風の宝石箱

日々想うことを感じたまま 大切にしまっておきたい

ビニール袋ってすごい!

2010年08月29日 | ひとりごと
朝には雨はあがっていた。西の空には雲がひろがっていた。
五合目に着いた時には霧が出ていて小雨が降ったりやんだり、雨具を着ようか悩んだが途中ザックから出して着るのも面倒だと思い、半袖のTシャツの上に雨具を着て出発。
六合目に着く前に雨は降りだした。
雨の日の登山なんて初めての経験だ。
カンカン照りのなか紫外線を浴び続けて登るのを考えたら、小雨の中の登山のほうが楽だと思った。

・・・・・・・・・・・・

TVで富士登山者の様子をみて、「小学生でも登れるんだ」と思った。
同時に、「・・・なら、私にも登れる?!」と単純に思った。

去年、主治医F先生に聞いてみた。「絶対駄目です」と言われた。
今年、また聞いてみた。「登りたいと思うなら、行っても良いですよ」と言われた。
...........サポーターを持たされたけど。


本八合に着いても雨は降ったり止んだり、それでも星はいくつか見えていた。
日の出30分ほど前に、山頂に着いた、その頃は雨もやんでいたし、オリオン座が近くに見えた。
山頂は人がいっぱいで、雲から出るご来光も、私には人の頭の上から出たご来光を拝むことができた。
登山道にはまだまだ行列が続いていた。

登山はまだ続く、3776mの三角点までは、もう少し登らないといけない。
山頂郵便局と頂上奥宮で、お参りをしたり記念品を買ったりして少し休憩。
馬の背と言われる急な坂を登ると行列ができていた。
三角点で記念写真を撮っているひとの行列だ。
下界は一面雲が広がっていた。それでも、流れる雲の隙間から、伊豆半島がみられた。


富士登山は個人で来る人、ツアーの人。
家族連れもいれば、子供会?小学生の団体や、外国の人たち。
幼稚園の子供もいれば、高齢の人も。
何事も、「歳は関係ないんだ」と思った。

今回私はバスツアーで参加した。

登山は道楽だ。
私自身、アウトドア専門店に何度も通って着るものからその他の用具を少しずつ揃えたものだ。
中には、百均のカッパやスニーカーで登る人もいる。
けれど、少しでも安全に快適に楽に登山をしたいと思うなら、登山用品を揃えるべきだと思う。
買うのが嫌ならレンタルだってある。お金がかかるのは、登山だけではないはず。
なのに、なぜ登山となるとお金を惜しむのだろう?


今回の雨の中の登山で一番活躍したものは、ビニール袋でした。
いくら、ザックカバーをかけてもザックの中にまで雨水が入ってきました。
中のものは、全部ビニール袋で二重にしておいたので、持ち物が濡れる事はありませんでした。

来年もまた登ろう!








甘いペンギン

2009年07月12日 | ひとりごと
お土産をいただきました。

箱のふたには、「京菓子」と書かれていました。
京都に行って買ってきたわけではないそうです。
今、デパートでも地方のお菓子が買えますものね。

可愛いお花の形をしたもの等色々あって、一番目に付いたのはこの「ぺんぎん」でした。
ペンギンもとうとう京菓子になったんですね!


水族館のお土産にこんな可愛い美味しい物があっても良いですよねぇ~。
・・・あるのかな??

旭川の動物園が人気のようですが、そこでも一番人気はペンギンなんですね。
私が数年前に行ったのは、長崎にある「ペンギン博物館(?)」です。ここには、たくさんの種類のペンギンがいました。どの子も可愛くて、出かけたのが平日のせいか?お客さんも少なめでしたので、水槽の前でじっくり眺めてきました。

長崎駅では、「命短し 恋せいよ 乙女~」としつこいぐらいに、流れていました。
この歌は長崎と関係があるのかな?
ふと、そんなことを思い出しました。



親心

2009年06月27日 | パパの思い出
ママチャリに乗った男性が前からきた。
男性の後ろに女の子の顔がチラチラみえる。
すれ違う時、その二人乗りしている親子を見た。
後ろの荷台に乗っている女の子は、お父さんのお腹に腕を回してしっかりしがみついている。お父さんの背中は大きくて、その女の子からは前が見ない。
だから、お父さんの身体の横から顔を出して前を見ているんだ。

私にも二人乗りの思い出がひとつだけある。
私のパパは通勤もちょっとした用事で出かけるときも、よく自転車に乗って出かけていた。
お祖母ちゃんちへ行く時やお買い物など、きっと何度も私はパパの自転車の前や後ろに乗せられて出かけいたと思う。
でも、今私が記憶しているのは一回だけだ。

それは保育園を卒園してすぐの日曜日だった。
パパの自転車の後ろに乗せられてお祖母ちゃんちへ行く途中の事。
見慣れた、通いなれた道だった。

私が、急に「痛い」って叫んだらしい。
その後、どうやってお医者さんへ連れて行かれたのかは覚えていない。
レントゲンを撮って「骨は折れてませんよ」とお医者さんとパパが話をしてい場面と、次の日かな?母に消毒のためお医者さんに連れて行かれたのを覚えているだけだ。
ガーゼの交換は痛かったなぁ。

そうそう、看護婦さんに「痛いからそーとやってね」って、言って笑われたのを覚えている。

しばらくの間、靴の踵が傷に当たるので靴は履けなかった。小学校入学式にも確かサンダルで行った記憶がある。
その時の傷跡は今でもくるぶしの下にうっすらと残っている。

私が就職したころだったと思う。急にパパがその傷の事を言い出した。
傷跡といっても、年々薄くなって目立たなくなっていたから、たいした傷跡じゃない。私だって全然気にしていない。
他の人なら、場所も場所だから誰も気が付かないはずだ。
でも、パパはずい分気にしている様子だった。

「あの時、自転車の車輪に足が入っちゃって・・・。ものすごい音がして・・・自転車は壊れたけどよく骨にヒビも入らなくてすんだものだ」
と話してくれた。

あの時のパパの自転車が壊れたなんて初めて聞いた。

パパは病んで退職するまで自転車通勤をしていた。
雨の日も風の日も。
真夏も雪降る日も。

孝行したいときに・・・






紫陽花

2009年06月21日 | ひとりごと
紫陽花の花を見るなら、雨上がりが良い。
足元がぬかるんで靴や裾が濡れたって、かまわない。

でも、私が紫陽花祭りに出かけた日の天気は良すぎてしまった。
紫陽花を見に集まる人たちの差す日傘の「黒」が邪魔だった。

去年は見られなかった紫陽花が彩りよく咲いていた。

いつからこんな純白の紫陽花があったんだろう?私は今季初めて見ることが出来た。
近寄って観てみるとそれは良く見かける紫陽花の花びらよりもずっと小さかった。

まだ植えたばかりのようで、ひょろひょろっとしているから、写真を撮るには淋しいのかな?青やピンクの紫陽花の前のように人だかりは無い。

私は、写メを撮ってみた。

どの人も、横目で見ながら、お喋りしながら通り過ぎて行く。


あと何年かして立派な株になった時、白い紫陽花の前で写真を撮る人達が増えるのだろうか?

それとも、「白」い紫陽花には惹かれないのかなぁ。








抜歯後の腫れ

2009年06月14日 | ひとりごと
今後また抜歯することがあるかもしれないので、その時の為に記録しておこうかなと思う。

3月に親知らずを抜いた。
その日、「お風呂には入らないで下さい。シャワーも、やめた方が良いですよ」と言われました。
「ズキズキと痛み夜辛くなりますよ」と言われれば素直にきくしかない。
痛み止めも処方してくれた。

麻酔が切れたとたんズキズキと痛み出して、すぐ鎮痛剤を飲んだ。
夕方には、左側の頬が腫れて辛くなってきた。
「熱冷まシート」があったのでソレを貼ってみた。
初めて使ったけど、「熱冷まシート」ってとても冷え冷えだ。
冷たすぎるので、まだ腫れていたけどシートははがした。

その後、6時間おきに鎮痛剤を飲み、翌日消毒に行った。

先生が私の顔をあっちからこっちから見て、
「あぁ 思ったより腫れなかったですね、根が深かったのでもっとこぶの様に腫れてしまうかと思ったんですよ」と言われた。

抜歯した後の腫れは血液が溜まって腫れるんです。との説明。その血液は自然に吸収されるので心配はないんですけど、患部を冷やしてしまうと吸収が悪くなって腫れがひくのに、1ヶ月も掛かってしまうんですよ。と言う。

そーゆー大事なことは昨日言ってくれないと・・・・・!

  熱冷まシートをすぐに剥がして良かったぁ~。

まだ痛みがあるので鎮痛剤を追加してくれた。抜歯翌日からイソジンでのうがいも始まった。

頬の腫れぼったさは1週間ぐらいで引いた。
イソジンでのうがいは2週間続いた。
抜歯スペースに充填したもの・・テルプラグ 5,250円(保険適用外)






お茶

2009年04月26日 | パパの思い出
ペットボトルのお茶を買って飲むことに何の抵抗もない私。
自分で茶葉を買うなら、「抹茶入り玄米茶」か「ほうじ茶」を好んで買っていた。煎茶は・・・・・買った記憶がない。

会社の休憩室では、「茶器」?ボタンを押すと湯呑み茶碗に一杯分のお茶が注がれるものがある。これが「粉末茶」なので茶殻も出なくて、色もきれいで味もまぁまぁ美味しい。香りはペットボトルのお茶のほうが数段上だが、私は「茶器」のお茶で十分満足している。

お茶通の同僚は、「茶器」のお茶を飲まずに、急須を使って茶葉で煎茶をいれている。ちょうど同じ時間に休憩室に居合わせると私の分も入れてくれるのだが、
どうも、私には、私の胃には、合わない。濃すぎるのかな?

私が子供のころ、食後のお茶は母が入れてくれた。
母が入れるお茶を見ていて父が言ったことがある。
『会社で女の子がお茶を入れてくれる それをみていたら一回入れたお茶っ葉は捨てて毎回新しいお茶っ葉を使うんだよ』『うちは、いつもデガラシだな』っと笑っていた。
もともと父は胃の弱い人だったから、食事も香辛料や刺激物は控えめだった。
お茶もそのせいでデガラシがちょうど良かったのかも知れない。
ただ、勿体無いっていう理由だったかも知れないな。

今でも母はデガラシのお茶を入れている。







何か変!

2009年03月21日 | ひとりごと
歯?が痛い!
右の上の奥が痛くてたまらない。

根っからの歯医者嫌いな私だから、「痛く」なるまでは歯医者には行かない。
市販の痛み止めを飲んでも痛い。
しょうがなく・・・歯医者に電話をして予約をとることにした。

歯医者って、どうしてこんなに予約が取れないんだろうといつも不思議だ。
2週間も先になってしまうと受付さんが言う。
・・・今、痛くて辛いのになぁ~と思っても、素直に承諾。

2週間が経てば、痛みが治まっている、これもまた不思議。
でも、せっかく取れた予約なので受診してみたところ、
「親知らずなんですが、一部しか出ていませんが早く抜いた方が良いでしょう」と言われ、
「紹介状は必要ないでしょう、うちで抜歯できますよ」と先生に言われ・・・
その後、助手のお姉さんから、細かい説明があった。
抜歯スペースに「薬」を詰めたほうが安心なので、そうしたいんですが、その「お薬」代は、保険が利かないので、自費になります。5,000円位ですがよろしいでしょうか?と確認された。
ソノ高価な「お薬」というのは、コラーゲンだと言う。
コラーゲンなら、抜歯のあとより、他の場所に入れて欲しいぐらいだと思った。
なにはともあれ金曜日に抜歯することになった。

ついに金曜日。
体調をきかれ、消毒され麻酔を打たれた。
この麻酔が痛ぁ~い!
麻酔を打たれている時、親知らずの辺りが痛いのは当然だ。でも、何故か??麻酔を打っている時だけ、まだ完治していない腰もチクチク針を刺されているように痛んだ。

そんな馬鹿な!と思った。

事故のとき、私はアスファルトに頭をぶつけている。
でも、脳神経外科のO医師には、もう大丈夫こっち(頭)は、心配ないですよと言われている。
でも、この痛みの感じ方は・・・?私の頭はどうにかなってしまったのではないのかな??と思い少し不安になってきた。

次の外来でF先生に訊いてみようか。

雨の日に

2009年03月06日 | ひとりごと
朝から雨が降っていた。
駅の連絡通路には、ぬれた床をモップで拭くお掃除の人が数人いた。
どの人も70歳ちかいかな?雨や雪の日だけ雇われているのかな?普段は見かけないから。
駅ビルやデパート・スーパーの入り口になら濡れたか傘を入れる袋が用意してあるけど、駅にはそんなものは無い。だから、駅の通路は(もちろん電車の中も)、雨水で濡れてビシャビシャで滑りやすい。
ソノ床を、丹念に黙々とモップで拭いてくれている。ありがたいことだ。

ビルの入り口に設置されてある「傘袋入れ」のところに作業服を着た女性が二人立っていた。二人とも70歳ぐらいかなぁ。
使用済みの袋が箱に溜まると集めに来る人は見かけたことがあるけど・・・
ソノ様子はない。
片手には雑巾を持っている。
お客さんが傘からはずしたその袋を受け取っている。
・・・なにもそんなことしなくても、誰だって箱に入れるのに と思った。
私が通り過ぎるとき、「ありがとうございました」と言って、袋を受け取ってくれた。そして、その袋を逆さにして中に溜まっていた水を雑巾でしごく様にしてバケツに出して、袋を箱に入れた。

ひょっとしたら・・・
ソノ後、使用済みの袋を一枚一枚取り出して、きれいに小さく畳んで、リサイクルに出しているのかな。と想像してしまう。

「仕事」は、自分で探して作るものだ。言われた事だけしかやらないなら、そんな奴は必要とされない。
と、高校のときの先生に言われた。

おそらく、傘袋の水を切るように なんて、言われてないだろう。
ビルの入り口だらら、時には風が吹いてヒラヒラ袋が飛んでしまう事があるかも知れない。ソノ袋を拾って集めるぐらいのことを言われてるんじゃないかな。
作業服を着て、ビルの出入り口で働くからには、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」とお客さんに声を掛け、手持ち無沙汰な時間を「雑巾で水切り」と言う仕事を自分たちで作ったのだと思う。立派な心がけだ。


雇われて働いているなら、プライドを持って勤務時間をキッチリ働こう。そして「この人を雇って良かった」と思わせたい。
ダラダラ仕事で「時間稼ぎ」をしたり、無駄に「残業」をするような、そんな労働は嫌だ。

そんなことを、思った。




優しいおじいさん

2009年02月03日 | ひとりごと
「おじいさん」といっても、私の祖父ではない。
病院の待合室で初めて見かけた名前も知らない「おじいさん」だ。
孫でもない人から「おじいさん」なんて呼ばれるのは、気分は良くないだろうなぁ~~~。
私だって「おばさん」と、呼ばれたら..........ムカッとする・・・・・・
日本語で、もっと良い呼び方はないのかなぁ?


今日も待ち時間を持て余していた私は、その時は「口腔外科」の前でウロウロしていた。
診察室から看護師さんが出てきて、おじいさんと何やら話をして、また診察室へ戻っていった。

少しして、さっきの看護師さんが小柄なおばあさんを連れて診察室から出てきた。
そのおばあさんは、手を口の中へ入れて、「痛いよぉ」とか「どうすんの、こんなの」とか不満を言っている。
おじいさんが立ち上がって、看護師さんと話をしている間も、おばあさんは「もうやだよ 帰えろうよ」とか言っていた。
痴呆なんだと分かった。

待合室にいる他の患者さん達は、雑誌を読んでいたり、おしゃべりをしていて、全く気にならない様子だ。

私は何だか気になって、そのおばあさんと、おじいさん、看護師さんを見ていた。
おばあさんの様子をみては、「お口に手を入れてはいけませんよ」とか「もう、治ったから痛くないでしょう」とか看護師さんが言う。
おじいさんも小さな子をなだめる様に、「もう少ししたら帰ろうね」と優しく声を掛けたりする。
そうやって、おじいさんに構ってもらえると、おばあさんの様子も少し落ち着いた。

辺りを見回すおばあさんと私の目が合った。ニコッと愛想振ってみた。
そしたら、おばあさんは頷くように何度か首を動かした。

おじいさんは看護師さんとの話が終わって、おばあさんに上着を着せている。
大きいボタンを全て掛け終わるのを黙って見守るおじいさん。
次に白いマスクとニットの帽子被せて、おばあさんの支度は出来たようだ。
おじいさん自身も上着を羽織って、おばあさんの手を取って会計の方へ歩き出した。
その時、おばあさんが私に向かって、「じゃぁね またね」と2度言った。
私も「またね」と返事をしておばあさんに軽く手を振った。
おじいさんは私に向かって会釈をしてくれた。

優しいおじいさんだなぁと思った。






事情聴取

2008年12月08日 | ひとりごと
入院中、それもまだ状態が酷い時に警察からS警部が事情聴取にやってきた。
せめて、あと1週間先ではいけないのか?と泣きたい思いだった。

すでに目撃者と運転手から詳しい話を聞いていて、それを元にほとんど下書きのようなものが出来ていた。事実確認をしてくださいとか言うようなことを言われ、ベッドに横になったまま話をきいた。

H20年5月○日○時○分 ◇市△町×番地の横断歩道歩行中に・・・・・
現場の地図も見せられた。

信号は見ましたか?
横断歩道にはあなたの前方に他に歩行者がいましたか?
あなたの後ろに歩行者がいました?
あなたの後方からバイクが走ってきていたのを覚えてますか?
左折のウインカーを出している車がありましたか?
右折のウインカーを出している車はありましたか?
歩行の速さはどれくらいでしたか?
・・・
私が覚えているのは、歩行者用信号が青だったことと、ソノ瞬間に見た運転席側のヘッドライトとそのあたりのフロントとボンネット部分だけだ。
運転手の姿も見ていないし、車の形も色もわからない。
ソノ車がどの方向から来たのかさえ私は知らない。
何故 見通しの良い交差点でそれも青色信号の横断歩道上で撥ねられたのか?その事は今でも疑問だ。
信号の色は目撃者が証言してくれたので良かった。
もしも、横断歩道を渡り始めるときの歩行者用信号が青の点滅だったとしたら、私の過失割合が10%ということになるのだとS警部は話してくれた。

あなたに過失があるとしたらそれは何か?と質問された。
なんて神経を逆撫でするような質問をするのだろうと思い、ムッとしてしまった。
警部も「これも仕事なので」と穏やかに申し訳なさそうに言った。

信号をちゃんと確認して、横断歩道を歩行していた。
特にゆっくり歩いていたわけでもないし、途中立ち止まってもいない。
携帯を見ながら歩いていたわけでもない。
走っていたわけでもない。
特に思い当たらないと答えた。

何故、この事故が起こったと思いますか?
今後の参考になるので、思うこと話してくださいと言われ。
(そんなことは、運転手に聞けば良いのに ・・・当然、聞いているのだろう)

運転手の住所と氏名 生年月日を書いたメモを見せられた。
全く知らない人だった。


  仮に、私に向かってくる車に気がついたとして、私は避けることができたのだろうか?


最後に、加害者の処分?についてどうしたいか きかれた。

しなくていい。
してほしい。
警察に任せる。

の3択だった。
少し考えて、今の感情で、ものを言っても良いのでしょうか?ときいてみた。
「いいですよ」と言われた。

最後に、住所と名前を書かされ捺印した。

ベッドで横になったままボールペンで文字を書くことは一苦労で、とても疲れてしまった。

目撃者の人には今でも感謝の気持ちでいっぱいだ。
救急車が来るまでそばに付いていてくれて、冷静に世話を焼いてくれた。
救急車が出たあとも警察がくるまでその場にいてくれたのかもしれない。
きっと通勤途中だったと思う、とんだことに貴重な時間を使わせてしまったし、巻き込んでしまった。
警察に、目撃者の連絡先をたずねたら、「個人情報・・・」とかで教えてもらえなかった。「お礼のことば」だけは警察を通して伝えてもらった。






外来

2008年12月04日 | ひとりごと
退院後初めての診察に行った。
予約制なのに・・・一時間以上待たされた。
まぁどこの病院でもこんなもんだろうから、さほど不満には思わない。
せっかくなので待ち時間を楽しんでみた。

売店へ行ってみて温かい飲み物を買ったり、廊下の壁に掛けてある「絵画」を鑑賞したり(私好みの絵は一枚も無かったのは残念だ)。
他の階の診療科目の待合室を見に行って、どこが一番混んでいるか比べてみたり。患者さんを呼び出す「○○ △◇さん 何番にお入りください」の先生方の声を聞いては、良い声だなぁとか少し訛りがあるなぁとか。
看護師さんの髪型とか。
受付さんの対応の仕方とか。

待合室の椅子には「この人どこが悪いんだろう?」というような人も多い。
名前を呼ばれて診察室に入っていく患者さんを見ていたら、付き添いが3人!っていうひともいた。
待合室がいっぱいなわけだと思った。

診療科目ごと医師の名前の貼り出してあるコーナーがあった。
整形外科欄でF先生の名前を探してみたら..........十数人もいる医師団の・・・後ろから数えて3人目だ。肩書きもただ「医師」としてあった。
若いからなぁ~~~そのうち偉く?なるんだろうな。

外来担当表を見たら、F先生は週に二日だけ外来の診察に出ている。
やっと私の名前が呼ばれカーテンの中へ入った。
診察室は思ったより狭い。
診察用のベッドと先生の机とパソコン台と患者椅子・荷物を置くワゴン。
PCのモニターと画像用のモニターが机の上の場所をとっていた。
飲みかけのペットボトルのお茶が1本机の隅に置いてあった。
休憩時間もなしに診察を続けるんだぁー大変ですね、お医者さんって。

「大変お待たせしましたね 退院して1週間ですが、どうですか?」
と診察が始まった。
患者の椅子より先生の椅子の方が低い!何故???
座り心地の悪い回転椅子に座りながら、どうも落ち着かない!これは、椅子の高さのせいかなぁ?などと思ったりしていた。

今後は4週間ごとに診察に通えば良いとのこと。
仕事の復帰は・・・まだ当分自宅療養で先のことになるらしい。
自動車の運転の許可がでないので・・・もっとも私も運転する気はないけど、
「出かけるときは転ばないように、気をつけてくださいね」と言われた。

じゃぁー今度は、来月の・・・時間はどうしますか?今日と同じ10時で良いでしょうかね?と聞かれ、思わず噴出しそうになってこらえた。
どうせまた1時間待ちでしょうから・・・。
「はい。何時でも。」とこたえ予約を入れてもらった。




寒ぅ~~~い

2008年11月27日 | ひとりごと
救命科のT先生
脳神経外科のO先生
腎臓内科のK先生
整形外科のF先生
リハビリ科のY先生

看護士さんたち
病棟クラークさん
お掃除に来てくれるMさん

たくさんの人達にお世話になった。

ヘッドギア ポリネック ギプス 包帯 ネット コルセット 点滴の針。
車椅子に歩行器。
ひとつずつ取り外されて、今はコルセットだけ。

飛んだり跳ねたりはまだ出来ないけど、階段の上り下りも出来るようになった。
まだ不自由な身体だけど、リハビリを続ければ「よくなりますよ」と言われた。
筋トレは結構キツイ、でも、がんばれる。

紫陽花も朝顔も打ち上げ花火も頭をたれる稲穂も今年は見られなかった。
今は紅葉だ。

朝の回診で、「筋トレは毎日やらなきゃだめですよ」「これから寒くなってくるから 温かくして・・・風邪引かないように気をつけてくださいね」とF先生から言われた。

来月は外来の診察室でF先生に会う。

私は今日退院した。




杖の話

2008年11月11日 | ひとりごと
「杖」の話をした。

・・・
 目の不自由な少女に、周りの大人達が言う。
 「白い杖を使っていれば、まわりの人も気を使ってくれて、声をかけてくれたり、何か手助けをしてくれるから、白い杖を突いて出かけなさい」

 でも、少女は「白い杖」を嫌だと言ってきかなかった。

どう思う?
訊ねられた私。

 「その子 偉いじゃない。」とこたえたら、「偉い???どこが?」と、また質問された。

私が「偉い」と思うのは、自分の意志を正直に言った事だ。

「白い杖」は、眼の見える人が、「あぁ あの人は眼が見えないんだ」と分かる便利な物にすぎない。
「白い杖」は、『私はみなさんと違って盲人なんです。だからみなさん親切にしてください』とでも言うような道具だ。

その子は、何もわざわざ白い杖をついて「私は目が不自由なんです」と世間の人達に無言で知らせる事も、また同情されることも嫌だったのだと思う。
杖を突いて、歩いて出かける事が出来るのなら杖の色なんてどうでも良いじゃないか!

誰にだって、知られたくない事はあるだろう。

その子だって、イイ子になって、「他の人達に迷惑をかけてしまうから」と、自分の気持ちを抑えて嫌々でも白い杖を使うことにする事も出来ただろう。

でも、その子は「嫌なものは嫌だ」とはっきり言ったのだ。私はその気持ちを大切にして、前向きに応援してあげたいと思う。

その子のことを「わがままだ」と言う人もいることでしょう。でも、私は「嫌なものは嫌だ」と言ったその子の正直な気持ちと勇気を大切にしてあげたい思う。






凸凹

2008年10月23日 | ひとりごと
病院の廊下は結構デコボコしている。

ストレッチャーのまま移動するときも、車椅子で移動するときにも、廊下の継ぎ目やエレベーターに乗り移るとき等ガタンと振動し身体に響く。
そういえば、救急隊の人にストレッチャーに乗せられて、ほんの2・3m離れた所に停めてある救急車に乗り込むまでのアスファルトの上もひどくガタガタガタガタとして全身に響いて痛かった。
救急車に乗り込む時も、「少しガタンとしますよ」と2度声を掛けてくれたから、彼等にはソノ衝撃が怪我人や病人にとってどれだけ辛いものか解っているんだ。

いくら年齢をとっても分からないことは沢山ある。
無知だと言われれば、返す言葉も無い。経験したことが無いから理解できないと言ってしまえばそれまでだ。
お医者さんも看護師さんもあらゆる病気や怪我を自分自身で経験した人なんていないだろう。
なのに、患者の「痛み」を解っているように手当てしてくれるのは、経験や知識のほかに「痛みを想像する力」に長けているのかなぁとも思う。それとも天性の才能なのかな?

歩行器(?)を使って廊下を行ったり来たり歩いていたら、F先生にばったり会った。
F先生と顔をあわせるのは1週間ぶりだ。
「ずい分良くなりましたね それだけ動ければ、コレ使わなくても歩けるでしょう?!やってみましょう」と言って、私から歩行器を取り上げた。

歩行器はとてもありがたい道具だ。自分の体重を預けられ、歩くことも楽だし辛い時はその場で立ち止まって一息つくこともできる。
それに、誰かに付き添ってもらわなくても、フロアー内なら一人で動ける。
その歩行器がないと、廊下では手摺りにつかまるしかない。
頼りの手摺りだって病室のベッドまで続いているわけじゃないし。
・・・歩けるでしょう と言われても...............。
何度も立ち止まりながら、なんとか病室の入り口まで来たところで、F先生は歩行器を返してくれた。
「頼りすぎはよくないですよ」と言われた。
また「やりすぎもよくありません」と言って行ってしまった。

確かに、「良くなった」と思う。
でも、この歩き方ではまだまだだ。















目の高さと私の心境

2008年09月30日 | ひとりごと
診察の時、触診する以外はF先生は椅子に座って話をする。
だからあまり気にすることがなかった。

今、車椅子で病院内を移動するようになって気づいた。
車椅子は必ず看護師さんが押してくれる。私は両手を膝の上に置いて前を見ているだけだ。

私の目の入るものは、私の目の高さから下方向だ。

同じように車椅子に座っているひと、たまたましゃがみこんでいる人。または子供だ。他には床とか壁とか・・・歩いている人の靴や持っている荷物。
自分より高い位置にあるものを見上げて見ようとは思わない。

首が痛いとか疲れるとかではなくって、普段からそうだったように思う。

廊下を移動中、すれ違う人達をうっとうしく思う。
私の視線を胴体で遮るからだ。
エレベーターの中で私以外全員立っている人ばかりだとすごく嫌だ。
私だけ別世界に居る感じがする。
私の目に映る立っている人は皆顔がない。まるで異星人だ。

立ち止まって看護師さんが他の人と話しをしだすと、私はその場で取り残されたような感じを受ける。
業務上の話なんだから私には関係ないといえばそうだが、私の視線の届かない頭の上から声だけが聞こえてくる。なんて妙な感覚だろうと思う。

たとえば、家族や友達がまわりに居て、楽しい話題で話が弾んでいたとしても、みんなが立っていて私だけ車椅子に座っていたとしたなら、やはり寂しいと感じるだろう。

車椅子が自分の背の高さだったらどうだろう?
普段の生活の目の高さと変わらなければ、これほどの違和感はないかもしれない。

この病院に来て受付で待たされている時、声をかけてきてくれた看護師さんがいた。
そばによって来てしゃがみこんで、
「この病院には専門医がいらっしゃるから、診ていただきましょうね。」
と言って、その看護師さんは自分の持ち場へ行ってしまった。

大事なことを伝えようとするのなら、相手の目と同じ高さで話しかけるのが良い。
私はあの看護師さんから「安心して」と言われたのだ。