gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本の混迷 2/2

2019-11-17 02:22:00 | 社会

>実はこの紐帯こそが、幕末から明治維新にかけて我が国を訪れ日本人を観察した欧米人が、「貧しいけど幸せそう」と一棟に驚いた、稀有の現象の正体だったのだ。

そうですね。日本人は、いつの時代も無哲学・能天気ですからね。罪の意識に苦しむことはありません。

>日本人にとって、金とか地位とか名声より、家や近隣や仲間などとのつながりこそが、精神の安定化をもたらすものであり幸福感の源だったのだ。

日本人には、序列による絆が必要ですね。

>これを失った人々が今、不況の中でネットカフェ難民やホームレスとなったり、精神の不安定に追いこまれ自殺に走ったり、「誰でもいいから人を殺したかった」などという犯罪に走ったりしている。> 少子化の根本原因もここにある。

そうかもしれませんね。

>家や近隣や仲間の有難さが失われ人々との繋がりが稀薄になったこの社会で、苦労して育てた子供は本当に幸せになれるのだろうか。>なれそうもないのなら子育てにエネルギーを使うより、自らの幸福を追い求めよう。>自分を支えてくれた社会へ恩返しするより自己実現、となるのである。

自己実現はぜひとも我々に必要ですね。

>「個の尊重」「個を大切に」を子供の境から吹きこまれているからすぐにそうなる。

日本人には意思がない。意思の無いところには、方法 (仕方) がない。成り行き任せにするしかない。日本人の改革運動も何処へやら。
意思 (will) は、未来時制の文法内容である。ところが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから日本語の脳裏には未来時制は無く日本人には意思がない。

>だから少子化は出産費用の援助や「子ども手当」で解決する問題ではない。>馬車馬の尻を鞭(むち)で叩くような、勝者と敗者を鮮明にする成果主義にもとづく競争社会でなく、祖国への誇りと自信の上に、日本の国柄としての家とか公をはじめ、人々の濃密なつながりを大事にしたうるおいのある社会を取り戻さない限り、社会に漂うとげとげしさややるせない不安、少子化などの諸問題は解決しない。

なあなあ主義は、万国に通用する主義ではありませんね。やはり、個人の確立が必要ですね。

> 学級崩壊や学力低下なども、個人を尊重し過ぎた結果、先生と生徒、親と子供が平等となったことが大きい。

序列制度の否定ですね。天は人の上に人を作らずですね。

>基本的人権を除けば、先生は生徒より偉く、親は子供より偉い、という古くからの明確かつ当然な序列が薄くなったため、子供達が野放図となった。

そうですね。序列社会は崩れつつありますね。

>厳しい鍛練すらできなくなったから、学力は低下した。>今では、教師は教授する者でなく子供の学習の援助者、などということになっている。

そうでしょうね。がり勉は必要なくなりそうですね。

>日本に昔からある「長幼の序」や「孝」を幼いうちから叩きこまないとどうにもなるまい。

上下判断は、理性判断をないがしろにするので良くないですね。上下 (序列) 判断を子供に叩き込むのはやめましょう。

>自殺にまでつながる除湿ないじめなども、「朋友の信」や「卑怯」を年端のいかぬうちから叩きこまない限り、いくら先生が「みんな仲良く」と訴え、生徒や親との連絡を緊密にしようとなくならない。> 要するに現代日本の直面する諸困難は、各党のマニフェストに羅列してあるような対処療法をいくら講じてもどうにもならないということだ。

そうですね。序列に代わる基準を我々は見つけられませんね。序列制度の成り立つ範囲は、日本語を話す領域の中に限られていますね。我々の地球村には、もっと大きな話が必要ですね。

>戦前から始まり、戦後には急坂を転がるように進んだ体質の劣化が原因だからだ。

日本語を話す地域の外に住む人々にも正しい基準が必要ですね。それを提唱する必要が我々にはありますね。

>体質劣化の余り、体質を改善する能力さえすでに失ってしまっている。 >人々はうすうすそれに気付き始めている。 >何をしてもうまく行かないからである。 >そのためか国民の視線が内向きになり下向きになっている。

これは、島国根性の再現ですかね。

>思考が萎縮し始めている。>大人達は将来を悲観し、若者は夢や志さえ持たなくなっている。

無哲学・能天気の国民には、夢や希望はありませんね。

>筑波大学のグループが日中韓の中学生を調査したところ、「将来に大きな希望を持っている」は日本二九%、韓国四六%、中国九一%である。 >祖国への誇りが世界最低のことは先に述べた。

日本人には自信がない。無哲学・能天気では自己の立場を明らかにすることは難しい。

>GHQと日教組による日本弱体化計画が偉大なる成功を収めたのである。

GHQと日教組は同志なのでしょうかね。それとも、旧日本を敵としているところだけが一致しているのでしょうかね。


.



日本の混迷 1/2

2019-11-17 01:56:07 | 社会

>今こそ、日本人は祖国への誇りを取り戻し、祖国の育くんできた輝かしい価値観を再認識する必要がある。 >座標軸を取り戻すのだ。 >これなくしては根無し草のようなものであり、目前の現象にとらわれどんな浮足立った改革をしてみても、どうなるものでもない。

そうですね。われわれ日本人には哲学 (考え) が必要ですね。

>どの選挙でどの政党が勝ち、誰が首相になりどんな政策を打ち出そうが現代日本の混迷は解決するどころかひたすら深まるだけである。

そうですね。国会議員が離合集散に明け暮れるばかりでは混迷の解決にはなりませんね。

> 祖国への誇りと自信が生まれて来れば、日本を日本たらしめてきた価値観を尊重するだろう。

我々は、価値観の創設が必要ですね。

>アメリカが、アメリカンスタンダードである貪欲資本主義をグローバルスタンダードと言い含めて押しつけようとしても、「日本人は金銭より徳とか人情を大事にする民族です」と言い抵抗することができたはずである。

‘徳’ が ‘得’、’人情’ が ‘恣意’ (私意・我儘・身勝手) と解釈されているところに問題がありますね。

>規制なしの自由な競争こそが経済発展に不可欠と主張し強要してきても、こう切り返せたはずである。>「日本人は聖徳太子以来、和を旨とする国柄です。>実際、戦後の奇跡的経済復興も、官と民の和、民と民の和、経営者と従業員の和でなしとげました」。

無哲学でありながら、ただ ‘和’ だけを主張するところが問題ですね。哲学 (考え) を受け入れてこそ、和があるのでしょう。そうでなければ、アニマルの世界と同じです。

>これを言わずアメリカ式を無批判にとり入れたから、日本特有の雇用が壊され、内閣府によるとフリーターは四百万人を超え、完全失業者は三百万人を上回ることとなった。

日本人には、批判精神 (critical thinking) がない。だから、相手の言うことをただ鵜呑みにするしかない。
時制のある文章内容は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。これは、世界観と呼ばれるものである。それぞれの世界の内容は、果てしなく展開が可能である。初めは、それぞれの世界の内容は、誰もが白紙の状態である。しかし、白紙の状態は、誰しも気になる所である。そこで、各人は、考える人になる。自分なりにその内容を少しずつ埋めて行く。そして、自分自身の世界観 (world view) を持つようになる。自分自身の ‘あるべき姿’ (things as they should be) で、’今ある姿’ (things as they are) を批判すれば、その人は批判精神を持ったことになる。時制は、英語にあって日本語にない。批判精神は、英米人にあって日本人にはない。

> 占領軍の作った憲法や教育基本法で、個人の尊厳や個性の尊重ばかりを謳ったから、家とか公を大事にした国柄が傷ついてしまった。

家とか公は、序列観念に由来したものですね。これは、日本語に由来したもので、世界の基準にはならないでしょうね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的判断が疎かであると、日本語の日常会話にも差支えが出るほど重要なものです。
その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗の上下判断が疎かであっては、礼儀正しい日本人になることもできません。
人を見損なってはいけないという想いが高じて強迫観念の域にまで達しているので、日本人は堅苦しい生活を余儀なくされています。
日本人はお互いに、’頑張って’ 、‘ご苦労さん’ と言い合っている。決して、’気軽にやれ’ (Take it easy.) とか、’うまくやれ’ (Good luck.) とは言わない。

>これはGHQが意図的にしたことだった。>家とか公との強い紐帯(ちゅうたい)から生まれるそれ等への献身と忠誠心こそが、戦争における日本人の恐るべき強さ、と見抜いたからである。

そうですね。家も公も序列制度になっていますね。序列による協力が日本人の特技でしょうね。

>占領の一大目的である日本の弱体化には、軍隊を解散するばかりでなく、そこから手をつけなければならなかった。
>そこで個人ばかりを強調したのである。

個人主義によることなく、滅私奉公を強調したのですね。

> 東京裁判のおまじないが解けない日本人は、公への献身は軍国主義につながる危険な思想、などと自らに言い聞かせ、個人主義ばかりをもてはやした。

個人判断の利かない日本人が軍国主義に走ると危険だからでしょう。

>個人主義の欧米が、日本など比較にもならないほどの争いに彩られた歴史を有することを顧みなかったのである。

個人主義獲得の歴史は、闘争の歴史でもありますからね。

>この結果、家やコミュニティーとの紐帯を失った人々は浮草のようになってしまったのである。

序列社会を離れた日本人は、移民・棄民のようになって持てる力を十分に発揮することができませんね。

>困った時には家や近隣や仲間が助けの手をのべる、という美風を失ったのである。

日本人の礼儀作法は、序列作法により成り立っています。ですから、だから、日本人には序列社会が必要です。序列なきところに礼儀なしですね。


.