http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20120128ddm002070037000c.html
近聞遠見:あきらめることはない=岩見隆夫
東日本大震災は数々の人間ドラマを生んだが、自民党の平沢勝栄衆院議員から、
「感激しましたねえ」
と聞かされた次の話は心にしみる--。
3・11からまもなく、1人のベトナム人記者が取材で被災地に入った。避難所で少年にインタビューする。少年は津波で両親を亡くし、激しい寒さと飢えで震えていた。一つのおにぎりを家族で分けて食べるような状況だった。
記者は見かねて少年に自分のジャンパーを着せかける。その時、ポケットから1本のバナナがぽろっとこぼれ落ちた。記者が、
「バナナ、欲しいか」
と問うと、うなずくので、手渡した。ところが、少年はそれを食べるのでなく、避難所の片隅に設けられたみんなで共有の食料置き場に持って行き、もとの場所に戻ってきたという。
記者はいたく感動する。帰国すると、
<こういう子供はベトナムにはいない。……>
と報道した。この記事が大変な反響を呼ぶ。かつて、ドラマ「おしん」が大人気になったお国柄だ。ベトナムからの義援金は100万ドル(約8000万円)にのぼったが、このうち、
「バナナの少年にあげてください」
という条件つきが5万ドルもあったというのだ。
実はこの佳話、昨年夏、谷内(やち)正太郎元外務次官が<東日本大震災の最中、日本外交を考える>と題して講演したなかで紹介された。平沢はそれを聞いたのだ。谷内はこの時、
「少年は大変けなげな日本人の美質、DNAをきちんと受け継いでいる。将来の日本を支える若い人たちのなかに、こういう子供は少なくない。上に立つ政治家も心のなかに美学を持ってほしい」
と訴えている。
悲劇と苦難のもとでも失われない民族的な強じんさを、一少年の小さな行為から教えられた思いだ。3・11は<第2の敗戦>とも言われるが、平沢は、
「敗戦の時にも同じような話があったんです」
と言う。それは、ある会合の席で、五百旗頭真防衛大学校長がジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事から聞いたエピソードだ。
敗戦の1945年暮れ、占領軍の若い将校だったアリヨシは、東京・有楽町の街角で少年に靴磨きをしてもらった。寒風のなか、小柄な少年が懸命に心をこめて磨く。
アリヨシは白いパンにバターとジャムを塗り込んだのをプレゼントした。少年は頭を下げながらそれを袋に収める。
「どうして食べないの」
「家に妹がいるんです。3歳で、まり子といいます」
と答えた。少年は7歳だという。アリヨシは感銘を覚えた。五百旗頭に、
「世界のどこの子供がこんなふうにできるだろうか。モノとしての日本は消失した。しかし、日本人の精神は滅んでいない。あの時、日本は必ずよみがえる、復興すると確信した」
と語ったそうだ。
いまの日本は一見、いい材料がない。借金超大国、デフレ、少子化、自殺者と生活保護受給者の増加、揺れる外交・安全保障政策、政治不信の深まり、リーダー不足……。悲観主義が広がり、亡国論がはびこっている。
野田佳彦首相も、24日の施政方針演説で、
「この国難とも呼ぶべき危機に立ち向かいながら……」
などと危機意識を前面に出している。
そんな折だけに、2人の無名の少年がみせたバナナとパンの物語は大きな救いだ。あきらめることはない。(敬称略)=毎週土曜日掲載
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