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【検証24】狗古智卑狗の墓発見!(その3)狗古智卑狗の霊ライン?(@_@)

2022-01-01 00:00:01 | 古代史
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タイトルを変更しました(^_-)-☆

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                 令和四年 元旦


お陰様で、昨年は駆け込みで大発見をすることができました。前回述べました通り、先代狗古智卑狗が発する霊的なエネルギーを吸収するために米神山中腹の月の神谷の陽石が、先代が活躍し最期を遂げたと考えられる場所に向けられていたことは、当時の人々の霊的なものへの信仰を理解する上で、とても重要な発見だったと思います。

大国主が米神山に登り、およそ80kmも離れた南西方向の茶臼塚古墳に向けて陽石を置いています(二地点を結べば南西よりも6度だけ西側)。しかし、前方の高い山が邪魔をして、とても目視して目的の方角へ向けて陽石を設置することは出来ませんので、恐らくは目印となる山々を見て、頭の中で地図を描いていたのではないかと考えてしまいます。しかし、標高1052mの八方ヶ岳の真後ろに茶臼塚古墳があると、現代人は地図から分かりますが、その近くにも同じような千mクラスの山が並んでおり、近代的な測量技術のない当時の人がどうやって八方ヶ岳を見つけたのか考えさせられます。山頂の狼煙によって位置を知ったのでしょうか?



いずれにしても、このような作業を当時の人々が神と対話しながら行っている情景を考えると、適切な言葉が浮かびませんが、現代科学では説明しきれない人間の心の奥深いところに神霊を感じる何かが存在しているようです。

前回にも述べましたが、二世紀末から三世紀の先代狗古智卑狗と大国主の時代から六百年以上も後の平安時代の人々は、曼荼羅を意識して狗古智卑狗の本地仏であった弥勒菩薩が悟りをひらき大日如来となって納められた石祠を茶臼塚古墳の墳頂に配置し、大日如来の垂迹神である天照皇大神を祀る御宇田神宮を創建して、弥勒菩薩を北東に配置する形にしています。大日如来を本尊とする神宮寺が他に存在しているのかも知れませんが、石仏が神宮寺に代わるものなのかも知れません。(2022.1.1 自転車くまさんのコメントを受けて赤字のとおり修正しました。)

当時の人々が「日本書紀」で抹殺された先代狗古智卑狗と大国主の事績を、史実として正しく理解していた証拠だと思います。

また、山鹿市・菊池市・玉名市などの周辺や米神山の周辺は当然、先代狗古智卑狗や大国主が活発に活動した領域だと考えていますので、ゆかりの神社などは他の場所と比べれば、かなり多く存在しているようです。しかし、当時の人々は現代人よりも敏感に直線的な霊的なエネルギーの流れを感じて、ほぼ直線状にゆかりの神社仏閣も配置しているようです。


(左クリックで地図が閲覧できます)

刮目天は卑弥呼の霊ラインと同様に、これを狗古智卑狗の霊ラインと呼ぶことにしました(注1)。その他にも狗古智卑狗の子である大国主や先祖である奴国大王スサノヲの墓と考えている葦嶽山ピラミッドなどの神霊スポットとの間に霊ラインを引いています。ライン上にどのような神霊スポットが出現するのかを調べる作業はとても楽しいので、時を忘れて没頭してしまいます。よろしければ、一緒にお楽しみください。新年早々、オカルトっぽい話でしたが、今年も古代史の謎解きにお付き合いください(*^▽^*)

(注1)「【衝撃】卑弥呼の霊が不比等のウソを暴く?」参照。

このようなレイライン(ley line)の存在は科学的に解明することは今のところ不可能のようですが、レイラインを引くことはできます。そして偶然レイラインを形作っているとも考えることはできますが、米神山の陽石によって方角が規定されているのも事実ですから、偶然と片づけるわけには行かない気がしています。

聖なるライン(wiki「レイライン」より引用)
1969年に岸俊男は、日本の藤原京遺跡のメインストリートである朱雀大路の延長線上に、檜隈前大内陵、菖蒲池古墳、中尾山古墳が存在することを指摘した[8]。1972年に発見された高松塚古墳の壁画をもとに直木孝次郎がそれぞれの古墳の被葬者を推測したところ、マスコミはその直線を「聖なるライン」と名付けて報じて世間の注目を集めたが「聖なるライン」説の意義は学術的には評価されなかった[8]。その後、藤堂かほるが藤原京大極殿の真北に天智天皇陵があることから、その造営時期を文武天皇の時代とする説を発表したところ、猪熊兼勝がそれを承けて「聖なるライン」説に大極殿、天智天皇陵、高松塚古墳、キトラ古墳を加えた、新しい「聖なるライン」説を提唱した。猪熊によれば、それらの遺跡は、すべて東経135度48分19-29秒の範囲にあり、誤差は10秒以内に収まることから「聖なるライン」は意識的に作られたものであり、計画したのは天武天皇だと主張している[8]。

小澤毅は新しい「聖なるライン」説について、天智天皇陵からキトラ古墳までは南北2キロメートル弱しかなく、正確に揃えるつもりならばもっと精度を出すことも可能であったはずだが、この範囲で10秒(この地域では約255メートル)は誤差としては大きすぎ、意図して並べたとは考えられないと述べている[8]。


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