株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

革命の古代史、宇摩説(22) 諸説との相違<1>

2007-08-14 01:13:17 | 古代史・古事記講座(宇摩説)

  宇摩説は、イザ!の最初の方で、説明したが、ほとんど、独自に古事記や日本書紀、倭人伝を解釈したものだ。

 古事記の「ウマシ(宇摩志)シアシカビヒコヂの神」を見つけて、「宇摩(郡)の神」ではないかと言う疑問が湧いて、この疑問を解決するために、調査、研究したのが始まりだ。

 調べ始めて、直ぐに気付いたのは、誰の本にも、決まった解釈しかない「葦の芽の神格化」と言う答えだ。これ以外のことを書いている本はない。まったくのお手上げ状態で始った。

 学者の本、小説家、町の研究者、など、手当たりしだい読んだが、一歩も進まない。そこで、ウマシ(略)神を知るために、様々な試行錯誤をする事になった。まず、物語の時代特定意神話の持ち物が、を天神から授かった。

 は青銅器で作られたのが弥生時代に入った。神話は、日本に銅器が入った時期の出来事となる。読み進むと、や、も出てくる。共に、弥生時代の遺物である。だから、神話は弥生時代より前の話ではないと、確信した。

 手がかりが出来ると、調査が進み始めた。最初の手がかりが古事記であったから、もちろん、古事記片手の調査である。

 その内に、古事記では、先のウマシ神だけでなく、神の名と共通する地名が宇摩には多いことに気が付いた。天之常立神、国之常立神、は常(津根)に立った神となり、「山の津根(常山村)と、津根村)」に即位した神と一致する。

 こうして、一切、学者の本を参考にすることなく、宇摩説の調査研究が進んでいった。大阪まで行って、古本屋を漁る時期もあった。だから、学者の本もそれなりに集まっている。

 これ等の本で、一番閉口したのは、私の様に、無名の町の研究者が出した本だった。幾らかでも参考になる部分がほとんど無い。多くは、学説を書いて、極わずかの思い付きを書いて、新説だと自慢している。

 しかも、転載禁止だと、書いてある。誰が、転載するのだろうと、思った。これ等の本は、9割以上が何処かで読んだ既存の話で埋まっている。これに類似するのは小説家や、文筆業の人たちが書いた本だ。

 この水準になると、さすがに、調査もしていて、参考になるかな?と思うものが幾らか多いが、思い付きの証明に近いものが多い。ただ、読みよいので、現在の得るには良い。

 こんなことを経験しながら、私は、買ってきても学者の本も読まなくなった。まだ、名にも知らず、判らない内に、頭に入る知識は、先入観となって、研究の邪魔になることが判ったからだ。

 学者の本で判った気になっていると、論の継承はできても、研究は出来ないのだ。初期の私のように知識が乏しいと、違和感はあっても、反論が出来ない。そこで、これ等の本は、「積み上げる」だけの、「積読」になった。

 研究開始から、15年で、著書を出した。私の本は、古代史の好きな人には、敬遠される嫌いがある。先に述べた状況があるから、新説に懲りているのだ。つまり何冊かの本を読み漁り、自己流の隙間論を、固持する人が多いからだ。

 私の著書は、従来の説がほとんど書いてない。有るのは、原文。原文の直訳、その他各種の学問の基礎的知識である。つまり、現在の諸説が書いてない物が。ほとんどだ。

 この意味では、宇摩説は、普通に、「新説」と、書かれた本とも一線を画している


 もちろん、学者の本とも、まったく違った解釈、論拠が示される。だから、諸説の紹介は不要である。このために、宇摩説は古代史の好きな人でも、諸説に疑問を持つ人、本当に卑弥呼が知りたい人に売れているように思う。

 最近は、禁止していた、学者の本を時折読むことがある。戦後の代表的諸説を読んでいると、頭の良さは感じるが、歴史の探求と言うより、歴史ゲームを楽しんでいるように思える。

 しかも、言うまでも無いが、古事記の理解が一律である。つまり、私のように、独自に原文から当たって、異論を出している人が無い。これで教授様だったのかと思うことが多い。

 論理は、知的(頭脳ゲーム的)で、自己の思想に合わせる解釈に、必死と言える代物だ。日本の古代を解こうと言う、論理展開ではない。具体的に、どの論かを例にすべきだろうが、全ての説にあり、一例では不公平だ。

 だから、宇摩説には、学説に異論を出して、否定するところが無い。これは、やらなくても、宇摩説を全体的に理解すれば、彼らの思想論理と史実との比較だから、誰でも、一目瞭然で、無意味な論争だと判る。

 しかも、宇摩説が解く卑弥呼時代は、その社会、政策、方法などが、古事記や倭人伝から、具体的に示すが、彼らは古事記の拒否と、思想に合う部分の利用と言う、面白い綱渡りをしている。

 本居宣長の解釈を信じて、これを否定したのは、津田左右吉が、最初である。戦後は、津田説に、左翼氏思想が加わって強化されて、「古事記の歴史性が排除され、単なる天皇家のための小説」とされている。

 宇摩説をほぼ、完成した私から見ると、天皇崇拝者の宣長さんの「記録の通りが歴史」を教えられて、宣長解釈が古事記の内容だと信じ込んで、これは現実でにはありえないと否定したのである。

 宣長さんは、崇拝するが故に、「記録の通りが歴史で、疑うな」と、教えた。この教えのために、戦後の史学者は、天皇家の由来を消して、朝鮮半島から来たなどと、論ずる反日学者が生まれている。

 宣長さんの教えのままに、明治政府は、「天皇は神」としたのだ。これが、戦後に宣長さんの解釈をそのまま、間違いない解釈とする学者によって、打ち消されてしまった。地下の宣長さんは、どんな気持ちで見ているのだろう。

 宇摩説は、新しく始った現在の古事記解釈だといってよいだろう。宇摩説は古代史に革命を起こす。そこで、「革命の古代史、宇摩説」と、称する事にした

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