卑弥呼に贈られた好物は、錦などの織物、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹、となっている。なお,余談ながら、好物の前に、卑弥呼の貢に対して、赤地の交龍の錦などが贈られている。これらを含めて今の私には解けている。
私は先に、卑弥呼が皇帝に国固めの方法を聞いたと言った。それは、この特別に贈られた品物が何を意味するかを考えた時に判った事だ。詳細は著書3『邪馬台国は北四国、、、、』にあるので参照されたい。
好物の中で銅鏡ばかり取り上げる(特に近畿説)が、はっきり言って、卑弥呼が自分の周りに鏡を百枚も置いて見とれていたとは思えない。女王の卑弥呼は国の混乱に悩んでいた。したがって、鏡は国固めに各地に配ったであろう。だから、この鏡の在る所は卑弥呼の支配地域ではあっても、決して卑弥呼の居る場所とはいえない代物だ。話が逸れた。これくらいにして元に戻そう。
特別多い織物について語った論は余り見かげないが、ある作家は自分の着物を作らせて、女官やらに見せて自慢したとあった。小説ならそれでも良いが、邪馬台国の論では、モット真剣に解いて欲しいし、本人の思考程度を暴露しているとも言えるから、私自身は対抗馬として情けなかった。だから、私の著書ではほとんどこれまでの論を取り上げていない。
卑弥呼は女王だ。女王の仕事を考えれば、これらの織物は自分の衣装ではなく、国の混乱を納める為に使ったことは間違い無い。この用途、方法については、4冊目の原稿となっているが、出版していない。
卑弥呼の国固めはこの織物の利用によって成された。これは後の記録に多く出てくることで判る。いずれ詳述するが、その一つがヤマタノオロチだ。八つの頭と尾は諸説あるが、本当はこの織物を使って作った山車である。
これによって、国民は初めて金色に輝く龍を驚嘆しながら見た。これで龍が卑弥呼(トップ)に繋がることを国民が強烈に認識した。今は天皇とされるが、この時に龍は一番偉い人と印象付けたのだ。
卑弥呼は龍(皇帝)を国固めの役にしている。卑弥呼を支えて高天原(邪馬台国)と人々を繋ぐ役だ。皇帝をお使いにして見せた卑弥呼の気概は見習うべきであろう。伝え残す価値があると私は思う。
天照大神の事績は古事記に無いが、卑弥呼の行動から、さすが、日本一の女神、と解かる。詳述は著書4の予定。イナナギ、イザナミの作った国の混乱を、見事に最高移築した。この方法が凄かったために、日本一の女神と成ったのだ。
ここまで読まれた人は、『伊予王朝説』が自分の知る古代論とまったく違うことに気づくだろう。
この論は独自に素材から構築したもので、新しい古代論の始まりだと、私は思っている。したがって、読まれた人は新古代論の幕開けに立ち会ったことになる。
今日はここまで 三島 明
私は先に、卑弥呼が皇帝に国固めの方法を聞いたと言った。それは、この特別に贈られた品物が何を意味するかを考えた時に判った事だ。詳細は著書3『邪馬台国は北四国、、、、』にあるので参照されたい。
好物の中で銅鏡ばかり取り上げる(特に近畿説)が、はっきり言って、卑弥呼が自分の周りに鏡を百枚も置いて見とれていたとは思えない。女王の卑弥呼は国の混乱に悩んでいた。したがって、鏡は国固めに各地に配ったであろう。だから、この鏡の在る所は卑弥呼の支配地域ではあっても、決して卑弥呼の居る場所とはいえない代物だ。話が逸れた。これくらいにして元に戻そう。
特別多い織物について語った論は余り見かげないが、ある作家は自分の着物を作らせて、女官やらに見せて自慢したとあった。小説ならそれでも良いが、邪馬台国の論では、モット真剣に解いて欲しいし、本人の思考程度を暴露しているとも言えるから、私自身は対抗馬として情けなかった。だから、私の著書ではほとんどこれまでの論を取り上げていない。
卑弥呼は女王だ。女王の仕事を考えれば、これらの織物は自分の衣装ではなく、国の混乱を納める為に使ったことは間違い無い。この用途、方法については、4冊目の原稿となっているが、出版していない。
卑弥呼の国固めはこの織物の利用によって成された。これは後の記録に多く出てくることで判る。いずれ詳述するが、その一つがヤマタノオロチだ。八つの頭と尾は諸説あるが、本当はこの織物を使って作った山車である。
これによって、国民は初めて金色に輝く龍を驚嘆しながら見た。これで龍が卑弥呼(トップ)に繋がることを国民が強烈に認識した。今は天皇とされるが、この時に龍は一番偉い人と印象付けたのだ。
卑弥呼は龍(皇帝)を国固めの役にしている。卑弥呼を支えて高天原(邪馬台国)と人々を繋ぐ役だ。皇帝をお使いにして見せた卑弥呼の気概は見習うべきであろう。伝え残す価値があると私は思う。
天照大神の事績は古事記に無いが、卑弥呼の行動から、さすが、日本一の女神、と解かる。詳述は著書4の予定。イナナギ、イザナミの作った国の混乱を、見事に最高移築した。この方法が凄かったために、日本一の女神と成ったのだ。
ここまで読まれた人は、『伊予王朝説』が自分の知る古代論とまったく違うことに気づくだろう。
この論は独自に素材から構築したもので、新しい古代論の始まりだと、私は思っている。したがって、読まれた人は新古代論の幕開けに立ち会ったことになる。
今日はここまで 三島 明
卑弥呼の時代からとは考えませんでした。太鼓台の龍は何となく中国っぽい感じはありますね