株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

修正>宇摩説の「大人の古事記講座」68 国生み 本州2 

2014-03-08 19:20:11 | 日本人として知っておきたい事

   

   

 宇摩説の「大人の古事記講座」68 国生み 本州2

    

 本州の名は、大倭豊秋津島(おおやまと・とよ・あき・つしま)、またの名、天虚空豊秋津根別(あまつ・みそら・とよ・あき・つね・わけ)とある。

   

 とよは、豊受大神の名のように、また、宇摩説で解いたように、高天原が国々に「豊かさを請負い」のウケヒ(誓約)をして国々を固めた、その記念の地名である。

   

 あきも同類の言葉であろう。アキの変換は「空き・秋・飽き・開き・明き」などの意味であり、開くや明るくするとの意味の誓約を記念したのであろう。

   

 つまり、本州は、各地の国々の名ではなく、イザナギ・イザナミの芝居によって、賛同し、豊かさ、国を開く、国を明るくするなどの政策が行われて、共に約束を守るために地名に残したのである。

   

 この地名で代表させて、本州全体の名にしたので、やたら長い名になったのだ。そして同時に、この名で、国固めの様子がわかるようにもなっている。

  

 

   

  やさしい古事記講座37 国生み 本州2 名義

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/402314/

   

  

 さて、大倭・豊・秋・津島と区切って、豊・秋は説明した。これを省くと、大倭(豊秋)津島、大倭・津島になる。オオヤマトを天とすれば、天(オオヤマト)は津の島だと書いているとも取れる。

   

 宇摩説の高天原《邪馬台国)は北四国の中央であり、燧《日の内)灘の南側であり、大きな湾であり、大津とも呼べる地域である。この大津の使い方は、推古天皇の話で先に書いた。

   

 また、天の誓約(トヨ・アキ)で加わったから、アマの津(港・交易の地)の国という意味もある。こなると、倭人伝の「国々の市場」や一大卒(率)という管理者に共通する。

   

   

 ついでに、またの名、天虚空豊秋津根別も気付く事を書いておこう。天は虚空(アマの空は嘘)豊秋津根別《トヨ・アキ)は、津根(常、天・国之常立ちの神)の支店(別)と言う事になる。

   

 どちらも、高天原の指導による本州各地の代表地名で、本州としているのであり、ついでに、アマは天上亜は虚構などと、色々な事実も盛り込んでいるのだ。

   

 古事記は明細と史実残しの、器用な記述になっているし、これらを解くと、別の場面のと整合が起こる。つまり、この整合は、正しく解けているという書庫でもある。

   

   

 さて、弥生時代の古代日本は、「ウケヒ(誓約)」という、約束社会だった。そして、曲がりなりにも、自民政権までは継承されていたが、マニフェスト詐欺と、意図的報道で騙したマスコミよって、民主政権が誕生した。

   

 周辺国の工作資金にたった反日左翼は、指示に従って、日本の弱体化に尽力してきたのであり、日本ほどの大国が核兵器が無いのも、その結果の一つである。

   

 民主政権下でおきた中国漁船の尖閣沖、衝突事件で、やっと、国防に不安を持ち、気づいた日本人は多い。中川氏が「日本が危ない!」と言った事を思い出し、実感したのである。

   

 とにかく、約束を守利、相手を気遣うのが日本社会であり、弥生・神話からの習慣である。他人を蹴散らし、騙してでも支配する嘘と贋物の中国・朝鮮文化とは、日本と真逆の関係にある。

   

 この嘘文化汚染が現在の日本で深刻なほど酷い事を民主政権誕生が示した。古事記によって、古代以来の日本が分かると、嘘つきの妄想・幻想に惑わなくなるのである。

   

      

<2012,2,16、大人の古事記講座68、国生み、本州2>

   

   

やさしい古事記講座37、コピー

   

 大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)、またの名、天虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)と言う、この長い名にも、古事記を解く多くの謎が残されている。

 昨年も言ったが、豊秋を並べると、前の大倭と、天虚空が同じ意味となり、後の津島と、津根島が同じになる。大倭(おおやまと)は、アマ・ソラとも言うのである。これも、幾度と無く、書いてきた。

  津根別は天・国之常立神(あま・くにのツネ立ちの神)

 各地では、地名と神名となっている。この神名は、「亦名、天虚空豊秋津根別」とあり、筑紫と同じ、「別」になっている。本州の別も、分け(分家、支店)であり、本家ではない。

 本家が居れば、そこが高天原であり、邪馬台国だが、居ない地域だから、「別」を置いているのだ。つまり、この記録から、邪馬台国(高天原)の近畿説も否定される。

 また、先に解説したように、神名は、「天・虚空・豊秋・津根・別」と、最初に、「天」が付いている。これは九州の日別の、「日」に当るものだ。ただ、本州には、「天(高天原)」の神が天降ることが多かったと見られる。

 最後の、「津根別(つねわけ)」は、先に、高天原は、交易を重視して、イザナギ・イザナミは、国を固めるのに交易の芝居をして見せて居たと、解いている。これで固まる(シマになる)と、交易が始まるわけだ。

 各地の津(港)の元である、「津根のワケ」と言うのは、的確で、これまでの解明の補足でもある。つまり、この津根が、「天・国の常(つね)立ちの神」を解いた答と共に、古事記自身が、証明しているとも言える。

 また、「津根」が正式だが、「の国」と省略することもある。これを、「大倭・豊秋・津・島」で示している。また、この「」が「シマ(支配地)」であり、「別(わけ)」である解明も、この記録で補足証明される。

 大倭と、大和(ヤマト)、九州の山門は違う。大倭は、「ヤマトの王」とも言える。だから、近畿や九州のヤマトの王(元・根)とも言える。こう判ると、大倭は、北四国であり、倭は近畿・九州と言う使い方も出来る。


 以上の様に、長い名は、古事記を解く鍵が含まれているのだが、史学者は宣長さんを踏襲して、一切省みない。だから、現在の古事記の解説本を見ても、明治以来、同じ物が出ている。

 幾等か違うのは、時代の仮名遣いに変えている程度である。最初に示した程度の解釈で、史学の学者なのである。私に言わせると、威張った給料泥棒である。

 宣長の踏襲の解説をしている戦後史学者の、『古事記』の歴史否定は、何の意味も無い。宇摩説をじっくり読み直して、「古事記は歴史書」として、復活しなくてはなるまい。もちろん、宇摩説の解釈での復活である。

 日本と言う国に生まれて、現在の思想は様々であり、共通項が無くなっている。「古事記の歴史復活」に因って、日本人の共通認識が出来る。これが、日本を立ち直らせる最後で、最高の方法である

<以上>

 

 


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