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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

備後・吉備のストーンサークルと日本ピラミッド葦嶽山(@_@)

2024-03-01 23:15:34 | 古代史
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いつも勉強させていただいているsazanamijiro様の「神秘と感動の絶景を探し歩いて  Beautiful superb view of Japan」に今回もコメントさせていただきましたら、とても好いヒントをまた頂きましたので記事にしました。よろしければお付き合いください(#^.^#)。

日向石神社の祇園天王磐座・理解困難な巨石群とは?
2024/02/25 06:00

日向石神社とストーンサークル
2024/02/28 06:00


とても興味ある話題ですので、お待ちしていました。
恐らく二世紀の弥生時代のストーンサークルだと思います。吉備津彦神社の池の小島にもあるようです。【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*)に記載しています。


吉備津彦神社のストーン・サークル(吉備津神社・吉備津彦神社・吉備中山を貫く謎の古代祭祀線 より)

そしてご存じだと思いますが、「日本ピラミッドの謎?(@_@)?」に記載した庄原市葦嶽山の山頂に酒井将軍が指摘した複葉内宮式ストーンサークルがあります。

葦嶽山の中腹に「奴国乃大王」の神額の鳥居があり、葦嶽山を遥拝できるようになっています。

また葦嶽山の傍らにドルメンや多数の巨石が配置された遥拝所の鬼叫山というオドロオドロしい名前の山があります。

本村町に蘇羅比古神社があり、祭神が数多く祀られていますが、神話で大吉備津彦とされたニギハヤヒを隠すためだと推理しています。

この地から吉備の鬼退治に出かけたと、吉備津神社がいくつか途中に存在しますので、推理しています。吉備中山は龍蛇神(ナーガ)奴国王に因む名前です。ヤマト王権はニギハヤヒの子孫狗奴国王卑弥弓呼(ヒコミコの誤記だと思います)とされた記紀の開化・崇神天皇が纏向に王宮を遷し、各地の奴国王に関わる豪族を呼び集め、三世紀末にヤマト王権を成立させたと推理しています。このストーンサークルでお気づきのことがありましたらまたお教えください。どうも有難うございました。

いやーマニアックな話題が次々に出てくると、ニヤリと嬉しくなります。
葦嶽山へは、昭和50年代、まだ看板も何もないころに苦労していきました。雨がちな日でしたが、山中に仲間とテント泊したことを思いだします。鬼叫山を含めて山頂部も行きましたが、人工的なストーンサークルとか方位石とするのは、そのころすでに無理があると思いました。ただひとつ普通じゃないと思ったのは、鏡石前に立つ、上部に盃状穴のある石柱です。政府の弾圧で爆破される前はもっとたくさん立っていたという話もあるので、落下あるいは散逸した石柱の破片とかが確認できれば、もはや神殿と言っていいように思います。大湯ストーンサークル近くにあるクロマンタ山にも上りましたが、やはり特別な印象はなかったのが残念です。吉備津彦神社のように、有力な神社の境内遺跡として守られているストーンサークル以外は、建材に使われたり滑落したりで、建造時のまま残っているものは少ないのかもしれませんね。

ニギハヤヒという視点は、たしかに重要だと思います。物部に関係しているなら、日向石神社の祭神は本来ニギハヤヒですよね。ストーンサークルと言われている巨石群の中に、岩船的な形のものがなかったのか、探すべきでした。😥


またまた、貴重な情報を頂き有難うございます。やはり葦嶽山は思い出深い山でしたのですね( ^)o(^ )
葦嶽山・鬼叫山について、さらネットでいろいろと調べたところ、平津豊氏の論文に巨石群の配置や方角など詳しく載っていましたので今検討しています。

しかし、以下の二点が不明です。
①葦嶽山を仰ぐ奴国乃大王の鳥居は鬼叫山側の登山道だったでしょうか?それとも灰原ルート側でしょうか?
②葦嶽山山頂の天狗岩の方角が気になっています。ひょっとして奴国王の王宮があった須玖岡本遺跡に向いていないのか?と考えていますが、もしもご存じでしたらお教えください(^_-)-☆


国土地理院地図に赤字追加)

それから、おっしゃるとおり、日向石神社は表向きは崇神天皇が祭神ですが、ニギハヤヒの子孫ですので、ニギハヤヒを隠すためだと思います。奈良県三輪山の高宮神社の祭神日向御子神もニギハヤヒの可能性がありますので検討中です。

また天王は牛頭天王スサノヲのことでしょう。第18代奴国王で宮廷楽師師升らのクーデターで殺されたと推理しています(詳細は「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?(´・ω・`)」参照)。
そして天王という地名を葦嶽山の南西方向で発見しました。葦嶽山はスサノヲを祀る祭祀場で間違いないと思います(^_-)-☆

ニギハヤヒは奴国を脱出し、伊都国に王都を置いた師升らの倭国に靡いた裏切り者の吉備の勢力を討って、吉備で奴国を再興したので宋史 王年代紀19代王天照大神尊とされました。楯築王墓の被葬者と推理しています。その南の真宮(しんみや)神社にも立派なストーンサークルがあるとのことです。ニギハヤヒが兄スサノヲの鎮魂祭祀を行ったと考えられます(詳細は「王墓山古墳(倉敷市)の被葬者は誰?(^_-)-☆」参照)。

どうも有難うございます。また、記事にしますのでよろしくお願いいたします。

【参考記事】
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆日本神話は不比等が創作したことが分かります。江戸時代まで多くの人は伊勢の神と三輪の神は同じヘビの化身(天照皇大神大国主命)と信じていました。神仏習合、修験道や道教の影響を受けた記紀神話と全く違う神話が語られていたのですよ(^_-)-☆。



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