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二倍年歴説は荒唐無稽だよ(´・ω・`)

2020-09-02 03:37:18 | 古代史
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最近、神武東征説が復活してきてよく耳にします。しかし、あり得ない紀元前660年に即位するはなしをもう少し現実的にしたいことや、初期の天皇があり得ない年齢なので半分と数えて、実在に近づけたいという願望から、この春と秋をそれぞれ1年と数える二倍年歴に飛びつかれる方が多いようです。以下のブログにもそういう内容のコメントがあったので、ブログ自体はいい内容だったのですが、ついついコメントしてしまいました。そしたら、またいい反論が来たので、この議論を記事にすることにしました。疑問点などを頂けると有り難いです。最後まで、よろしくお願い致します。

「女系天皇」 と 「天皇制」
2020年08月30日 テレビとうさん


私は「春秋1年(二倍歴)説」を支持していて、古代の1年は現在の半年で計算します。
「皇紀」 と 「西暦」

「皇紀」で書くと、皇紀元年に即位し、皇紀七六年に一三七歳で崩御。
「西暦」で書くと、紀元前60年に即位し、紀元前22年に68才で崩御。

或いは、頭の体操として「古代の天皇の在位期間は、然したる功績の無かった(都合の悪い)天皇の在位期間を、後の代表する(諡号が贈られた)天皇に合算した」と考え、歴史から消失した天皇は単に諡号(追号)が贈られなかったのかも知れません。


二倍年歴は荒唐無稽な発想であることは論証されていますよ。
ただ最近、神武天皇東征説が復活して、その根拠の一つに使われるようになって、御存じない方は飛びつかれます。ネットでも直ぐに検索できます。
例えば、以下のものなど、いくつかありますのでご覧ください。
二倍年暦説批判
バカバカしい二倍年暦説


先に述べたように九州から人々が大和にやってきて建国した事実はないのです(誤解と幻想の神武東征)。

先ず、紹介リンクの一つに「バカバカしい二倍年暦説」と書いていながら、その「バカバカしさ」が書かれていません。ただ「倭国だけが周辺地域と年の数え方が違うのは説得力に欠ける」と書かれているだけです。パンデミックが起こる前までは「日本人のマスク使用」は、世界に対しての説得力に欠けていましたが、これは「正史」です。

正史に対する大方の誤解は後で述べますが、その正史のどこにも二倍年歴を採用していたなどとは書かれておらず、日本の天皇が異様な長さの年齢だから、二倍年歴で数えたのではないかという推測から来たもので、日本の天皇の年齢が本当に正しく書かれていた証拠はありません。日本書紀と古事記でもかなり食い違っていることも知っておくべき事実です。

「バカバカしい」ということはタイトルにあり、内容的にいって、そのような歴法は存在しないのに、あるかのように考えていることがバカバカしいという意味ですよ。二倍年歴が存在したという証拠が説得力に欠けるという意味であり、「バカバカしい」とは書かれていないというご理解はいただけませんよ。(´・ω・`)

また、別の紹介リンクでは「季節の変動は太陽の運行がもたらす自然現象である。地球が太陽を一周する時間が太陽暦の一年となり、それが十二ヶ月にわけられている。」と書かれていますが、古代人が「地球が太陽を一周する」事を知っていた証拠は有りません。

「太陽は東から登り、翌日に再び東から登る」ことは間違いなく知っていたと思います。影の長さは日々変化し、「最短⇒最長」迄を(陽の)一年、「最長⇒最短」迄を(陰の)一年と考えても不思議は有りません。
また、「一収穫期(春耕秋収)を一年」としても、「未収穫期を次の一年」とする事にも合理性は有り、二毛作や二期作も考えられ、何なら「四分割」すらも可能です。


文字によって歴史が記録されるようになってから、古代の日本・シナ・朝鮮に限れば太陽太陰暦を採用しています。太陰暦を基とするが、太陽の動きも参考にして閏月を入れ、月日を定める暦(暦法)のことです。

古代の一年は、甲骨文・金文や詩経などによると殷・周の時代は日・月や星、植物の生長などを観察して日付を決めていたが、春秋戦国時代に二十四節気に分割されています。おっしゃるとおり、一日を太陽が昇ってから、次に上るまでの間というのは古代のどこの国の人々でもそう考えていたと思います。それが29回または30回でひと月、12カ月またはうるう月を数えて一年としていました(太陽太陰暦参照)。

(二十四節気 暮らし歳時記 より)

最も合理的な考え方は、口伝の年数である「二倍年の一年」を、記紀では「一年を1年に数えた」だけであり嘘や誤魔化しを書いた訳ではないと云う事です。

若し、古代日本で「春夏秋冬を以て1年とする」と云う証拠が有ったら教えて下さい。


上でご説明した古代の太陽太陰暦をご理解いただければ、一年は二十四節気によって決められていると分かります。ですから、その半分を一年という数え方はどこにも存在していません。現存する日本最古の正史「日本書紀」でも紀年は、例えば「元年春一月十五日」と明記されていますから明らかな証拠ですよ。

それで、最初の正史に対する考え方についてですが、正史は正しい歴史と単純に考えている方が多いようですが、それは明らかに間違いです。

多くの方が正史は正しいと信じられている理由は、その根底に、ご自分は嘘偽りは書かないという信念やイデオロギーがあるからだと思います!

ところが、どんな権威ある文書でも、文書には必ず目的があることに気付けば、

正史は正しい歴史だというのは思い込みだと理解できると思います。

権力者が正史を編纂する目的は、事実を正しく記録したいというのは二の次、三の次になると考える方が合理的です!

一番の目的は権力の維持と考えるべきです!


何故なら権力維持に不都合な事実を書くことによって賞賛を受けるメリットよりも、逆に権力の正当性を失うことになりかねないというデメリットが大きいからです!

もちろん、神に対する嘘偽りを不道徳と考えることはあると思いますが、権力を獲得するには神に対する誠意だけではできないことは誰でもわかります。

ですから正史を編纂する権力者にとって、こういうリアルな話を忘れて、書かれたものが事実だと信じて欲しいのですよ。
正史を疑うことはモラルに反するものというのは信条やイデオロギーですから
歴史の真実は遠ざかるばかりです!


テレビ倒さんの疑うべき科学的な根拠が認められないという主張はまさに見たくないものは見ない主義だと思いますよ!例えば、推古女帝の時に隋との交渉がシナの正史に記録され、倭国はアメノタリシホコという男王だと明記していますよ!どちらかが事実でどちらかがウソなのです。正史が編纂される目的を考えると、日本人ならば日本の歴史書を信じろと言われても単純には無理だということをご理解ください。

また、冷静に日本書紀を見つめると、編纂当時の権力者の藤原氏にとって都合のよい歴史になっているのが分かります。天皇家さえもバカにしている内容となっていますので、尻尾が出ているわけです。

実は正史に対するこういう思い込みが歴史解明の障害になっていたことに気付いたことから、真相にたどり着くことが出来たので、非常に重要な話だったのです。

詳しくは、こちらでどうぞ(*^^)v

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