水瓶

ファンタジーや日々のこと

巨鳥グリフ

2014-05-22 08:45:40 | 彼方の地図(連作)
グリフがもとは何の鳥だったのか、いつ頃から生きているのか、誰も知りません。ワシに似た姿をしていますが、それよりもはるかに大きく、乗せようと思えば何人もの人を乗せて飛べるほど、大きな鳥でした。もっともグリフは、これまでそんなことをしたことはなく、またこれからもしないでしょうけれど。

薄明の世界には、グリフほど高く飛べる鳥も、速く飛べる鳥もいません。その大きな強い翼で、薄明の世界を縦横無尽に飛び回ることができましたから、クァロールテンのてっぺんや、はるか遠く北の氷でできた島など、他の誰も見たことがないようなへんぴで険しい場所のことも、隅々までよく知っていました。それだけでなく、言葉にもとても長けていました。グリフは、自分の方が王様よりもずっと賢くて強いと思っていました。そして実際、その通りだったのです。

けれどたった一つだけ、グリフにも行くことが叶わない場所がありました。海の遠くに立ちこめた、白く濃い霧の向こうです。みんなは霧の壁が世界の果てなんだと思い込んでいましたが、そんなはずはない、自分はこれまでどんなひどい霧も通り抜けて、必ず向こう側へたどり着いて来たんだから、と思っていました。その向こうに見えた景色が、こちら側と大して変わらない寂しい岩山だろうと、グリフの知る限り、霧の向こうにも必ず世界はあったのです。ところが世界の果ての霧だけは、行けども行けども真っ白なばかりで、飛んでいる内に頭がぐらぐらして来てしまい、気づくともといた場所に戻っているのです。鳥たちは生まれつき、自分たちが世界のどこにいるのかわかる力を持っていますが、世界の果ての霧の中でだけは、その力が効かなくなってしまうのでした。

(ああ、もしもあの霧の向こうへ行くことができるなら、言葉も、今までに知ったことも、みんな失ってもかまわないんだがなあ___)

新月に天の川が輝くある冬の夜、海に面して切り立った崖の上で、羽を休めていた時のことです。グリフはいつになく頭が冴えて、翼にも力がみなぎり、今度こそ霧の向こうへ行けるような気がして仕方ありませんでした。(鳥はあまり夜は飛ばないものですが、グリフはそれまでも昼夜関係なく空を飛んでいました。)そうして考えあぐねて夜空を見上げた時、突き刺さるような冷たい風がぴゅうと吹いて、青白いダナンの星がひときわ明るく輝きました。

(今だ!)

グリフはぶるっと大きく身ぶるいをすると、星の瞬きを合図と、世界の果ての霧へと飛び立ったのです。

霧の壁まではまるでひとっとびでした。そして真っ白な迷路へと、まっしぐらに飛び込んだのです。そうしていったい、いくつの昼と夜の間を飛び続けたでしょうか。それは今まで憶えているどれよりも、ずっと長い、長い飛翔でした。これまでなら、このままでいいんだろうかと迷う気持ちが起きる所も、その時ばかりは、これで間違いない、自分はたしかに向こう側へ行けるんだという、強く澄んだ気持ちのまま、飛び続けることができました。そうしてグリフは、とうとう世界の果ての霧を突き抜けたのです。

グリフの他に、霧の向こう側のことを知っている者は、誰もいません。なぜなら、願いが叶ったひきかえに、本当に言葉を失ってしまったのか、それとももうしゃべりたいと思わなくなったのか、とにかく霧の向こう側から帰って来てから、グリフはまったく言葉を話さなくなってしまったからです。もっとも、どんなに言葉を尽くしても伝えられないことというのはあるものです。もしかしたらグリフは、霧の向こうでそんな景色を見たのかも知れません。

霧の向こうから帰って来たグリフの変化はもう一つありました。もともとは白い斑の入った、黒っぽい焦げ茶色の羽をしていましたが、それからは、体がまるで鏡のように、まわりの空を映すようになりました。青空を飛ぶ時には青い空を、くもり空の時には低くたれこめた雲を、晴れた夜には、星の輝く澄んだ夜空を。ですから、大きなグリフの姿を見つけることは、とても難しくなってしまいました。今もグリフが元のような姿を見せるのは、グリフがそうしたい時だけです。

五年前のある日、グリフは霧の中のある場所から、まだ赤ん坊だったポランをくわえて、大陸の真ん中ほどにある小さな泉まで運んで来ました。なぜそんなことをしたのかは、グリフしか知りません。

そして今グリフは、自分が霧の中から連れ去って来たポランと、真昼の大陸から来た旅人アローと、今の王様ケンタウロスと、次に王様になるはずの小さな妖精との四人が、灰色になりかけた湿地帯から旅立つ所を、はるか上空から見下ろしていました。その姿は地上からも見え、グリフが通り過ぎるたび、大きな黒い影が四人を覆いました。

そうしてグリフはしばらく四人の上を飛び回っていましたが、やがて旅立ちを促すように、南の空へと、その大きな翼をはばたかせて飛び立ってゆきました。