株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

古代常識と宇摩説(再構築の脅威の古代史)

2007-04-09 01:06:45 | 古代史・古事記講座(宇摩説)

 今の歴史教育で教えられたコメントと、応答をブログにした。
同じような、疑問を持つ人が多いとおもう。、

 このようなコメントが、時折入る。古代史を明確に、あらゆる事で解いているのは、このブログだけだ。、今の古代知識は、教育で受けた、謎の国、ブログの思いつきの知識ばかりが一般に氾濫している。

 このブログで示す古代論を読んでの質問なら良いのだが、読まずに聞いてくるから、重複することを、書く事になる。

 それと、ブログの幾つかの卑弥呼論を読んだが、論じている年代が、数百年も往来して論じる論も多い。数百年といえば、江戸時代を、室町や現在で証明する様なもので、論に無理がある。私の評価、アウト。

 これ等のブログの知識も古代を混乱を増幅している。私のブログを基礎編から、読み直して欲しい。

 卑弥呼の時代の日本が明確になり、凄かったことが判る。これが、今にさまざまな場に継承している。

 古代を解いて、その継承を語るのと、稲作で吸収と言うように、数百年以上前の事で九州と言うように、前後の物事で、卑弥呼を解くのとは違うのだ。古代は古代で解くことが重要である。

 とにかく、私の古代論は、現在の所在論とは、まったく違う古代なので、全てを読んでから(途中でも良いが)、コメントして欲しい。読めば、日本の古代が、どれほど、明るい社会だったか、解る。

 人々は、生き生きと、生活を楽しんでいた。どんな人でも、業績で評価される社会は、共産主義と違って、人を活性化するのである。そのことを、古事記編で解いている

 これまでに、順を追って、読んでいた人の他に、今年になって最初から読み始めたと、コメントを頂いた人が数人居る。コメントと、アクセスの関係から言えば、多分数十人が、今年になって、通して読んだと思う。

 通読すれば、宇摩説の概要は判る。判れば、日本が世界でなぜ特殊なのかも、判る。つまり、古代が判ると、今の日本人も判る。同時に、日本人は、世界でどのような役割を果たすかも判る

 本来、歴史とは、先輩が命を賭けて体験した事を、学んで自己の無駄を省き、より、進歩するための学問である。

 もっと言えば、学問(人間の発達)は歴史から始まった。今でも医学部で習うのは医学の歴史である。他全学て同だ。誰かの研究の歴史を学ぶのは、歴史である。

 古代史、建国史は、最も重要な知識なのに、明治以後にも、本居宣長の説いた説の土俵であったために、古代が解けていない。それが、基本的に日本の存在価値を見失わせている。

 ここに、新説、伊予王朝論(宇摩説)の重要性がある。このブログで、古代論に納得して頂ければ、友人知人に知らせて欲しい。今の日本に不可欠の古代論なのだ。

 さて、コメントと応答を載せおこう。

To aiueoさん 
>
>邪馬台国は中国の魏志倭人伝に登場する日本の一地方国家、と言う風に学生時代に習いましたが、単に日本に関するあやふやな伝聞情報を適当に書いたものに過ぎない、と言う事は無いのでしょうか?

  地方国家では、皇帝が相手にしません。また、皇帝は多くの贈物に調査員をつけました。贈物代わりに日本を調査しています。また、卑弥呼は30数国を従えています。地方国家はおかしいでしょう。

 記録はこの調査員の報告が元だと思います。あやふやな伝聞で、金印を贈る事はありません。朝鮮半島では、銀印を貰ったのが最高です。

このような内容からありえません。足利将軍でさえ、日本代表と見てもらうのに銀閣、金閣を作ったといわれます。反日の日教組、あるいは、、、帰化などの先生でしょう。

>邪馬台国は「ヤマタイコク」と教わりましたが、実は「ヤマトコク」=「大和国」を見下した当て字の名称と言う事は無いのでしょうか? 

 大和の記録は700年代。倭人伝は240年頃の日本を書いた記録です。日本を見下した記録の可能性はあります。倭人伝編で、理由を書いていますので、そちらを読んでください。

>「邪」にしろ「馬」にしろ、自称の名称に使う漢字にしては悪すぎます。 私の倭人伝編を読んでください。これは、使者が日本語を感じで表現したのですが、使者が、卑弥呼に良い印象を持たなかった記述と書いています。

 同様に、卑弥呼も問題にされますが、中国では余り気にしないようです。と言うのは、倭人伝がある魏史は、「魏、鬼に委ねる」の字、これも、それほど良い感じとはいえません。
 中国の「鬼は,キョンシー(?)で、死人の霊、死霊」、こんな国名をつけています。目くじらを立てるほどでもなさそうです。
 
>全く同様の違和感を、蘇我馬子や蘇我入鹿にも感じました。
>なにしろ、二人合わせると馬鹿ですから。(笑)

 馬鹿には意味がありそうです。ただ、馬子と厩戸皇子は、ブログで理由を書いています。読んでください。

 少し書いておきます。余り漢字に囚われないで、馬子は宇摩子(宇摩神の子)の意味です。この時代は人々は漢字を知りません。

 また、天下りした分家の朝廷は、宇摩に在った本家の高天原を地上から消したかった。この状況で、古事記を書くと、どう書くか、つまり、この答えが記録です。

>権力を握った勝者側が、かつて敵対した相手に対し、見下した「当て字」で記録に残したと言う事は考えられませんか?

 古事記には多く見られます。これらも、言葉として見直すことが重要です。そうすれば史実が判ります。嘘は書いていません。当時の人は郷土芸能などで、知っていたから、書けないのです。

 不都合で余り重要でないことは、省いた物もあると思います。建国の前後や、その後に様子などです。イザナギ、イザナミから、物語として残していますが、それ以前は大幅に省略されています。

 余談ながら、騎馬民族征服王朝説ありません。もしそうなら、四国に地名が残る高天原神話を抹殺するでしょう。残したのは、朝廷が四国の高天原公認と言うのが、必要だからです。だから、続いています

 神話を創作と、戦後の史学学者は否定しました。左翼の先端だった東大の教授が、「騎馬民族、、、」と言う、小説が生んだが、国民のほとんどが読んだり、信じたりと言うことはありません。

>古代には、そう言う「漢字の遊び」が流行っていて、邪馬台国も単に大和国を皮肉ったものを、読み方を間違えて別の存在と考えた為に未だに場所が特定されない、という可能性は無いのでしょうか?

 漢字は朝廷が600年頃に導入して、712年に古事記。卑弥呼は、240年頃、3~400年も前です。時代を飛び越えた論理です

 とにかく、漢字に囚われるのは、間違いです(万葉仮名)。古事記の頃でも、国民は日本語を使っていたが、漢字は知らない。だから、朝廷が隠したい事は、別の漢字で隠したと言う事です。馬子と厩戸皇子で、書いたと記憶しています。古事記編?だったかな。

 とにかく、私の古代論は、基礎編から(分類が正確とは言えないが)、順に読んで、それでもおかしいところ、判らない所を、聞いて欲しい。

 私の宇摩説は、まったく新しいので、最初は戸惑うでしょうが、読み進めると、整合していることが判ります。納得が行けば、多くの人に紹介してください。読んで不明な点は、大いに質問してください。歓迎しまます。
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