刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

古代史を科学的に解明するアブダクションとは?(その1)

2020-08-14 18:35:42 | 古代史
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前回のブログ卑弥呼の日食は珍しい日没帯食だったのか?で紹介させていただいた「卑弥呼の日食」の議論から、本日(8月14日)まで、愛読している宮崎正弘先生のメルマガ(読者の声)上で、古代史解明に関する論証手法と結果が皆様にどうすれば受け入れられるか考える良い機会を与えて頂きました。高柴昭様は「科学の目で見えてきた日本の古代」を掲載されている独自の邪馬台国論を展開されている古代史研究者です。まずは、大変な労力をおかけしてお付き合いいただいた高柴昭様と、緊迫した国際情勢の分析でお忙しい中、拙論の掲載にご協力いただいた宮崎正弘先生に改めて心からお礼申し上げます。一応、メルマガ上での議論はこれで終結しましたが、高柴昭様があげて頂いた拙論へのご疑問をここでご披露させていただき、刮目天が提唱する新しい古代史の解明手法について皆様にご理解賜ることを願って、数回に渡り掲載する予定です。一般的な手法とは異なりますので、色々と疑問が生じると思います。ご興味のある皆様と、ここで色々建設的な議論をさせていただけると解明が進むと思います。最後までお付き合いのほど、どうぞよろしくお願い致します。

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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)8月12日(水曜日)
       通巻第6615号  <前日発行>
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(読者の声2)貴誌6613号(読者の声1)日食と天照大神(再反論)を高柴昭様より頂き、心より感謝いたします。
 247年3月24日北九州で皆既日食、北部九州一帯で深い食が見られたという当方の主張はお認め頂いたと考え、その上で、以下の二点を問題にされているのだと思います。
1点目は、部分日食では、岩戸隠れの神話の内容と違い過ぎるから247年の日食とは結びつかない。
2点目は、卑弥呼暗殺命令を出した伊都国男王が「海に沈む深い食の異様な夕日を見たはずです。とても不吉な現象だと感じたと思います」という推理が、記紀神話とは無関係な(刮目天の)個人的な感想であり、「日食=天照大神=卑弥呼」の論証として成り立たない。

まず、1点目ですが、日本の神話は「日本書紀」完成時の権力者藤原不比等にとって建国の真相を正史に残すことが不都合なので創作されたものと考えています。
その詳細については前回拙ブログを紹介させていただいていますので、そちらをご覧ください。高柴昭様は神話の内容に近いことが現実に起こったはずだとのお考えならば、いつの日食が岩戸隠れの神話になったとお考えなのでしょうか? 当方は、卑弥呼が247年の日食が原因で殺された事件に基づく伝承から、神話の作者が適当に連想して作ったものだと考えています。ですから、神話どおりの日食でなくてもよいのです。

卑弥呼は実在人物ですが、女神アマテラスは元々「日本書紀」の中で作られた神であり、持統天皇をモデルとしていますが、実在人物そのものではありません。古事記の神話は、日本書紀と多少違いがありますが、基本的に日本書紀に倣って作られていると考えています。

2点目ですが、ここでは卑弥呼が殺されたのは何故かを推理しています。つまり倭国に狗奴国が押し寄せてくる情報と丁度重なって不吉な現象と考えられる日食を伊都国男王が見たという前提で、男王の反応を推量して、卑弥呼殺害を部下に命じたと推理しています。

神話から連想される皆既日食とは異なりますが、夕日に沈む部分食を見て衝撃を受けた伊都国男王によって卑弥呼が殺されたと推理したわけです。

論理学上の論証法にはご存知のとおり、演繹法と帰納法がよく知られていますが、結果から原因を推理する仮説的推論(アブダクション)の手法が古代史の解明に有効だということに気付きました。

従来、古代史解明においては、しばしば個々の史実に対してどういう理由で起こったのかなどの問題を、通常は演繹法的に論証する作業が行われます。しかし厳密な意味で公理は存在しませんから、実際は仮説に基づく推論でしかないのです。ですから仮説の数だけいくつもの答えが考えられ、一つには絞り切れないのだと思います。邪馬台国の位置の問題が解決しないのも同様な事情です。

しかし一連の経時的な史実について、予め設定した仮説に基づき原因を推理し、考古学や民俗学などの成果を用いて科学的に検証を繰り返し、仮説の拡張や修正や詳細化をすることにより、その間の史実を矛盾なく説明できる仮説群を見つけることが出来ます。

このような論証法で日本建国の歴史を解明していますので、卑弥呼の日食による死は日本建国の物語の中の一コマとして矛盾なく説明できるものとなっています。ですから、現在分かっている史実から考えると、そういうことが起こっていたのは確からしいという結論が得られるわけです。しかし真実は神様しか知りませんので、それが真実だとは断言できませんが、余ほど大きな事実誤認がない限り大丈夫だろうと考えています。もう少し詳しい説明は拙ブログ「古代史の謎を推理する」をご参照ください。

 ということで『個人的な感想だから「日食=天照大神=卑弥呼」の論証としては成り立たない』というご批判は当たらないと考えます。


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)8月12日(水曜日)弐
       通巻第6616号  
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(読者の声2)日食と天照大神(再反論2)。刮目天一様より、また反論を頂きましたので再反論2として見解を述べさせて頂きます。
 まず、刮目天一様の論には多くの仮定が見られ、それを「仮説的推論」として古代の解明には有効だとしておられます。古代の解明には物証などが不足しているため、いわゆるミッシング・リングを埋めるため、仮説を導入することが有効であると思われる場合もあることは否定しません。

しかしながら、その場合、その仮説を導入するに際しての合理的な説明が必要で、刮目天一様の多くの仮定は合理的な説明が殆どなされていないため、思いつきの域を出ていないと言わざるを得ません。

 私はそれがどの程度真実に近い仮定であったとしても、仮定を重ねることにより真実に到達する確率はその積の程度のものになると考えています。具体的には、たとえ確率70%の仮定でも、二つの仮定に基づくのであれば確率は0.7x0.7=49%となり5割を切ってしまいます。また、仮定が3つ4つと増えるに従って真実から遠ざかっていくものであると考えています。

 今回の刮目天一様の反論で言えば、日本書紀は藤原不比等の創作 従って神話通りの日食でなくても良い、「卑弥呼が247年の日食が原因で殺された」「岩戸隠れ」神話は卑弥呼殺害伝承から神話の作者が適当に連想して作ったもの、「女神アマテラスは元々「日本書紀」の中で作られた神、「女神アマテラスは持統天皇がモデルだ、「古事記の神話は、基本的に日本書紀に倣って作られている、「不吉な現象を見て伊都国男王卑弥呼殺害を部下に命じた、など、仮説の羅列と言っても過言ではなく、大きなものだけで8つの仮定が導入され、しかもその一つ一つの仮定に対する合理的な説明がないことから、思いつきとするのが妥当でしょう。

 大きく譲って、それらの仮定が一つ70%の確率があったとしても、全体では1%あるかどうかという程度の正確性と言わざるを得ないのです。それを「余ほど大きな事実誤認がない限り大丈夫だろうと考えています」とまで自信を持って言われる大胆さには驚愕いたしますが、到底頷くことはできないものです。

 仮定の一つ一つに反論は可能ですが、膨大なスペースが必要となりますので、次の3点だけに絞ってポイントを述べさせて頂きます。

1) 倭人伝の「卑弥呼以死」を、殺害されたとしておられますが、「三国史記」などの記述も併せ考えれば、当時卑弥呼はかなり高齢であったと考えられ、その死は老衰による自然死と考えるのが妥当と見ています。

2)「神話通りの日食でなくても良い」とは暴論も極まったというべきで、何百年に渡って神話として伝承された事実を曲げて、一人の人が創作したとしても多くの人々に容易に受け入れられるはずは無く、無理を通り越した自己撞着と言わざるを得ません。古代の多くの人々に強い印象を残した日食があったからこそ、長い間に渡って伝えられてきたのであり、それだけのインパクトがある皆既日食は、BC273年9月6日に中国大陸に始まり、北部九州から四国を経由し近畿南部から太平洋に抜けた、広範囲に渡る文字通りの皆既日食ならば該当し、私は、岩戸隠れ神話はこの日食を元に脚色されたものと考えています。もしそうであれば、卑弥呼は天照大神とは全く結びつきません。この日食を外して、わざわざ該当しにくい日食に固執して論を展開するのは我田引水の誹りを免れないものと言わざるを得ないでしょう。

3)「古事記の神話は、基本的に日本書紀に倣って作られている」との仮説が提示されていますが、史書記載の通りとした場合、古事記の成立(712年)は日本書紀成立(720年)よりも古いため、日本書紀成立以降に古事記が成立したとするか、或いは採録された説話は古事記の方が新しいと論証されない限り、貴説は一気に確率ゼロまで陥落することになってしまいます。
(高柴昭)


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)8月13日(木曜日)
       通巻第6617号  
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(読者の声4)
古代史解明にあたり採用した論証方法の仮説的推論(アブダクション)について、確率論を用いて反論されていますが、当方の説明が誤解を与えたのかも知れませんが、確率論によるご批判は全く当たりません。時系列的に配置された史実群について仮説に基づき共通の原因の推論を重ねるわけですから、個々の史実について考えられ得る原因が複数あるのが普通ですが、一連の史実を全体として見た時にはその原因を合理的に説明できる仮説は絞られてきます。つまり、ある史実が起こりうると考えられる原因が複数あるとしても、その一つ前の史実が起こる、複数の考えられる原因の中で、共通する原因の数は少なくなります(もしもそれがゼロならば、二つの史実に因果関係がないという結論になります)。

したがって高柴昭様が主張するような、個々の仮説を採用する確率の累積が、全体から検証によって得られた仮説の妥当性を評価する指標にはなりませんし、「また、仮定が3つ4つと増えるに従って真実から遠ざかっていくものであると考えています。」という主張も全く当たりません。

 また、アブダクションを提唱したC.S.ピアスは「理論のすべての説明的内容はアブダクションに由来するものであり、それは、驚くべき現象や複雑な現象を単純で経済的な方法で説明するために、新しいアイデアや外部のアイデアを推測するものである」と述べています(Scientific Method 5.3 Pragmatic Model

ですから、高柴昭様の感じたような「思い付き」との印象は当たっていますが、それによってその仮説を棄却する理由にはなりません。仮説は検証によってのみ棄却されます。

さらに、「正史」は正しいものと考えられる方にとっては、「正史」の記述から逸脱する仮説は、合理的でないとの意見を持たれるのだと思います。しかしながら、以前にも日本神話について意見を述べさせていただきましたが、古代の「正史」は権力者の権力を維持するために編纂された歴史書ですので、権力者にとって不都合なことは書かれませんし、歴史の歪曲・改ざん、事実の隠蔽もあり得ます。疑うべき理由のある内容については考古学などで科学的に検証する必要があります。詳しくは、古代史の謎を推理する <正史と記紀神話の謎>をご参照ください。

 以上のことをご理解いただけると、ご提示された三点の反論についても、申し訳ありませんが、全く的外れなものであることに気付かれると思います。しかし折角ご提示いただいた疑問については、多くの方のご理解のために拙ブログにて意見を述べさせていただこうかと現在思案中です。

ということで、これに関するここでの議論は終了させていただき、今後は拙ブログにてお願い致します。どうぞよろしくお願い致します。
  (刮目天ー)


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)8月14日(金曜日)
       通巻第6618号  
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(読者の声1)日食と天照大神(最終反論)
 私の再反論に対して刮目天ー様から、またご意見がありました。「仮説は検証によってのみ棄却されます。」とのことで全く同意です。前の反論ではあえて述べるのを控えましたが、確率的に高いか低いかではなく、検証に耐え得るかどうかが仮説の生命であると考えます。
 と言われる一方で、私から指摘しました3つの疑問点については、一言の説明もなく「的外れである」とのご見解を述べられました。

これでは検証に値せず、正面からの説明はできないから逃げた、と見られても仕方がないでしょう。疑問に対して真摯に向き合うことから検証が始まることを述べて、この議論は終わりたいと思います。
最後に指摘した問題点について私の見解を述べておきます。
1)「卑弥呼以死」については殺害説の場合、不吉だからとして殺しておいて、なぜ大きな冢を作るのか合理的な説明ができないのではないでしょうか。
殺された遺族などが密かに葬るのならば理解できますが、倭人伝には「大作冢」とあり、大々的に冢を作ったと読むことができます。
貴説と倭人伝の記述は明らかに矛盾しており、貴説は成立しないと考えます。
2)BC273年の誰が見ても文句の言いようがない明らかな皆既日食をあえて無視する理由も述べられず、「的外れ」との一言では、それこそ的外れと申し上げておきます。
3)先に完成していた「古事記」が、後にできた「日本書紀」に倣って作られる、というご意見はまさにSFの世界であり、独り善がりという感想を贈らせて頂きます。
また、折角の貴ブログへのお誘いですが、建設的な議論にはならないと予想されますので、遠慮させて頂きます。
  (高柴昭)


以上のようなやり取りでしたが、折角上の3点のご意見を寄せて頂いたので、この場で回答いたします。しかし建設的な議論にはならないとの予想のために、拙ブログへご訪問頂けないようなので、とても残念です。気が変わったら、またよろしくお願い致しますね(*^▽^*)。
ということで、次回以降でそのご意見への回答を述べたいと思います。

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古代史の謎を推理する



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通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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