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【検証9】奴国時代の話(その1)の(注2)にWiki「新羅」によれば、『三国史記』の新羅本紀は「辰韓の斯蘆国」の時代から含めて一貫した新羅の歴史としているが、史実性があるのは4世紀の第17代奈勿王以後であり、それ以前の個々の記事は伝説的なものであって史実性は低いとされる。と書いたが、新羅の第4代脱解(タレ)尼師今(在位:57年 - 80年)が倭人だと書かれている。その後、第9代から16代まで脱解王昔氏の子孫が王となったとある。(2020.7.10 赤字訂正)
脱解王は倭国の東北一千里の多婆那(タバナ)国から来たとあり、『三国遺事』では龍城国とある。
丹波の奴国から来た龍王だと分かる。(注)
つまり当時は丹波国の一部だった丹後半島で鍛冶製鉄や玉造りを行っていたと考えられる奴国大王スサノヲを示唆しているのだ。
奈具神社の祭神は豊受大神つまり女王台与としているが、その末社ではスサノヲとカグツチを祀っている。
カグツチはイザナミが生んだ火の神で、それが原因でイザナミは黄泉の国に行ってしまった。怒ったイザナギ大王はカグツチを十拳(トツカ)の剣で切り殺した。その遺体から神々が生まれたという記紀神話だが、その中に貴船神社の祭神高龗神(たかおかみのかみ)=龍神がいる。火の神は製鉄の神をイメージさせる。
つまり、奴国のスサノヲ大王は製鉄や列島内の色々な鉱物資源開発で王宮を留守にすることが多く、たまに帰ると母イザナミの属する縄文系ムナカタ海人族の祭祀様式を奴国の伝統祭祀に取り入れようとしたから、奴国祭祀を司る師升らの宮廷楽師たちに裏切られ、クーデターによって殺されたと推理した。カグツチはスサノヲのことではないだろうか。
クーデターを逃れたスサノヲの子イタケルの子孫が、スサノヲが開発した半島南部の製鉄所から代々鉄を仕入れて丹後半島で鉄器を製造して旧奴国王族に供給した史実を示唆しているようだ。第9代から16代の倭人の王が代々狗古智卑狗を襲名したスサノヲの子孫のことだろう。もちろん、半島南部の鉄はスサノヲの先代イザナギやそれ以前から奴国に供給するために丹後半島などで鍛冶製鉄が行われていたのだろうが、スサノヲ大王の大活躍が伝承として残っており、脱解王ということになったのではないだろうか。(2020.7.10 赤字訂正)
奈具神社の祭神を大国主狗古智卑狗が娶った女王台与をモデルとする豊受大神にしているが、
「日本書紀」を正史にしている朝廷に配慮したのか、強制的に変更させられたのか?
いずれにしても日本建国時の重要な史実を誤魔化しているようだ。(2020.7.8 青字改訂)
奈具は龍蛇神(nag)だから分かるのだ(^_-)-☆
【参考】半島の製鉄遺跡
スサノヲ大王が開発したと思われる半島南部の製鉄所(下図の1 - 4)からその直系の子孫狗古智卑狗らが鉄素材を丹後半島に運び、鍛冶製鉄を行って鉄器を旧奴国王族らに供給したと推理している。(2020.7.8 青字追加)
(注)Wiki「丹後国」によれば、
和銅6年(713年)4月3日に丹波国の北部、加佐郡、与謝郡、丹波郡、竹野郡、熊野郡の5郡を割いて、「丹後国」として設置された。
弥生時代前期から扇谷遺跡・奈具岡遺跡などが見られる。
弥生時代後期になると(BC30年頃以降)中期中葉以降繁栄した上記遺跡は姿を消し、代わりに峰山町古殿遺跡、大宮町谷内遺跡、宮津市宮村遺跡などが繁栄する。後期になっても、鉄器、玉の出土は多く、先進文化は継続されていたようである。古墳時代になっても巨大古墳が数多く築造されており、大和政権に組み込まれた後も朝廷にとって重要地域だったようである。丹後半島は、日本海岸にあり、対馬海流がすぐ沖を流れており、朝鮮半島からの直接の流入があったものと考えられる。(丹波王国の誕生 より)
二世紀の伊都国時代は倭人伝ルートが倭王によって抑えられていたため、不弥国(うみこく)のムナカタ海人族の援助を受けて出雲・丹後地方に鉄素材を供給していたと推理している。
余り聞いたことのないような話ですので、もしも疑問点がありましたら
コメントをお待ちしています。
お付き合い、ありがとうございます。
次回に続きますので、よろしくお願いします。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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【検証9】奴国時代の話(その1)の(注2)にWiki「新羅」によれば、『三国史記』の新羅本紀は「辰韓の斯蘆国」の時代から含めて一貫した新羅の歴史としているが、史実性があるのは4世紀の第17代奈勿王以後であり、それ以前の個々の記事は伝説的なものであって史実性は低いとされる。と書いたが、新羅の第4代脱解(タレ)尼師今(在位:57年 - 80年)が倭人だと書かれている。その後、第9代から16代まで脱解王昔氏の子孫が王となったとある。(2020.7.10 赤字訂正)
脱解王は倭国の東北一千里の多婆那(タバナ)国から来たとあり、『三国遺事』では龍城国とある。
丹波の奴国から来た龍王だと分かる。(注)
つまり当時は丹波国の一部だった丹後半島で鍛冶製鉄や玉造りを行っていたと考えられる奴国大王スサノヲを示唆しているのだ。
奈具神社の祭神は豊受大神つまり女王台与としているが、その末社ではスサノヲとカグツチを祀っている。
カグツチはイザナミが生んだ火の神で、それが原因でイザナミは黄泉の国に行ってしまった。怒ったイザナギ大王はカグツチを十拳(トツカ)の剣で切り殺した。その遺体から神々が生まれたという記紀神話だが、その中に貴船神社の祭神高龗神(たかおかみのかみ)=龍神がいる。火の神は製鉄の神をイメージさせる。
つまり、奴国のスサノヲ大王は製鉄や列島内の色々な鉱物資源開発で王宮を留守にすることが多く、たまに帰ると母イザナミの属する縄文系ムナカタ海人族の祭祀様式を奴国の伝統祭祀に取り入れようとしたから、奴国祭祀を司る師升らの宮廷楽師たちに裏切られ、クーデターによって殺されたと推理した。カグツチはスサノヲのことではないだろうか。
クーデターを逃れたスサノヲの子イタケルの子孫が、スサノヲが開発した半島南部の製鉄所から代々鉄を仕入れて丹後半島で鉄器を製造して旧奴国王族に供給した史実を示唆しているようだ。第9代から16代の倭人の王が代々狗古智卑狗を襲名したスサノヲの子孫のことだろう。もちろん、半島南部の鉄はスサノヲの先代イザナギやそれ以前から奴国に供給するために丹後半島などで鍛冶製鉄が行われていたのだろうが、スサノヲ大王の大活躍が伝承として残っており、脱解王ということになったのではないだろうか。(2020.7.10 赤字訂正)
奈具神社の祭神を大国主狗古智卑狗が娶った女王台与をモデルとする豊受大神にしているが、
「日本書紀」を正史にしている朝廷に配慮したのか、強制的に変更させられたのか?
いずれにしても日本建国時の重要な史実を誤魔化しているようだ。(2020.7.8 青字改訂)
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【参考】半島の製鉄遺跡
スサノヲ大王が開発したと思われる半島南部の製鉄所(下図の1 - 4)からその直系の子孫狗古智卑狗らが鉄素材を丹後半島に運び、鍛冶製鉄を行って鉄器を旧奴国王族らに供給したと推理している。(2020.7.8 青字追加)
(注)Wiki「丹後国」によれば、
和銅6年(713年)4月3日に丹波国の北部、加佐郡、与謝郡、丹波郡、竹野郡、熊野郡の5郡を割いて、「丹後国」として設置された。
弥生時代前期から扇谷遺跡・奈具岡遺跡などが見られる。
弥生時代後期になると(BC30年頃以降)中期中葉以降繁栄した上記遺跡は姿を消し、代わりに峰山町古殿遺跡、大宮町谷内遺跡、宮津市宮村遺跡などが繁栄する。後期になっても、鉄器、玉の出土は多く、先進文化は継続されていたようである。古墳時代になっても巨大古墳が数多く築造されており、大和政権に組み込まれた後も朝廷にとって重要地域だったようである。丹後半島は、日本海岸にあり、対馬海流がすぐ沖を流れており、朝鮮半島からの直接の流入があったものと考えられる。(丹波王国の誕生 より)
二世紀の伊都国時代は倭人伝ルートが倭王によって抑えられていたため、不弥国(うみこく)のムナカタ海人族の援助を受けて出雲・丹後地方に鉄素材を供給していたと推理している。
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