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水瓶

ファンタジーや日々のこと

銀座のビル

2016-12-07 07:57:37 | 東京の町
半年に一回行く銀座。行くたびごとにけっこう変わっててビックリすることも。
というわけで、先週行った時に撮った面白いビルの写真です。


銀座で待ち合わせというと和光の前。昔、待ち合わせまで時間があるのでなんか見てようかな〜などと中に入ってみて、
ちびりそうになったことがあります。あそこは他のデパートとは違うんじゃ。おそろしい所なんじゃ。。。


たわんでおるぞ。銀座四丁目交差点、和光の向かいは今NISSANのビルなんですね。
しかしこのビルだと窓ガラスがひとつひとつ特注じゃないの。。。


容積率で損をしそうなねじれたビル。しかしこんな建物も建てられるんだなあ。


あちこちで工事進行中。ここには何ができるんだろ。


三原橋交差点近く、アシュラ男爵みたいな古いビル。


新しいビルがじゃんじゃんできていますが、一本脇に入ると赤ちょうちんが見えるこんな小道があったり。


いい感じに暮れて来ました。

そういえば戦争が終わって間もなく、焼け残った銀座の三越デパートで結婚式を挙げたというお話を聞いたことがあります。
花嫁衣装等はなく、来客への食事もごく質素なものだったそうですが、その時はそういう場所も少なくなっていたので、
流れ作業のように一日に何組も挙式したそうです。


高級ブランドの店多いねえ。。


GAPが一階に入っているのはみずほ銀行のビルのようです。ちょっといびつさを感じさせるパターン。
新しいビルはたわんだりねじれたり、いびつだったりと、ちょっとグロテスク風味がありますね。バロックとでもいうんでしょうか。
(新しいビルとはいっても、そこそこ前だと思います。あんまりじっくり見てなかったんですよね。銀座の街。)


有楽町のビル群。新しいビル見て来た後だと、なんかストンと真面目な感じ。


マントヒヒかチンパンジー?………一体何のお店だろ???


うわっ、、、昭和モダンな家の玄関ドアの横にある明かり取りっぽいガラスタイルが全面張り!


今回一番びっくりかつ面白かったビル。にゃんとエルメスのビルでござんした。すっげえええ。。。
右手ドアの所にいる人、バッチリ決めた黒服でビシッと立ってたんですが、門番とか・・?


こんなのも撮ってみたい年頃なんです。


ビルの壁面には小さいウィンドウがあって、こんなディスプレイが点々と。これが結構面白くて、思わず写真に。
さすがといおうか、細かい所まで力入れてますね。


悪趣味ギリギリの所をぐいぐい攻めて来るエルメス。どうせご縁もないのでとことんやって頂きたい。






ソニービル向かいは東急プラザになってたんですね。

新しい奇妙なビルが沢山建っていて、ひとつひとつ見てゆくとなかなか面白いんですが、
全体的に銀座の街が、スカスカしてるような気がしたんです。
これだけのビルの空間を埋めるだけの熱量が感じられないっていうか。。
気のせいかも知れないけど、ふとすると、さびしい風が吹き抜けるようで。


It's a Sony展を見て外へ出るともう真っ暗。なんかブレードランナーみたいですね。とかいって実は映画見てないんですが。


不二家のビルはかなり昔からありますよね。それとも建て替わってんのかな。看板はなつかしいまま。

渋谷の再開発もすごいですね。東京、オリンピックを迎える頃にはどうなってるんでしょうか。

It's a Sony展・音楽のつかまえ方

2016-12-04 12:26:41 | 東京の町
ウォークマンといえばソニー。ソニーといえばウォークマン!

・・・ですよな?

昨日は半年に一度、母と姉と一緒に銀座でランチ。
食べ終わったらもう夕方で、銀座からどこかへ出るには中途半端な時間。とはいえこのまま帰るのももったいない、、、
そうだ、有楽町から来る途中で見かけたIt's a Sony展!へ行ってみようじゃありませんか。
正直私一人なら行かなかったと思うけど、森のなかまがこういうの好きだしね。

ちなみに前回の食事会のあとは築地に行ったわけなんですが、そう、半年前は都知事選もまだ。
今のように築地上空に、小池都知事と盛り土がぐるぐると亡霊のごとく取り憑いてはいなかったのです。
あん時行っといてよかったな。。。


このIt's a Sony展、下の階から年代が古い商品で、ぐるぐると上ってゆくほど時代が新しくなるという構成。
このラジオ、森のなかまがかっこいいなあ、よくできてんだよなあとつくづく眺めていました。
昔のラジオってこんな感じで、私の家にあったのは多分ソニーのラジオじゃかったと思うけど、
黒い革カバーかぶってて、なんか「お父さんのラジオ」っぽかったんです。


これ、おもちゃっぽくてかわいいですよね。下にも出てきますが、子ども向けのシリーズだったようです。
ソニーのデザインて硬軟両方良かったんだな。


説明書きによりますと、G型テープレコーダー(1950)。カッコ内は発売年。
日本初のテープレコーダーで、やってみせるとみんな驚くけど売れなかったそうです。
大卒国家公務員初任給4000円の時代に16万円、重さ35キロ。そら売れないわ……… 


発声自動幻燈装置 オートスライド(1952) 。日本語の商品名「幻燈装置」というのが宮沢賢治みたいでいいじゃありませんか。
テープレコーダーの音声と写真を表示させるタイミングを簡単に同期させることができたそうです。
音声は出なかったのでこの装置じゃないと思うけど、硬い紙枠にフィルムを張ったスライドを次々に落として、
スクリーンに映して見せるスライドの機械ってのが昔ありまして、
母の実家の本家筋のおじさんが、農協の団体で初めて海外旅行に行った時の写真を見せてくれたのを憶えてます。

………て書いててなんかすごい昔の人みたいな気がしてきた。。。


TR-610(1958)。スピーカー付き当時世界最小AMポケッタブルラジオ。
うおう、こんなちっこいのがすでに1958年に出てたんですね。


TC-777(1961)。日本初オールトランジスタアンプ内蔵のテープレコーダー。
この頃のテープレコーダー、ほぼガス台大。


左にあるのがTC-100 コンパクトカセットテープレコーダー(1966)。重さ1,75キロ。これ当時としては画期的に軽かったらしい。
右にあるのはカセットテープ C-60(1966)。初のカセットテープ。公務員初任給23300円の時代に60分テープが700円。 
誰が買ってたんでしょう。何を聞いていたんでしょう。

………えーーーと、ちょっとまて。1950年に大卒国家公務員初任給4000円だったのが、1966年には23300円???
たった16年の間に6倍近く給料が上がったってこと?なんじゃそれ。頭おかしくなるぞ。


PS-2000(1966) 。おそらく世界最初のFGサーボ付低速DCモーターによるベルトドライブ機構を採用したターンテーブル「TTS-3000」を木製キャビネットに組み込み、トーンアームを組み合わせてシステムのかたちを整えたレコードプレーヤー

・・・だそうです。説明書きをそのまま打っていますが、何を言っているのかさっぱりわかりません。
うん、とにかくレコードプレーヤーだよ。この丸いとこにレコードのせて針を落として音楽聞くんだよ。
ええ?今どきの若者はレコードも聞いたことないのか。けしからん。ぷんぷん。

レコードを知らないヤングな方に解説いたしますと、レコードにはA面とB面がありまして、
A面が終わるとひっくり返してB面を聞くものなのです。
ユーミンの昔のアルバムとか聞くとよくわかるんですけれど、A面の一曲目とA面終わりの曲、B面最初の曲と最後の曲とか、
なんかそれぞれ、らしさがあったんですよね。
だから今単品でも曲聞くと、あ、これ一曲目(オープニング)っぽいとか、B面4曲目(最後から二番目の曲)っぽいな、とか思います。
思いますよね。古い方。


ラジオCRF-230(1968)。 23バンドを網羅するマルチバンドレシーバー第1号機。プロフェッショナル感覚を訴求した造りになっている。全世界のラジオをカバーする圧倒的な対応力は「ワールドゾーン23」と呼ばれ、数多くのファンに支持された

ふむふむ。ほほう。


ICR-100(1967) 当時世界初のIC搭載ラジオ。マッチ箱に匹敵するサイズと重量90gの超軽量ボディを実現。操作系を大きく設定し、ストラップの代わりにホルダー型のメダルを付けた。1回14時間の充電により、約6時間の連続使用を可能にした

これちっちゃくてかわいいんですよ!で、ちっちゃいのにまたよっくできてるんですよね。今でも思わず欲しくなっちゃいます。


会場こんな感じで、入場無料のせいもあるのか沢山の人が来ていました。
森のなかまいわく「おっさんばっか!」。お前もな。
いや、若い男性や女性もけっこういたと思うけど、たしかに圧倒的に多かったのはおっさんでした。


(この辺くたびれて来て説明書き撮るの忘れています。)
左手にあるこのごつい物がなんだかわかりますか。トランシーバーというものです。
トランシーバーとは、遠くにいる人と無線みたいなもので話せるものです。昔のスマホです。
昔の子ども向けのドラマかマンガで、正義の味方の主人公たちがこれを使ってやり取りしてた気がする……。
私の子どもの頃にはおもちゃで出てたりして、欲しかったんですよね……高価だったけど。
しょうがないんで、かわりに糸電話で遊んでました。いや、糸電話も考えてみるとすごいよね。よく聞こえて。


ビデオレコーダーって書いてあります。でっかいです。映像を記録する機械ですね。この辺わりと関心薄い。。
しかし機械というものの迫力というか、がありますなあ。




CFS-W80(1984)。ラジカセというやつです。おお、この辺りから急に私にも親しみ深くなってきたぞ。
しかもカセットデッキがダブルですね。ふんふんふんふん!

ソニーというのは高級品のイメージが強く、でも私もラジカセで二つぐらいソニーで買ったかな。。。型落ちして少し安くなったやつ。
で、このラジカセに似たようなのを、ソニーで古くなった時買った記憶があります。
よく使ってたラジカセはAIWA。安くて頑丈AIWA。ていうかなんでそんなにラジカセ買い換えてたんだ。
あれ?でもなんか一年に一回ぐらい買ってたような気がするぞ???まあ、そんだけ音楽力込めて聞いてたんですよね。
そか。この頃から、「お父さんのラジオ」から「若者のラジカセ」にシフトしたっぽいですね。


ZX-7ラジオカセットレコーダー。デジタブルと呼ばれていたそうです。
そうそう、平たい形から、コロコロ四角っぽくなった。スピーカーに奥行きが出ました。


ん?ん?ん?この地味めなのは……ウォークマンて書いてある!



ウォークマンだよ〜〜〜。
ロサンゼルスでウォークマン聞きながらローラースケートするんだよ〜〜〜。

ウォークマンの画期的さはやはり、外でも音楽が聞ける、音楽が持ち運びできる。一人で電車に乗ってる時間が短くなる。
つまりスマホの走りみたいな機能を持っていたんですね。ウォークマンて英語がおかしいとかいうな。
ウォークマンはウォークマンじゃ。おりゃー。

ていうかウォークマンてすんごいいっぱい出てたんですね。
ちょっと全体撮り忘れてしまったけど、ものすごく沢山種類がありました。


テープレコーダーのリール。これが間もなく


カセットテープに変わるわけですね。なじみ深いのがいっぱい……あう、あう。

ウォークマンだけでなく、カセットテープはよく使われていました。
レコードプレーヤーとレコードを持っていても、私はよくテープで聞いていました。
理由はといいますと、LPレコード(アルバム)は一枚3000円。これ今とほとんど値段変わりません。
つまり当時は今よりもレコードが高価なものだった……!!
しかしレコードプレーヤーでレコードを聞くと、溝が傷ついたりすり減ったりする。
だから、くり返し聞くともったいないので、レコードをテープに録音したものを、
ふだんはラジカセなりウォークマンなりで聞いていたのです。

(あと、聞きたいレコードはいっぱいあるけれど、全部は買えないから、
レンタルレコード店(友&愛とか)からレコードを借りてきて、録音して聞くことも多かったです。)
これはー、あー、グレーゾーンなんでしょうけど、私的流用ならOKみたいな感じで大目に見られてたと思います。
デジタルデータと違って、レコードからテープに落とす時点でいくらか音が変化というか劣化するので、
やっぱりレコードで聞くのが一番ではあったんです。)

昨日はソニー展を見て、当時自分が音楽をどんな風に捉えていたんだろうと考えたんですが、
私にとって音楽は、レコードそのものだったんですよ。
音楽の本体みたいなものは、それを作ったり演奏したミュージシャンやバンド当人たちじゃなく、ライブの生演奏にでもなく、
レコードに宿っていたと。あくまで私にとっては、ですが。
まあちょっと大げさだけど、レコードってのは本体ですからおいそれとは聞けなくて、一方カセットテープに録音したものは、
音楽本体のかりそめというか移し身みたいな感じで、ふだんから聞きやすかったんじゃないかなあと。

しかしやがて、レコードよりも便利になったCDというものが出るんですよ。これも最初はさわるのもおっかなびっくりだったんです。
なんか傷つきやすそうだし。。。でも慣れて来ると、わりとぞんざいに扱うようになってきました。
安っぽく感じられたんですよね。。。軽いしピカピカしてうすっぺらいし。とはいえもう、レコードを聞くことはなくなりました。

で、今度は追い打ちをかけるようにITの波がやって来て、音楽ってのはレコードじゃなくてデータで、
その宿る物を換えて来たにすぎなかった……の???

正直、この辺りから今に至るまで、自分がどう音楽を捉えてるのかよくわかりませんで、
なんか音楽本体が落ち着く所を失って、幽霊みたいにふらふらさまよってて、捕まえられずにいるようなのです。
レコードで音楽を聞いていた十代の頃が、自分が一番熱を入れて聞いていた頃なので、
年齢によるものなのか音楽メディアによるものなのか、はたまた両方の理由からかはわからないんですけど、
やっぱりレコードの時代が、一番音楽に魅力があった気がします。私個人の話だけれど。
この辺の感覚はきっと、デジタルネイティブといわれるこれからの世代の子たちとは大きく違うのかも知れませんね。
んー、まあ、昔は全体に娯楽が少なかったっていうのはあるんですよね。
ていうか何かを楽しむにはそれなりにお金もかかったので、ある程度しぼらないといけなかったってのもあるかなあ。


これは日本をテーマにしたシリーズで、アンディ・ウォーホルの作品だそうです。
このシリーズ途中でウォーホルが亡くなってしまったため、仕上げたのはパートナーの方だそうです。
うーん、さすがかっこいいねえ。そっか、蛍光色でスケルトンなんだな。


ウォークマン時代の展示フロア。ここがダントツに人が多く、熱気もありました。自分もそうでした。


子ども向けのラジカセとかカラオケのシリーズのようです。おもちゃっぽいけどよくできてんだよなあ、これ。


ご存知プレイステーション。たしか一代目と二代目は買ってけっこうやったかなあ。
でも自分的には、この辺からブツそのものへの執着が急速に薄れてった気がする。。。
音楽同様、「本体」と物が、完璧に分離しちゃったせいだろうか。ところが


ブツそのものへの執着が蘇ったのが、このAIBOくんだったんです。
高かったから買わなかったけど、テレビとかでよく報道されてて、欲しいなあと思ったんですよね。
wikiによると2000年から通常生産か。今から16年前かあ。。


このAIBOはマカロンと呼ばれてたんですよね。これもかわいくて欲しかった。


SDR-4XⅡ(2003) エンタテイメントロボット。これは知らなかったけど、AIBOくんの系統にあるんでしょうか。

前に人形の家で見たPALROくんも欲しいと思ったし、ロボットたちはまだ私の中では本体とブツが一体なんだろか。


ソニー製品のガシャポン。全て売り切れ。すごいね……


時計も出してたんですね。これなかなかデザインがいいんですよ。


この辺はブルーレイとか。映像ものは関心薄かったんであまり取り上げてませんが、
もちろんテレビとかもいっぱいありました。トリニトロンカラーテレビとか。


上に近いフロアには東京通信研究所時代の展示品がありました。この木のおひつ、なんと電気炊飯器なんですよ…!

東京通信研究所の記念すべき失敗作第1号。木のおひつにアルミ電極を貼り合わせただけの祖末なもので、水加減や米の種類によって芯があったり、お粥のようになったりでうまく炊けることのほうがまれだった。

電気オンチの私としては、米と水を入れたこのおひつに手を突っ込んだら感電しそうな気がして恐ろしいです。


この車が走ると音が鳴るんだそうです。へえー、こんなのもあったんだ。

そっか、銀座のソニービルが解体するのか。。ていうか昨日までここにソニービルがあるの知らなんだけども。
そういえばソニーといえば、他の電機メーカーに比べて、オシャレでソフトなイメージがあって、
硬派軟派でいうと軟派だったんですよね。感性のやわらかさがウォークマンを生んだのでしょうか。にゃんてな。

機械電機関係にうとい私も見てみれば思わず熱くなってしまったIt's a Sony展
今の展示は来年2月12日までやっているそうです。ヤング&オールド、カモンベイベ。

東京スカイツリー・すみだ水族館

2016-09-25 15:43:30 | 東京の町
たたずむペンちゃんず。陸の上ではのんびりヨチヨチだけど、水にもぐるとすごいんだぜ!といわんばかりに、
大水槽の中をまるでイルカのようにジャンプしながら泳いでいました。

昨日は森のなかまの実家へ行った帰りに、とうとうスカイツリーに行って来ました。


といってもお天気はしっかり雨降りで、視界もこんな具合なので展望台には上らず。。


お目当てはすみだ水族館。昨日はあいにくのお天気でしたから、お天気のいい休日よりは空いていたんじゃないかと、
チケット売り場の前の行列並び用のポールを見て思います。
あとは展望台ももちろん、ここのプラネタリウムも一度来てみたい。


ここはクラゲの水槽が充実しているようです。
ハッブル宇宙望遠鏡が撮った深宇宙の写真みたいだ。。。たゆたう銀河群。


なんか神々しくすらあるクラゲ。。古典宇宙SF小説の表紙にありそう。


このブルージェリーフィッシュというのが他のクラゲよりもしっかり固体っぽい感じなんですが、
他のクラゲはたゆたうように浮かぶのに対して、かなり一生懸命シュポシュポポンプ運動してないと沈んでしまうようです。
なんとなく、走ったりして激しく脈打ってる心臓みたいなんですよね。。。
クラゲにはいまだ謎も多いようで、かわいくありながらしかし不気味、また生命の神秘的なアレですよね。アレ。


キノコのようなサンゴ。うーん、キノコとかクラゲとかイソギンチャクとかって、なにやら共通するものがありますって。


スカイツリーの外に出ると急に暗い街並。押上に下りたのは初めてなんですが、なんとなく少し寂しい感じ。



十一月には北斎美術館も開館するそうで、するってえとまたしばらくはすごく混みそうですね。

今日はひさ〜しぶりに晴れ間がのぞき、洗濯物をたくさん外へ干しました。
ちょっと弱々しい陽射しだけど、うれしいもんですね。

谷根千さんぽ・根津教会

2016-08-14 12:10:56 | 東京の町
火曜日のおっそろしい暑さから、いったんは少し大人しくなったように見える夏。。
今年のお盆休みも旅行に行きたかったけれど、各地でがニュースになったりしていて、
いつも微妙に熊が出そうな所を好んで行ってたりしたもんだから、どこにしようか迷ってる内に一ヶ月を切ってしまい、
あーもう今年はいいや、とあきらめました。。
体調くずさないようにしなきゃとか、電車に遅れないようにしなきゃとかの緊張感もなく、
気が楽といえば楽ですが、やっぱりちょっとさびしいですね。

そんなわけで旅行の予定を入れなかった今年のお盆休み。
昨日は日帰り江戸の旅ということで、谷根千をおさんぽしてきました。
谷中・根津・千駄木辺りを総称して今はそういうんですね。そうそう、千駄ヶ谷じゃなくて千駄木!
かつての江戸も、きつねにたぬき、カワウソカッパは出たものの、さすがに熊は出なかったようです。


実はいきなりガイドマップの地図を読み間違えて出くわしたのがこちらの「はん亭」
明治時代に建てられたそうです。


これだけの木造を料理屋さん現役で維持するのは大変だろなあ。


小腹が空いていたので、近くのそば屋できりりと冷えたもりそばを頂きました。
店内に飾ってあった石臼っぽいこれは、そばをひいて粉にする機械でしょうか。


そばを食べ終わり、地図をまちがえたまま行った先にはこんな物が。旧都電の停留場・池之端七軒町があった所なんだそうです。


まだまだまちがえたまま歩いています。なんかこの辺盆栽協会とか盆栽クラブとかありました。んー、っぽいですねえ。。

・・・が、このあと、不忍通りに出てから道をまちがえていたことに気づき、
予定していた大名時計博物館には間に合いそうにないとがっくり肩を落とします。。。
森のなかまに「また来ればいいんだから」となぐさめられ、ガイドマップを取り上げられてしまいました。

谷根千の地図は難易度高いです。方向音痴および地図を読むのに自信のない方は、
方位磁石を持ってゆくことをおすすめします。


しかもどの方向へ行っても、魅惑的な坂や小径や建物があったりするので、気を取られてなかなか間違いに気づかなかった。。。
それも楽しいっちゃ楽しいんだけれど、時間・体力に限りのある方は要注意なり。


気持ちを立て直した小さな公園にいたラッコらしき何か。

さて、根津駅方面に戻ってしきり直し、冒頭写真の風景にたどり着きます。


大正時代に建てられた木造の根津教会。この通りになじんで、こじんまりしたかわいらしい建物なんです。
なんとなく、横浜の旧山手68番館に似てるんですよね。


前の通りでキャッチボールをする親子。のんびりした下町の午後。いいなあ。

雲少々、そんなに暑くならずによかったなあという感じの日和でした。
このあと何回かに分けて、谷根千おさんぽの記事をアップしてゆく予定です。
これがほんとに良かったんですよ。なかなかこの辺り独特の風景は、他では見られない感じ。
それにしても大名時計博物館、行ってみたかったなあ。。

力士と祭りと隅田川・両国

2016-08-07 18:13:31 | 東京の町
どすこーい!ごっつぁんです!

ぎゅうぎゅうのおすもうさん。うーむ。暑苦しいですか。

昨日は大江戸博物館で開催中の大妖怪展に行って来ました。
大江戸博物館、私はずいぶん久しぶりの二度目、森のなかまは初めて。
でもまずはとにかく何より暑かったですね。。。
美容院の若い子は、「やっとほんとに夏らしくなってきましたね!」と目を輝かせてうれしそうでしたが、
もうつらいよこたえるしんどいよ〜〜〜


両国は駅からして違います。トイレのドア一つ一つにもお相撲さんの絵が飾ってありました。
杉浦日向子さんのエッセイによれば、江戸時代にモテた三大職業といえば、力士に火消し、そして与力だそうです。


火の見櫓のようです。駅の国技館側は、わりと広々としていました。


国技館。冒頭写真はこの壁画です。今は場所中ではないようです。

この後、ガイドマップにあった旧安田庭園へ向かいます。
暑くなることはわかっていたので、あまり距離を歩かないですむコースを設定したんですが、、、


安田庭園は納涼の夕べイベントをやっているようですが、この時はまだ準備中でした。
あ〜、お琴!うちの祖母(父方も母方も)もやってました。明治大正生まれの女の人は、琴を習ってる人多かったんですよね。
今はすっかり聞かなくなりましたが、それっぽい憧れの対象が、ピアノに変わったのかも知れない。


この安田庭園、庭園とかくわしくない私や森のなかまでも思わず目をひくような、巨岩・奇岩が沢山ありました。
この岩は穴から向こうがのぞけますね。


安田庭園は浜離宮庭園などと同じく、隅田川の水を引く潮入り回遊式庭園だそうで、潮の干満による眺めの変化を楽しんだそうです。
面白いこと考えますね。今は隅田川の水は止められていて、ポンプで潮の様子を再現しているそうです。
私が見た昼間は水量の少ない時間帯だったようです。カメがいっぱいいた。


急流の浅瀬で見かけるような岩。

室町時代の文化のスポンサー的な役割を果たした足利義政将軍は、庭で有名なお寺に庭造りの名人を見学にやって、
そこにある岩とかを徴発して自分の庭に置かせちゃうんで、大変評判が悪かったそうです。
こんな巨大な岩を山奥とかから運ぶのは手間も人手もかかって大変だったろうから、そりゃあ腹立つわ。。。


提灯が楽しい!が、影が濃い。。緑と池があるのでいくらか涼しいけど、日向は暑くてたまらんかった。。。


ここで納涼の集まりするのかな?


安田庭園を出てすぐはす向かいに、大木のある公園があって涼しそうと思って入ってみたら、ここは横網町公園といって、
関東大震災と東京大空襲で亡くなった方たちのご遺骨を納めた慰霊塔なんだそうです。築地本願寺と同じ方が設計したそうです。

塔の中には関東大震災と東京大空襲の写真が展示されていて、お線香を上げて来ました。
しかし、そうとは知らないで来ちゃったもんだから、一気に重いテンションになってしまった。。
でも、ちょうど広島の原爆の日でもあったし、これも何かの巡り合わせと思って復興記念館も見て来ました。



ここに慰霊塔が建立された理由は、関東大震災の前には陸軍被服廠があって、そこが移転したあと、
公園予定地として広い空き地になっていたんだそうです。
なので、震災が起きた時、火災から逃れる人たちがここに誘導されて避難してきたけれど、
人が集まりすぎて身動きが取れない上に、持ち運んで来た家財道具などにも火がまわって大火災となってしまい、
三万八千人もの方が亡くなって、白骨の山ができたそうです。
ここが関東大震災で一番死者が多く出た、大惨事の場所だったんですね。


・・・・・


でも、そういった場所のすぐ近くに、生命力の権化みたいな大相撲の国技館があるっていうのは、
なんとなくいいような気がしますね。


この写真は慰霊碑で、下に水をためた池があるのは、火災で亡くなった死者のためのようです。

復興記念館に、揺れの直後の銀座の写真があったんですが、意外にも大通りの建物は崩れ落ちておらず、
人々が通りの真ん中に出て、なんとなく不安そうにひとかたまりになって、街を見回している様子でした。
その後の火災でその辺りも焼けてしまうんだそうで、直接の揺れよりも、火災で被害の規模が大きくなったことがわかります。

今は、当時よりは建物の耐震性も上がり、火災も大規模にはなりにくくなっているとは思うけれど、
やっぱり地震も火事も、戦争も、本当に怖い。。起きないといいんだけどなあ。起きませんように。

公園内は大木や木が多いので、ミンミンゼミが騒がしく鳴いていましたが、カナカナのようなさびしい音でもないのに、
ミンミンゼミの声にも何かさびしさを感じるのは、この時期にいたましい記念日が重なってるせいかも知れない。


さて、気を持ち直して、この日一番の目的であった大江戸博物館での大妖怪展!

・・・のはずだったんですが、展示物は良かったんだけれど、なにしろ混みすぎてて、、、
並んだらすごい時間かかる上になんか落ち着いて見られないし、後ろからひょいとのぞくにも見づらい展示だったので、
途中であきらめ、さーっと流し見して常設展の方へ向かいました。伊藤若冲展とかいったいどんなだったんだ。。。
まあでも、美術館博物館に人がいっぱい来るのはいいことですよね。

常設展もそれなりに人はいましたが、活気があるという感じで、楽しく見られました。
ちょうど私は第二次か第三次の江戸ブームで、こっちも妖怪に負けないぐらいに見たかったのだ。
でもここ、かなりボリュームのある展示内容と量で、ちゃんと見るとかなり見応えがあるので、
一度に見るのはなかなかしんどいかも知れない。
外国からの人が東西問わずすごく多くて、纏(まとい:火事の時にじゃんじゃん振るやつ)を持ち上げたり、
駕篭に乗って写真を撮ったりと、とても楽しんでたようです。でもこれ、日本人だって楽しいよね。
常設展については、その内江戸の話で記事にするかも。


博物館を見たあとはお腹も空き果てて、よろよろと両国駅の国技館とは反対側に回って(飲食店はそっちに多い)、
夕ご飯を食べるお店を探します。おすもうさんの聖地だもん、きっとおいしいお店いっぱいあるよね〜〜と楽観していたら、
あれ?お休みのお店多いぞ・・?と思ったら、今日は両国の盆踊りのお祭りで、バスの運行も休みになるぐらい。
ひいどうしよう、と裏道をのぞきますが、看板やのぼりは軒並み

ちゃんこちゃんこ、ちゃんこ。

・・・ええと、ちゃんこも食べたいとは思ってたんだけど、さすがにその、この日は全国で猛暑日を観測した地点が一番多かったそうで、
なんか湯気のたつあつあつのちゃんこ鍋を思い浮かべるだけで体温上がりそうで、えー冬にまた来るね。。。

で、「ふくの鳥」という居酒屋風のお店を見つけて入ります。これが当たりで、なんか暑さでくたびれきってたのが、
食べたり飲んだりしてる内に、みるみる回復してゆくのを感じたのですよ・・・!
これはいったい鶏肉のせいなのかビールのせいなのか、
それともお店の人が食前サービスで出してくれたヘパリーゼの栄養ドリンクのせいなのか。。
タルタルチキン南蛮と鶏スープかけご飯が特においしかった。今まで食べた中で一番おいしいチキン南蛮じゃったのう、あれは。


バス停にはバスでなく親子がとまっています。お祭りが始まるのを待ち構える人で混んできました。
おすもうさんも来ないかしら、と待ってたけど見当たらなかった。。

少し元気も回復したので、お祭りもちょっと見てみたかったけど、酔いざましに川沿いを散歩しようということに。


神輿庫とあります。さすが両国。これからここからおみこしが出動するのかな?




右手は中央総武線の線路、先には鉄橋。川近いせいか風が涼しく。 


隅田川に沿って高速が走る下は、広々とした遊歩道になっていて、ジョギングしてる人がけっこういました。


行き交う電車。夕暮れの空に、橋と電車のシルエットがきれいだなあ。。


相撲の技のレリーフ。相撲ホラーといえば「走る取的」。けっしておすもうさんをバカにしてはいけませんよ。


両国橋を渡ります。


両国橋からの眺め。隅田川って、夕暮れどきが一番美しいんじゃないかと思う。。

そして、この写真の真ん中左寄りに見える緑色にライトアップされた橋を目指そうとなります。


神田川にかかる柳橋。ちょうど神田川が隅田川に合流する所なんですね。


船がいっぱい停泊しています。




こんな風に川に突き出た小さな船宿がいっぱい並んでるんです。隅田川の屋形船はこの辺りがメッカなのかな。


柳橋の名前の由来と思われる柳の木。でも幽霊が出そうな雰囲気ではないようです。


小さな船宿の灯りがいい雰囲気。


浅草橋の駅へ向かう途中で見かけた小さなお稲荷さん。きれいに手入れされていました。


たい焼きがおいしそうだったんだけど、いかんせんお腹いっぱい。げっぷ。

帰りの電車に乗る前に、ドトールでコーヒー。家で飲むようの豆もひいてもらいます。
オリンピックも始まったね、ということでブラジール。
あまりメダルに絡まないけど、あっ、この国の人形、横浜人形の家で見た!っていう国の入場行進見るのは楽しかった。
レソトとかバルバドスとか、どんな人形だったかけっこう覚えてるもんだなあ。
モーリシャスの女性選手、旗手からして思わず目を引くようなモデルみたいな美人しかいなかったけど、どういうこった。

そういえば、江戸の庶民イメージってブラジルみたいなラテンぽいノリなのに、
明治に入ると庶民イメージが、しかつめらしい、まじ〜めな感じになっちゃうの、なぜなんでしょうね。
北斎漫画とか見ると、何かといっちゃあすぐ踊り出したりするような、てやんでえな伝法?な感じなのに、
なんか明治以降、ガラッと変わっちゃうんですよね。きゅうくつな感じに。
岡本綺堂のエッセイに、明治維新からの変化についていけず、なんとなく世間から外れて、
孤独に病んでいってしまう江戸っ子を描いた「ゆず湯」という話があって、すごく悲しかったんですよ。。
そういうことは、いつの時代にもあるんだろうけど、特に大きな変わり目には、かなり若い年齢の人にもそれが起きるんだと。
自分だって、そんなに器用に自在にアップトゥデイトできる感じじゃないしね。。はあ。

・・・とまあ、しょんぼり考え込むこともあった一日でしたが、楽しかった。また来よう、両国。
そして今度こそちゃんこを食べよう。ビバちゃんこ!ビバどすこーい!