特殊相対論、ホーキング放射、ダークマター、ブラックホールなど

・時間について特殊相対論からの考察
・プランクスケールの原始ブラックホールがダークマターの正体であるという主張
 

その3・ランダウ、リフシッツ パラドックス

2023-02-23 11:01:04 | 日記

以下、前々回のページからの続きとなります。

まずは2つの系にある時計の遅れを比較する手順には問題はなさそうです。

ただしランダウとリフシッツは観測者を1名だけにしていますが、今度はそれぞれの慣性系で1名ずつ、合計で2名の観測者を立てる事にします。

そうして最初の観測者①が立つ慣性系αについてはランダウとリフシッツの設定した通りに時計BとCを置きます。

但しもう一つの慣性系βには新たな観測者②を立て、従来どうりの時計Aに加えて時計Dも置きます。

さてこの様に舞台を設定しますと、その状況は対称的にできます。

しかしながらこの舞台設定の変更によって観測者①の観測結果が替わる事はありません。

これは観測者①の観測行為にとって観測者②の存在と時計Dの存在は何の影響もあたえないのでありますから、当然の事であります。

そうであればランダウとリフシッツの主張する様に「慣性系αに立つ観測者①はΔT(A)<ΔT(C-B)となる事を観測する」事になります。

そうしてその事をまずは認めます。

つまり「慣性系βの時間が遅れている」という結論に同意するのです。

その理由は現実に存在している3つの時計の針の位置を確認しそのデータから客観的に計算した結果、ΔT(A)<ΔT(C-B)となっていたからですね。



ここでもう一度今回の舞台設定をレビューしておきます。

慣性系αが左から右に慣性系βに向かって動きます。

と同時に慣性系βが右から左に慣性系αに向かって動きます。

慣性系αでは時計Bを先頭にして時計Cが続きます。

慣性系βでは時計Aを先頭にして時計Dが続きます。

そうしてもちろん時計Aと時計Dは同期していて、時計Bと時計Cは同期しています。

観測者①@慣性系αは「動いている時計=相手の慣性系にある時計」として時計Aを選択します。

同様にして観測者②@慣性系βは「動いている時計=相手の慣性系にある時計」として時計Bを選択します。



観測者①の視点では

まずは時計Aと時計Bがすれ違います。

次に時計Aは時計Cとすれ違います。

その時の客観的な観測データから観測者①@慣性系αは

ΔT(A)<ΔT(C-B)

であると結論を出します。

つまり「慣性系βの時間は慣性系αより遅れている」が観測者①の結論です。



同様にして観測者②の視点では

まずは時計Bと時計Aがすれ違います。

次に時計Bは時計Dとすれ違います。

その時の客観的な観測データから観測者②@慣性系βは

ΔT(B)<ΔT(D-A)

であると結論を出します。

つまり「慣性系αの時間は慣性系βより遅れている」が観測者②の結論です。



さてランダウとリフシッツの主張する所によれば「こういう状況がこの宇宙では成立している」と言う事になります。

ところで観測者①は観測者②の結論を受け入れるでしょうか?

観測者①は観測した客観的なデータから「慣性系βの時間は慣性系αより遅れている」と結論を出しました。

そうして観測者②も観測者①と全く同じ手順に従って観測を行い、そうして観測した客観的なデータから「慣性系αの時間は慣性系βより遅れている」と結論を出したのです。

その時に観測者①は観測者②の結論を受け入れる以外の選択肢はなく、同様にして観測者②は観測者①の結論を受け入れる事になるのです。

何故ならば両者共に観測によって得られた観測データは客観的なものであり、つまり慣性系αにいても慣性系βにいても同じデータを観測する事になるからです。(二人の観測者の間で観測データの共有が可能です。)

つまり「二つの時計がすれ違う時のそれぞれの時計の針の位置」が観測すべき対象になりますが、その時計の針の位置は慣性系αからみても慣性系βからみても同じ位置にあるからです。

そうであればランダウとリフシッツの主張する手順とその結論によれば「慣性系αの時間は慣性系βより遅れている」、と同時に「慣性系βの時間は慣性系αより遅れている」が今回の測定結果と言う事になります。



さてそれで、実際問題として「慣性系αの時間は慣性系βより遅れている」、その時同時に「慣性系βの時間は慣性系αより遅れている」と言う状況はありうるのでしょうか?

ランダウとリフシッツの提唱する物理学では「そういう状況がある」と言う事になります。

つまり「そのような結論に至る客観的な観測データが得られる」と言っているのです。



他方で当方が認める物理学では「そのような事は起りえない」となります。

つまり「そのような矛盾した結論に導かれる客観的な観測データが得られる事はない」と主張します。



さてそれで、皆さんが同意される物理学ではどちらの主張を支持する事になるのでしょうか?



追伸:「客観的な観測データ」というものの正体:このお話のポイントについて

観測者①がすれ違う2つの時計の針の位置を読み取った値については観測者②もただちに同意する、という意味です。

あるいは観測者①がすれ違う2つの時計の針の位置を読み取る時にその場所に同席した観測者②がそのすれ違う2つの時計の針の位置を読み取ると、その値は観測者①の観測データと同一のものになる、という意味でもあります。

つまり2つの慣性系にそれぞれ一つづつある時計とその時計のある場所にそれぞれ同席している2人の観測者は、存在している慣性系が異なっているにも関わらず、2つの時計が同じ場所に到達した時に(=すれ違う時に)それぞれの時計が示す時刻を読み取ることが出来、その値は2人の観測者が異なる慣性系に立っているにも関わらず同じ値となる、ということが「すれ違う2つの時計が示す時刻の読み取り」という観測行為の大きな特徴になっているのです。

この事が我々が暮らす宇宙では成立している為に「時間の遅れはお互い様」という認識は成り立つことが不可能であり、その様な認識は却下される事になります。



追伸の2:ローレンツ短縮について

ローレンツ短縮についてはまさに「縮んで見えるのはお互い様」が成立している模様です。

2つの慣性系がすれ違う時、同じ長さの1mの二つの物差しとそこに立っている二人の観測者がいて、それぞれが相手の物差しを観測すれば相手の物差しが1m未満になっている事を観測する、と言うものです。

そうであればこの場合はこの二人の観測者が観測する2つの物差しの長さについては合意する事はなく、したがって「測定データは客観的ではない」と言う事になります。

それはつまり、ローレンツ短縮については測定データの共有ができない=それぞれの観測者が観測したものは、それぞれの慣性系の内部でしか通用しない観測データである、という事であります。

この点が時計の針の位置の観測と基本的に異なる点になります。

さてそういう意味では「ローレンツ短縮は主観的である」と言えそうです。

他方で「時間の遅れは客観的である=物理的な実在の状況がそこにある」と言う事になります。


PS:相対論の事など 記事一覧

https://archive.md/edN3M