんね。’考え人’ になりましょう。
我々日本人は、日本語と英語を良く学び、時制に対する重要性を深く理解する必要がありますね。時制の使い方を覚えれば、自己の考えも思うがままに表現できます。相手の考えかたも理解できて、自己の信頼も得られます。英米人は、日本語を話す時でも、日本語特有の閉塞感に煩わされることはありません。彼らの考え方には、色々あるからです。我々も彼らに倣って日本語を使いましょう。さすれば、日本語の良さをも合わせ持つことにより ‘鬼に金棒’ の民族になることでしょう。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
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