山歩き入門 小倉薫子
http://www.tees.ne.jp/~oriental/ogura/
↑小倉薫子さんのページ
<富士山の山頂までのある日の気象>
高度 気温 風速 体感気温 酸素
0m 20℃ 3.0m 17℃ 100
500m 17℃ 4.4m 12℃ 95
1000m 14℃ 4.8m 9℃ 90
2000m 8℃ 5.6m 2℃ 80 吉田口5合目 2300m
6合目 2390m
7合目 2700m
3000m 2℃ 6.9m -5℃ 70 8合目 3100m
本8合目 3400m
8合5勺 3450m
9合目 3580m
3776m -3℃ 8.1m -11℃ 65
(富士山山頂) 気象庁観測データより
◇山の天気の変わりやすさについて
◇靴、靴下の選び方
◇シャツ、パンツ、下着の選び方
◇防寒対策、手袋
◇上手なパッキング法、ザックの中身
◇山の食事、水。
中高年の特徴「気力あれど、体力なし」
登山・山歩き全般に書かれているので、自分に必要なところを
ざっと探して読むという感じです。基本的なことの確認に役立つと思います。
トレッキング実践学 高橋庄太郎
http://yiz00776.cocolog-nifty.com/
↑ 高橋庄太郎さんのHP
この本はカラー写真がたくさんあってわかりやすい。
元気のいい若い方が書かれた本なので、説明に出てくる装備なども
比較的新しい。また、細かい所まで説明してある所がありがたい、
といった本かな。
◇日が昇ると温まった空気が山に沿って上昇し午後になると雷が起こりやすくなる。
夏のトレッキングはともすると雷との時間競争になる。
◇レインジャケットのフード:小雨程度ならフードをかぶらず防水性の帽子にすると
首元から湿気が逃げやすくて蒸れがより少ない。
◆たっぷりと水を飲むこと。「ノドが乾いた」と思ってからでは、
山での水分補給は遅い。出発前に胃袋を水で満たしておくと
効果的に脱水症を防げる。
濡れてもべとつきや冷えを感じにくいドライタッチなベースレイヤー
暑い季節にはサラリとした涼感を、寒い季節には汗冷えを抑えて1年中活用
http://www.finetrack.com/layering/dryandbase-layer.html
ドライ・ベース レイヤー ↑
◇一般的には、風速1mにつき焼く1℃体感温度が下がるといわれている。
これは、衣服が濡れていない状況のことで、汗で湿ったりしていると
それ以上の体感温度の低下をもたらす。
http://www.tozan.org/dougu/amagu.html
↑ 雨具 レインウェアー
http://tozan.org/fuji/kikata/index.html
↑ 富士登山をしてみたい 雨具の着用
http://fujisan.yamakei.co.jp/junbi.html
↑ 富士山ナビHP 富士登山の成功術 準備編
次に紹介する本はこちら。
山歩きの基本がわかる本―Q&Aで疑問も不安も今すぐ解決!
川名 匡 菅野 由起子【著】
山と溪谷社 (2010/03/20 出版)
☆最初に富士山と屋久島の説明が写真やイラスト入りであります。
ざっと、イメージでもつかめてわかりやすいですね。
☆ 大きめに字で書かれているので見やすい。
☆Q&Aで、簡潔に書かれている。
☆細かな説明はなく、ポイントをざっくりイラスト入りで説明されているので
少し知識のある方でもさっと点検の意味で確認できます。
『山歩きを楽しむゆるトレッキング』 著: 高岡英夫
高岡英夫の「ゆる体操」を山歩きに応用した画期的メソッドで、登りも下りも楽々!
中高年の共通の悩みヒザ痛も解消、さらに五感をフルに使えば身体も心もグーンと活性化。
山がますます楽しくなるトレーニング・ブック。
【著者プロフィール】
1948年千葉県生まれ。 東京大学卒業、同大学院教育学研究科修了。
現在、運動科学総合研究所・日本ゆる協会を主催。幼少より武道・身体論に親しみ、ゆる体操を創始。
『高岡英夫の歩き革命』など著書多数。
という説明書きです。
図書館で借りてきたんですが、明日からいよいよ富士登山になり、読めなかったです。
すぐに五合目に行くか迷いましたが、まずは、朝ごはん ということで、うどんをと思いましたが
開店には少し早かったようだったので、道の駅へ。
ちょうど、夏時間のようで、フードコートも夏時間
カレーうどんをたべちゃいました。
この後 もう一度 富士スバルラインへ行きましたが、
昨日よりも車が多い!!
料金所の手前から渋滞。
今日はあきらめて 次の機会に 五合目をめざすことにしました。
帰りは、中山湖から御殿場方面へ
昨日は、雲がなく、富士山がはっきりと見えていたのですが、
今日は富士山も曇っているようで、
ほとんど みえませんでした。
いつか 富士山に 登れたらいいな~。
朝7時ごろに目が覚めたので、せっかくなので、ホテルの周りを歩くことに。
途中で見つけた標語?
<入れ歯とり目玉もはずせと騒ぐ孫>
電信柱毎に、いろんな川柳があって、見ながら歩くのも楽しかった。
電信柱の横で、ぶどうが育ってました。
金鳥居 というそうです。
ここから進むこと約500mくらい。富士急行 富士吉田駅がありますが、
今年の7月1日から『富士山』駅に改名しているそうです。
改札口です。 マンホールのふた。
ホテルにあった 富士山のおいしいお水とコーヒー。
氷も透明です。
味もおいしくて、コーヒーで飲むのがもったいないくらい。
お水とコーヒーを堪能して、チェックアウトしました。
山梨県の富士吉田市で、泊ることにしました。
富士吉田といえば よしだうどん ということで、近くのお店へ。。。
お店の外観。地元の車も何台か止まっていたので、ここにしました。
17時ごろに 食べました。わかめうどんと、きんぴらうどん。
おだしは真っ黒でしたが、おいしかったです。
このあと、せっかく富士山のふもとにいるのでということで、富士スバルラインから五合目に行くことにしました。
でも、土曜日ということもあって、夜9時ごろにも関わらず、すでに五合目の駐車場は満杯。
料金所で満杯ですので、駐車できるまでかなり待ちますって言われたので、明日出なおすことにしました。
ひょ~~~~~え~~~~~~。さすが富士山。。
うろうろしてたら、お腹がすいてきたので お寿司屋さんへ
写真はぶれてますが、味はおいしかったです。メニューも、お寿司だけではなくて、
アラカルトもあるので、おつまみにもOK!!
ついつい 食べすぎ
お腹がパンパンなので、ホテルにGO!
ホテルは、『旅じや』っていうところ。素泊まりで¥7500
駐車場も広くて、街中なのに、道路から少し入っているので、とっても静か。
部屋は、ビジネスホテルのダブルベットでしたが、大浴場が24時間入れるので、ゆっくり温まれます。
貸し自転車もあるので、コンビニや買い物に便利です
LANケーブルを貸してくれるので、部屋でPCが使えます。設定は自動でできました。
ロビーに、富士山のおいしいお水やコーヒー、紅茶が置いてあるので、自由に飲めます。
富士山の水、これがよく冷えていて、うまい。
食事は、事前に申し込めば、食べることができますが、周辺にも食べるところがたくさんあるので、なくてもいいかも。
ちなみに、朝ごはんは、読者が選ぶ朝ごはんの特集で、選ばれているそうです。
富士山から涼しい風がおりてきて、とっても気持ちいい。
天然のクーラーのようです。
途中のSA。
どんぶりが たぬき・・・
SAのスタバ。これだけでは、みえな~い。
SAで、一番人気のラーメンって書いてあったので頼んでみたけど、普通のラーメンでした・・・
諏訪湖
富士山です って、分かるかな
監獄では麦飯ですが脚気は出ない、ある連隊では田舎で麦飯にしたところ
脚気が出ない・・・・・・・、そういう報告が来ても陸軍の首脳部は頑として耳を閉ざして、
兵士が喜ぶから白米をくわせろ、という感情論まで持ち出して自説を枉げようとしない。
日露戦争での日本陸軍の戦死者は8万4400人、負傷者約14万3000人です。
一方、脚気で死んだもの約2万8000人、脚気のため戦争に参加できなくなった兵士
は実に21万人以上にのぼります。
(途中略)
日露戦争の医学の話になると”怒り”で血が沸いてしまうのです。
Q:散歩ではたいしたカロリー消費にならないのか????
◇散歩が終わってからも筋肉細胞の活性状態が続くので、カロリーの消費は持続している。
◇散歩に出るとトイレに行きたくなる。これはきっと散歩することで足の裏が刺激され、
それで体中の血の巡りがよくなり、活性することで、排泄活動が促されるのかな。
運動をすると血液が腎臓に回って腎臓の働きが活発になる。
散歩で、血流が良くなることは実にいいことなのだ。
◇体を動かしていると血流が良くなる。それから散歩しますと、足の裏のつぼが刺激される
この効果も大きい。足の裏は第二の心臓と言われています。足の裏の血行が良くなると
全身の血行が良くなります。それに、足の裏には、肝臓、すい臓、胃腸、心臓などに
つながっているあらゆるツボがあります。 歩くことで、ツボが刺激され、内臓の働きも
活発になります。
◇人間の体温は、その4割以上が筋肉から出ています。その筋肉の7割以上は腰から下に
あるわけですから、歩けば万病が治ると言ってもいいぐらいの効果があります。
◇カロリー消費が少ないというような単純な問題ではなく、血行を良くする。
ツボを刺激する。それから歩くと非常に気分が良くなる。これらすべてが散歩のいいところ。
◇歩けば万病が治ると言ってもいいぐらいの効果がある。
◇人間の病は必ず血行の悪いところに起きます。なぜなら、血液が栄養素や酸素、水を
はじめ、病気の予防・治療をしてくれる免疫物質を運んでくれるからです。
◇散歩は全身の血行をよくするので、全身の病気の予防や治療の一助になる安上がりの
健康法ということになります。
βーエンドロフィンとは、脳内麻薬とも呼ばれますが、
脳内ホルモンの一つです。
脳を活性化させる働きを持ちます。
身体を守ります。特にストレスを解消する働きには注目が集まっていて、
心身の健康を守る働きをするのがβーエンドロフィンです。
老化を防ぎ、自己治癒力を高める為健康に良いのですが、
このβーエンドロフィンは、楽しいと感じた時じゃないと、分泌しない
という性質を持ちます。
しかし、運動中はこのβーエンドロフィンが豊富に分泌されます。
このためです。そして、運動はストレスを発散して、心身ともに健康に
していくと言う訳です。
好影響を与えて、何事にも前向きになる事が出来るとされていて、
成功ホルモンとも呼ばれています。
◇【散歩学派】 アリストテレスの学派は、別名「逍遥学派」とよばれます。
◇脳卒中の別名は脳溢血です。それは、脳に血液が溢れるって事。
なぜ、身体の上にある脳に、血液が溢れるのか?
それは、下半身が衰えることによって、下半身の血液量が少なくなるからです。
筋肉は鍛えれば鍛えるほど大きくなりますが、大きくなると毛細血管がどんどん
新生されます。太い血管は増えないが毛細血管はいくらでも増えるのです。
下半身に筋肉が多いということは下半身に毛細血管が多いということ。
ということは、下半身にたくさんの血液のプールがある。だから、若いうちは
血液が上に溢れ出ることはない。しかし、年をとると、尻や足、大腿部といった
下半身の筋肉が落ちて細くなる。つまり、下半身の血液の行き場をなくし、
脳にまで上昇し血液が溢れ出してしまう。それが脳溢血、脳梗塞なのです。
⇒ さぁ 散歩だ! 散歩をしよう!
「医は、人命を救う博愛の道である」(広辞苑)
パロディ
近年は医療の高度化に伴い患者の治療に必要な費用が増加しており、
医療機器の購入費用等が病院経営に与える影響が大きくなっているという関係から、
この言葉をもじって「医は算術」と語られることがある。
武見太郎
- 1904~1983
- 1957年から日本医師会会長に連続13選。この間医療保険問題でしばしば厚生省と衝突,"喧嘩太郎"の異名をとる。1975年世界医師会会長。吉田茂氏と姻戚関係にあり,同氏の主治医を務めるなど政界とのつながりは深く,大きな影響力をもった。
Q: 医師優遇税制とは、具体的に何がどう優遇されるのですか?
A: 実際にかかった経費以上の経費を控除できるという制度です。
個人事業主が収める税金というのは、基本的には、
(売上-経費)×税率という計算になります。
例えば、売上1000万円の小売店が500万円の経費がかかったとすると、
残りの500万円に税金がかかります。
ところが、医師の場合、無条件に72%の控除が認められいます。
つまり、売上1千万円の場合だと、仮に実際の経費が500万円だったとしても、
720万円分を経費として控除することが認められており、
280万円にしか税金がかからず、当然税金の支払額も少なくなります。
なお、控除率は、社会保険診療報酬の収入額によって決まっており、
2500万円以下 72%
2500万円超~3000万円以下 70%
3000万円超~4000万円以下 62%
4000万円超~5000万円以下 57% となっています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010213650
yahoo 智恵袋↑ から抜粋
第1章 あなたも断食をしてみよう!
第2章 反医学・反栄養学講座
第3章 ヒトは百二十歳まで生きられる!
第4章 「健康の智恵」は東洋から
第5章 「偏食」をして健康になる
第6章 西洋の常識は嘘ばかり
第7章 知的生活のための健康法
出版社/著者からの内容紹介
調不良の原因は「食べ過ぎ」と「冷え」にある!
本書では、これまで信じられてきた「医学常識」を覆し、自分の健康を自分で守
る方法を解説します。
「塩分の摂りすぎは早死にする」ことはなく、「塩分はカラダをあたためるため
に人間に必要不可欠なものなので、積極的に摂ったほうがいい」などなど。
クスリや病院に頼る前に、人間の自然治癒力を高める食事・生活習慣を身につけ
ることの大切さを、食事療法を中心とした治療法で話題の医師の石原氏と、血液
をサラサラにする東洋医学の素晴らしさを賞賛し、自身も「断食」を行う渡部氏
が語り合った一冊。
『東洋の智恵は長寿の智恵』を改題。
内容(「BOOK」データベースより)
医学博士。1948年長崎市生まれ。
長崎大学医学部を卒業して血液内科を専攻。後に同大学院博士課程で「白血球の働きと食物・運動の関係」について研究し、医学博士の学位を取得。
スイスの自然療法病院、B・ベンナークリニックやモスクワの断食療法病院でガンをはじめとする種々の病気、自然療法を勉強。
コーカサス地方の長寿村にも長寿食の研究に5回赴く(グルジア共和国科学アカデミー長寿医学会名誉会員)。
現在、イシハラクリニック院長の他、伊豆で健康増進を目的とする保養所を運営。著書は「生姜力」(主婦と生活社)「体温力」「空腹力」(PHP研究所)、
「好き嫌いの健康法」「ガンが逃げ出す生き方」(以上講談社:安保徹との共著)、「生きる自身」(海竜社:石原慎太郎都知事との共著)、
「病気が治る温め方」(青春出版社)などこの30年間で200冊以上にのぼる。
韓国、中国、香港、マカオ、台湾でもそれぞれの国語に翻訳されて数十冊以上が出版されている。テレビ、ラジオ、講演などでも活躍中。
先祖は代々、鉄砲伝来で有名な種子島「藩」の「藩医」。
野口健からのメッセージ 断食生活からのある気づき
抜粋
石原先生のお話の中で印象に残ったのが「人間の歯は32本のうち、20本が臼歯(穀物食用の歯)、8本が門歯(野菜・果物・海藻用の歯)、4本が犬歯(魚・肉用の歯)であるところを見ると、人の食物は90パーセント近くは、植物性を食べるようにできている。」
確かに、ライオンのような肉食動物は尖った歯しかもっていないため、草は食べられず、肉しか食べない。石原先生の話では「ヨーロッパではほとんど野菜が取れなかった。だから仕方なく狩猟をして肉食生活を始めた。そのヨーロッパ人の食習慣を基盤に作られた「栄養学」が戦後の日本で定着してしまった」とのこと。
確かに北極圏に住むイヌイットがアザラシなどの生肉を食べるのは、野菜がないので、その代わりに生肉の中にあるビタミンを補給するためだ。以前、白人が北極圏を冒険し生肉を食べているイヌイットを見て野蛮人と決めつけ「生肉を食べる野蛮人」といったような意味合いでエスキモーと呼んだようです。しかし、皮肉なことに、野蛮人だと生肉を口にしなかったその白人らは、ビタミン不足で壊血病に犯され、歯ぐきから血を流しながら死んでいったそうな。イヌイットが生肉を食べるのにはちゃんとした意味がある。その土地で生き抜いてきたスペシャリストからなんら学ぼうとしなかったどころか、野蛮人だと差別した西洋人らのおごりが招いた哀れな結末でしょう。
たかだか、4本しかない犬歯で毎日のように肉を食べるのはやはり無理があるのだろう。「この食い違いにより、血液中の成分の過不足や老廃物の増加を起こして血の汚れが酷くなる」との石原先生の指摘には素直に納得させられた。
断食5日目を過ぎたあたりから自分の吐く息の臭さに驚く。尿の色も濃くなり、8日目には宿便の排泄、汗もベタベタし、口の中は唾液がネトネトとなり、舌が黄色っぽくなる。
断食によって血液中の老廃物や汚れが分泌、排泄されていく過程だとのことらしいが、汚いものがどんどん自分の体から排泄されていく経験は毎日が驚きの連続だ。異臭が漂う自分の部屋にいると、いかに日ごろの不規則な生活で血液を汚してきてきたかを実感する瞬間でもある。
http://www.noguchi-ken.com/message/b_num/2004/4_0516_a.html
野口健公式サイト 富士山から日本を変える ↑
【気になったこと言葉/人物】
【強制換羽】
ニワトリたちは玉子を産み始めて一年ぐらいすると少々くたびれてくる。産む玉子は大きくなり、そのぶん水っぽくなる。産卵率がガクッと落ちる。体を覆う羽もみずみずしさを失い、少し歳をとったかなという感じになる。たくさん玉子を産んでくれたのだからしょうがないけど。
そんな時に行うのが「強制換羽」という名の「断食」だ。これは「自然」ではない。でもこれによってニワトリたちは見事に変わる。玉子を産み始めたばかりの若どりと比べても区別がつかないほどに若返るのだ。およそ13日から14日間エサをきる。ニワトリたちには常日頃いかにお世話になっていたとしても、ここは情け容赦なく行わなければならない。
断食はつらい。10日目ぐらいからフラフラするものもでてくる。ニワトリたちにとっては何のためにエサを与えられないのか、しかもこの苦しさがいつまで続くのかも分からないはずで、不安といえばとてつもなく不安だろう。
鶏舎の中に入っていくと「私たち、なんか悪いことした?」という目で僕を見つめる。僕だってつらいのだ。191センチ、96キロの僕は、食事を一食抜くだけでも大騒ぎするぐらいなのだから、二週間の断食は気が遠くなるぐらいのつらさだろうと・・・考えただけでもいやになる。
そして断食があける。人間で言えば「おかゆ」のようなものから少しずつ与えていくのだが、想像できるでしょう?ニワトリたちがエサに飛びつく様子。エサをもらえないという苦しさも、エサを与えないというつらさもこれで終わりだ。
食べ始めてから4、5日もすると一斉に「換羽」が始まる。ニワトリたちの古い羽が抜け出し、若々しくみずみずしいものと交代する。姿かたちはまったくの若どりになっていくのだ。それだけではない。やがて産み出す玉子も若鶏と違わないプリンとしたものに変わっていく。ニワトリたちの体の中で何が起こっているのだろう。
「老化」、「働きすぎからくる疲れ」、あるいは「容姿の衰え」→「断食」→「若返り」。ニワトリたちのたどった過程はこういうことだ。
再び溌剌として遊びまわるトリたちを見ていると、これって人間でもできないだろうか、いけるかもしれないと思う。
そのこととは別に、若返るためとはいえ、ニワトリたちに断食を強いてきたこの僕は、当然のことながらそのつらさを一度体験しなければなるまいと考えている。
http://samidare.jp/kakinotane/lavo?p=log&lid=40037
引用先のブログ↑
【瀉血】 医療情報に関する注意:
ウィキペディアは百科事典であり、一般的な説明をするにとどまります。
ご自身の健康問題に関しては、医師等の専門家に相談してください。
概要
古典的な意味での瀉血では体内に溜まった不要物や有害物を、血液と共に外部に排出させる事で、健康を回復できるとかつては考えられていた。初期の頃には創傷などによって皮下に溜まった膿を排出させるため、一度癒着した創傷部を切開した事に由来するといわれている。また鬱血によって皮下に溜まった血液を排出させる事で、治癒を促すともいい、中国医療の鍼では、患部に小さな傷を付け、陰圧にしたガラス製の小さな壷を付け、血を吸い出す療法もあるが、血液を体外に出す是非に関しては、現在の所では効果の程は不明であるとされる。 またヒル等の吸血動物に血液を吸わせる瀉血法も古くから行われている。
なお現在の日本の法律では、患者の体を切開することは医療行為にあたり、医師にしか許されない。無資格で行えば医師法違反(無資格医業)により処罰の対象となる。前述の刺絡に関しては瀉血であるか否かが議論となっているが、2006年2月1日に無資格者が瀉血を行なったとして逮捕者を出した(同5月11日に有罪判決)。日本刺絡学会の弁に拠れば、(瀉血は血管を切って血を出すものだが)刺絡は身体の所定の箇所(いわゆる「ツボ」)の皮膚に鍼を刺すか小さく切開して、指で絞る(このほか負圧にした小さなガラス容器を吸い付かせるなども)などして血を少量出すだけの、瀉血とは考え方も方法も(加えて排出される血の量も)異なる方法だとしている。ただ一部では、こういった事情にも絡んでか刺絡にしても積極的に血を絞り出させない施術を行なうところも出てきている模様である。
現在的な瀉血は基本的には献血で血液を採血するのと同様な方法で行われる。献血と違って瀉血された血液は廃棄される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%89%E8%A1%80
↑ 引用先のウィキペディア
【西勝造氏】
【二木謙三】 明治6年(1873年) - 昭和41年(1966年)) 94歳
豊島岡女子学園中学校・高等学校第4代校長・理事長
- 乳児 母乳、果汁、おかゆ
- 1~6歳 玄米、野菜、豆、芋
- 7~15-6歳 上記植物類に加えてえび、あさり等の小動物
- 15-6歳から上は男女が分かれてくる
- 男性 肉体労働を行う男性は食物欠乏のときは肉をとってもよい
- 女性 大きな動物は食べないほうがよい
- 40~60歳(初老) 男性でも大きな動物を食べるのはやめ、15歳以前の子供と同じく野菜類と小動物にする
- 60~80歳(中老) 5歳以前の子供と同じく穀菜食にする
- 80~(大老) ものをよく噛んで汁だけをしゃぶって食べる
※二木自身は48歳より、1日1食、玄米、塩なし、油なし、火食なし、動物不要の食事となった。
【塩谷信男】
100歳の時の塩谷先生
1902年(明治35年) 山形県に生まれる。東京大学医学部卒業。
2007年(平成19年) 満105歳
【アルフレッド・ラッセル・ウォレス】
(Alfred Russel Wallace, 1823年1月8日 - 1913年11月7日) 90歳
アルフレッド・ラッセル・ウォーレスが一生続けた腹式呼吸は、
細い管を通して呼吸をする方法で、
空気の通り道が細いと自然と、腹式呼吸となるという。
95歳亡くなる直前に行ったスキー旅行 【三石巌】
【八味地黄丸】(ハチミジオウガン) http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se52/se5200121.html
一般的に高齢の人に用いることが多く、体力が低下し、
具体的には、足腰の痛みやしびれ、腎機能低下にともなう
http://www.halph.gr.jp/goods/kan337.html
↑ ツムラ 八味地黄丸 エキス顆粒(医療用)
【白 隠 禅 師】
白隠 慧鶴(はくいん えかく、1686年1月19日(貞享2年12月25日) - 1768年1月18日(明和5年12月11日))は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。諡は神機独妙禅師、正宗国師。
駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)にあった長沢家の三男として生まれた白隠は、15歳で出家して諸国を行脚して修行を重ね、24歳の時に鐘の音を聞いて悟りを開くも満足せず、修行を続け、のちに病となるも、内観法を授かって回復し、信濃(長野県)飯山の正受老人(道鏡慧端)の厳しい指導を受けて、悟りを完成させた。また、禅を行うと起こる禅病を治す治療法を考案し、多くの若い修行僧を救った。
以後は地元に帰って布教を続け、曹洞宗・黄檗宗と比較して衰退していた臨済宗を復興させ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで謳われた。 (ウィキペディア百科事典より)
【ジェイムズ・フィックス(James F. Fixx)】
フィックスはオベリン大学卒業後、30代半ばで100kg近くまで太ってしまい減量のために毎日15kmのランニングを続けた。その結果30kg以上の減量に成功、「減量と健康増進を勝ち取った」としてマイペースでのランニング(ジョギング)を続ける健康法を記した上記著書の大ヒットで1970年代後半から1980年代前半にかけて全米を中心にした世界規模のジョギング健康法ブームの生みの親となる。
その背景には、当時から問題視されていた肥満の予防を目的とした健康ブームが挙げられ、同様に1980年代前半からエアロビクスもブームとなっている。
自らもジョギングの実践を続けていたが、日課としていたジョギング中の1984年7月20日にバーモント州の国道15号線脇で心筋梗塞を起こして突然死した。(52歳)(ウィキペディア百科事典より)
【本多 静六】
1866(慶応2)年、埼玉県菖蒲町(当時は河原井村)生まれ。
苦学の末、84(明治17)年に東京山林学校(のちの東京農科大学、
現在の東大農学部)に入学。一度は落第するも猛勉強して首席で卒業。
その後、ドイツに私費留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を得る。
1日1頁の原稿執筆を開始。 1900年には教授に昇任し、研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など 多方面で活躍するだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して 莫大な財産を築く。 その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて 働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。 とりわけ、戦後の最晩年に実業之日本社から刊行した『私の財産告白』 『私の生活流儀』『人生計画の立て方』の三部作は、当時ベストセラーとなって 大きな反響を呼んだ。 1952(昭和27)年1月、85歳で逝去。
1892(明治25)年、東京農科大学の助教授となり、「4分の1天引き貯金」と
1927(昭和2)年の定年退官を期に、全財産を匿名で寄付。
http://ky-web.com/hondaseiroku/index.html
高木 兼寛(たかぎ かねひろ)
嘉永2年9月15日(1849年10月30日) -
大正9年(1920年)4月13日)は日本の海軍軍人、医学者。
男爵。東京慈恵会医科大学の創設者。
脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれる。
「けんかん」とも呼称される(有職読み)。
当時なじみの薄かったカレーをかっけの予防として
海軍の食事に取り入れた(海軍カレー)。
【真鍋嘉一郎】(1878~1941)
夏目漱石が松山中学の英語教師をしていたときの教え子に真鍋嘉一郎(まなべかいちろう 1878-1941)がいる。真鍋嘉一郎は新居郡大町村(現・西条市大町)の出身、松山中学卒業後、第一高等学校を経て、東京帝国大学医科大学に進学し、のち同大学の教授となった。
明治44(1911)年から3年間ドイツに留学しました。この時、出会ったのが野口英世で、二人の交流は野口が亡くなるまで続きました。
医学者となってからの真鍋は東京大学医科大学に内科物理療法学の講座を開設、日本内科学会会頭、日本レントゲン学会会長などの要職を歴任した。大正5年(1916)11月、夏目漱石が持病の胃潰瘍を悪化させて、最期の床(同年12月9日死去)についたとき、漱石自身の希望で真鍋が主治医を務めた。漱石の妻、鏡子によると、このとき漱石は「真鍋さんを呼んでくれ、真鍋さんは悪くなった時来て診(み)て貰ふ約束があるんだから」と言ったという。主治医としての真鍋は漱石に献身的に尽した。
昭和16(1941)年、ガンのために64歳で亡くなりました。