毎回の食事のカロリー計算書と食事メニューが書かれた個人カードの裏面が、食事提供者と患者とを結ぶコミニュケーションツールとなっていた。どれだけの患者が、食事の感想や要望を書くのかは未定であるが、質問に対する回答を目的としてはいないようであった。つまり、食事の感想に限定しているようであった。そこらへんはあまりこだわらず、自分の感じたことなど種々雑多な感想でお伝えすることに専念した。単純計算で、3×10で30回ほど書いてみた。
書き始めると、食事の内容や、組み合わせ、我が家との違いや、旬の材料の料理の仕方等が、気になり、100字ぐらいのスペースなので、己の思いも込められる。ほかの病院との比較は入院経験がないため、不可能で、病院組織としての食事部門はあまりスポットが当たらない場所でもあり、病院の治療とは直接または間接的に重要であっても、主ではないので、あまり話題にはならないのかもしれない。
しかし、今回は、実際の入院患者でもあり、客観的に判断ができる立場であったため、食事の感想は、自らの病と直接関連する実態として、その重要性を感覚上の判断であったが、被検者としての立場で感想を執筆することができた。執筆した内容中に疑問点があった。それは、病室には配膳したトレーには食器に部分的に加熱が施されていることである。通常、調理室で、行うであろう料理の加熱・保温は、どのようにして行われているのかということである。この質問の答えを、食事を担当している某管理栄養士がわざわざ来室されて、筆者に説明していただけた。配膳は食事時間前にエレベータで各病棟各階へ届けられる配膳車である。配膳車自体に電気的な加熱装置が設備されていて、配膳トレーに置かれた料理を左右部分的に温めるコントロール機能を持っているとのことであった。なお、現在では多くのデータ処理や調理加工をコンピュータが担っていて、調理現場に導入されているとのことを付け加えられた。
どの職種に限らず職場は、業務の効率化が叫ばれ、コストパフォーマンスは、言わずもがなで、病院でさえもその流れに抗することは不可能と言える。特に人手だけに頼ることができない栄養部署においては、高度人材を育成するための努力が求められていて、今回はそのあたりをもう少し深めて聞くべきであった。しかし、随所に独自の工夫がされていて、それらのパフォーマンスは地産地消であり、調理の手作り感、新鮮な地元産の食材の利用、さらには、期間を区切ってのことであるが、患者への選択メニューの提供等その工夫は是非とも続けていただき、食事のサービスを通じて入院中の患者への満足度を高める努力を期待したい。
大学病院で入院患者に提供する食事は当たり前と思われているが、実際の現場の鳥瞰は、関係者以外、想像しがたく、特異な世界であろう。そのシステム上の位置づけは、医療分野との序列を云々することは意味ないが、強いて言うならば、病院という組織に付随し、主たる医療分野に付随し、従たる生活福祉の分野に入るかもしれない。それを含めて病院業務である。業務の内容はまさに神業ともいえるもので、時間軸上の微細な計画から当日の食事提供へ至るまでの一連の工程は症状が異なる患者へ個別対応を必要とし、将にマンツーマン作業である。個々の患者の病状に合わせたリクエストは時として、時間との戦いでもある。(入院が決まった時点で食事の必要性の有無については担当医師から指示されるそうである。)組織は明確ではないが、管理職をトップとするピラミッド構造であろう。大切なのは、他の部門との密接な協力関係が重要となる。他の部署との意思疎通が欠くことがないように、定期的な会合が行われている。通常の食事提供との違いは医療部門と密接にかかわり、病状に合わせたメニューの多さであろう。例えば、食事の種類は一般治療食と特別治療食とに分かれ、一般治療食は成人常食、全粥、三分粥、五分粥、流動食、軟菜食、学童食、幼児食、離乳食等があり、特別治療食にはエネルギー調整食、タンパク質・脂肪・塩分調整食、特別な疾患に適した食事が含まれる。
それらのデータを調理前に掌握し、数名の管理栄養士等が企画する。予定された予算内でカロリー計算、アレルギー食材の点検、調理手順・加工時間計画、配膳、仕事の采配、スタッフ間の調整、食材の準備、調理場の衛生管理等、どれも高度の知識と、安全衛生管理上の具体的な展開が要請されている。
今回の入院は10日間であった。この間毎日3食の食事は健康を維持するうえで、病状と併せて処方される医薬品に匹敵する重要な基本要素であることを認識することができた。通常はさほど意識せずに生活を送っているが、どんな料理でも食することができ、それもおいしいと感じつつ、腹八分目で満足できていれば、大いに喜ばしいことであろう。
入院した4人部屋には筆者を除く3人は重い糖尿病とみられ、ほとんどの生活状況で車いすのご厄介になっていた。一定時間毎には、終日、血液の血糖値を測定し、その数値に合わせて、自らがインシュリンを注射していた。当然、食事は、糖尿病の症状に応じて、カロリー計算されたメニューとなっていた。この食事と自分の食事との違いを見たわけではないが、部屋を区切るカーテン越しに聞こえる患者の独り言を聞くにつけ、食事のまずさから提供された食事を想像できた。その点だけからいうと、今回は3食とも普通食であったため、まったく食事への不満はなかったのである。