水瓶

ファンタジーや日々のこと

あたたかい霧の中で

2014-05-17 09:28:26 | 彼方の地図(連作)
深夜、不自然な物音に気づいて目をさましたアローが辺りを見回すと、隣に寝ていたはずのポランの姿が見当たりません。ランプを灯し外に出てみると、テントから少し離れた所に、ぼんやりした白い光が見えました。

「あの辺りは灰色の場所のはずだが___」

ぼんやりした光は、風に揺れる炎のように輝きを弱めたり強めたりしていましたが、徐々に安定して来ると、やがてきれいに整った白い球を描きました。光の球に近寄って、そっと手を伸ばしてみると、それはほんのりと温かく湿っていました。けれど、それ以上踏み込もうとしても、足は同じ場所を踏むばかりで、一向に光の球の中に入ることはできません。

あれほどにぎやかだった虫の声も今は途絶え、木々の一本一本、葉の一枚一枚までもがざわめきを止め、沼はすっかり静まりかえっていました。まるで沼にいる生きものすべてが、白い光の球の中で何かが起こりつつあることを予感して、その結果を息をひそめて待ち構えているようでした。

「これは、あの坊主のしわざだろう?」

いつの間にかそばに来ていたバーバリオンが、押し殺した声で言いました。

「この中で一体、何が起こっているんだろう___」

光の球の中ではポランが、手のひらにのせたピナーをじっと見つめていました。向かい合うように、青ざめた顔のティティがはばたきもせず宙に浮いたままで、ポランとピナーを落ち着かなげに見やっています。ティティは、夜気で冷えきった体に、じんわりと温度が戻って来るのを感じていました。それは、渇いたのどを朝露でうるおす時と似ていました。

(このあたたかい霧は、この子がつくっているんだ。ハリネズミの命を助けるために)

ポランは、アローが熱病で倒れた時には、自分をあれこれと助けてくれるアローに、よもや自分が何かできるなど思いもしなかったのですが、この、自分の手のひらにすっぽりおさまってしまうほど小さな体をした三本足のハリネズミには、アローに対するのとは違う気持ちを持っていました。自分の手のひらの中で、ピナーの命がみるみる失われてゆくのを感じ取って、なんとしても時計の針を止めたいというような気持ちが、強く起こってきたのです。するとポランのまわりに、白くてあたたかい霧があらわれて来たのでした。その霧は、外の冷たい夜気と、気持ちにしん酌せずにどんどん進む時間とから、しっかりとピナーを守っていました。外気に耐えられる新しい体ができるまで、幼虫を守るマユのように。四季のめぐりの中心にあるのが王様の役目なら、辺縁にいて、薄明の大陸を包むやわらかなマユをつくることが、「霧を生むもの」、海の守人の役目なのでした。

そうしてどのぐらいたったでしょう。ピナーの弱まっていた鼓動が、少しずつしっかり打ち始め、冷たい体に温度が戻ってくると、霧は少しずつ薄れ、やがてかすかな夜風にちぎれちぎれになって消えていきました。霧がすっかり消え去って、支えを失ったようにふらふらと地面に落ちそうになったティティを、バーバリオンが素早く受け止めました。沼はまたもとの青い月の光をたたえ、いつもの音といえないような音で満ち始めました。沼の生きものたちは、白い光の球の中で起きたことをしっかりと見届けて、満足したかのようでした。ポランがアローの顔を見上げて、その大きな手にピナーを渡すと、アローはしばらくその小さな体を調べるようにしていましたが、やがてふっと息をついてやさしい声で言いました。

「眠っているよ。お前たち、こんな真夜中に、いったい何をしていたんだい?」

ポランはこわばっていた表情をゆるめると、その場にしゃがみ込んで、そのまま深い眠りに落ちました。アローがポランをテントに運ぼうと抱き上げると、沼の水面に波紋がたって、輪の中からサウーラが顔をのぞかせました。

「もう満月は過ぎたはずが、今夜のお月さんはやけに大きいわいと思うたら。ここへ来て、色々と不思議なことが起こるようになったもんじゃのう___まあ、今はおやすみ、守人の子よ」