1600年代の中頃から1700年代の前半まで
マウンダー極小期と言われる太陽黒点が少ない時期がありました。
1642年~1643年(寛永19年~寛永20年) 寛永の大飢饉
・異常気象と洪水が原因。害虫も発生。
秋田では、8月なのに霜がおりた。
加賀では、長雨と冷風。
・全国各地で餓死者が出る。夏、冷夏と害虫により中国・四国・九州地方の西日本各地、
例… 山形藩では、78,715石だったものが、
寛永19年には、31,279石に減少。(1石は、やく150kg)
あまりのひどさに、参勤交代を免除される。
1680年~1682年(延宝8年~天和2年)
・異常気象が続き、全国的に作物が不作。
・餓死する者も多数。
1695年~1696年(元禄8年~9年) 元禄の大飢饉
・東北地方を中心とした冷害。
・収穫が平年の28%にまで落ち込む。
・死者5万人と言われる。
1701年~1703年(元禄14年~16年)
・冷害のため、全国的な飢饉。東北地方は、被害が大きい。
・死者2万5000人以上
1732年~1733年(享保17年~18年) 享保の大飢饉
・原因は、6月の大雨。8月のウンカの大発生。
・九州では、例年の25%~10%に収穫が落ち込んだ。
・当時の記録には、飢えに苦しんだ人…256万人(国民の1割)
餓死した人…1万172人とある。
※正確には分かりません。
「徳川実記」という記録には、餓死者数96万9900人とある。
・
中でもとりわけ瀬戸内海沿岸一帯が凶作に見舞われた。
梅雨からの長雨が約2ヶ月間にも及び冷夏をもたらした。
このため、イナゴやウンカなどの害虫が大発生し、
稲作に甚大な被害をもたらした。
被害は西日本諸藩のうち46藩にも及んだ。
46藩の総石高は236万石であるが、
この年の収穫は僅27%弱の63万石程度であった。
この飢饉を教訓に、時の将軍徳川吉宗は米以外の穀物の
栽培を奨励し、この時に青木昆陽が提唱したサツマイモの
栽培が広く普及したと言われている。