ぐるーっと塀の囲う細い道を歩いて着いたのは目黒不動尊。立派な山門ですね。
先週末に行った目黒お散歩の記事の続きです。
昨日は暑かったですね。とうとう梅雨も明けて、陽射しがいっそう強くなりました。
でもまだ空気に満ち満ちた熱気が真夏の猛暑日ピークほどではないようで、ってことはこれからそんな日々が来るわけか。。ひい。

山門をくぐった所にある狛犬はふつうの犬っぽいのが珍しい。。

独鈷の滝。不動尊を開山した慈覚大師が堂塔建設の敷地を占って独鈷を投げたところ、滝泉が湧き出したのでこの名がついたとのこと。
旱天が続いても涸れることのない霊泉で、不動行者の水垢離の場所になっていたそうです。
この不動さまに水をかけるといいらしいのでかけてきました。はあ、涼しげ。。

境内が広い・・・!

wikiによると目黒不動尊は、江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれたそうです。
浮世絵ではこんな感じで、わりと今と変わらないようです。
広い境内は水と緑が豊かで、大きな道路を歩いて来た後ではひと際ほっとしました。
昔は江戸の町から時間どのくらいかかったかな?
と、目黒の古地図検索してみたら、こんなページがありました。へええー、おもしろい!
やっぱりほとんどが寺と武家屋敷と百姓地、そして門前町をなす町家。
目黒不動尊の敷地もかなり広いんですが、この地図見るとそれよりも広い、○○守という名前のついた武家屋敷が珍しくないんですよね。
しかもなんか御紋屋敷と、下屋敷、中屋敷ってのがある・・・。
半七捕物帳とか岡本綺堂の随筆読んでると、維新のあと、この江戸中に沢山あった武家屋敷から人がいなくなってしまい、
借家の家賃などがすごく安くなったんだそうです。
これだけ江戸の土地の多くを占めてた武家屋敷から人がいなくなったら、さぞ荒れ果てて、閑散とした感じがしたでしょうね。
そういえば「坊ちゃん」の小説の最後に、坊ちゃんが松山から帰って来て、麹町に家を借りて清と住んだってありましたが、
親とも縁が切れている上に、そんなに給料が高くないであろうまだ社会人なりたての坊ちゃんが麹町に一軒家を借りられたのも、
そういう時代背景があったのかと納得。。

本堂の外回廊を裏へ回ると、大日如来像がありました。未年と申年の守り本尊なんだそうです。
ちょうど森のなかまと私の生まれ年に当たるので、念入りに拝んで来ました。
こんな風に、本堂の裏に、屋根はついてるけれど外に仏さまがあるっていうのも珍しいですよね。
夏の濃い緑を背景に、とてもいい雰囲気でした。


結構高い。。。お正月にはいっぱい人が来るんだろなあ。

え?なんでサツマイモ???と思ったら、目黒不動尊には、甘藷先生と呼ばれる青木昆陽のお墓があるんだそうです。
境内にはサツマイモの畑も!
サツマイモはすごく重要な作物だったそうで、このおかげで天明の飢饉は大分緩和されたようです。
和食はヘルシーだってよく言われるけれど、現代でヘルシーってことはつまり低カロリーってことで、
過去においては栄養不良だったんだろうなあと。
そういえば基本的には肉食しないし、牛乳とかも飲まなかったみだいだし、メインって米と野菜と魚介で、
栄養価の高そうなうなぎとかはやっぱり高価だったみだいだし。
あと野菜で栄養価高いっていうと、大豆か。。イモ類は、ジャガイモは明治以降だし、サツマイモのが先だったんですね。
サトイモは、あれそんなに量が取れる感じでもないけど、どうなんでしょう。おいしいけど。
雑草の本読むと、下手すると当たるみたいな毒性のある山野草が昔から食べられていて、
それだけ慢性的に栄養不足気味だったんじゃないかと思います。彼岸花の根もよく水にさらさないと毒あるんですもんね。
救荒植物って、通常では食べる気にならないぐらいおいしくないらしくて、だからいざという時に残ってるんだろうけど。


昨日は横浜美術館の前を通りかかったので、ミュージアムショップで浮世絵関係の画集とかないかなーとのぞいたら、
北斎漫画というのがあって、面白そうだったので買って来ました。
北斎が弟子のために手習い書として色んな人や事物をたくっさん描いたものなんだけれど、これが江戸の庶民にも受けて、
ベストセラーになり、続編がいっぱい出たそうです。今と同じだ!
何が面白いかというと、本人によれば特になんということなく色んなものを描いたというものらしくて、
しっかり売り物になるような作品としては、世に出さないような絵がいっぱいあるんです。
だから本当に当時の庶民の日常のしぐさなどが描かれていて、仕事してる職人などだけでなく、香具師や手妻などの大道芸人や、
まあちょっとだらしない格好で寝そべって本読んでる姿とか、ケンカしてる所とか、主婦が立て膝でご飯作ってる所とか、
説明がほとんどないんで、何してるのかわからないのも多いけれど、すごくリアルで面白いです。
しかもそれが後世に、庶民の日常の姿を残す結果になっていて。とにかくいっっぱい、細かく、書いてるんですよ・・!
そういうのって、立派な美術工芸品からははじかれちゃう要素ですもんね。狩野派の屏風絵とかには絶対出て来ないぞ。
思わず笑いをさそうような一枚絵もあるし、なるほど今のマンガの原型がここにあるのだ。
岡本綺堂が、江戸の風俗や文化っていうのは、あんまり上品なものじゃないんですよと書いていた(か、半七に言わせていた)
んですが、庶民文化ってそういうものなんでしょうね。あー、あとこのシリーズ、妖怪のも買おう。
そういえば河童釣ってる絵もありましたよ。男の人がお尻出して川岸に座ってて、
すぐ上にはひっぱると落ちるように網が張ってある。ほんとにカッパ釣れんのかこれで。

役小角をまつった祠。修験道の開祖だそうです。たしか江ノ島にもなんかあった気がする。。

なんかこのシャチホコがやけにメカニカルで面白かった。ウィーンガシャーン!て変態しそうな感じ。

スズカケの大木。街中にこういう大木や緑が広く残ってるのって、お寺や神社なんですよね。
このあと来た道を戻って、雅叙園で和のあかり展を見て、駅へ戻りつつ夕ご飯を食べるお店を物色。

権之助坂の途中に、ここだけちょっと違う並びがあるなと思ったら、権之助坂商店街と看板がありました。
間口が狭い飲食店がぎっしりで、お客さんもいっぱい。立ち飲み屋さんとかラーメン屋が多かったかな。。。
でもこの日はなんとなくラーメンでも飲みでもない感じだったので、ビルの地下にあったタパス・タパスでご飯。
リーズナブルでおいしいかったのでした。

以上、目黒お散歩の記事はこれでおしまいです。昨日は隅田川花火大会だったようで、人すごかったんだろな。
蝉の鳴き声もさわがしくなって来て、いよいよ夏も本番ですね。
先週末に行った目黒お散歩の記事の続きです。
昨日は暑かったですね。とうとう梅雨も明けて、陽射しがいっそう強くなりました。
でもまだ空気に満ち満ちた熱気が真夏の猛暑日ピークほどではないようで、ってことはこれからそんな日々が来るわけか。。ひい。


山門をくぐった所にある狛犬はふつうの犬っぽいのが珍しい。。

独鈷の滝。不動尊を開山した慈覚大師が堂塔建設の敷地を占って独鈷を投げたところ、滝泉が湧き出したのでこの名がついたとのこと。
旱天が続いても涸れることのない霊泉で、不動行者の水垢離の場所になっていたそうです。
この不動さまに水をかけるといいらしいのでかけてきました。はあ、涼しげ。。

境内が広い・・・!

wikiによると目黒不動尊は、江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれたそうです。
浮世絵ではこんな感じで、わりと今と変わらないようです。
広い境内は水と緑が豊かで、大きな道路を歩いて来た後ではひと際ほっとしました。
昔は江戸の町から時間どのくらいかかったかな?
と、目黒の古地図検索してみたら、こんなページがありました。へええー、おもしろい!
やっぱりほとんどが寺と武家屋敷と百姓地、そして門前町をなす町家。
目黒不動尊の敷地もかなり広いんですが、この地図見るとそれよりも広い、○○守という名前のついた武家屋敷が珍しくないんですよね。
しかもなんか御紋屋敷と、下屋敷、中屋敷ってのがある・・・。
半七捕物帳とか岡本綺堂の随筆読んでると、維新のあと、この江戸中に沢山あった武家屋敷から人がいなくなってしまい、
借家の家賃などがすごく安くなったんだそうです。
これだけ江戸の土地の多くを占めてた武家屋敷から人がいなくなったら、さぞ荒れ果てて、閑散とした感じがしたでしょうね。
そういえば「坊ちゃん」の小説の最後に、坊ちゃんが松山から帰って来て、麹町に家を借りて清と住んだってありましたが、
親とも縁が切れている上に、そんなに給料が高くないであろうまだ社会人なりたての坊ちゃんが麹町に一軒家を借りられたのも、
そういう時代背景があったのかと納得。。


本堂の外回廊を裏へ回ると、大日如来像がありました。未年と申年の守り本尊なんだそうです。
ちょうど森のなかまと私の生まれ年に当たるので、念入りに拝んで来ました。
こんな風に、本堂の裏に、屋根はついてるけれど外に仏さまがあるっていうのも珍しいですよね。
夏の濃い緑を背景に、とてもいい雰囲気でした。



結構高い。。。お正月にはいっぱい人が来るんだろなあ。

え?なんでサツマイモ???と思ったら、目黒不動尊には、甘藷先生と呼ばれる青木昆陽のお墓があるんだそうです。
境内にはサツマイモの畑も!
サツマイモはすごく重要な作物だったそうで、このおかげで天明の飢饉は大分緩和されたようです。
和食はヘルシーだってよく言われるけれど、現代でヘルシーってことはつまり低カロリーってことで、
過去においては栄養不良だったんだろうなあと。
そういえば基本的には肉食しないし、牛乳とかも飲まなかったみだいだし、メインって米と野菜と魚介で、
栄養価の高そうなうなぎとかはやっぱり高価だったみだいだし。
あと野菜で栄養価高いっていうと、大豆か。。イモ類は、ジャガイモは明治以降だし、サツマイモのが先だったんですね。
サトイモは、あれそんなに量が取れる感じでもないけど、どうなんでしょう。おいしいけど。
雑草の本読むと、下手すると当たるみたいな毒性のある山野草が昔から食べられていて、
それだけ慢性的に栄養不足気味だったんじゃないかと思います。彼岸花の根もよく水にさらさないと毒あるんですもんね。
救荒植物って、通常では食べる気にならないぐらいおいしくないらしくて、だからいざという時に残ってるんだろうけど。


昨日は横浜美術館の前を通りかかったので、ミュージアムショップで浮世絵関係の画集とかないかなーとのぞいたら、
北斎漫画というのがあって、面白そうだったので買って来ました。
北斎が弟子のために手習い書として色んな人や事物をたくっさん描いたものなんだけれど、これが江戸の庶民にも受けて、
ベストセラーになり、続編がいっぱい出たそうです。今と同じだ!

何が面白いかというと、本人によれば特になんということなく色んなものを描いたというものらしくて、
しっかり売り物になるような作品としては、世に出さないような絵がいっぱいあるんです。
だから本当に当時の庶民の日常のしぐさなどが描かれていて、仕事してる職人などだけでなく、香具師や手妻などの大道芸人や、
まあちょっとだらしない格好で寝そべって本読んでる姿とか、ケンカしてる所とか、主婦が立て膝でご飯作ってる所とか、
説明がほとんどないんで、何してるのかわからないのも多いけれど、すごくリアルで面白いです。
しかもそれが後世に、庶民の日常の姿を残す結果になっていて。とにかくいっっぱい、細かく、書いてるんですよ・・!
そういうのって、立派な美術工芸品からははじかれちゃう要素ですもんね。狩野派の屏風絵とかには絶対出て来ないぞ。
思わず笑いをさそうような一枚絵もあるし、なるほど今のマンガの原型がここにあるのだ。
岡本綺堂が、江戸の風俗や文化っていうのは、あんまり上品なものじゃないんですよと書いていた(か、半七に言わせていた)
んですが、庶民文化ってそういうものなんでしょうね。あー、あとこのシリーズ、妖怪のも買おう。
そういえば河童釣ってる絵もありましたよ。男の人がお尻出して川岸に座ってて、
すぐ上にはひっぱると落ちるように網が張ってある。ほんとにカッパ釣れんのかこれで。


役小角をまつった祠。修験道の開祖だそうです。たしか江ノ島にもなんかあった気がする。。

なんかこのシャチホコがやけにメカニカルで面白かった。ウィーンガシャーン!て変態しそうな感じ。

スズカケの大木。街中にこういう大木や緑が広く残ってるのって、お寺や神社なんですよね。
このあと来た道を戻って、雅叙園で和のあかり展を見て、駅へ戻りつつ夕ご飯を食べるお店を物色。

権之助坂の途中に、ここだけちょっと違う並びがあるなと思ったら、権之助坂商店街と看板がありました。
間口が狭い飲食店がぎっしりで、お客さんもいっぱい。立ち飲み屋さんとかラーメン屋が多かったかな。。。
でもこの日はなんとなくラーメンでも飲みでもない感じだったので、ビルの地下にあったタパス・タパスでご飯。
リーズナブルでおいしいかったのでした。

以上、目黒お散歩の記事はこれでおしまいです。昨日は隅田川花火大会だったようで、人すごかったんだろな。
蝉の鳴き声もさわがしくなって来て、いよいよ夏も本番ですね。
