宇摩説の「大人の古事記講座」72 国生みマトメ1
前回は、体調が悪くて、書けなかったが、帰りの国生みは、私学の解釈だと、順序が逆になっていると見られる。つまり、長崎の後に瀬戸内に入って、最初の淡路に近い所に戻ったのだ。
最初の淡路は「阿波への道」の地名から、本来は中心地でないことを示している。ここも、迷彩と見ていいだろう。そして、大まかに、宇摩説の解明、「宇摩が高天原」を暗示している。
ところで、前回(71)の記事に、コメントが付いた。チカ島は瀬戸内の大島ではないかという意見である。読むと、宇摩説視点の解明に非常に近い。
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nihonhanihon | |
投稿日時 | 2012/02/20 01:49 |
コメント内容 | ちかの島は愛媛県の大島ではないのですか? 「姫政山」があって、それに蓋をするかのよう山の名は「八幡山」ですよね。 また北部には「高取山」ですか、それに蓋をするかのような山に「念仏山」という名がついていますね。 宇摩王朝の痕跡と仏教台頭以降の朝廷の隠蔽工作の痕跡ではないかという感触を持ちますが。 両児島については、もしかすると因島・大三島などのあの辺りかもしれませんね。 他の大きい島の名前があるのに、これが今の名前で出てこないわけですから、ここではないかという、あくまでも紙の上での推測です。 |
この方は宇摩説を初めの頃から読まれているので、非常によく知っています。まだ、検討してないのですが、宇摩説の解いている、朝廷の迷彩についても熟知されています。
宇摩説は基本解明で、個々には、検討してないものばかりですが、宇摩説を知ると、各地の地名から地域の歴史がと、その後の変化が自分で分かるようになります。
ぜひ、宇摩説の基本的解明を自分のものにしてください。
さて、今回の72は、やさしい古事記講座41が、国生みを終えて、マトメを3回書いて、第一回は、この古事記社会と現状(2007年末)の危機を書いているので、これに合わせる。
やさしい古事記講座41 国生みマトメ1<今と古代>
http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/392428/
* やさしい古事記講座41(2007,11,29)を読み直して、少し追記したが、現在の私が書いていることと、ほとんど同じことを書いている。しかし、この時の拡散の希望にかなわず、今は最悪、民主政権になった。
しかし、このお陰で、多くの人々が、民主党や左翼の実態に気付いた。今は、孤軍奮闘に感じはしなくなったし、よく調べた広範な事実が多くのブログに載せられ、転載されている。
後はテレビが情報源という、愚民の覚醒を促すだけだ。一刻も早くと焦るが、左翼は60年かけて嘘を広げたことを思えば、事実による崩壊は急ピッチである。
そして、各地で民主党や報道などへの抗議集会やデモが広がっている。もう、事実を知った人々に因って反日汚染左翼の打倒運動が確固たる流れとなってきている。
後は、古事記による日本の始発点、建国に実態を知ることであり、宇摩説の普及が急がれる。
<2012、2,20、大人の古事記講座72、国生み、マトメ1>
<やさしい古事記講座41 コピー>
昨日で、イザナギ・イザナミの国生みを終えた。一区切り付いたので、現在社会と古代史、古事記の必要性について、再度書いておき、同時に、冒頭から国生みまでを簡単に纏め様と思う。今日は、現代社会と古事記について。
現在社会と古事記
史学者の国生みとは、文字通り、日本の国土(天地)を生成した話としている。だから、この解釈では、想像、創作した話となる。このために、戦後は古事記神話を歴史ではないとして教科書から、一切が消えてしまった。
史学者の解釈は、確かに想像の話であり、歴史ではない。しかし、本当に、古事記は架空の話なのか?この疑問を解くために、明治以後に発展してきた多くの学問で、現代的、科学的に古事記の解明すると、まったく違う社会が判明した。
この宇摩説は、古事記神話を、当時の人がどのように受け取ったか、どう判断したかを、大衆の立場で理解するように努めて解いた。これは生活と株式投資で体験した大衆心理と、大衆知識を根底にして、合理的に解くことになった。
学者が行っている机上の想像、創作で無くする為に、考古学や、民即学、言語学などの基礎的知識も下敷きにして、この上に倭人伝も勘案してこれを基礎とし、出来る限り公平、公正に、合理的に、史実を求めてきた。
これらの解明が、幾つか重なる一致のみ、史実だろうとして来た結果、出てきた古代は、多くの他の学問に整合して、高天原の社会が見える。その古事記から判ってきた日本古代は、素晴しい文明を育んだ国家だった、と判明した。
この高天原が行った政治は、人々が満足できる社会だった。この為に、日本人は「お上任せ」の社会となった。これは今も続いている。つまり、政治家や官僚、教育、報道に注意を払わず、任せ切りで、不安を覚えないのがそれだ。
実は、現在の政治家、官僚、教育、法律、報道は、戦後の共産主義教育を学んだ人々であり、古代の任せられるお上ではなくなっている。この事実すら、認識しないで、任せるのだから、恐ろしい負担をすることになっている。
政治家や官僚の汚職、天下りの資金、これらは、全て国民の付けとなっているのだ。しかも、朝日・毎日などがデッチ上げた、「慰安婦問題」なども、現状では国民負担の方向にある。九条や平和に気を取られている内に負担になろうとしている。
しかも、周辺国が軍備の拡張に余念が無く、中・韓・北が、これまたでっち上げた反日教育をしている現状さえ無視して、軍備反対を叫ぶ政党や組織がある。思想に固まって、記紀迫る現状認識が出来ないのである。
このような、異常な思想や、行動は、先の「お上任せ」の日本人の特質に潜り込んで広がっている。現在の日本とそっくりだったカルタゴは、国家だけでなく、民族さえ残らぬほどに破壊された。今の日本は、この道に驀進中だ。
今の日本人は与えられる報道だけでなく、自ら日本人を知り、周辺国の歴史や現状、彼等の思考などを知る必要がある。彼等は日本人とは違う。この違いを認識しないと、慰安婦問題の元、河野談話の二の舞である。
日本人の認識は中・韓・北とはまったく違う。史学者は、これらの国に何もかも習ったと言うが、まったく間違いだ。日本人の思考は、古事記に残るとおり、独自のものであり、世界一平和を愛した日本の建国である。
日本の建国は世界史では珍しい、武力無しで、話し合いの統一した。だから、年ごとに、緩むことがある。そこで、高天原では、何度も、引き締めを行っている。後の西暦100年頃にも、国が乱れていたが、卑弥呼の共立で治まった。
このように、日本は話し合いで解決をして来たのだが、世界は殺し合いの末に、征服される社会となった。これは、中国も朝鮮半島も同じである。この基本的違いを認識して、日本は日本の道を歩み、対外的には相手に対応した交渉が必要なのである。
日本人として、この国に生まれ、育って、結婚し、子育てをする人生において、共通した言葉を使いながら、今の日本は右翼・左翼に限らず、基礎認識がまったく、異なっている。日本人の共通認識が必要で、古事記の建国から始める事になる。
しかし、現在の学者が教える「古事記」では、歴史になってない。だから、日本人の共通認識にはならない。日本は話し合いで解決する社会であった。この平和な社会を、古事記で解ける説が必要なのだ。
古事記の残された古代社会とは、どのようなもので、どのように維持されたか。これらが古事記に残されている。古事記は、平和な社会を作るマニュアルである。他国と違う認識を知れば、日本人の思考を他国に応用してはならない事が判る。
江戸時代の日本は、文明の発達した社会として、世界一調和の取れた社会構築をしていた。これは、江戸時代に来日した人々の日記や、本に幾らでも出てくる。中国や、最低国とある朝鮮半島とは、雲泥の差であった。
これらの大きな差を生む謎が、古事記の正確な解明で判明してくる。これで、現在の社会混乱を治めるには、バラバラの日本人に共通認識が必要であり、これを出来るのは、古事記に残る日本古代の解明である。
つまり、日本の混迷は、戦後史学の「古事記」の破棄にある。古代史の混迷が、元を忘れた記憶喪失の日本人を作り、様々な思想に走った結果、混迷社会が生まれているのだ。だから、歴史的に正しく解かれた古事記の復活が日本の復活になる。
以上の様に、古事記の合理的解釈は、時代が要請している。ここで書いている、「やさしい古事記講座」は、原文や通説も取り上げているから、「古事記の研究書」として、大いに役立つだろう。ぜひ、読んでもらいたいし、広げて欲しい。
* 2012,2,20追記
これを読んで見て、古さを感じないのは私だけだろうか?
今も、反日汚染左翼の民主党・労組・マスコミの嘘の垂れ流しと、事実隠しが続いている。しかも、悪化して民主政権である。
日本人の基礎に共通認識がない。これは非常に危ない状況を示していうのであり、宇摩説による、日本独自の話し合いで生まれた本当の建国から、拡散・周知が必要である。
同時に、周辺国の工作と手先の反日汚染左翼によって、日本が情報戦争に敗北している現状を、ネットで拡散しなければならない。日本が危ないのである。
<以上>
* 追記 2014,3,13
民主党政権が成立してみると、マニフェスト詐欺で報道と協同、共闘して、国民を騙した事実が知れ渡った。左翼は嘘吐きがバレタのである。そして、安倍自民政権に戻った。
野党、報道、労組、在日組織の左翼は反日で破壊思想の嘘吐きなのである。嘘吐き文化の中韓の汚染であろう。
アホ左翼の嘘吐き報道は、何でも、嘘でも利用して日本破壊を促進する。東日本大震災も、311などと置き換え「わすれない」などのキャンペーンだ。
宇摩説的には、年末の「としわすれ」のように「日本は忘れる文化」と言う事と、報道は原発事故を内包して騒いでいる事を忘れないようにしたい。