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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

邪馬台国朝倉説を討つ!(#^.^#)

2023-05-09 21:40:40 | 古代史
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前回話題にさせてもらった動画に耳寄りな情報があったので、早速調査してやり取りさせていただきました。古墳のある生活様のいい動画を見つけましたので下でご紹介します。お付き合いください(#^.^#)



(クリックするとGoogleMapにジャンプします)

【卑弥呼】解明せよ!卑弥呼はどこに眠る?卑弥呼の墓と呼ばれる場所5選【ゆっくり解説】
レイの謎解き日本史@YouTube

五大世志雄様
朝倉市山田の長田大塚古墳を忘れてはいけません。魏志倭人伝の「径百餘歩」に近い、直径140メートルを超える我が国最大の円墳です。661年、斉明天皇は百済救済のためにこの地を訪れ、ここにあった朝倉社を東の朝倉山に移したと記録されています。なぜ、斉明天皇はここに来たのか、それはここが卑弥呼(=天照大神)の墓と知っていたからです。また、伊能忠敬は朝倉山が現在の麻氐良山であると言っています。

刮目天
調査報告書が見当たらないのですが、長田古墳は3段築ですから6世紀ごろの築造ではないでしょうか?継体天皇陵墓説もあります。墳丁に秋葉神社を祀っていますので、カグツチの正体が尾張王ヲトヨノミコトだと突き止めていますが、後に置かれたもので、イザナミを母系とする一族のアマテラス女神のものだと思います。でも残念ながらアマテラス女神は実在人物ではないです。かなり大きな円墳ですが、卑弥呼は国内最大の直径約150mの円墳に葬られました。宇佐市安心院町三柱山古墳です。古墳マップでご覧ください。

五大世志雄様
長田大塚古墳は、現在、個人の所有で柿畑となっています。発掘調査は行われたことがないと思います。また、柿畑にするため山体を削られたと思われるので、外形から年代を決めることはできないと思います。朝倉市内には斉明天皇ゆかりの史跡が多くあり、ここに来られたのは間違いないと思われます。なぜ朝倉に来られたのか、どうして朝倉を選ばれたのか、それを解明すると邪馬台国のこともわかってくると思います。

刮目天
@五大世志雄 さん 貴重な情報をありがとうございます。実は史実と考えている万葉史観によれば、日本書紀の斉明天皇は存在しておらず、宝皇女は中大兄の母ではなく、中大兄は天智天皇には即位していません(渡辺康則「万葉集があばく捏造された天皇・天智上・下」大空出版)。用明天皇の後継の豊浦天皇(日本書紀の蘇我蝦夷であり聖徳太子ともされた万葉集の軍王)が、中大兄・鎌足(百済王子)のテロによって殺害されています。私の理解では、宝皇女との間の子が天武天皇と考えています。中大兄は宋史王年代紀19代(奴国)王天照大神尊ニギハヤヒの直系の子孫です。中大兄という名前は奴国王(龍蛇神)の正統な後継者という意味を表し、用明天皇に殺された敏達天皇の孫で、祖父が殺されたので、九州を支配していた物部氏に養育されて、地盤があったと考えています。父とされた田村(皇子ではない)も舒明天皇に即位していませんし実在人物ではないようです。
こういう、とんでもない歴史改ざんを日本書紀で行われていると推理しています。
麻氐良山(まてらさん)の山頂に鎮座する麻氐良布神社は最初に中大兄がニギハヤヒを祀ったものだと推理しています。後に藤原氏が日本書紀に合せて伊弉諾尊・伊弉冉尊他多数の祭神を祀らせて、史実を誤魔化そうとしたのだと推理しています。
ということで、長田古墳の墳頂のカグツチは日本書紀で創作された神で、上で述べた尾張王とその祖先であるニギハヤヒを意味しますから、この古墳で中大兄が尾張王の鎮魂とニギハヤヒの加護を祈った祭祀場だと示唆しているようです。三段築で周壕のある本格的な円墳のようですから7世紀の築造で、祭祀用ですから遺骸はないと考えていますが、果たしてどうかは発掘調査しないと分かりませんが(#^.^#)

【関連記事】
No.084 朝倉山田の長田大塚古墳は何を語る ⑩
宮原誠一の神社見聞牒 2018年12月01日(土) 13時00分00秒

詳しく分析されていましたので、大いに参考になりました。墳頂の祠を秋葉宮としていますが祭神は金山彦とのことですから、大国主命の分身です。南側中腹に瑜伽(ゆか)神社があり、ウカノミタマが祭神ですから台与を祀っています。そして、長田大塚古墳の中腹から西を望むと高良山が良くみえます。
朝倉の宮野、菱野を中心とするこの一帯は、高良山と連携した物部族の地域だったのではないでしょうか。
とありましたので、もしもこの古墳を中大兄が作ったのであれば、上で述べたニギハヤヒを祀ったのではなく、祟りを最も恐れている大国主と台与を祀ったと考えられます。
 
【麻氐良布神社】(福岡県朝倉市)風の宿りブログ 2011年04月06日
≪御祭神≫
 ・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 ・伊弉册尊(いざなみのみこと)
 ・月夜見尊(つくよみのみこと)
 ・天照大御神(あまてらすおほみかみ)
 ・素盞嗚尊(すさのをのみこと)
 ・蛭子尊(ゑびすのみこと) 【事代主尊(ことしろぬしのみこと)】
 ・天照國照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)
 ・齊明天皇(さいめいてんのう) 【天豐財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)】
 ・天智天皇(てんちてんのう) 【天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)/中大兄皇子】
 ・明日香皇子(あすかのみこ) 【筑紫君薩夜麻(つくしのきみさちやま)】

ここでは中大兄がその祖神天照國照彦火明命ニギハヤヒを祀ったと考えています。

『朝倉からの最新情報』(卑弥呼の墓は朝倉にあった!?)
第384回 邪馬台国の会 Rev.2 2020.8.2

麻氐良布神社については、地元民は、「麻氐良布神社」を「マテラ神社」と呼び、「布」の字は発音しない。そして、「布」と「須」の草書体は酷似しているので、「布」を「須」に変換すれば、「麻氐良須」で、読みは「アマテラス」となる。
結果として、「麻氐良布神社」は、「天照神社」と想定される。



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